──ああ、これはきっと死ぬだろうな。
一寸先すら見えない白い世界の中、容赦なく打ちつけてくる雪に晒されながら私、
何故スイーツを求めての小旅行に来たはずなのにこんなことになっているのか。それを説明するにはやはり事の顛末を一から話した方が早いだろう。
◇
あの日皆と別れた後、私はすぐさま旅の準備を始めていた。
より正確に言えば、冒険の準備を進めていた。
目指すはかの北の秘境、レッドウィンター連邦学園。そしてそこでしか手に入らないという「鳥のミルク」と呼ばれるまだ見ぬスイーツ。
場所が場所なため情報が少なく、今でもそれを提供する店名のみしか伝わっていないという幻っぷりだ。
まさしく、「ロマン」だね。
そしてその翌日の早朝、ありとあらゆる公共交通機関を乗り継ぎ、こうして遠路はるばるレッドウィンターに来たというわけだ。
防寒着の準備も、万が一の時のための食糧の用意も万端。多少長引いても集合日時には余裕がある。
いざ行かん。
そう意気込んで駅を出発したのは、今から三、四時間ほど前のことだっただろうか。
◇
そう、私は完全に遭難してしまっていた。
舐めていたわけではないが、これほどの僻地だとは思わなかった。四方を見渡してもそこには雪が積もるばかり。建物など一軒もない。
街道を通れば大丈夫だろう、などと高をくくっていたのが運の尽きだった。今日は最悪なことに大雪だ。そんなものはすでに埋もれてしまっている。
さらに最悪なのは途中でそこに吹雪まで合わさってきたということだ。こうなればもう道などあってないようなものである。
助けを呼ぶことはできない。
私のモモトークに入っている連絡先には今すぐにレッドウィンターに来れるような人物はいない。なんならスイーツ部のメンバーは今頃旅行に行っているだろう。
先生を呼ぶという手もあった。が、それも露と消えた。いくら彼ほどの人物と言えど場所もわからないものを探し出すことはできない。
そもそもとしてここは圏外だ。スマートフォンは使えない。そんな都合のいい解決法など、最初から無かったのだ。
「……うぅ……」
意識が朦朧とする。足を動かすことすらままならない。
正常な思考ができない。凍りついていく。
「っ!あぅ……!」
私は遂に力尽きた。より現実に即した言い方をするのならば、膝から崩れ落ちた。文字通りに。
立ち上がる気力などない。むしろ何故今まで歩けていたのかが不思議なくらいだ。身体の芯から冷えてしまっている。
「うぅ……」
死ぬ。間違いなく。
間違いなく間違いが起きてしまう。
「死ぬ」ということについて、考えたことがないわけではない。
むしろその回数は軽く二桁に上るだろう。なんせこの世界で最大の謎だ。ある種のロマンだ。こんなことに「ロマン」という言葉は使いたくないが。
死ぬとはなんだろうか。
苦しいのだろうか。幸せなのだろうか。怖いのだろうか。それとも何も感じないのだろうか。
死ねばどうなるのだろうか。「あの世」なんていう
そんなことを、そんな詮無いことを考えていた時もあった。
甘い死とも言うし、もしかしたら私にとっての最期のスイーツになるのかもしれない……なんて思っていたが、味わってみればなんとも無味乾燥なものだ。
無味というより無意味だった。
このままでは葬儀すら行われないかもしれない。誰にも見つからずに朽ちていく。いや、朽ちはしないか。死ぬなら凍死だろうし。
瞬間冷凍、フリーズドライ。あるいはコールドスリープでもいい。永眠だけど。
歓葬はされないかもしれないが、乾燥して死ぬこともない。
冷凍保存という話もある。ともすれば、私は死してなお美しくいられるのかもしれない。
それはそれで嬉しい話だ。いずれ私が死体として発見されるその時、見られても恥ずかしくない姿形をしているというのはありがたい。有難い幸運だ。
「…………」
何も感じない。
身も、心も。
ただ
ただ一つ、思うことがあるとすれば
「……惜し、い……なぁ……」
ぼんやりと、そう思いながら
私は意識を手放した。
◇
「…………ん……むぅ……」
……知らない天井だ。
「……?」
はて、私は死んだはずではなかったのか?
少なくとも死後の世界が山小屋だなんて話は聞いたことがない。
雪が窓を打ちつける音がする。近くで焚き火が弾ける音も。体の方を見てやれば毛布がかけられているのがわかる。防寒着も脱がされているようだ。
夢……というわけではないだろう。それにしては鮮明すぎる。第一あんな致死的な状況で夢など見れるはずもない。
幻覚という説も同様の理由であり得ない。
となると。
「私は……」
助かったのか?
