異邦魔王の違法魔法 作:冒険者小隊
土曜の朝。ログインしたフォーバロンズの四人が待ち合わせ場所の広場に着くと、そこには既にウレインが立っていた。フードを目深に被り、背筋を真っ直ぐに伸ばし、微動だにせず。
「おはようございます、皆様。」
「おう、早えな。いつから待ってたんだ?」
バヨネットの問いに、ウレインは当然のように答えた。
「夜明け前からです。『朝』とだけ伺っておりましたので、最も早い刻限に合わせました。」
「……夜明け前って、四、五時間は立ちっぱなしじゃねえか。」
「約束の刻限より早く参じるのは、礼儀として当然の事かと。」
四人は顔を見合わせた。休暇の初日は、待ち合わせの段階から既に前途多難だった。
「肝心の依頼主はどこ行ったのかしらネ。」
シュバルツが辺りを見回したちょうどその時、広場の向こうから大きな欠伸と共にサンブラルが歩いてきた。
「よう。早えなお前ら。」
「あんたが一番遅いんですよ。」
「休暇中の王ってのは寝坊するもんだ。」
悪びれる様子もない。昨夜、珍しく王の顔で頼み事をした男と同一人物とは思えないだらしなさだった。ウレインだけが「おはようございます、王」と恭しく頭を下げている。
(この主従、足して二で割れたらちょうどいいんだろうな。)
ガリアンは心の中でそう呟いた。
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市場の案内役はシュバルツが買って出た。露店の並ぶ通りを歩きながら、彼女はウレインに一つだけ課題を出した。
「今日は、食べる物も買う物も、全部自分で選ぶこと。いいわネ?」
「承知いたしました。」
即答したウレインだったが、最初の屋台の前で早くも足が止まった。串焼き、揚げ菓子、果物、焼きたてのパン。並んだ品々を前に、彼は真剣な顔で黙り込んでいる。
「……ウレイン?」
「申し訳ございません。判断基準を整理しておりました。携行性、保存性、栄養価、それから――」
「待て待て、行軍の糧食選んでんじゃねえんだぞ。」
バヨネットが思わず突っ込む。ウレインは困ったように眉を寄せた。
「では、何を基準に選べばよろしいのでしょうか。」
「食べたいかどうか、でいいのよォ。」
「食べたいかどうか……」
その言葉を、ウレインは未知の単語のように繰り返した。軍にいた頃は配られた物を食べ、旅の間は手近な物で腹を満たしてきたのだろう。自分の好みで食べる物を選ぶという経験そのものが、彼にはないのかもしれなかった。
長い沈黙の末、ウレインはふと、隣の屋台から漂う甘い香りに目を向けた。蜂蜜をたっぷり絡めた焼き菓子だった。
「……あれが、気になります。」
「よし、それにしよう。」
ガリアンが背中を押す。ウレインは懐から小さな金貨を一枚取り出し、店主に差し出した。店主はそれをしげしげと眺めた後、困った顔で首を振った。
「お客さん、こりゃどこの国のお金だい?見た事ねえ刻印だな。」
ウレインが固まる。異世界の通貨が、この世界で使えるはずもなかった。
「あー、俺が払うよ。」
バヨネットが手早く代金を支払う。ウレインは深々と頭を下げた。
「借りができました。必ずお返しいたします。」
「焼き菓子一個で大げさなんだよ。」
受け取った菓子を、ウレインは慎重に一口齧った。そして、目を僅かに見開いた。
「……美味です。」
その一言に、なぜか四人とも満足げな顔をしていた。シュバルツがバヨネットに耳打ちする。
「ちょっと懐いてきたワンちゃんみたいで、撫でたくなっちゃう♡」
「言うなよ、本人に聞こえる。」
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市場を半分ほど回ったところで、シュバルツが次の標的を定めた。
「ねえ、そのフード。ずっと被ってて暑くないの?せっかくだし、今日くらい脱いじゃいなさいな。」
「これは……習慣のようなものでして。顔を晒していると、どうにも落ち着かないのです。」
「いいからいいから。」
半ば強引にフードを下ろされ、ウレインの顔が露わになる。中性的で整った顔立ちに、額から伸びる二本の角。
それを見たガリアンが、あ、と小さく声を上げた。
「……城にいた、角の生えた……」
一昨日の記憶が蘇る。サンブラルの城に乗り込んだあの時、一瞬で姿を消した角の生えた人物。てっきり女だと思い込んでいた。
「……男だったのか。」
「何か?」
「いや、何でもない。」
ガリアンは目を逸らした。隣でサンブラルが、事情を察したように肩を震わせて笑いを堪えている。
結局、ウレインは落ち着かない様子ですぐにフードを被り直してしまった。シュバルツは少し残念そうにしつつも、代わりに露店で明るい色の外套を一枚選んで押し付けた。
