クレヨン廻戦   作:ひろしとさとる

14 / 19
鉄面転皮

2018年11月10日、6時02分。

 

11月7日の朝に見た夢の中身は、3日が過ぎても思い出せなかった。

 

胸の奥に温もりだけが残っている。

 

それがかえって落ち着かない。

 

思い出せないものを思い出そうとして、野原ひろしは今朝も早々に諦めた。

 

(もういい。考えて出てこないもんは、出てこない。切り替えよう)

 

そう思っても、また明日思い返すのだろう。

 

あれから3日、白倉の拠点を出ては戻る日々が続いた。

 

低級の呪霊を数体祓い、人の消えた民家とオフィスを回る。

 

水と缶詰と布と紙を集める。

 

派手な出来事は何もない。

 

生き延びるとは、そういう退屈の積み重ねだった。 

 

拠点の床には、工務店と集英ビルで集めた領収書や納品書が広げてある。

 

ひろしは借りてきた鋏で、1枚ずつ中身を確かめては、文字のある部分だけを残して、余白を切り落としていた。

 

あとは指先で小さく丸めれば、ちり紙のような紙玉の出来上がりだ。

 

選ぶ基準は単純だった。燃やして出た物が、自分に使えるか。

 

使えなければ、ただの荷物になる。

 

1枚でも無駄にはできない。

 

部屋の反対側では、白倉が窓際に座り込み、自分の左腕を見つめていた。

 

袖を肘までまくった腕に、薄く呪力が這っている。  

 

眉間に皺を寄せ、額に汗を浮かべ、指先から肘へ、肘から指先へ。 

 

7日の夜から、暇さえあればこの調子だった。

 

何をしているのかはひろしにも見当がつく。

 

あの鍋の日に掴んだ感覚を、布の先へ伸ばそうとしているのだ。

 

ただ、腕に呪力を這わせて何が起こるのかまでは、さっぱり分からない。

 

(分からないってことは、オレに教えられることもないってことだ)

 

術式の使い方は呪術師ごとに違う。

 

ひろしが白倉に教えられるのは、体術と、逃げ方と、あとはメシくらいのものだ。だから口は出さない。出さないが、目は離さなかった。

 

「野原さん?」

 

視線に気づいた白倉が顔を上げる。

 

「あ、すみません。集中してて」

 

「いいんだ、続けてくれ。メシの時間になったら声をかける」

 

「はい!」

 

返事が大きい。ひろしは苦笑して、作業に戻った。

 

練習を切り上げた白倉は、次に床へ防水の上着を広げた。

 

鍋に使わなかった、残りの1着だ。

 

「先に作っておきます」

 

呪力が染み込み、厚手の黒い生地が繊維のひとつひとつから組み替わっていく。

 

変形が終わるまで、約10分。

 

仕上がったのは、肩から膝までを覆う黒い外套だった。

 

指で押すと押した分だけ沈み、ゆっくりと戻る。衝撃を吸う布だ。 

 

「変形する時が一番消耗するので、戦いの最中にやると、肝心な時に呪力が足りなくなるんです。だから、先にやっておきます」

 

「そうだ。術式は切り札、基本は体術。……よく覚えてたな、偉いぞ白倉君」

 

「はい、野原さんの教えですから」

 

ひろしは壁に背を預け、指を折る。13日まで、あと3日。

 

広は、13日まで生き延びろと言った。

 

その日に何が起きるのかも、何も起きないのかも、ひろしには分からない。

 

分からないが、手札は増やしておくに越したことはなかった。

 

2018年11月10日、8時11分。

 

雑居ビルを出る前、ひろしは外を窺おうと扉に手を伸ばした。

 

先に見るのは自分の役目だ。

 

そう思った矢先、背中から声が飛んできた。

 

「野原さん。こっちの通りの残穢、新しいです」

 

「昨日の夜から今朝の間に、誰かが通ってます」

 

「あっちの路地のは、たぶん2日以上前のものかと」

 

ひろしは振り返った。

 

白倉が涼しい顔で通りの先を指している。

 

(……すげえ……残穢を読み分けてる)

 

つい数日前まで「多すぎて辿れません」と歯痒そうにしていた青年が。

 

