「……はぁ」
ゲヘナ自治区に訪れてから約四十分。私は既に帰りたくなっていた。
ゲヘナ。
キヴォトスにおいて最も治安が悪いと言われている自治区の一つ。私が所属しているトリニティとは犬猿の仲という言葉が可愛く思えるくらいには仲が悪い。いや、仲が悪いでは済まされない。もはや親の仇かの如く互いを嫌いあっている。
ちなみにだが「ゲヘナ」という単語は聖書から転じて「地獄」を意味するらしい。おいおい、この地の開拓者は一体何の恨みがあってそんな名前をつけたんだ?子供が相手ならとんでもない虐待だ。裁判沙汰になるぞ?
尤も私は別にどうも思っていなかった。
元々
「意外とお似合いかも?」とか、そんなふうに思っていた時期もあったっけか。
でもここに来てその考えを改めざるを得なくなった。無理だ。面倒すぎる。ここで生活してる奴は頭がおかしい。いやまともだったとしてもおかしくなる。そう感じるくらいには世紀末だった。
犬も歩けば棒に当たるというが、ここではじっとしていても棒に当たる。いや銃弾に当たる。向こうから嬉々としてやってくるのだから。
耳をすませば悲鳴と爆音が聞こえる。目を凝らせばそこかしこに
ここは地獄か?地獄だったな。そういえば。
「そこのお嬢ちゃん、ちょ〜っといいかな?」
よくない。よかったことなど一度も無い。
「私たち今懐が寂しくてさぁ。ちょっとばかしお金を恵んでくれるとすげー助かるんだわ」
ちょっとばかし(有り金全部)だろそれ。
「あんたトリニティの奴だろ?なら財布置いてくぐらいどうってことねえよな?」
まあこんな感じで絡まれるわけだ。五分おきに。今回は三人組か。
「……あんたらに渡す金は無いよ」
「……そうかよ」
不良達が私を取り囲み銃を構える。
「なら痛い目にあってもらおうか!?」
この流れももう五回目だ。流石に慣れた。
不良達が発砲すると同時にしゃがみ込み
これで事の六割は片付く。
「いててっ!やめろ、こっちを撃つな!」
「おい、あいつはどこに行った!?」
というか三人なら上手いこと誤射を避ける囲み方があっただろう。もっと頭を使え。そんなんだから不良止まりなんだぞ。
あとはガラ空きも同然な頭にヘッドショットを決めるだけだ。雑魚が相手なら一発で沈む。そしてこの距離で外しはしない。
チェックメイト。
「ぐあっ……!」
「あの野郎、何者だ……?」
「……無念」
ここまですれば事の九割が終わる。三十秒もかからない簡単な作業だ。
そして残りの一割は何をするのかというと──
「いたぞ!例のトリニティ生だ!」
「追え!借りを返してやる!」
無論、逃走である。
◇
今回訪れる店はゲヘナの中でも中心街に近い場所に位置している。おかげで辿り着くのも一苦労だ。郊外の方にも構えてくれたらいいのに……もしかして、構えてはいたが潰されたとかか?文字通り。
あの荒れようならさもありなんといった感じか。
まあ、それでも何事もなければあと十分も歩けば着くだろう。何事もなければ。
そして
「そ、そこの人!ちょっと助けてください〜!」
「……は?」
思わず気の抜けた声が出た。
だって、仕方がないだろう。声がする方に目を向けると、そこには二十人近くの作業員と思しき者達に追われる少女がいたのだから。
しかもそれがこっちに向かってきていたのだから。
「いやいやいや!こっち来ないでよ!?」
全身全霊 全力疾走 疾風迅雷 電光石火
とりあえず逃げるしかない。進路も変えてくれなさそうだし、というか変えられないだろうし。ここは一本道だ。
「あんた!一体何したの!?」
逃げてきた少女と並走するかたちでそう聞く。
「いやっ、そのっ!温泉開発部のアジトに潜入していたら、うっかり見つかっちゃいまして!」
「本当に何してんの!?」
流石の私もその名は知っている。ところ構わず爆破して回るという、言わずと知れたテロリスト集団だ。
何故潜入しようなんて思った?どう見ても捜査官には見えないし、もしかして好奇心?だとしたら命知らずすぎる。
「とにかく逃げるよ!」
走る速度は私の方が上だ。故に彼女の手を引っ張るようにして先導する。ゲヘナに住んでいる分彼女の方がこの辺の地理には明るいのだろうがそんなことは些細な違いだ。
こと、この状況においては。
◇
「ああもうっ!しつこい!」
走り始めてからどれくらい経っただろう。かれこれ五、六分はやってる気がする。
なかなかに振り切れない。執念が凄まじい。数は減ったがそれでもまだ多い。
「本当に潜入してただけなんだよね!?他に変なことしてないよね!?」