「せめてこれくらいは着なさい。真っ黒じゃ、休みの日の格好には見えないもの。」
「……承知いたしました。」
色付きの外套に袖を通したウレインは、どこか所在なさげだった。けれど、脱ごうとはしなかった。
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昼過ぎ、市場の外れで事件が起きた。
「泥棒だ!誰か捕まえてくれ!」
叫び声と共に、人混みを掻き分けて一人の男が走ってくる。手には誰かの財布。その進路上に、ちょうどウレインが立っていた。
次の瞬間、ウレインの体が動いていた。
半歩踏み込み、男の足を払い、倒れ込む勢いを利用して腕を極める。流れるような一連の動作は、瞬きする間に終わっていた。地面に組み伏せられた男が呻き声を上げる。
そしてウレインの右手は、腰の得物の柄に既にかかっていた。
「ウレインさん。」
穏やかな声で、ベンケイがその手首にそっと触れた。
「今日は、戦わない日ですよ。」
ウレインは自分の右手を見下ろした。抜くつもりなど、自分でもなかったはずだった。それでも体は、敵を前にした時の動きを勝手になぞっていた。
「……習慣というものは、恐ろしいですね。」
駆けつけた衛兵に男を引き渡し、財布の持ち主から何度も礼を言われた後で、ウレインはぽつりと零した。
「今のは、休暇の規則に反しておりましたでしょうか。」
「いや、泥棒捕まえるくらいはセーフだろ。」
バヨネットが笑う。
「人を助けるのと、敵を探して狩りに行くのは別物だ。前者は大歓迎だよ。」
「……線引きが、難しいのですね。」
ウレインは真面目な顔で考え込んでいた。その横顔を見ながら、ベンケイは少しだけ思った。この人にとって、剣を抜かないことは、剣を抜くことよりずっと難しいのかもしれない、と。
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午後は川べりへ移動した。ベンケイが手早く釣り竿を調達し、ウレインに手渡す。
「やった事はありますか?」
「ございません。」
「じゃあ今日が初めてですね。難しく考えなくていいですよ、ただ糸を垂らして、待つだけです。」
ウレインは見よう見まねで糸を垂らし、そのまま微動だにせず水面を睨み続けた。まるで敵の奇襲を警戒する歩哨のような眼差しだった。シュバルツが堪らず噴き出す。
「魚が怯えて逃げちゃうワよ、その顔じゃ。」
「……そういうものなのですか。」
「そういうものです。」
ベンケイとシュバルツに挟まれて、ウレインが二度目の挑戦を始める。三人の背中から少し離れた土手に、バヨネットとガリアンはサンブラルと並んで腰を下ろしていた。
しばらく黙って川面を眺めていたバヨネットが、やがて口を開いた。
「……なあ、昨日の事、一つ聞いてもいいか。」
「何だ。」
「あんた、昨日の酒場の騒ぎ、誰も知らせてねえのに嗅ぎつけて飛んできたよな。どうやってるのかは聞かねえ。どうせはぐらかされるだろうし。」
サンブラルは何も言わず、口の端だけで笑った。
「ただ、その割にウレインが魔王を三体狩ってた事は知らなかった。知る手段があるのに、わざと見てねえんじゃねえかと思ってさ。」
隣でガリアンが小さく目を見開いた。同じ引っかかりを、彼も覚えていたらしい。
「ウレインの事は、見張らなくていいって思うくらいには信頼してる……そういう事か?」
サンブラルはしばらく答えなかった。川の向こうでは、ウレインが今度は少しだけ肩の力を抜いて、ベンケイの話に頷いている。
「……ああ、そうだ。」
短い肯定だった。
「あいつはな、俺がクーデターを起こすと決めた時、一番最初についてきた奴だ。勝ち目なんざほとんどなかった。それでも迷いもせず、俺の隣に立った。それから二年、一度だって俺の背中を任せて後悔させた事がねえ。」
サンブラルの視線は、ずっとウレインの背中に向けられていた。
「そんな奴に目を付けとく必要がどこにある。もしあいつが俺を裏切る日が来るなら、それは俺が王として間違えた時だ。その時は、裏切られて当然なんだよ。」
あっけらかんとした口調だったが、その言葉には揺るぎのない重みがあった。バヨネットはそれ以上何も聞けなかった。聞く必要もないと思った。
「……良い主従だな。」
「だろ?」
サンブラルは得意げに笑い、草の上に寝転がった。
土手に三人の影が長く伸びている。サンブラルの目が、ほんの一瞬だけ、バヨネットとガリアンの足元に落ちた。二人がそれに気づく事はなかった。
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陽が傾き始めた頃、結局釣果はゼロだった。それでも誰も気にしてはいなかった。川べりに六人で並んで座り、特に何をするでもなく、ただ流れる水面を眺める時間が過ぎていく。