しかし何故……助かる見込みなど微塵もなかったはずだ。一体誰が──
「息を……吹き返されたようですね」
反射的に声のする方を見ると、そこには赤髪の少女がいた。その容姿からは高貴な生まれであろうことが容易に想像できる。
まるで一国の姫君のような……というのは、些か時代錯誤が過ぎるだろうか。
「君が……?」
「はい。私は
どうやら彼女が私を助けてくれたらしい。
「見つけた時は呼吸も浅く、身体からも全くと言っていいほど熱を感じられず……一時はもう助からないかと思いましたわ」
話を聞く限り、本当にすんでのところで死を免れたようだ。彼女が私を見つけるのがあと五分でも遅れていたらきっと私は死んでいただろう。
九死に一生どころか、万死に一生を得た。
「こちらをお飲みになってください。熱いのでお気をつけて」
勧められるがままに器に口をつける。これは……コンソメスープだろうか?
身体の芯から温まっていく。まるで解凍されていくかのように。
染みる……
こんな辺鄙なところにある山小屋の備品だけでコンソメスープなど作れるはずもないので恐らく彼女がわざわざ用意してくれたのだろう。
本当に優しい人だ。
「……ほんと、ありがとね。君がいなければ、私は──」
そこまで言ったところで急激に、抗いがたい眠気が襲ってきた。緊張の糸が切れたからか。
私は再び意識を手放した。
だが、今回のそれはとても安らかなものだった。
◇
翌日、私は彼女に簡単な自己紹介をした後ついでにここに来た目的も話した。
ちなみにだが彼女は私が目を覚ました時にはすでにこの小屋の中にいた。まさかとは思うが泊まり込んだのだろうか?私のために?
……いや、流石にないか。
「なるほど……それで遠路はるばるトリニティから……。とんだ災難でしたわね……」
それと、あの時私は幸運にも街道に戻ることができていたらしい。そしてそこに彼女が偶然にも通りかかったという流れだ。まさしく奇跡的だった。
「そうそう。準備は抜かりなくしてたんだけどね。まさか凍死しかけるとは……」
食糧を用意するよりも暖を取れるものを用意すべきだったか。これは明確な反省点だ。
「これからどうしようかなー……店を探すにしても、この調子じゃ間に合わないかも……」
「……そのことなのですが……私、その店の所在に覚えがありますの」
なんと。
「本当!?」
「はい。かつて数回訪れたことがあります。少し古い記憶ですが……変わりがないようでしたら、きっとそこに」
これは願ってもない偶然だ。私を助けたその人がまさかお目当ての店の場所まで知っているなんて。
禍福は
「それじゃ……悪いけど、案内してもらってもいい?お代は私が払うよ」
◇
「え?別に高貴な生まれとかじゃないの?」
目的の場所に向かう道中、私は彼女と親交を深める為に雑談をしていた。
「そうですとも。私はただの一般生ですわ。なぜか皆さん勘違いされるのですよね……」
「良家のご令嬢とかでもなく?」
「ええ。出版部に所属する
ただの生徒はそんな丁寧なお嬢様口調で話さない。というか今回求めているスイーツはそれなりに高価なはずだが?
「その時はそれなりの額の臨時収入が入ってきましたので……それで、少し奮発したのです」
なるほど……?とりあえず納得しておいた。
「出版部では何してるの?」
「私は専ら作品の評論を書いておりますわ。我々出版部が手がける日刊紙『レッドベア』や、月刊誌『キヴォトス文化評論集』に携わっておりますの」
ますますお嬢様味が増した。
いや、これは偏見か。私だってそういう経験が全くないわけではないし。
ちなみに評判は良いらしい。いつか読んでみたいものだ……なんて言ったら彼女からその評論集とやらを手渡しされた。もしかして常に持ち歩いてるの?
「ええ、もちろんですとも。出版業界の経営はまさしく火の車。手をつけられるもの全てに手を出している状態ですから。未来の読者を逃すわけにはいきませんわ」
熱心なことだ。尊敬に値する。
「記憶が確かならこの辺りに……」
と、話し込んでいるうちに店の近くに着いたらしい……のだが、周りには壁しかない。袋小路だ。
店はおろか看板すらも見当たらないのだが……。
「ありましたわ。この
彼女は向かって左側の壁にある煉瓦の一つを指先で押し込んだ。するとどういう訳か、正面の壁が左右に引き裂かれ、目的の店が現れたではないか。
「これは……」
「店の所在を秘匿するための、一種の防衛機構といったところでしょうか」
「どうしてこんな大がかりな仕掛けを使ってまで、場所を秘匿するんだろう?」
口をついて出てきたのはそんなありきたりな疑問だった。いくら幻の店とはいえ、やはり店は店だ。これじゃ経営が成り立たないのでは?