「してませんよ!……ただ、ちょっと間が悪かっただけと言いますか……」
何かしてそうだ。この際詳しくは聞かないけど。
そうして角を曲がった先。
見えてきたのは高く聳える壁だった。
行き止まり。袋小路だ。まさしく袋の
「ど、どうしましょう!?このままじゃまずいですよ!」
少女は分かりやすく慌てている。そりゃそうだ。逃げ場なんて、彼女にとっては無いようなものだろう。
そう、彼女にとっては。
私にはある。
後方確認。何度も角を経由したおかげか敵影は見えない。そして通路の右側には消化器が一つ。
次に前方。壁の高さは目算だが七メートル程と見える。足がかりはほとんど無い。だが完全なる絶壁というわけでもない。
十分だ。
まずは愛銃で消化器を撃ち抜き内容物を噴出させ煙幕を張る。爆発してくれればそれが一番だったが誤差の範疇だ。これで
次に
「あんた、こっち来て」
「もしや何か策が──」
「いいから早く!」
近づいてきた彼女を背負うようにして担ぐ。
「わわっ!?」
「しっかり掴まっててね」
そして最後に壁を一気に駆け登る。ほんの僅かなとっかかりを走るように伝う。
登りきれば後はこっちのもの。そのまま壁の反対側に降りれば大抵のやつは見失ってくれる。というより、これで振り切れなかったやつはいない。
かなり面倒だったがこれで終わりだ。
「うん。おっけ」
「……あ、ありがとうございました!おかげでなんとか逃げ切れました!」
「ほんと、次からは気をつけてよ?」
おかげでまた帰りたくなった。
「あははっ……肝に銘じます……」
そうだ、と手を合わせて彼女は続ける。
「お礼と言ってはなんですが……一緒にスイーツでも食べに行きませんか?
◇
あれからしばらくして。私達はとある洋菓子店に訪れていた。もちろん、今回の目的地だ。
ここはイートイン対応なので半ばカフェのようなものなのだ。彼女の「お礼」を受け取るにはピッタリな店だろう。
「へー。チアキさんって生徒会の人だったんだ」
「そうですよ。週刊
共に逃げてきた彼女、
あと、タメ口を使っているのは「敬語はいらない」と言われたからだ。それでも「チアキさん」とさん付けで呼んでいるのは昔からの癖みたいなものだ。上下関係には特に気を配る必要があったから。
まあ逃げている時は普通にタメ口を使っていたがあれはノーカウントだろう。あの時は彼女が年上の二年生だなんて知らなかったし、そもそも緊急時だったし。
とにかく明るく朗らかな性格で、人当たりがいいらしい。宇沢のやつに似てるな……とか思ったりしたけど、多分本質のところは少し違う。
彼女のあれは心の底からの本心がそのまま表れているんだろう。宇沢はその点割と繊細なところがあるから、似ているようで似ていない。
「そういうカズサさんはトリニティから来た人だったんですね。場慣れしているようだったので、てっきりこっちの人間かと……」
「あー……。まあ、昔ちょっとね。詳しくは聞かないで」
そうだ、とチアキさんは唐突に提案してくる。
「もし宜しければ、ゲヘナのイメージとか実際に訪れてみた感想とか聞いてみてもいいですか?トリニティの人からお話を聞く機会はなかなか無くって……記事にはしませんから!どうです?」
感想と言われてもまだ観光名所一つすらも回れていないのだが……とはいえ断るのも酷か。
そもそも私はゲヘナの観光名所など知らないが。
「いいよ。ただし、目的のスイーツ食べてからね」
◇
ドイツの都市、フランクフルト・アム・マインで生まれた伝統的な銘菓。冠を思わせるリング状のバタークリームケーキであり、カズサとチアキが食したものはキャラメリゼされたナッツで覆われていた。
また通常のショートケーキのようにフルーツとホイップクリームがのせられていることも多く、今回は赤いドレンチェリーがのせられていた。
その名は「フランクフルトの王冠」を意味し、中世に行われていた戴冠式に由来しているという。
◇
「お〜!なんというか、豪華な感じがしますね!」
「そうだね。王冠の名は伊達じゃ無いってことかな。とりあえず二つに切り分けよっか」
流石に一人で食べるには大きすぎるから、一つのケーキを二人で食べるということになっていた(なんせ一番小さいものでもホールケーキくらいの大きさがあるのだ)。
それにチアキさんはかなり少食な方らしく、マカロン五個が限界なのだという。それはもう少食という域を超えているような気がするのだが。
争いが起きないよう丁寧に半分に切り分ける。
さて、そのお味は?
