Neptune Ⅱ~蒼海の追跡者~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
今回は第一章の中篇をお届けします。前回は、軍艦の艦内らしからぬイベントが発生しましたが、今回はちゃんと海洋サスペンスらしい、シリアスな空気感の話になります。なお、ふそう乗員は今回は全く出てきません。それではどうぞ。
長崎県佐世保市。日本国沿岸警備隊・佐世保沿岸警備局。九州地方における沿岸警備隊の司令部にして、関係機関との調整の場ともなる総本山である。この日、局舎内の大会議室には、朝から普段とは異なる緊張感が漂っていた。空調の低い唸りと、壁掛け時計の秒針だけが、広い室内にかすかに響いている。
長机を囲むのは、沿岸警備隊の幹部だけではない。長崎県警察、九州厚生局麻薬取締部、そして税関。国内への違法薬物流入を阻止する各機関の担当者が、一堂に集まっていた。
誰もが必要な資料を手元に揃えていたが、まだページを開こうとはしなかった。机上に置かれた紙束は整然としている。その整然さが、かえって会議の重苦しさを際立たせていた。正面のスクリーンには、九州地方の地図と、これまでに確認された薬物摘発事案の概要が映し出されている。赤い点が、九州北部を中心にいくつも並んでいた。
「それでは、定刻となりましたので会議を始めます」
口火を切ったのは、佐世保沿岸警備局主席統括官、若狭忠靖一等海佐だった。手元の資料に一度目を落とし、それから出席者全員を見渡す。誰も表情を緩めていない。県警の担当者は腕を組み、税関の担当者はペンを指先で静かに回している。麻薬取締部の捜査官だけが、机上の資料を何度も確認していた。
「本日の議題は、九州地方で確認されている違法薬物の流入経路についてです。近年、摘発状況から推定される流通量と、実際に確認できている密輸事案との間に、看過できない隔たりが生じています。各機関の情報を共有し、原因と対応を検討します」
若狭の声は落ち着いていた。しかし、言葉の一つひとつが室内に沈むたび、出席者の表情は硬くなっていった。
彼は麻薬取締部の捜査官に目を向けた。
「まず、麻薬取締部からお願いします」
捜査官が立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音が、必要以上に大きく響く。捜査官は一瞬だけスクリーンを見上げ、それから手元の資料を持って前へ進んだ。
スクリーンに九州各県の摘発事案が表示された。赤い点と線が、都市部から港湾地域へ伸びている。だがその線の先には、いくつか空白が残されていた。
「我々が問題視しているのは、九州北部を中心とした供給量です。複数の密売組織への捜査から、一定規模の薬物が継続的に国内へ流入していると見られます」
捜査官は画面上の地点を指した。レーザーポインターの赤い光が、地図の上をゆっくり移動する。
「しかし、現在把握している密輸事案だけでは、この流通量を説明できません。国内在庫の放出も考慮しましたが、それでも差が残ります」
言い終えた捜査官は、すぐには席へ戻らなかった。室内の誰もが、次の言葉を待っていた。
「未把握の供給源がある、と?」
その「次の言葉」を自ら引き出そうとするかのように、若狭が尋ねる。
「はい。単発の密輸ではなく、継続的な供給経路が存在する可能性があります」
捜査官の声は淡々としていたが、最後の部分だけわずかに低くなった。
若狭は短く頷いた。捜査官が席へ戻ると、椅子に腰を下ろす前に、県警の担当者と一瞬だけ視線が交わった。互いに何かを確認するような目だったが、言葉は交わされなかった。それを横目に見ながら、若狭は税関の担当者に視線を移す。
「税関の見解は?」
税関の担当者は、閉じていたファイルを開いた。紙をめくる指先が、わずかに強張っている。
「輸入貨物や船舶の検査記録、関連情報を照合しましたが、麻薬取締部が示した供給量に見合う輸送経路は確認できていません」
「通常の貨物に紛れている可能性は?」
「否定はできません。ただし、相当量が継続的に持ち込まれているなら、物流や関係者の動向に何らかの兆候が現れるはずです」
担当者は資料の一枚を抜き取り、視線を落とした。
「残念ながら現時点では、それに相当する規模の経路を特定できていないのが実情です」