「現書記長の性格上といいますか、この地の風土上といいますか……。こういうブルジョワジー的なものは好まれない傾向があるのです。下手をすればデモや粛清の対象になりかねませんし……」
「それにここではお菓子といえばプリン、というのが定石でして。恐らく店主側としても、営利目的は無いかと」
なるほど。
どうりで情報が手に入らないわけだ。だって客を呼び込む必要がないんだから。口コミもこんな僻地では届く範囲に限界があるだろう。
さてと。それでは。
「幻のスイーツと、ご対面と洒落込もうか」
◇
ロシア語で「鳥のミルク」を意味する、ソ連の代表的な菓子の一つ。
その正体はマシュマロやメレンゲ、ミルクスフレなどをチョコレートグレーズでコーティングした菓子である。
今回ナツとタカネが食したようなケーキタイプのプチーチエ・モロコーは、1978年にソ連の首都であるモスクワのプラガ・レストランで生まれたとされている。
また、「鳥のミルク」には古くからの伝説やスラヴの民話から「この世にないほど美味しいお菓子」という含意がある。
◇
ふむ。見た目としては非常にシンプル極まるチョコレートケーキにしか見えない。
だが重要なのは味だ。口にした者は皆「天にも昇る心地になった」と言うが、果たして。
「……おお……!」
その評価はまさしくだった。
特筆すべき点はその口当たりの良さだろう。なんとも滑らかで柔らかく、そして軽い。極上の舌触りだ。
それでいてとても濃厚なバニラの味がするのだから驚きだ。「鳥のミルク」の名は伊達じゃないということか。
ここまで苦労してきた甲斐があったというものだ。いや流石に遭難は想定外だったが。
幸せな時間はあっという間に過ぎ、気づけばもう食べ終わっていた。
もっと食べたい……そう思いはするが追加注文をしたりはしない。それは今ひとつロマンに欠ける。
それにこれが最後では無いのだ。皆と集まる約束の日に再び食すことになるのだから、ここで食べ過ぎて飽きてしまっては困る。
私は人数分のケーキをきっかり
◇
「むむ……これは、かなり……っと!」
「気をつけてくださいね。あなたは病み上がりも同然なのですから、無理をなさらないよう」
滑って転けそうになった私を支えながら、彼女はそう忠告する。
「分かってはいたが……なかなかに難しいな。アイススケートというのは」
「ええ。それはそうですとも。とはいえ三十分足らずで氷上に立てるようになっているナツさんは、むしろお上手なほうなのですけどね」
あれからしばらくして。
私達はアイススケートに興じていた。もちろん私の提案だ。せっかく雪国に来たのだから、この機を逃す手はあるまい。
ちなみに場所は巨大な凍湖の上。ロマンだね。
尤もタカネはアイスホッケーの方が好きらしい。なんでもスティックの動きから乱闘騒ぎに至るまで、その全てが大好きなのだとか(クーデターが起こることだってあるらしい。なんて物騒なスポーツだ)。話によると出版部には観戦専用の部屋まであるのだという。
だがその性質的にも、試合に必要な人数的にも、無理だと判断したようだ。
まあ、恐らく私が健康体で人数が足りていたとしてもすることは無かっただろうが。彼女は見る専だ。
「腰は低く落とし、重心を安定させるように。滑る時は立つ時と同じく、両足の角度が直角になるように開けると良いですわ。氷を蹴る時にはつま先ではなく、足の側面で蹴るように心掛けてくださいな」
「なるほど。つまり、こうすれば……!」
瞬間。私は湖上を駆けるようにして滑り出した。
「ふふ……」
気分が良い。風になったみたいだ。
縦横無尽に滑り回る。きっと今だけはどんな陸上選手にも負けないくらいのスピードが出ていることだろう。
「今の私ならトウループにとどまらず、サルコウだってできるかもしれない……!」
「それはおやめになった方が……」
何をいう。挑戦してみなければ分からないだろう。
「刮目せよ!私の華麗なジャン──ぐべぇ!」
盛大にすっ転んだ。
しかも、顔から。
◇
その夜。私は、私達は大きな湖のほとりにいた。
間には色々あった。タカネをガイドさんにしてレッドウィンター中を観光して回った。
出版部にお邪魔したり、事務局周辺を見て回ったり、白イルカ市場を物色してみたり……なかなかに楽しい時間だった。
そして今何をしているのかというと、ただ待っているのだ。「その時」が訪れるのを。
「予報ではそろそろ……あ……!」
「……!」
私達の頭上。遥か遠い、手の届きようのない満点の星空に、それは現れた。
色は緑。それは、まるで天空にカーテンがかかったのような、あるいは大きな
「……ああ」
思わず感嘆を漏らす。白い息が辺りにとける。
綺麗だ
心から、そう思った。
◇
その後は二人でオーロラを背景に記念写真を撮って解散となった。
泊まってから明日の早朝に帰るという手もあったが、肝心の宿が無いのでは仕方がない。タカネは「よろしければ私の家を宿としてお貸ししましょうか?」と持ちかけてくれたが、流石にそこまで世話になるわけにはいかない。
彼女への恩はもう返せないほどに溢れている。
私は現在帰りの新幹線の中で、タカネに渡された評論集を読みながら旅の思い出を振り返っていた(タカネの評論の腕は確かなものだった。感想としては、そうだね……私好みだった、とでも言っておくよ)。
「…………」
本当に、波瀾万丈という言葉が相応しいような旅路だった。だが良いことも、悪いことも、その全てが今となっては大切な思い出だ。
唯一無二の、私だけの
だが、返す返すこうも思う。