「逃げ道は2つですね。右手の非常階段と、塀を越えた先の駐車場」

 

「……ああ、正解だ」

 

先に言われてしまった。教え子に先を越されるのは、悔しいような、誇らしいような、妙な気分だった。

 

「白倉君、本当に筋がいいぞ」

 

「ありがとうございます」

 

ひろしは歩きながら、もう1つだけ付け加える。

 

「それと、人助けをする時の話なんだが」

 

「はい」

 

「助けるのは構わない。だが、助けるために自分が死んだら、助けた意味がなくなる。逃げ道を先に決めてから、飛び込むんだ」

 

「逃げ道を先に、ですね。肝に銘じます」

 

白倉は真剣に頷いた。

 

頷き方が真剣すぎて、かえって心配になる。

 

この青年は、人を信じる基準が甘い。

 

助けを求められたら、考える前に走り出しかねない。

 

その危うさだけは、まだ直っていなかった。

 

新宿の朝は静かだった。

 

人の声が絶えた街でも、カラスだけは変わらずにいる。

 

電線に3羽。ゴミ置き場の跡に1羽。

 

どこの街でも同じ顔で、同じ声で鳴いている。

 

ひろしは何となく、それを目で追った。

 

2018年11月10日、8時36分。

 

悲鳴が、路地の奥から上がった。

 

「やめてくれ!頼む、やめてくれ!」

 

「誰か!誰かぁ!」

 

ひろしは足を止め、腕で白倉を制した。

 

壁の陰から顔だけを出し、路地を覗く。

 

入口はすぐ背後。退路は来た道と、壁際の非常階段の2つ。

 

ひろしは先にそれを頭へ叩き込んだ。

 

袋小路だった。奥にいるのは3人。

 

スーツ姿の中年男、買い物袋を抱えた女、まだ大学生くらいの青年。

 

3人は壁に張り付くようにして、1人の男を見上げている。

 

大柄な男だった。肩幅が広く、首が太い。

 

短く刈った頭の下の顔が、日に焼けたような色をしている。いや、日焼けではない。

 

皮膚が、鈍い鉄色をしていた。

男は退屈そうに壁を殴った。

 

ごっ、と鈍い音がして、コンクリートが拳の形に凹み、ひびが走る。

 

拳には傷ひとつない。

 

「1点ずつかよ。面倒くせぇ」

 

非術師が3人で、3点。

 

男にとっては、小銭を拾う程度の話なのだろう。

 

「野原さん」白倉が小声で囁く。

 

澄んだ瞳が、真っ直ぐ路地の奥を見ていた。

 

「助けましょう」

 

「待て」ひろしは短く止めた。

 

「相手の術式が分からない。分からないまま飛び込んで、殴り飛ばされたのはどこの誰だった?」

 

「……野原さんですか?」

 

「……そうだよ」

 

5日前の教訓が、まだ頬に残っている気がした。

 

白倉は何か言いかけて、飲み込んだ。

 

様子を見たい。が、悠長にしている時間もない。

 

(冥冥なら、カラスを1羽飛ばして、離れた場所から全部を見渡せるのにな〜)

 

そう思って、ひろしは何気なく視線を上げた。

 

屋根の縁に、1羽。

 

さっき電線にいたカラスが、いつの間にか、こちらを見下ろしていた。

 

……冥冥の黒鳥操術。 

 

あの人の黒い鳥が空を横切る姿を、何度見ただろう。

 

そう考えた矢先。頭の奥で、何かが小さく鳴った。

 

引き出しが、勝手に開く音。

 

見覚えのない記憶が、見覚えのあるもののような顔をして、そこへ収まっていく奇妙な感覚。

 

(……何だ、今のは?)

 

屋根の上のカラスが、首をかしげた。

 

黒い羽が艶やかに光る。呪力の気配があった。

 

冥冥のものによく似ていて、けれど細く、頼りなく、今にも切れそうな糸の先に繋がっているような。

 

……まさか、まさかまさか。

 

「……来い」

 

無意識に零れた言葉に応えて、カラスが降りてきた。

 

肩に止まる。ひろしは、自分の肩と、自分の手のひらを、交互に見た。

 

「……ほ、ほ、ほんとうに来た!?」

 

出した本人が一番驚いていた。

 

「野原さん、それ……再契象じゃ、ないですよね?」

 

白倉が、目を丸くして聞く。

 

ひろしの背中を、冷たい汗が伝った。

 

(待て、待て待て。ここでまた『オレ最強だから』をやるつもりか。喜ぶのは後だ!)