その言葉の後、短い沈黙が落ちた。税関の担当者は資料を閉じたが、手はその上から離れなかった。まるで、そこに書かれた数字を押さえ込むようだった。
続いて、長崎県警の担当者が発言した。
「県警では、密売組織の摘発と関係者の供述から、国内での流通経路を追っています。受け渡しに関わる人物は把握できても、その上流にある供給元へ辿り着けないケースが続いています」
県警の担当者は、言葉を選ぶように一度口を閉じた。
「共通する特徴は?」
若狭が促す。
「断定はできません。ただ、複数の事件で、従来把握していた密輸組織とは異なる供給経路を示す情報が出ています」
「異なる供給経路?」
麻薬取締部の捜査官が聞き返した。県警の担当者は、すぐには答えなかった。手元の資料を一枚めくり、そこに目を落としたまま、数秒間沈黙する。
「供述の内容が一致していません。受け渡し場所も、関係者の呼称も、従来の組織とは異なる。ただし、情報が断片的すぎます」
「断片的、というのは?」
「誰が運んだのか、どこから来たのか、そこまで辿れる証言がないということです」
会議室の空気が重くなった。麻薬取締部は、摘発状況から推定される供給量に疑問を抱いている。税関は、その量に見合う輸入経路を確認できていない。県警は、国内の受け渡しを追っても上流へ届かない。各機関の報告は、同じ空白を別々の角度から示していた。
若狭は資料をめくった。紙の擦れる音が、室内に連続して響く。
「では、我々沿岸警備隊からも報告を」
若狭の指示を受け、担当幹部が資料を開いた。立ち上がる前に、隣席の若狭へ一度視線を向ける。若狭が小さく頷くと、ようやく椅子を引いた。
「海上での不審船舶と、瀬取りによる密輸の可能性を確認しました。現段階で、今回の流入と直接結びつく大規模な瀬取りは確認されていません」
「監視の及ばない海域で行われている可能性は?」
「残っています。ただ、既知の海上ルートだけでは、麻薬取締部が示した供給量を説明できるか疑問です」
担当幹部はそこで言葉を止めた。誰もすぐには質問しなかった。スクリーンには、九州周辺の海域図が映っている。海岸線と航路、監視区域を示す線。その外側には、広大な海面が広がっていた。
会議室が静まり返った。必要な捜査も監視も行われている。それでも、薬物がどこから入っているのかが分からない。
税関の担当者がペンを置いた。県警の担当者は腕を組み直した。麻薬取締部の捜査官は、手元の資料を閉じたものの、指先を表紙の端に置いたまま動かさなかった。
「…、妙だな」
それまで黙っていた佐世保沿岸警備局長、播磨義晴海将補が口を開いた。低い声だった。播磨は椅子の背にもたれず、両手を机の上で組んでいた。表情に大きな変化はない。しかし、視線だけがスクリーンの海域図に固定されている。
「麻取は継続的な供給を確認している。税関は、それに見合う輸入経路を把握していない。県警は上流に届かず、我々も大規模な瀬取りを確認できていない」
播磨は一つずつ、報告を並べた。そのたびに、該当する機関の担当者がわずかに身じろぎする。それを知ってか知らずか、播磨が口にしたのは意外な言葉だった。
「ならば、そもそもの前提を疑ってみる必要があるんじゃないか?我々が無意識に共有している、当然だと思っている前提を」
「えっ…?」
麻薬取締部、県警、税関の担当者が一斉に、怪訝そうに眉間にしわを寄せる。
「我々は、薬物が運ばれるなら、何らかの船舶が海面上を航行するはずだと考えている。貨物船、漁船、あるいは瀬取りだ」
播磨はスクリーンの海域図を見つめた。
「その前提を疑う、ということですか?」
県警の担当者が尋ねる。声には、戸惑いと警戒が混じっていた。
播磨はすぐには答えなかった。スクリーンの海域図から視線を外し、机上に並んだ各機関の資料へ目を移す。赤い点、空白の海域、確認できない輸送経路。そこにある情報を一つずつ確かめるように、ゆっくりと視線を動かした。
「そうです」
一呼吸置いてから、播磨は短く答えた。
「例えばもし、海面上を航行しない輸送手段が使われていたら?」
誰かが息を呑んだ。空調の音が、急に大きく聞こえた。播磨は一呼吸置いた。
「もっと端的に申し上げましょう。海中から運び込まれている可能性はないですか?」