「……これが、休む、という事ですか。」
ぽつりと、ウレインが呟いた。
「正解。」
バヨネットが短く答える。
「何も生み出さず、何も倒さず、ただ時間を浪費する。私にとっては、未知の感覚です。」
「浪費とか言うな、台無しだろ。」
サンブラルが寝転がったまま突っ込む。それでもウレインの横顔には、今朝までにはなかった緩みがあった。
「……一つ、伺ってもよろしいでしょうか。」
「何だ?」
「皆様は、ご自身の世界では、休みの日をどのように過ごされているのですか。」
思いがけない質問に、四人は顔を見合わせた。
「俺は昼まで寝てるな。平日の疲れを取り戻すので精一杯だ。」とバヨネット。
「暇さえあればここにログインしてるよ。」とガリアン。
「私は買い物かしらネ。あとは溜まったドラマを観たり。」とシュバルツ。
「色んなゲームをやってます。ここ以外にも。」とベンケイ。
ウレインは一人一人の答えを噛み締めるように聞いていた。そして、小さく首を傾げた。
「……つまり皆様は、休みの日の多くを、この世界で過ごされているのですね。」
「まあ、そうなるな。」
「差し支えなければ、伺ってもよろしいでしょうか。この世界の何が、皆様をそこまで惹きつけるのですか。」
真っ直ぐな問いに、四人は少しだけ言葉に詰まった。普段、わざわざ口にするような事ではない。けれど、夕暮れの川辺と、この律儀な男の前では、不思議と誤魔化す気になれなかった。
最初に口を開いたのは、バヨネットだった。
「……仮面を、自分で選べるところかな。」
「仮面、ですか。」
「向こうの俺は、仕事で毎日笑顔を作ってる。相手に合わせて、言いたくもねえ事を言って、頭を下げる。あれも一つの仮面だ。けど、ここで被ってる紳士の仮面は、俺が好きで選んだもんだ。同じ演じるでも、全然違う。」
ウレインは黙って頷いた。王の前で礼を尽くし続けてきた彼には、何か思い当たるものがあったのかもしれない。
「俺は、作ったものを使ってもらえるところ。」
ガリアンが、膝の上で指を組んだ。
「向こうじゃ、まだ学生で、何者でもないんだ。でもここなら、自分の手で武器を作れて、それで仲間が戦ってくれる。失敗作だって山ほどあるけど、それも全部、俺が作ったものだって言える。」
「私はねェ、好きなキャラクターになれるところかしら。」
シュバルツが、川面に小石を放り投げた。
「頼りになって、ちょっとお節介で、言いたい事ははっきり言う。そういう人、昔から大好きなのよ。だから、自分でやってみたくなったの。不思議なものでね、この喋り方してると、普段なら飲み込んじゃうような事も、ちゃんと言えちゃうのよネ。」
最後に、ベンケイが少し考えてから言った。
「……ここだと、少しだけ、自分を誇れるからです。」
ウレインがベンケイの方を見る。ベンケイは照れくさそうに目を逸らした。
「向こうじゃ新人で、怒られてばかりなので。でもここで頑張った事は、ちゃんと形に残る。正直、こっちの自分の方がずっと好きなんです。……ただ、昨日の夜、姐さんに『向こうで踏ん張ってるあなたも褒めてあげなさい』って言われて。向こうの自分も、少しだけ悪くないかなって思えるようになりました。」
シュバルツが「あら、覚えてたの」と目を細める。バヨネットとガリアンも、小さく笑った。
「私にとって休暇とは戦場から離れる事でした。ですが皆様にとっては、この世界に来る事そのものが休暇なのですね。」
ウレインはしばらく考え込み、それから、ほんの僅かに口元を緩めた。
「……では今日、私は皆様の休暇に混ぜていただいた、という事になりますね。」
それは、四人が初めて見るウレインの笑顔だった。
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町に戻り、広場で解散する事になった。
「じゃあ、俺たちはここで落ちるわ。」
バヨネットの言葉と共に、四人の体が光の粒になってほどけていく。それを見たウレインが、反射的に一歩踏み出し、外套の下で身構えた。
「落ち着け、ウレイン。死んだわけじゃねえ。あいつらは自分の世界に帰っただけだ。明日になりゃ、またここに戻ってくる。」
サンブラルが手で制する。ウレインはしばらく四人が消えた空間を見つめ、やがてゆっくりと構えを解いた。
「……驚きました。」
「俺も最初は驚いた。」
二人だけになった広場に、夕暮れの風が吹き抜ける。
「王。」
「ん?」
「明日、もう一度あの川へ行ってみようかと思います。今度は、一人で。」
サンブラルは目を丸くし、それから、心底嬉しそうに笑った。
「おう。釣れたら見せに来いよ。」
「畏まりました。」
律儀に一礼するウレインの肩には、シュバルツが選んだ明るい色の外套が、まだちゃんと掛かっていた。