 

「そ、そそそうなんだよ。ははは」

 

(何が『そうなんだよ』だ。オレが一番知りてぇんだよ!)

 

肩のカラスが、カア、と鳴いた。小さな声だった。

 

ひろしは路地の奥へ視線を戻す。

 

男の拳が、青年のほうへゆっくりと持ち上がっていた。

 

迷っている暇はない。

 

「あいつの顔の周りを飛べ。当てなくていい」

 

目を狙わせることも一瞬考えた。

 

が、顔まで鉄なら、折れるのはカラスの方だ。

 

それに、飛ばすだけで精一杯だった。

 

細い糸を1本、手繰っているような心許なさ。

 

カラスは、ふらふらと危なっかしく飛び立った。

 

冥冥の黒鳥のような鋭さも速さもない。

 

小さくて、頼りなくて、羽ばたくたびに糸が切れそうになる。

 

それでも男の顔の前を横切った。

 

「あぁ?カラス?」男が腕で払う。

 

カラスは旋回し、また顔の前へ。

 

「うっとうしい……!」

 

男の視線が、完全に上へ逸れた。今だ。

 

ひろしは路地へ踏み込んだ。

 

「走れ!!」3人の肩が跳ねた。

 

「こっちだ!後ろを見るな!とにかく走れ!!」

 

ひろしの脇を、3人が転がるようにすり抜けていく。

 

路地を飛び出し、角を曲がり、足音はすぐに遠ざかった。

 

礼の言葉はなかった。……それでいい。

 

静かになった路地で、男がゆっくりと振り返った。

 

「……何だ、オッサン」 

 

「通りすがりのサラリーマンだ」

 

「通りすがりが叫ぶかよ」

 

男は3人が逃げ去った路地の出口を一瞥し、それから舌打ちした。

 

「邪魔しやがって。まあいい、オッサンとそっちのにいちゃんで、術師が2人。5点ずつだ」

 

ゴキゴキと首を鳴らす。

 

「術師なら、遠慮はいらねぇな。教えてやるよ。俺は黒金鉄矢」

 

「術式は『⁠鋼鉄男⁠(アイアンマン)⁠』!」

 

「……アイアンマン?」

 

ひろしは思わず漏らした。

 

「皮膚の性質を、鉄に作り変える。全身だ。……言ったぜ。……聞いたな?」

 

ミシ、と音がした。

 

黒金の上着の縫い目が裂け、シャツが弾け飛んだ。

 

鉄色の皮膚が、さらに深く、黒く、厚みを増していく。

 

肩と胸が一回り膨らみ、地面が足の形に沈んだ。

 

周囲の空気が重くなったような錯覚があった。

 

「野原さん、あの人……自分から術式を……」

 

「言っただろ。術式は個人情報だって」

 

ひろしは苦い顔で言った。

 

「あいつはそれを、わざと聞かせて術式の効果を上げてる。手の内を晒す“縛り”だ」

 

「なるほど……」白倉が感心したように頷く。

 

(教えた通りの形になった。教えたくなかった形で)

 

黒金が踏み込んだ。速い。

 

図体に似合わず、速かった。

 

ひろしは迎え撃ち、正拳を叩き込む。

 

ガン、と鐘を殴ったような音がした。

 

「ぐっ……!い……いってぇええ〜〜〜っ!?」

 

手首まで痺れが走る。皮がめくれ、血が滲んだ。

 

硬い。硬いなんてものじゃない。

 

続けて膝を入れる。通らない。裏拳。通らない。

 

足払い。体当たり。呪力を乗せた肘。

 

どれも、鉄の塊に素手で挑んでいるようなものだった。

 

黒金は一歩も下がらない。

 

黒金の反撃が、ひろしの脇腹を掠めた。

 

呪力でガードしたはずなのに、息が詰まり、視界が白く跳ねる。

 

掠めただけでこれだ。

 

直撃すれば一撃で倒されてしまう。

 

「野原さん、下がって!」

 

