異邦魔王の違法魔法 作:冒険者小隊
木曜の昼下がり。平原を吹き抜ける風の中で、アコギは黒い城を見上げていた。
掲示板で角付きの居場所を聞いても、まともな答えは返ってこなかった。だが目撃情報を繋ぎ合わせれば、行き着く先はここしかない。一週間前、突如として平原に現れたという黒い城。フォーバロンズが最初に乗り込み、そして無傷で帰ってきた場所だ。
(あいつらにできて、俺にできねえ理由はねえ。)
城門に向かって一歩を踏み出す。
その瞬間、見えない壁に額をしたたかに打ちつけた。
「っ痛……!」
手を伸ばすと、何もないはずの空間に、硬く冷たい手応えがある。叩いても蹴っても、びくともしない。結界だ。それも、彼の知っているどんな結界とも違う、継ぎ目一つない代物だった。
「何の用だ。」
頭上から声が降ってきた。見上げると、城壁の上に角の生えた男が腰掛けていた。足をぶらつかせ、退屈そうにこちらを見下ろしている。
アコギは息を呑んだ。掲示板で見た目撃談の通りの姿。だが、実物の放つ気配は、文字で読んだそれとはまるで違った。
(……こいつが、魔王。)
「あんたがサンブラルか。」
「おう。で、何の用だ。」
アコギは一度唾を飲み込み、腹を括った。
「俺を、あんたの配下にしてくれ。」
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サンブラルは、ふわりと城壁から飛び降りた。翼もなく、音もなく、結界の内側に着地する。見えない壁一枚を隔てて、二人は向かい合った。
「配下、ね。」
「ああ。フォーバロンズとはつるんでるんだろ?俺だって、腕には覚えがある。魔王討伐ギルドの一つ、レギオンワンズにいたんだ。」
「いた、ってことは今はいねえのか。」
「……追い出されたんだよ。」
アコギは吐き捨てるように言った。
「上の連中が全部持っていくんだよ。魔王討伐の手柄も、ドロップ品も、名声も。マスターも幹部も、上の方で山分けして、下っ端がどれだけ体張っても何一つ回ってこねえ。分配の担当に噛みついたら、和を乱すってんで弾かれた。マスターも、何一つ庇っちゃくれなかった。」
言いながら、自分の声が少し上擦っているのが分かった。二年だ。二年間、偵察も雑用も殿も、言われるがままにこなしてきた。それが、たった一度上に噛みついただけで、この有様だった。
「ふうん。」
「それに、ただで雇えとは言わねえ。手土産がある。」
アコギは身を乗り出した。
「レギオンワンズの内情だ。幹部の固有魔法、得意な陣形、今狙ってる獲物。全部知ってる。あいつらが次にどこを攻めるかも――」
「いらねえ。」
即答だった。
アコギの言葉が、喉の奥で止まる。
「まず一つ目。俺は休暇中だ。軍なんざ持ってねえし、持つつもりもねえ。」
サンブラルは指を一本立てた。
「二つ目。手柄欲しさに、昨日までの仲間の首を手土産に売り込みに来る奴を、俺は配下にしねえ。」
二本目の指が立つ。その声は静かだったが、真冬の水底のように冷えていた。
「お前が今俺に売ろうとしたもんはな、そのまま明日、俺の情報として別の誰かに売られるんだよ。そういう奴を、俺は嫌ってほど見てきた。」
アコギの顔が、かっと赤く染まった。
「……っ、偉そうに!あんただって魔王なんだろ!どうせ誰かを蹴落として、その首を踏み台にして玉座に座ったんじゃねえのかよ!」
何の根拠もない、苦し紛れの当てずっぽうだった。
だがサンブラルは、表情一つ変えなかった。
「ああ。兄貴の首をな。」
あまりにもあっさりとした肯定に、アコギの方が言葉を失う。
「俺はな、兄貴を斬った時、それを誰かへの手土産にした覚えはねえ。斬った後の責任も、玉座の重さも、全部自分で背負った。お前と俺の違いはそこだ。」
それだけ言うと、サンブラルは踵を返した。
「帰りな。ここにお前の席はねえ。……それと、さっきの手土産は、二度と誰にも見せるんじゃねえぞ。それを売った瞬間、お前は本当に戻る場所がなくなる。」
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城を後にしたアコギは、平原の真ん中で立ち尽くしていた。
