TSした俺は爆乳美少女 ~爆乳お姉さんたちに愛される百合ハーレム迷宮譚~ 作:TS百合好き
迷宮に足を踏み入れると、さすがのレインも気持ちを切り替えた。
前世の最推しと出会った衝撃がいくら大きかったとはいえ、命懸けの探索中にまで浮ついているつもりはない。地下へ続く階段を下り、湿り気を帯びた石壁に囲まれた通路へ進む頃には、意識は自然と周囲の警戒へ向いていた。
この迷宮では、わずかな油断が命取りになる。
視界の届かない曲がり角、足元に紛れた罠、壁の隙間から近づいてくる小型の魔物。慣れた場所だからといって警戒を怠れば、思わぬ怪我を負うことだってある。ましてや現在は大規模な再編が起こった後であり、以前の探索で安全だった通路が、今も同じ状態とは限らなかった。
「……右の通路に二体。いつもの鉱皮獣だな」
「了解。先に仕掛ける?」
「いや、こっちまで誘き寄せよう。あそこなら射線も通るしな」
声を潜めて相談した二人は、魔物の進路を確かめてから、それぞれの役割に従って素早く位置を取った。
レインは通路の曲がり角から少し離れた場所で盾を構え、リオナはその斜め後方でクロスボウを準備する。互いの位置が近すぎれば敵の攻撃にまとめて巻き込まれるし、離れすぎれば咄嗟の援護が間に合わない。適切な距離を保って構えることは、一年半の経験によってすっかり身体に染みついていた。
レインが盾の縁を石床へ軽く当てて音を立てると、ほどなく通路の奥から獣型の魔物が二体現れた。身体の一部が鉱石のような外皮に覆われた、この階層では見慣れた相手である。
四足歩行で、体格は大型犬よりも一回り大きい。背中から肩にかけて硬い鉱石状の外皮が発達しているものの、腹部や関節には比較的柔らかい部分があり、そこを狙えば十分に倒せる相手だった。
この階層では珍しくもない魔物であり、レインたちもこれまで何度となく討伐していた。もっとも、慣れた相手だからといって、攻撃を正面から受け止めてよい理由にはならない。あの牙や爪をまともに食らえば、革鎧程度では深手を負いかねなかった。
「グルルル……!」
こちらに気づいた一体が牙を剥き、勢いよく飛びかかってくる。
しかし、レインは慌てることなく半歩だけ横へ身体をずらし、突進してくる相手の勢いを盾の縁で逸らすと、すれ違いざまに剣を振り抜いた。刃は硬い外皮を避けるように首筋へ滑り込み、魔物は反撃する間もなく地面へ崩れ落ちた。
ほぼ同時に、後方から鋭い風切り音が響く。
リオナのクロスボウから放たれた太矢が、二体目の魔物の眼窩へと吸い込まれたのだ。急所を正確に射抜かれた魔物は、その場で大きく身体を跳ねさせると、短い断末魔を残して動かなくなった。
「よし、終了っと。もうこの辺の魔物なら余裕だな」
「まあ、そうね。でも、余裕だからって調子に乗らないでよ? 攻撃を食らえば普通に怪我するんだから」
「分かってるって。だから一発も食らわなかっただろ?」
「それならいいけど。あんた、たまに変なところで格好つけようとするから心配なのよ」
「俺がそんなことするか?」
「……本気で言ってる?」
じとりとした目を向けられ、レインは苦笑した。どうやら相棒には何か言いたいことがあるらしいが、少なくとも今回の戦闘では無茶などしていない。必要以上に危険を冒すつもりがないのは、リオナだってよく知っているはずだった。
そんな軽口を交わしている間にも、倒れた魔物たちの身体は少しずつ淡い光を帯び始めていた。
やがて輪郭が崩れ、無数の光の粒子となって空気の中へ消えていく。迷宮に出現する魔物は、死ぬとこのように消滅することが知られており、普通の獣のように死体が残ることはない。
ただし、魔物が消えた場所に何も残らないとは限らない。
「あ、こっちは出たわね」
魔物が消えた場所を確かめたリオナが、小さな鉱石状の欠片を拾い上げた。魔物を倒すと稀に素材や回復薬などが残されることがあり、探索者たちはそれらを戦利品として持ち帰っているのである。