白倉が外套を翻して前に出た。

 

黒金の拳が外套へ沈む。

 

ずん、と重い衝撃が路地に響き、外套が衝撃を吸って、ゆっくりと膨らみ、戻った。

 

白倉の足が地面を数十センチ滑る。

 

「く……!」

 

「白倉君!」

 

「大丈夫です!1発は、受けられます!」

 

1発は。2発目は、保たないかもしれない。

 

ひろしは内ポケットから紙玉を1つ取り出し、燃やした。

 

現れたメスが、黒金の首筋へ飛ぶ。

 

キン、と軽い音がした。弾かれた刃が転がり、そのまま消える。

 

(再契象は鉄に無力、か。1枚消費して、収支は赤字だ……ちくしょう)

 

カラスが、黒金の顔の周りを舞っていた。

 

当たらない。当たっても、何も起きない。 

 

だが黒金の目は、一瞬ずつ、確かに逸れる。

 

その一瞬に、ひろしは必死に殴るが、全く通らない。

 

「どれか一発でもいい!黒閃になってくれ!!」

 

闇雲に拳を振るう術師に、黒い火花は微笑まない。

 

拳は血に濡れ、息が上がる。

 

ひろしの拳は鉄に通らず、白倉の外套は受けるだけで精一杯。

 

カラスは気を引くだけ。

 

決め手がないまま、ジリ貧だった。

 

払っても払っても戻ってくるカラスに、黒金の攻撃が途切れていた。

 

その隙に、2人は外套の陰で声を潜める。

 

「野原さん」肩で息をしながら、白倉が言った。

 

「あの人、『皮膚の性質を鉄に作り変える』って言いましたよね」

 

「ああ」

 

「性質を変えてるだけなら、戻せるかもしれません。僕が、布の性質を変えるみたいに」

 

ひろしは目を見開いた。

 

「皮膚を……か?」

 

「はい。自分の腕では、何度もやりました」

 

ひろしは見ていた。

 

この3日間、窓際で、汗を浮かべて自分の腕を見つめ続けていた姿を。

 

(あれは、これのための練習だったのか!?)

 

白倉本人も、ここまで考えてはいなかったのだろう。

 

腕に呪力を這わせる感覚を掴もうとしていただけだ。

 

それが今、目の前の鉄の皮膚と、1本に繋がった。

 

「白倉君、成功する見込みはあるのか?」

 

「……いいえ。でも、やる価値はあります。このままだと、外套が先に限界です。外套は先に作っておいたので、僕の呪力はまだ残ってます」

 

白倉は続けた。

 

「他人の皮膚に通るかは、分かりません」

 

「しかも、触れないと駄目です。触れた場所だけ。あの人の術式が上書きし直してくるので、保つのは数秒です」

 

「だから僕の呪力は、たぶんごっそり持っていかれます」

 

「十分だ」ひろしは即答した。

 

「その数秒で、オレがあいつを殴り倒す」 

 

カラスを振り払った黒金の口の端が持ち上がる。

 

「何を企んでるのか知らないが、やれるもんならやってみな。思い切りブン殴ってやる」

 

黒金は白倉を狙っている。

 

若い男さえ倒せば、後は消化試合だと考えているのだろう。

 

だからひろしは、先に動いた。

 

走り込み、振り下ろされる黒金の右腕に、両手で組みついた。

 

全体重を預けてぶら下がる。

 

鉄の腕は、ぴくりとも沈まない。

 

ただ、動きは一瞬だけ鈍った。

 

「メタボのオッサンの体重を、舐めんなよ……!」

 

「コイツ!邪魔だ、離せ!!」

 

黒金が腕を振る。

 

ひろしは壁に叩きつけられそうになりながら、歯を食いしばって離さない。

 

カラスが黒金の左目の前を、ぱたぱたと横切った。

 

1秒。いや、その半分。

 

その半分で、白倉が外套ごと懐へ潜り込んだ。

 

黒金の左拳が外套を打つ。

 

ずん、と衝撃を吸った黒い布の内側から、白倉の右手が伸びた。

 

弾け飛んだシャツの下、むき出しになった黒金の腹に、手のひらが触れる。

 

「――今っ!」

 