悔しさと屈辱で、拳が震えている。
(何が王だ。何が責任だ。結局あいつも、強い奴の理屈じゃねえか。)
そう毒づいてみても、胸の奥に刺さった棘は抜けなかった。
レギオンワンズの内情を売る。勢いで口にした時は、それが一番手っ取り早い手札だと思っていた。だが、改めて考えてみれば、その中には幹部連中だけでなく、同じ下っ端として泥を啜ってきた連中の名前も含まれている。偵察の帰り道、黙って回復薬を分けてくれた同期の顔が、ふと頭をよぎった。
(……くそ。)
フォーバロンズは認められて、自分は門前払い。その差が何なのか、アコギにはまだ分からなかった。ただ、さっき自分が差し出そうとしたものが、あまり誇れる物ではなかったことだけは、嫌でも分かってしまった。
だが、地面を睨みつけているうちに、ふと一つの考えが頭をもたげた。
(……待てよ。)
魔王と話が通じる。それはあの角付きだけの特権なのか。
いや、違う。あの角付きがどこから湧いて出た何者なのかは知らないが、魔王と呼ばれる連中は、どいつもこいつも人の言葉を話す。フォーバロンズが倒したグリッサンドだって、戦いの最中に言葉を交わしたという話だった。ただ誰も、倒す以外の選択肢を試さなかっただけだ。
そして、アコギには心当たりがあった。
レギオンワンズにいた頃、偵察部隊が見つけ、幹部連中が情報を握り込んでいた、まだ誰にも討伐されていない魔王の居場所を。
(ガラファルゼ。)
レギオンワンズの外には、名前すらほとんど漏れていない。人の言葉を流暢に操る、悪魔の姿をした魔王。幹部たちが次の獲物として、慎重に攻略の準備を進めている相手だ。
アコギは顔を上げた。手土産なんかなくても、自分の腕一本で売り込んでやればいい。短絡的なのは、自分でも分かっている。それでも、ここで立ち止まって腐っているよりはましだった。
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一方、城の謁見の間で、サンブラルは玉座に深く身を沈めていた。
「……嫌な目をしてやがったな、あいつ。」
追い返した男の、最後の目を思い出す。屈辱に濁り、それでいて何かを諦めていない、ぎらついた目。ああいう目をした者が、その後どこへ向かうのか。サンブラルは、嫌というほど知っていた。
彼は、自分の足元に落ちる影へと意識を沈めた。
元の世界から空けてきた枠は、まだ幾つか残っている。その一つを、先程門前で向かい合った時、男の影の中に、そっと潜ませておいた。
(休暇中に余計な事をするもんじゃねえんだがな。)
自嘲気味に呟いて、サンブラルは目を閉じた。
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夕刻、アコギは一人、東の山脈の奥深くにある洞窟の前に立っていた。
古い溶岩が固まってできた、黒く捻じれた岩の裂け目。そこから、硫黄の匂いと、肌を刺すような熱気が這い出してくる。レギオンワンズの偵察記録にあった通りの場所だった。
一人で来るような場所ではない。分かっている。それでも、引き返すという選択肢はなかった。
洞窟の奥へ進むにつれ、熱気は増していった。やがて、天井の高い広間に出る。
その最奥に、それはいた。
山羊のように捻じれた二本の角。煤けた鱗に覆われた巨体。背には蝙蝠に似た翼が折り畳まれ、溶岩のように赤く光る目が、侵入者を見下ろしている。人の背丈の三倍はあろうかという、悪魔の姿をした魔王だった。
「……人の子が、一人で来るとは珍しい。」
低く、よく響く声だった。人の言葉を、あまりにも滑らかに操っている。
「この前は大勢で、こそこそと物陰から覗いていたな。その仲間か?」
「……元、な。」
アコギは震える膝に力を込め、まっすぐに魔王を見上げた。
「あんたがガラファルゼだな。」
「いかにも。」
「俺はあんたを倒しに来たんじゃねえ。取引に来た。」
ガラファルゼの赤い目が、僅かに細められた。面白がっているのか、品定めしているのか。アコギには判別できなかった。
