土煙と、血と、饐えた鉄の臭いが、アールスハイド王国のさらに遥か北方、牙のように険しい山脈の麓に位置する名もなき辺境の村を包み込んでいた。
「おい、隠れるんじゃない! 奪えるものはすべて剥ぎ取れ! 抵抗する奴は、ガキだろうが老人だろうが構わず叩き斬れッ!」
野放図な怒号と、それに応じる下卑た笑い声。家々から上がる黒煙が、鉛色の空を汚していく。襲撃してきたのは、近隣の無法者や脱走兵で構成された、数十人規模の凶悪な野盗の群れだった、
彼らにとって、防衛戦力を持たないこの貧しい開拓村を蹂躙することなど、ただの気晴らしであり、手軽な収穫作業に過ぎなかった。
だが、彼らは致命的な誤りを犯していた。この村には、ただ一人、世界という枠組みから外れた規格外の「暴力」を秘めた青年がいたのだ。
「……五月蝿い」
村の広場、燃え盛る家屋の影から、一人の青年が姿を現した。
名前はシド。
ぼろぼろの衣服を身に纏い、その表情にはおよそ危機感というものが存在しない。ただ、己の平穏な日常を汚されたことに対する、深い、底無しの不快感だけがその瞳に宿っていた。
「あぁん? なんだそのガキは。死にたいのか――」
一人の野盗が、せせら笑いながら大剣を振り上げた。
その刃がシドの脳天に振り下ろされるよりも早く。
――ドゴォッ!!
大気を激しく引き裂くような、鈍く重い衝撃音が響き渡る。
シドが右拳をただ一突き、突き出しただけだった。体内の精神エネルギー『マゴイ』を練り上げるという、この世界の人間が知る由もない技術によって、彼の肉体は神鉄をも容易く打ち砕く凶器へと変貌していた。
直撃を受けた野盗は、骨の砕ける嫌な音と共に、まるで大砲から射出された砲弾のように数百メートル後方へと吹き飛び、村の強固な石壁を粉砕して動かなくなった。
「ひ、ひぃっ……!? い、今、何が起きた! 魔法陣も、詠唱もなかったぞ!?」
「囲め! 囲んで殺せッ!」
パニックに陥った野盗たちが、一斉にシドへと得物を向けて殺到する。
しかし、それは戦いと呼べるものではなかった。
シドの動きは、ただの「歩行」の延長に過ぎない。しかし、マゴイによって極限まで引き上げられた身体能力は、常人の視覚を完全に置き去りにした。
彼が腕を振るたびに、足を踏み出すたびに、野盗たちの肉体が木の葉のように宙を舞い、地面へと叩きつけられていく。
無駄な言葉は一切ない。ただ静かに、機械的に、シドは眼前の「排除すべき障害」を片付けていった。
わずか数分後。
あれほど猛威を振るっていた野盗の群れは、ただの一人の死者も出すことなく、しかし二度と立ち上がれないほどに叩きのめされ、地面に転がっていた。
「……ふぅ」
シドは小さく息を吐き、拳に付着した汚れを拭う。
その時、村の入り口の方から、馬車の車輪が軋む音と、何かが争うような気配が微かに伝わってきた。まだ残党がいるのか、あるいは別のトラブルか。
シドは足音も立てずに、音のする方へと向かった。
そこには、豪華な装飾が施された、しかし今は至る所が破損した一台の商隊の馬車があった。周囲には数人の野盗が群がり、馬車の影で怯える商人の家族――初老の男と、その妻、そして幼い娘――に向けて、ぎらつく刃を突きつけている。
「へへ、こんな辺境でこんな上等なカモに出会えるとはな! 命が惜しければ、積んでいる荷物も、その身包みもすべて置いていきな!」
「お、お願いだ、命だけは……! 荷物はすべて差し上げる、だから娘には手を出すな!」
商人が必死に懇願するが、野盗たちの目に慈悲の色はない。
まさに刃が商人の首筋を切り裂こうとしたその瞬間、シドの身体が弾丸のように割り込んだ。
「――そこまでだ」
低く、しかし有無を言わせぬ威圧感を孕んだ声。
野盗たちが驚愕して振り返る間すら与えず、シドの回し蹴りが大気を爆発させた。凄まじい脚圧だけで、前列にいた二人の野盗が意識を失って吹き飛ぶ。
「な、何奴だァッ!?」
「ただの村人だ」
シドは冷徹に言い放ち、残る野盗たちの懐へと踏み込んだ。
容赦のない打撃が、次々と彼らの顎を砕き、肋骨を折り、その戦闘能力を完全に奪い去る。瞬く間に、商人の家族を取り囲んでいた脅威は霧散した。
「あ、ありがとうございます……! 命を救われました……!」
商人の男は、腰を抜かしたままシドを見上げ、何度も頭を下げた。
シドは特に誇る風でもなく、ただ静かに言った。
「気にするな。……それより、その馬車に積んであるのは何だ?」
「え? あ、はい、これは……私が仕入れた果物や食料品です。特に、この『リンゴ』は王都の近郊で採れた最上級のものでして……」
見れば、荷台の崩れた箱から、瑞々しく赤いリンゴがいくつか転がり出ていた。シドの家には、まともな食料などほとんどない。貧しい村での暮らしは、常に飢えとの戦いでもあった。