中には武器や防具といった装備品が現れることもあるらしいが、それほどの幸運に恵まれる機会は滅多にない。今回のようなありふれた素材であっても、いくらかの金になるのだから拾わない理由はなかった。
「悪くないな。もう一体は?」
「何もなし。まあ、そう毎回は出ないわよね」
「だな。じゃあ、先へ行こうか」
レインは剣を鞘へ収めながらも、周囲への警戒は解かなかった。倒した二体以外に魔物の気配がないことを確かめ、地図と通路の向きを照合してから、リオナと共に歩き始める。
レインは前衛として剣と盾を扱うだけでなく、罠の発見や解除、地形の把握などにも長けていた。それも、故郷の村に暮らしていた頃、引退した元冒険者に頼み込んで教えを受けていたおかげである。最初は木剣の振り方すら覚束なかった少年も、十年近く経った今では、一人前の探索者として迷宮へ潜れるほどに成長していた。
そんなレインが、師匠から幾度となく言い聞かされてきた言葉がある。
『迷宮で一番怖いのは、強い魔物じゃねえ。自分はもう慣れたと思い込むことだ』
強敵の存在に気づけば、普通の探索者は警戒する。しかし、簡単に倒せる相手ばかりだと思い込んだ途端、足元の罠すら見落とすようになる。長年迷宮に潜ってきた師匠は、それこそが最も危険な瞬間なのだと教えてくれた。
だからこそ、レインはどれほど簡単な探索であっても、基本的な確認を怠ることはなかった。魔物との戦闘だけでなく、通路を進む際にも周囲の違和感を探し、行き止まりや分岐点では地図を確認する。こうした地味な作業の積み重ねが、これまで二人を何度も危険から遠ざけてきたのである。
もっとも、その日の彼は、魔物のいない安全な通路を移動しているときなどに、時折ぼんやりと考え事をしていた。
「……セレナさん、かあ」
「またそれ!?」
「いや、何でもない!」
「本当に大丈夫なの? 具合が悪いなら戻るわよ?」
「大丈夫だって。戦闘中はちゃんと集中してるだろ?」
「それはそうだけど……」
リオナは疑わしそうに眉を寄せたものの、実際にレインの判断や戦闘に問題は見られなかったため、それ以上は追及しなかった。
ただし、完全に納得したわけではないらしい。しばらくの間、彼女は何か言いたげな視線を向けていたが、レインが次の分岐で地図を確認し始めると、ようやく普段どおりの警戒へ戻っていった。
その後も二人は予定していた区域を巡り、依頼の採取品を集めながら、再編によって変化した通路を地図へ書き込んでいった。ときおり遭遇する魔物も連携して退け、調査は残りわずかとなっていた。
あとは最後の区画を確認して引き返すだけ。そう考え始めた頃だった。
「…………ん?」
先を歩いていたレインが、不意に足を止めた。
「どうしたの?」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
不思議そうに尋ねるリオナへ短く答え、レインは通路の片側を構成している石壁へと近づいた。
一見すると、ほかの壁と何の違いもない。迷宮では見慣れた灰色の石が規則正しく積み重なっているだけであり、目立った装飾や仕掛けも確認できなかった。
しかし、どうにも妙な違和感があったのだ。
レインは壁面を慎重に調べ、石の継ぎ目へ指を這わせた。周囲と比べると、ごく一部だけ継ぎ目の位置が微妙にずれている。さらに顔を近づけると、壁の向こうから僅かに空気が流れ込んでいるのを感じた。
迷宮の通路は、基本的に石壁で隔てられている。空気が流れているということは、その向こう側に別の空間が存在する可能性が高かった。
「……リオナ。これ、隠し通路かもしれない」
「えっ、本当!?」
「まだ分からないけどな。少なくとも、この壁の向こうには空間がありそうだ」
驚いた様子で近づいてきたリオナも、レインが示した継ぎ目へ目を凝らした。言われてみれば確かに違いが分かるものの、何も知らずに通りかかっていたら、まず気づかなかっただろう。
「よく見つけたわね、こんなの」
「師匠に散々仕込まれたからな。こういう違和感は、見逃すと後で後悔するんだ」