「……いいねぇ」
美味かった。
バタークリームは変に重くなく上品な味わいで、スポンジはふわふわとしておりクリームにとてもよく合っていた。
そしてまぶされているナッツも良い仕事をしている。柔らかさの中にあるカリッとした食感がアクセントとして非常に良い。香ばしさも最高だ。
上にのっているのはチェリーだろうか。とても甘い。恐らくは砂糖漬けにしたものだろう。単体で食べる分には甘すぎるが、ケーキと一緒に食べるとそれも気にならない。むしろちょうどいい甘さのように感じる。見た目も宝石のようで綺麗だ。
どれをとっても一級品。絶対的に絶品。そんな味だった。
幾度となく帰りたいと思ってきたが、これなら頑張った甲斐があったというものだ。
さて、それでは。
彼女の願いに応えるとしよう。
「ではまず、『ゲヘナ』ってどんなイメージがありますか?」
「うーん……よくある話だけど『物騒』とか、『無法地帯』とか。あと『自由』ってイメージもあるかな。良くも悪くもだけど」
「やっぱりトリニティでもそんな感じなんですね〜。今のところインタビューした方の九割はそう答えてます」
学園のイメージ的に大丈夫なのか?それ。
まあ入学者は今年も多かったらしいので問題無いのだろう。一応ゲヘナは三大学園の一つだし。
「まあでも、極端に悪いイメージがあるってわけじゃ無いよ。それこそ『悪魔』とか『敵』とか言う人もいるらしいけど、私はそうは思わないし」
「そうなんですね」
「そうそう。そりゃあゲヘナが嫌いな人はトリニティでは多い方だと思うけどさ。そうじゃ無い、私みたいな人も割といるよ」
とはいえ、一度
「……そういえばさ」
「はい!なんでしょう?」
ふと気になったことを聞いてみる。
「ゲヘナの人から見たトリニティのイメージってどうなの?聞いたこと無かったなって」
「う〜〜ん……そうですね……。私はなんとも思いませんけど、「陰湿」だとか「面倒くさい」みたいな声はあったりしますね」
意外だ。…………意外か?そうでも無いな。
思い当たる節は結構ある。先着百名限定のショコラアイスクリームをデモを行う生徒達のせいで取り逃がしたのは記憶に新しい。「面白そうだから」とかいうくだらない理由でしてたんだっけか。
あの時以外も度々デモが起こってたし。確かに陰湿、というか粘着質なところはあるかも?
……そういやあいつらアイリのこと突き飛ばしてたな。
オーケー。じゃあ断言しよう。トリニティが陰湿だってのは正しい。「一部が」とかじゃ無い。仮にそうだったとしてもあんな奴がいる時点でイメージ的にはアウト。減点方式なら問答無用で落第点だ。
「……否定できないね。むしろ正しいくらい」
もしかしてトリニティって割と
「……良いところとかあったかな?」
「えー……?流石にあるんじゃないですかね?好きでも無い場所には居続けられないと思いますので」
私はそう思いますよ、とチアキさんは言う。
「じゃあ、ゲヘナの良いところって何?」
「それはもちろん自由なとこですよ!犯罪にならない範囲なら大体の活動は許されてますし、校則とかも緩いので皆個性たっぷりなんです!暮らしてて飽きませんよ〜、ここは!」
お楽しみがいっぱい!
彼女は満面の笑みでそう言った。
◇
「それじゃあ次の質問!ゲヘナに来てみた感想はどうです?」
皆の分のケーキを約束の日に届くよう頼んだ後、店を後にしながら私は質問を受けていた。
「うーん、どうですかって言われても……。まだ来たばっかで、観光名所とかも巡ってないし。というかそういうのあるの?」
トリニティとかミレニアムとかはその手のものに事欠かないが、ゲヘナには何があるのだろう?私は事前リサーチとかはあまりしないタイプだ。今回はより例外的だが。
「そりゃあありますよ!あっ、よろしければご案内しましょうか?私、ゲヘナのことには人一倍詳しいですから!」
「いいの?悪いね」
「いえいえ!せっかく来てもらったんですから。ゲヘナのことをより好きになってもらいたいだけですよ」
お言葉に甘えるとしよう。親切な人だ。
──それはそれとして。
「……あのさ。さっきから、周りが静かすぎると思わない?」
「え?」
先ほどから、具体的には店でケーキを食べ始めた後ぐらいから。なんだか周りが妙に静かなのだ。
銃声ひとつ聞こえやしない。人っこ一人見かけない。実際、店内には店員を除くと私達しかいなかった。
そして店に入ってから食べ終わるまでの約十五分間、誰も客は来なかった。中心街だというのに。連休中だというのに。
…………予感がした。嫌な予感が。
「!カズサさん!あれ!」
チアキさんが向かって左を指差す。そこには──
「…………」
怪しい紫色の体に、見るからに悪臭らしい緑色のオーラを纏った、優に建物二階建て相当の化け物じみた大きさの
「……夢?」
言うまでも無いが現実である。だからこそ意味がわからない。理解が追いつかない。あ、こっち向いた。いや向いてるのか?目が無いから分からない。
「うわっ、こっち来た!」
……なるほど。
どうやらここは、是が非でもゆっくりさせてくれないらしい。
「……はあぁ。とりあえず──逃げるよ!」
私達は再び、全速力の逃走劇を繰り広げる羽目になるのだった。
帰りたくなったかって?
ならなかったよ。