「そのリンゴを、いくつか譲ってくれないか。……手持ちの金は、これだけしかないが」
シドはポケットから、数枚の薄汚れた銅貨を取り出した。およそ最上級のリンゴを買い取れるような金額ではない。
商人は目を丸くしたが、すぐに破顔して首を振った。
「何を仰いますか! 命の恩人からお金など頂けません! むしろ、この馬車にあるものすべてを差し上げても足りないくらいです!」
「いや、奪い取るのは野盗と同じだ。等価交換でいい」
シドが頑なに銅貨を差し出そうとした、その時だった。
「ふふ、君は本当に面白いね。その圧倒的な力を持ちながら、世界のルールではなく、自分自身の『規律』に従って生きているんだ」
背後から、あまりにも場違いな、のんびりとした、しかしどこか鈴の鳴るような澄んだ声が響いた。
シドは瞬時に身構え、声の主を睨みつける。
気配が、一切なかった。これほどの距離まで、己の感覚をすり抜けて接近を許した存在など、シドの短い人生において一人として存在しなかった。
そこに立っていたのは、一人の旅人だった。
白い旅装束に身を包み、手には一本の大きな、古ぼけた木の杖を携えている。長い緑色の髪が風に揺れ、その顔にはどこか浮世離れした、穏やかで深い微笑みが浮かんでいた。
何よりも奇妙なのは、その男の足が「一本」しか見えないことだった。杖を巧みに使い、まるで最初からそれが自然であるかのように、片足で軽やかに佇んでいる。
男の名前は、ミラン。
「あんたは……誰だ」
「僕はただの旅人さ。名前はミラン。そこの商人さんと同じで、この先の道を歩いていたら、ちょっとした『嵐』に巻き込まれそうになってね。君という面白い存在を見つけて、つい足(・)を止めてしまったんだ」
ミランは悪戯っぽく微笑み、シドの警戒をそよ風のように受け流した。
商人の男が慌てて口を開く。
「あ、このお方は……! 途中の街道で、野盗の動きを事前に教えてくださった旅の御方なのです。このお方の警告がなければ、私たちは村に辿り着く前に全滅していました」
「なるほど」
シドは少しだけ身構えを解いたが、目の前の男――ミランから放たれる、捉えどころのない、しかし底知れない気配に対する警戒は捨てなかった。この世界の「魔力」とも、己の「マゴイ」とも違う、世界の根源そのものが服を着て歩いているかのような、奇妙な感覚。
「さて、商人さん。彼は頑なに等価交換を望んでいるようだ。なら、その銅貨に見合う分だけ……そうだね、その美味しいリンゴを『かなり安く』して、彼に譲ってあげるのはどうだい? それなら、彼のプライドも傷つかない」
ミランの提案に、商人はハッとしたように頷いた。
「なるほど! 分かりました。では、その銅貨三枚で……この箱にあるリンゴ、すべてをお売りいたします!」
「多すぎる」
「いいえ! これが我が商会の『大特価』なのです! 受け取ってください!」
商人は半ば強制的に、リンゴの詰まった小さな籠をシドに押し付け、銅貨を受け取った。シドは困惑したように眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
「さて……」
ミランは杖をトントンと地面に打ち付け、周囲の煙を見上げた。
「商人さんたちは、急いで安全な街へ向かった方がいい。野盗の残党がまだいるかもしれないからね。……ところで、君。僕は見ての通り、今日の寝床がなくて困っているんだ。もしよければ、君の家に一晩、泊めてくれないかい?」
あまりにも唐突な要求だった。
シドは、足元でリンゴの籠を見つめ、それからミランの浮世離れした顔を見た。普段なら、見ず知らずの人間を家に招き入れるような真似は絶対にしない。だが、この男には、何か「拒絶させない不思議な空気」があった。
「……狭くて、何もないぞ」
「構わないさ。雨風がしのげて、君のような面白い人と話ができるなら、それ以上の贅沢はないからね」
ミランは満足そうに微笑んだ。
その夜、シドの小さな、今にも崩れそうな木造の家。
部屋の片隅に置かれた古びたランプが、微かな光で室内を照らしていた。食卓の上には、昼間手に入れた瑞々しいリンゴがいくつか並んでいる。
ミランは、差し出された質素な椅子に深く腰掛け、リンゴを美味しそうにかじっていた。
「うん、美味しい。やっぱり旅の途中で食べる果物は格別だね」
「……」
シドは無言で、自身の拳を見つめていた。
「君は、その力をどこで手に入れたんだい?」
ミランが、何気ない口調で尋ねる。
「……気づいたら、使えた。体の中を巡る力を、ただ練り上げているだけだ」