隠し通路の発見そのものは、探索者にとって決して珍しい出来事ではない。迷宮の再編によって新たな通路が生まれることもあれば、古い仕掛けが初めて発見されることもある。
しかし、その先に未発見の宝箱や希少素材が眠っている可能性は十分にあり、場合によっては一度の発見で数カ月分の収入を得られることもあった。
無論、隠されているものが必ずしも財宝であるとは限らない。危険な魔物の巣や罠だらけの部屋につながっている可能性だってあるため、発見した喜びだけで飛び込むのは愚かな行為だった。
「どうする? 調べてみる?」
「もちろん。ただし、慎重にな」
「ええ。分かってるわ」
レインはまず周囲に魔物や罠がないことを確かめ、それから壁面の仕掛けを探し始めた。不自然な凹凸を一つひとつ調べ、周辺の石を軽く押しては反応を確かめていく。
リオナも少し離れた場所で周囲を警戒しながら、いつでも援護できるようにクロスボウを構えていた。仕掛けが何らかの罠と連動していた場合に備え、二人で同じ場所に立たないことも忘れていない。
やがて、特定の石を押し込んだ瞬間、壁の奥から低い音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
「わっ、本当に動いた!」
「……どうやら当たりだったみたいだな」
二人が少し距離を取って様子を見ていると、壁の一部がゆっくりと横へずれ、その向こうに暗い通路が姿を現した。幅は人が二人ほど並んで歩ける程度で、奥の様子までは見通せない。
「……当たり、みたいね」
「ああ。ただ、喜ぶのはまだ早いぞ」
レインは腰の剣を抜き、慎重に通路の奥へ目を向けた。
魔物の姿は見えないものの、奥から漂ってくる魔力は周辺の通路とは少し質が異なっていた。空気もどこか重く、長く閉ざされていた場所を開いたときのような、奇妙な静けさが漂っている。
「……何かいるな」
「強そう?」
「分からない。けど、普通の部屋じゃなさそうだ」
無理をして進む必要はないと考えた二人は、まず入口の位置を地図へ書き込み、退路を確認した。万が一、強力な魔物が潜んでいた場合には、即座に引き返すつもりである。
隠し通路を発見しただけでも調査の成果として報告できるのだから、ここで危険を冒す必要はない。奥へ進むにしても、戻れる余力を残しておかなければならなかった。
「……とりあえず、行けるところまで調べてみるか。危険だと思ったら引き返すぞ」
「了解。私も周りを見ておくわ」
念入りに準備を整えてから、レインを先頭に暗い通路へ足を踏み入れた。
通路は緩やかに下っており、壁にはこれまで見慣れていたものとは異なる古い紋様が刻まれている。二人は足元に注意を払いながら進み、ときおり立ち止まって周囲を確かめた。
幸い、目立った罠や魔物の姿は確認できない。ただ、奥へ進むにつれて周囲の魔力が徐々に濃くなっているように感じられた。
レインは何度か足を止め、そのたびにリオナと視線を交わした。彼女も異変に気づいているらしく、先ほどまでの軽い表情は消え、クロスボウを握る手にも力が込められていた。
そして、通路の先に広がっていたのは、予想以上に大きな空間だった。
◇ ◇ ◇
「……おいおい、マジかよ」
広間へ足を踏み入れる直前、レインは思わず小声で呟いた。
そこには、巨大な魔物が一体、静かに蹲っていた。
四足歩行の獣に似た体形をしているものの、肩までの高さだけでも成人男性を軽く超えている。身体の大部分は黒い鉱石のような硬質の外皮に覆われ、太い四肢の先には鋭い爪が並び、背後には鞭のように長い尾が伸びていた。
そして何より、周囲に漂う魔力の濃さが、これまで遭遇してきた魔物とは明らかに違う。
広間の中ほどで蹲るその姿は、まるで巨大な岩の塊が呼吸しているかのようだった。ゆっくりと上下する背中を眺めているだけでも、尋常ではない膂力を秘めていることが伝わってきた。
「……レイン、どうする?」
「正直、あれは厄介そうだな」
リオナの問いに、レインは慎重に答えた。
実力を見誤って強敵に挑み、帰らぬ人となる探索者は少なくない。二人もこれまで何度か危険な魔物と遭遇してきたが、そのたびに状況を見極め、必要ならば撤退してきた。