「あんたを狙ってるギルドがある。レギオンワンズって連中だ。今、あんたを討伐するための準備を進めてる。」
「知っている。蠅のように周りを飛び回っていたからな。」
「なら話は早え。俺はそいつらの中身を――」
そこまで言いかけて、アコギの口が止まった。
城壁の上の男の、冷えた声が耳の奥で蘇る。それを売った瞬間、お前は本当に戻る場所がなくなる。
「……いや。」
アコギは唇を噛み、言葉を飲み込んだ。
「あいつらの事は売らねえ。俺が売るのは、俺自身だ。」
広間に、長い沈黙が落ちた。
「偵察も、罠の解除も、撤退戦の殿も、二年間ずっとやってきた。腕は保証する。だから、俺をあんたの配下にしてくれ。」
自分でも馬鹿な事を言っていると思った。最大の手札を自ら捨てて、手ぶらで魔王に売り込んでいるのだ。
やがて、ガラファルゼの喉の奥から、くつくつと笑い声が漏れた。
「手土産を持ってきたくせに、目の前で包みを解くのをやめるか。」
「……文句あんのかよ。」
「いいや。」
巨体が、ゆっくりと身を乗り出す。熱気が、アコギの顔を炙った。
「面白い。節操などというものは腹を満たしはせんが、意地というものは、時に化けるからな。」
ガラファルゼが、鉤爪の生えた指を一本、アコギの額に向けて伸ばした。触れるか触れないかの距離で、指先に赤黒い光が灯る。
「受け入れよう、人の子。貴様は今日から、我が軍の一員だ。」
光が、アコギの額に吸い込まれた。
その瞬間、視界の端に、見慣れたシステムウィンドウが浮かび上がった。
【所属が変更されました】
【魔王ガラファルゼ軍】
アコギは、呆然とその文字を見つめた。
(……本当に、あったのかよ。)
魔王と組めるルート。掲示板で誰もが噂し、誰も確かめられなかったもの。それが今、自分の目の前に、ゲームの正式な表示として刻まれている。
じわりと、腹の底から笑いが込み上げてきた。
(見たかよ、レギオンワンズ。見たかよ、あの角付き。)
「一つ、教えておいてやろう、人の子。」
ガラファルゼの声が、その笑いに冷や水を浴びせた。
「今日、貴様は包みを解かなかった。だが、我が軍にいる限り、いずれ解きたくなる日が来る。貴様の古巣は、いずれここへ攻め込んでくるのだからな。」
赤い目が、愉しげに細められていた。
「その時、貴様がどちらの側に立っているのか。楽しみにしておくとしよう。」
アコギは何も答えられなかった。腹の底の笑いは、いつの間にか消えていた。
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その夜、東の塔の一室。
円卓を囲んでいたフォーバロンズの四人のもとに、サンブラルがふらりと顔を出した。
「お前ら、レギオンワンズって連中を知ってるか?」
唐突な問いに、四人は顔を見合わせた。答えたのはバヨネットだった。
「知ってるも何も、何度か合同で討伐戦をやった仲だよ。グリッサンドの時も、取り巻きの小狼の掃討を手伝ってもらった。」
「向こうのギルドマスターとは、今でもたまに情報交換してます。」
ガリアンが補足する。サンブラルは、ふうん、と鼻を鳴らした。
「なら、伝えといた方がいいかもしれねえな。」
「何をだ?」
「今日の昼、そこを追い出されたって奴が、俺のところに来た。配下にしてくれってな。目つきの悪い、短剣を二本腰に差した痩せた男だ。」
四人の顔色が、さっと変わった。
「……アコギか?」
バヨネットが呟く。グリッサンド戦の合同討伐で、偵察を任されていた男の顔が浮かんでいた。口が悪く、誰彼構わず噛みつく厄介な奴だったが、撤退の時には最後まで殿に残っていた。
「そういえば、この前マスターが、最近一人抜けたってこぼしてたな。」
ガリアンが思い出したように言う。
「名前は聞いてねえが、たぶんそいつだ。古巣の内情を手土産にしようとしたから、追い返した。」
「それなら、ひとまず安心――」
「話はここからだ。」
サンブラルは円卓の空いた椅子に腰を下ろし、頬杖をついた。
「そいつはその足で、この世界の魔王のところに行った。ガラファルゼって奴だ。で、配下として受け入れられた。」
一拍置いて、サンブラルは少しだけ口の端を緩めた。