「『マゴイ』、だね。この世界の人間が使う『魔力』とは根本的に異なる、生命そのもののエネルギー。文字を刻むことも、詠唱を必要ともしない、純粋な肉体の超常化……。君は、この世界のシステムの外側にいるんだね」
ミランの言葉に、シドは驚かなかった。この男なら、それを見抜いていてもおかしくないと、直感が告げていたからだ。
「あんたは何者なんだ。ただの旅人には見えない」
「僕? 僕はただの『導き手』さ。世界が正しい方向へ進むように、ほんの少しだけ背中を押す、お節介な男さ」
ミランはランプの炎を見つめながら、どこか遠い目をした。
「君ほどの力があれば、この国で騎士にでもなれば、何不自由ない暮らしができる。富も、名声も、美女も、思いのままだ。……なのに、なぜこんな貧しい村で、燻っているんだい?」
その問いに、シドはしばらく沈黙した。
窓の外からは、夜の静寂と、時折聞こえる虫の声だけが響いてくる。シドはゆっくりと視線を窓の外、果てしなく広がる夜空へと向けた。
「……世界を見たい」
「世界?」
「あぁ。この目で、この世界のすべてを見て周りたい。この小さな村や、傲慢な国の一部だけじゃない。世界の果てに何があるのか、どんな景色が広がっているのか……それを知りたい。それが、おれの夢だ」
普段、必要以上の言葉を発しないシドが、明確な強い意思を込めて語った。
その瞳には、貧困や環境に押し潰されることのない、純粋で、果てしない「渇望」が宿っていた。
ミランはその言葉を聞き、深く、満足そうに頷いた。
「素晴らしい夢だ。世界は本当に広いからね。君の知らない神秘や、君の想像を超える力があちこちに眠っている。……なら、シド。君にぴったりの『目的地』を教えてあげよう」
ミランは立ち上がり、杖で窓の外、はるか北方の地平線を指し示した。
「あの塔に行ってみるといい」
シドは眉をひそめた。
「……あの塔?」
「そう。数ヶ月前、突然この世界に現れた、禍々しくも神聖な巨塔。人々はそれを『迷宮(ダンジョン)』と呼んでいる」
その名を聞いた瞬間、シドの身体に緊張が走った。
あの塔の噂は、この辺境の村にまで届いていた。アールスハイド王国を含め、いくつかの大国が莫大な予算を投じ、精鋭の調査隊や武装した軍隊を何度も派遣したという。しかし――。
「……あそこに入った奴は、誰一人として生きて戻ってこなかったはずだ。国軍すら全滅したと聞いている」
「そうだね。彼らは皆、塔の仕掛けや、中に巣食う怪物の前に命を落とした。あるいは、塔そのものに拒絶されたのかもしれない」
ミランは平然と言ってのけた。
「無謀だ。おれに死ねと言っているのか」
「まさか。君なら大丈夫だよ、シド」
ミランはシドの目を、正面から真っ直ぐに見つめた。
そこには、何の根拠もないはずなのに、世界のいかなる真理よりも絶対的な「説得力」が宿っていた。その緑色の瞳に見つめられた瞬間、シドの胸の奥で、冷え切っていたマゴイがカチリ、と音を立てて熱を帯びるのを感じた。
「あの塔の最奥にはね、世界を動かすほどの巨大な力が眠っている。精霊の王……いや、別の世界では『ジン』と呼ばれる大いなる存在の眷属たる力がね。世界の果てを目指す君の旅には、どうしてもその『力』と、それを手に入れるための『覚悟』が必要になる。……君なら、あの塔の試練を乗り越えられる。僕の目に狂いはないよ」
ミランはそう言うと、再び椅子に腰掛け、何事もなかったかのように残りのリンゴを口に運んだ。
シドは何も言わず、ただ窓の外の闇を見つめ続けた。
夜の帳の向こう、かすかに紫色の大気を放ちながら、天を突くようにそそり立つ巨塔のシルエットが、彼の網膜に焼き付いて離れなかった。
「……大丈夫だ、か」
根拠のない言葉。しかし、シドの心はすでに決まっていた。
このままこの村で腐っていくか、それとも、世界のシステムを破壊するほどの激流に身を投じるか。
次の日の朝、ミランの姿は、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。
食卓の上には、一枚の白く綺麗な布だけが残されていた。
シドは、数日分のわずかな食料と、昨日買い取ったリンゴを一つ袋に詰め、家を出た。
村の人間は誰一人として、彼がどこへ向かうのかを知らなかった。ただ、青年の背中は、かつてないほどの静かな決意に満ちていた。
一歩、また一歩と、シドはあの禍々しい巨塔――『ダンジョン』へと向かって歩みを進める。
少しの恐れはあった。だが、それ以上に、己の血が、体内のマゴイが、未知の試練を求めて激しく脈打っているのを、シドは確かに感じていた。
「待ってろ、世界の果て」
青年は小さく呟き、世界の命運を書き換える第一歩を、その禁忌の領域へと踏み入れたのだった。
初めてAIを使って作品を作ってみました、楽しんでいただけたら幸いです