探索者にとって大切なのは、無謀な戦いを繰り返すことではない。生きて帰り、次の探索へつなげることなのだ。
今回も、ただ強そうな敵を見つけたからという理由で突っ込むつもりはなかった。
「……ただ、あの奥を見てみろ」
「奥?」
「ああ。扉がある」
レインが視線で示した先には、広間の最奥に設けられた重厚な扉があった。
表面には複雑な紋様が刻まれており、周囲の石壁とは明らかに異なる材質でできている。長い年月を経ているようにも見えるが、目立った傷や崩れはなく、何らかの魔術的な加工が施されていることは間違いなさそうだった。
その扉の前に巨大な魔物が蹲っているのだから、偶然の配置とは到底思えなかった。
「……宝物庫、かしら」
「可能性はあるな。あいつが守護魔物ってところか」
「どうする? 結構な大物よ?」
「そうだな……」
レインは広間の構造と魔物の様子を見比べた。こちらにはまだ魔力も回復薬も十分に残っており、崩れた柱はリオナの射撃位置として使えそうだ。通路へ戻る退路も確保できている。
一方、扉の前に蹲る魔物は、まだ二人に気づいていないらしい。未知の相手に深入りするつもりはないが、今なら先手を取って反応を確かめられる。問題は、相手がどれほど素早く動くかだった。
「……リオナ。あの柱からなら、射線が通るか?」
「ええ。あそこなら頭を狙えると思う」
「なら、まず一発撃って反応を見よう。俺が前に出て引きつける。危険だと思ったら、無理に戦わず撤退だ」
「了解。でも、無理はしないでよ?」
「分かってる。俺だって、こんなところで死ぬつもりはないさ」
そう言って笑ったレインは、盾を構え直した。
リオナもまた、軽く息を整えてから柱の陰へ移動し、クロスボウの照準を巨大な魔物へと合わせる。レインは彼女の射線を塞がない位置に立ち、いつでも相手の注意を引き受けられるように身構えた。
二人は最後に視線を交わし、互いの準備が整っていることを確認した。
「……行くわよ」
静かな声とともに、リオナが引き金を引いた。
鋭い音を立てて放たれた太矢が、広間の空気を裂きながら巨大な魔物の頭部へ一直線に飛んでいく。距離も角度も悪くない。普通の魔物であれば、少なくとも傷を負わせることはできるはずだった。
しかし。
ガキンッ!
耳障りな硬い音が響き、太矢は魔物の額に命中した直後、あっさりと弾き飛ばされた。
「――硬っ!?」
思わずリオナが目を見開く。
次の瞬間、巨大な魔物がゆっくりと頭を持ち上げた。
赤く光る瞳が、広間の入口付近にいる二人を捉える。
「グルルルルル……!」
地を這うような唸り声が、広間全体に響き渡った。魔物は四肢に力を込めながら立ち上がり、まるで侵入者を威嚇するかのように、硬い爪で石床を引っ掻く。
そして、その巨体が前方へ傾いた瞬間、レインは相手が何をしようとしているのか悟った。
「リオナ、下がれ!」
叫んだ直後、魔物は地面を蹴った。
巨体からは想像できないほどの速度だった。
一直線に迫ってくる巨大な影を前に、レインは咄嗟に身体強化を強めた。盾を構えて衝撃に備えようとするものの、あれほどの質量を正面から受け止めるのは危険すぎる。
そう判断した彼は、突進が届く直前に身体を横へ逃がした。
巨大な爪が盾の表面を掠め、強烈な衝撃が左腕へ伝わる。
「ぐっ……!」
完全に防ぎきれたわけではない。だが、直撃を避けられただけでも十分だった。レインは勢いを殺さずに後方へ跳び、数歩離れた位置で体勢を立て直すと、すぐさま魔物の動きを観察する。
予想以上に速い。あの巨体であれほどの速度を出せるとなると、退路があっても背中を見せて逃げるのは危険だった。
外皮も非常に硬い。先ほどのリオナの射撃が通らなかったことからも、まともに斬りつけたところで刃が立たない可能性が高かった。
しかし、どれほど硬い鎧であっても、身体を動かすためには可動部分が必要になる。
首筋や関節、腹部の一部。黒い外皮の間には、ごく僅かだが比較的柔らかそうな隙間が存在していた。
(……狙うなら、あそこか!)