「ただ、古巣の内情は売らなかったらしい。手土産を差し出しかけて、引っ込めたんだと。」
部屋の空気が、凍りついた。
「……ガラファルゼ?」
ベンケイが眉をひそめる。
「聞いた事のない名前ですね。」
「レギオンワンズが見つけて、ずっと情報を伏せてる魔王だよ。名前だけは、合同戦の時にちらっと聞いた。」
ガリアンが低い声で言った。
「内情は売らなかった、か。……でも、レギオンワンズの元メンバーが向こうにいるってだけで、厄介なのは変わらない。」
「今はまだ、ってだけよね。魔王の側にいれば、いつか吐かされるかもしれないじゃない。」
シュバルツの声から、いつもの軽さが消えていた。
「グリッサンドの時、小狼の群れに囲まれた俺の退路を開けてくれたの、あいつでしたよ。口じゃ『鈍くせえ』って散々言われましたけど。」
ベンケイがぽつりと言う。
(体を張っても、誰にも見てもらえなかった、か。)
二年間、偵察と殿ばかり。ベンケイには、その悔しさが少しだけ分かる気がした。自分だって、現実では誰に褒められるでもなく、言われた事をこなすだけの毎日だ。ただ自分には、ここで見てくれる仲間がいた。対等に話してくれる魔王がいた。アコギには、それがなかったのかもしれない。
ほんの少し何かが違っていたら、あの男の場所に立っていたのは自分だったかもしれない。そう思うと、他人事とは思えなかった。
バヨネットも、腕を組んで頷いた。
「根っからの悪党じゃねえんだよな。短気で、考えなしなだけで。だからこそ、危なっかしい。」
「それに、あそこが揉めてる原因も、なんとなく想像がつくわねェ。」
シュバルツが溜息をつく。
「マスターは本当に人がいいのよ。あの人が下っ端から巻き上げるような真似、するとは思えない。……ただ、ギルドが大きくなりすぎて、下の方まで目が届いてないのかもしれないわねェ。」
「分配を仕切ってる幹部の一人、あんまりいい噂を聞かないんだよな。」
ガリアンが苦い顔で言った。
「中抜きしてるとか、気に入らない奴を弾いてるとか。……ただ、俺も人づてに聞いただけだ。本当かどうかは分からない。」
「噂だけで決めつけるのは危ねえな。俺たちは外の人間だ。」
バヨネットが慎重に釘を刺す。誰も、それ以上は言わなかった。
バヨネットが、ゆっくりとサンブラルの方へ顔を向けた。
「……ちょっと待ってくれ。なんであんたが、そこまで知ってるんだ?」
サンブラルは、肩をすくめた。
「風の噂だ。」
「この前もそれで誤魔化しただろ。」
「誤魔化してねえよ。噂ってのは、どこからでも聞こえてくるもんだ。」
いつもの軽い調子だった。バヨネットはそれ以上追及しなかったが、ガリアンと一瞬だけ視線を交わした。
二人とも、同じ事を考えていた。この人は、知っているはずのない事を、また知っている。
「とにかく、だ。」
サンブラルは立ち上がり、扉の方へ向かった。
「俺はこの件に首を突っ込むつもりはねえ。この世界の事は、この世界の連中が決めることだ。ただ、お前らの古い付き合いの連中が危ねえってんなら、知らせてやるくらいはしてもいいだろうと思っただけだ。」
扉に手をかけたところで、彼は一度だけ振り返った。
「それと、一つ忠告しとく。魔王の配下になれるって道は、もう開いちまった。後に続く奴が、必ず出てくる。あいつみてえに、最後の一線で踏み留まれる奴ばかりとは限らねえぞ。」
それから、少しだけ声を落とした。
「……まあ、あいつは思ったより骨があった。まだ引き返せる場所にいる。」
扉が閉まる。
残された四人は、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、ガリアンがシステムメニューを開き、フレンドリストを呼び出した。レギオンワンズのギルドマスターの名前の横に、ログイン中を示す緑の灯りが点っている。
「……連絡、入れておく。ガラファルゼとアコギの事は、マスターに知っておいてもらった方がいい。幹部の噂の方は……確証もないのに外から口を出すのもな。それとなく、様子を聞いてみるくらいにしておく。」
誰も、反対しなかった。