触れた瞬間に分かるほど、黒金の皮膚は硬く、冷たく、そして抵抗してきた。

 

白倉の呪力が、鉄に塗りつぶされそうになる。

 

なおも、指の1本1本から、繊維の細い隙間を探るように、呪力を這わせていく。

 

「テメェ……!?何、しやがる……!!」 

 

抗う呪力が押し返す。

 

白倉の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

膝が震え、額から汗が滴った。

 

それでも手は離さない。

 

手のひらほどの円だけ、鉄色が、ふっと薄れた。

 

肌の色が戻る。鈍い光が消えた。

 

「野原さん!!」

 

ひろしは黒金の腕を手放し、拳を握った。

 

右の拳に呪力を集める。

 

全部だ。全部を、一点に。

 

踏み込みの脚に体重を、腰に体重を、拳に体重を乗せる。

 

あの日、集英ビルの屋上から飛び降りた時と同じだ。

 

使えるものを、全部使う。

 

「――おおおおおおっ!!」

 

どすっ、と、鉄ではない音がした。

 

「が……っ!!」黒金の体が、くの字に折れる。

 

肺の空気が一気に吐き出され、足が地面を離れる。

 

背中から壁に叩きつけられた。

 

黒金は膝をついたまま、腹を押さえて荒く息をした。

 

鉄色が、ゆっくりと腹へ戻っていく。

 

数秒が過ぎたのだ。

 

立ち上がる。まだ立てる。

 

だがひろしを見て、白倉を見て、宙を舞うカラスを見て、黒金は低く舌打ちした。

 

「……10点にしちゃ、高くつくな。」

 

そう吐き捨てるように言って、黒金は後退した。

 

致命的な攻撃を受けないよう、硬質化を張り直しながら注意深く去っていく。

 

足音が遠ざかり、やがて消えた。

 

白倉がその場に崩れ落ちる。

 

ひろしは慌てて肩を支えた。

 

「白倉君!」

 

「……すみません、僕の呪力、もう空っぽです」

 

青い顔で、白倉が笑った。

 

誰も死なず、誰の点も増えなかった。

 

今日の収支はそれで十分に黒字だ。

 

ひろしの拳は、まだ痺れていた。

 

2018年11月10日、20時14分。

 

夕方まで泥のように眠っていた白倉は、起きてからずっと、拠点の隅に座り込んで、自分の手のひらを見つめていた。

 

朝の青白さが嘘のように、目だけが輝いている。

 

「野原さん!皮膚にも通ったんです!繊維じゃなくても、構造に呪力を這わせれば……!もしかして、他にも……!」

 

「分かった分かった、分かったから声を落とせ」

 

(皮膚って。それ、人にやってもいいやつか?)

 

触れた相手の身体の性質を、勝手に作り変える。

 

今回は元に戻しただけだ。

 

戻しただけだが、それにしたって。

 

ひろしは内心で引きつりつつ、咳払いをして、胸を張った。

 

「……まあな。術式ってのは、使い方次第だからな」

 

「はい!野原さんの教えです!」

 

(いや……オレは何も教えてねぇよ?)

 

白倉が再び眠り込んだ後も、ひろしは壁に背を預け、起きていた。

 

窓を塞ぐ布の隙間から、カラスの鳴き声が遠く聞こえる。

 

頭の奥の引き出しは、まだ開いたままだった。

 

冥冥なら、あの鳥で街ひとつは見渡せるだろう。

 

ひろしの鳥は、カラス1羽をまともに飛ばすのがやっとだった。

 

冥冥とは格が違う。分かっている。

 

それでも、あの小さなカラスは、あの瞬間に3人の命を拾った。

 

手のひらで、紙玉を1つ転がす。再契象。使える。

 

もう1つ、黒鳥操術。使えた。

 

どちらもオレのものじゃない。

 

1つはレジィ、1つは冥冥の術式だ。

 

模倣。5日前にそう思い込んで盛大に恥をかいた。

 

五条の無下限はうんともすんとも言わなかった。

 

なのに、冥冥のカラスは飛んだ。なぜ……?

 

ひろしは天井を仰いだ。

 

「……オレの術式は、いったい何なんだ……?」

 

問いに答える者は、誰もいなかった。

 

窓の外で、カラスがもう1度だけ鳴いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。