「リオナ! 外皮は無理だ! 関節を狙ってくれ!」
「分かった!」
返事と同時に、リオナは次の太矢を装填し始めた。狙うべき場所が分かれば、あとは射線を確保するだけである。
一方のレインは、魔物の注意を自分へ引きつけるべく、剣を構えて踏み込んだ。
真正面から突っ込むのではない。相手の攻撃を誘い、盾で逸らし、その隙に刃を届かせる。大きな敵を相手にするときほど、力任せに戦ってはならない。
師匠に叩き込まれた基本を、徹底する。
魔物が右前脚を振り上げた瞬間、レインはその動きに合わせて左へ身体を滑らせた。石床を抉るような爪の一撃を紙一重でかわし、懐へ踏み込むと同時に剣を振り抜く。
「はあっ!」
魔力によって強化された刃が、外皮の隙間から脚の付け根へと食い込んだ。
「ギャアアアッ!」
魔物が苦痛の叫びを上げ、大きく身体を捻る。
その反応を見たレインは、すぐに剣を引き抜き、反撃を避けるように後方へ跳んだ。攻撃は確かに通ったが、傷の深さまでは分からない。ひとまず距離を取って次の動きを見極めようとした、そのときだった。
「――レイン、上!」
リオナの鋭い警告に、レインは反射的に顔を上げた。
視界いっぱいに迫っていたのは、鞭のようにしなる巨大な尾だった。
「っ!」
咄嗟に盾を持ち上げたものの、完全には間に合わない。
鈍い衝撃とともにレインの身体が横へ弾き飛ばされ、石床を数度転がった。左腕から肩にかけて鋭い痛みが走り、肺の空気が一瞬にして押し出される。
「ぐあっ!」
それでも、レインは転がる勢いを利用して素早く体勢を立て直した。
盾が衝撃の大部分を受け止めてくれたおかげで、骨が折れた様子はない。しかし、腕には鈍い痺れが残っており、同じ一撃を何度も受ければ、こちらの体力が先に尽きてしまうだろう。
(……なるほど。こいつ、かなり強いな!)
冷や汗が頬を伝う。
これまで遭遇した強敵の中でも、硬さと速さは群を抜いていた。あの尾まで警戒しなければならない以上、正面からの力押しではまず勝てない。
撤退も考えたが、背を向ければ先ほどの突進に追いつかれるだろう。ならば、まずは脚を狙って動きを鈍らせる必要がある。幸い、先ほど斬りつけた前脚には確かな傷が残り、踏み込むたびに動きが僅かに鈍っていた。
そして何より、こちらは一人ではない。
「レイン! 次、右へ誘導して!」
「了解!」
リオナの声に従い、レインは魔物の注意を引きながら広間の右手へ回り込んだ。振り下ろされる爪を盾で逸らし、噛みつこうとしてくる頭部をかわしながら、少しずつ相手の位置を調整していく。
魔物は苛立ったように咆哮を上げたが、レインの動きを捉えきれない。狙った相手が目の前から消えるたびに巨体を捻り、徐々に広間の中央から離れていった。
レインは魔物の動きを観察しながら、柱の陰にいるリオナの位置を確かめた。
彼女は既に次の太矢を装填し、こちらの動きに合わせて照準を調整している。狙いは先ほど傷つけた前脚の関節。硬い外皮に囲まれた狭い部分だが、リオナの腕なら十分に狙えるはずだった。
やがて、魔物の身体が一本の柱の脇を通り過ぎたところで、レインはわざと距離を詰めた。
こちらへ飛びかかれる位置に入ったと判断したのか、魔物が大きく踏み込んでくる。
その瞬間、レインは盾を構えたまま横へ跳んだ。突進の勢いを殺しきれなかった魔物の身体が僅かに流れ、無防備になった側面が、柱の陰にいたリオナの射線へ入る。
「――そこっ!」
放たれた太矢が、傷ついた脚の関節へと突き刺さった。
「ギャアアアアッ!」
先ほどの一撃で弱っていた部分を正確に射抜かれ、魔物の巨体が大きく傾いた。硬い外皮に覆われた脚が不自然な方向へ折れ曲がり、支えを失った身体が石床へ沈み込む。
大きく体勢を崩した魔物を前に、レインはその好機を逃さなかった。
「はああああっ!」
全身に巡らせた魔力を一気に高め、床を蹴る。
身体強化によって加速した彼は、倒れ込みかけた魔物の側面へ回り込むと、剣を握る右手に力を込めた。狙うのは、巨体を支えきれずに低くなった首筋。黒い外皮が途切れ、比較的柔らかい組織が露出している部分である。
ここを逃せば、再び相手の攻撃を捌きながら隙を作らなければならない。長引くほどこちらが不利になる以上、決められるときに決めるべきだった。
迷うことなく振り下ろした刃が、魔物の首へ深々と食い込んだ。
衝撃とともに硬い手応えが伝わり、巨大な身体が激しく痙攣する。致命傷に近い一撃を与えたことは確かだったが、それでも魔物は最後の力を振り絞り、レインへと巨大な牙を向けてきた。
(――まだ動くのか!?)
レインが剣を引き抜いて距離を取ろうとした、そのときだった。
「これで――終わりよ!」
リオナの声が広間に響いた。
脚を射抜いた直後から次の一射を準備していたリオナの太矢が、魔物の開いた口腔へと吸い込まれていく。
硬い外皮に守られていない口の中を貫かれ、ついに魔物の身体から力が抜けた。
ズズンッ!
巨大な身体が石床へ崩れ落ち、広間を揺るがす轟音が響き渡った。
それからしばらく、二人は動かなかった。
倒れた魔物が再び起き上がる可能性もある。レインは剣を構えたまま相手を観察し、リオナも新しい太矢を装填して、万が一に備えていた。
だが、魔物が動き出すことはなかった。
やがて、黒い外皮に包まれた巨体が淡い光を放ち始め、その輪郭がゆっくりと崩れていく。無数の粒子となって消えていく様子を最後まで見届けてから、レインはようやく大きく息を吐いた。
「……勝った、か」
「……みたいね」
リオナもクロスボウを下ろし、柱に背中を預けるようにしてその場にしゃがみ込んだ。
やがて互いの顔を見合わせると、緊張から解放された二人の口元に、どちらからともなく笑みがこぼれた。
「ははっ! やったな、リオナ!」
「ほんと、あんたと組んでると退屈しないわね!」
二人は笑い合い、それから互いの怪我を確認した。
レインの左腕には打撲があり、身体の何か所かも痛むが、幸い深刻な負傷はない。リオナにも大きな怪我はなく、二人の魔力や矢の残量にもまだ多少の余裕があった。
「……腕、大丈夫?」
「ああ。ちょっと痺れてるけど、動かせないほどじゃない」
「見せて」
「いや、平気だって」
「いいから」
有無を言わせぬ口調で促され、レインは苦笑しながら左腕を差し出した。リオナは盾を外した腕の状態を確かめ、腫れや傷の有無を丁寧に調べていく。
大きな怪我ではなさそうだと分かると、彼女はほっと息を吐いた。
「……本当に、あの尾が当たったときはどうなることかと思ったわ」
「悪かった。あれはちょっと油断した」
「そうよ。こっちまで心臓が止まりそうになったんだから」
「でも、助かったよ。お前が教えてくれなかったら、もっとまともに食らってた」
「……それなら、次からはちゃんと気をつけてよね」
「ああ。ありがとう、リオナ」
素直に礼を言うと、リオナは少しだけ視線を逸らし、それ以上は何も言わなかった。
レインは持参していた回復薬で応急処置を済ませ、左腕の動きを確認した。痛みはまだ残っているものの、戦闘直後よりは随分と楽になっていた。
その後、念のため周囲を調べ、ほかに魔物や罠がないことを確かめた。
強大な魔物だっただけに、何か希少な戦利品が残るかと期待したものの、どうやら今回は何も出現しなかったらしい。
「……あれだけ苦労して倒したのに、ドロップなしか」
「まあ、そういうこともあるわよ。そもそも、今日の目的はあっちでしょ?」
「……そうだったな」
リオナに促されたレインが広間の奥へ目を向けると、先ほどまで固く閉ざされていた扉が、いつの間にか僅かに開いていた。
どうやら守護魔物を倒したことで、扉の封印が解かれたらしい。
「……これは、期待してもいいんじゃないか?」
「そうね。あれだけ強い魔物を倒したんだから、何かいいものがあってほしいところだわ」
レインは思わず笑みを浮かべた。
強敵との戦いに勝利した達成感も大きかったが、扉の向こうに待っているかもしれない報酬を考えれば、期待せずにはいられない。
ましてや、ここはギルドの地図にも記されていなかった隠し通路の先である。あれほど強力な守護魔物が配置されていたことを考えても、扉の向こうには相応のものが眠っている可能性が高かった。
もっとも、扉が開いたからといって油断するつもりはなかった。
レインは改めて装備を整え、回復薬や残りの魔力を確認した。先ほどの戦闘で多少は消耗したものの、まだ探索を続けられるだけの余力は残っている。リオナもクロスボウを点検し、使った分の太矢を補充しながら、扉の周囲へ注意を向けていた。
「……なあ、リオナ」
「何?」
「あの扉の向こう、本当に宝物庫だったらどうする?」
「どうするって?」
「いや、もし財宝が山ほどあったらさ。お前、孤児院にもっと仕送りできるんじゃないか?」
「……そうね」
リオナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかな笑みを浮かべた。
「もし本当にそんなものが見つかったら、子供たちに新しい服を買ってあげられるかもしれないわね。院長先生だって、今より少しは楽ができるでしょうし」
「そりゃいいな。俺も、しばらく装備代を気にしなくて済むかもしれない」
「……あんたの場合、余計なものまで買いそうで怖いんだけど」
「失礼な。ちゃんと必要なものを買うに決まってるだろ?」
「朝も言ったけど、あんたの『必要なもの』って基準が怪しいのよね」
「まだ言うか、それ!」
呆れたように笑うリオナにつられ、レインも笑みを浮かべた。
ただの期待に過ぎないと分かってはいる。それでも、命懸けの戦いを乗り越えた先に大きな報酬が待っているかもしれないと思えば、自然と胸が高鳴るものだった。
もっとも、今はまだ中身を見たわけではない。宝物庫だと思っていた場所が空っぽかもしれないし、別の危険な仕掛けが待ち構えている可能性だってある。期待は膨らむものの、ここで気を緩めるわけにはいかなかった。
「……よし。中を確認してみよう。ただし、扉の先も安全とは限らないからな」
「ええ。分かってるわ」
二人は改めて周囲を確かめると、広間の最奥にある重厚な扉へと近づいていった。
長い年月を経てもなお、扉の表面に刻まれた紋様は不思議な光沢を失っていない。僅かに開いた隙間の向こうには暗闇が広がっており、ここからでは室内の様子までは見通せなかった。
レインは扉の前で足を止め、慎重にその隙間を覗き込んだ。
果たして、この先には何が眠っているのだろうか。
期待と警戒を胸に、彼は重厚な扉へと手を伸ばした。