言葉が落ちた後、誰も動かなかった。県警の担当者は、聞き返すべきか迷うように口をわずかに開き、それから閉じた。税関の担当者は手元のペンを握り直した。麻薬取締部の捜査官は、資料の端を押さえていた指を止めた。
「…、海中?」
ようやく県警の担当者が聞き返した。
「潜水艦ということですか?」
その言葉に、室内の空気がさらに硬くなる。播磨は県警の担当者を見た。
「可能性の一つです。もっとも、軍用潜水艦とは限らない。若狭、Narco-subを知っているな?」
若狭はすぐには答えなかった。彼は手元の資料を一枚めくり、そこに挟まれていた別紙を確認した。それから、出席者の反応を見渡す。
「はい。薬物密輸に使われる潜航艇や半潜水艇の総称です」
「皆さんに詳しく説明を」
若狭の指示で、スクリーンに低い船体を持つ半潜水艇の参考画像が映し出された。それまで地図を映していた画面が切り替わる。水面すれすれに浮かぶ、細長く低い船体。会議室の何人かが、無意識に身を乗り出した。
「完全に潜航できるタイプもあれば、船体の大部分を水面下に沈めて航行するタイプもあります。通常の船舶より発見されにくいのが特徴です」
若狭が説明する間、麻薬取締部の捜査官は画像から目を離さなかった。税関の担当者は、手元の船舶記録と画像を交互に見比べている。県警の担当者は眉を寄せたまま、腕を組んでいた。
「日本近海で使われている証拠は?」
麻薬取締部の捜査官が尋ねた。その問いに、若狭は一瞬だけ沈黙した。
「ありません。播磨からも申し上げましたが、現段階では仮説です」
断定を避ける言葉だった。しかし、播磨は否定しなかった。
「今はそれでいい」
播磨は画像を見上げたまま答えた。
「既存の情報で説明できないなら、前提を広げて検証する必要がある。皆さん。仮に海中輸送が行われているとして、これまでの情報に矛盾しないものはありませんか?」
誰もすぐには動かなかった。仮説を受け入れたわけではない。だが、完全に退ける材料もなかった。
やがて、県警の担当者が資料を開いた。紙をめくる音が一つ、二つと重なる。税関の担当者も記録を探し始めた。麻薬取締部の捜査官は、先ほどまで閉じていたファイルを開き、付箋の貼られたページを繰った。出席者たちが資料をめくり始めた。
ふと、県警の担当者が顔を上げる。
「密売組織の関係者から、通常の港湾施設を経由しない受け渡しを示唆する供述があります。場所や方法は不明ですが、一般的な輸入貨物とは異なる形で国内側へ荷物が渡っている可能性があります」
「その供述は、これまでの密輸事案と結びついているのですか?」
麻薬取締部の捜査官が尋ねた。
「直接の裏付けはありません。ただ、複数の関係者が、港湾施設ではない場所での受け渡しを示唆しています」
県警の担当者は資料を見ながら答えた。
「証言の表現は一致していません。しかし、通常の船舶や貨物記録に残らない形で荷物を受け取った、という点だけは共通しています」
税関の担当者も続けた。
「その仮説なら、通常の貨物や船舶の記録から経路を追えない理由は説明できます」
担当者はそう言いながらも、すぐには顔を上げなかった。
「ただし、説明できることと、実際に存在することは別です。海中輸送を示す直接的な証拠が必要になります」
麻薬取締部の捜査官が慎重に頷く。
「従来の密輸組織とは異なる供給元という情報とも矛盾しません。ただし、日本近海まで潜航艇を運用できる組織が存在するかは、別途確認が必要です」
「当然です」
播磨は各機関を見渡した。その時だった。
「恐れ入ります、司令。私からも1点よろしいでしょうか」
身内である沿岸警備隊の担当幹部が手を上げる。沿岸警備局長は通常、海軍でいう護衛隊群に相当する船団組織、警備船隊の司令を兼任する。播磨の場合、彼が指揮するのは第4警備船隊だ。このため、別に局長という肩書きがあるにもかかわらず、部下の多くは彼のことを「司令」と呼ぶ。
「何だ?」
「今、税関からお話があった『海中輸送を示す直接的な証拠』に関してですが…。我が軍が直近で受けたヒトヒトハチ番通報の記録の中に、1つそれらしきものがあります」
「!?」
麻薬取締部、県警、税関の担当者が、一斉に目を見開く。そのリアクションに一瞬たじろぎつつも、担当幹部は播磨に視線を送る。
「もちろん状況証拠ではありますので、確度が高い情報と言えるかは分かりかねますが。共有させていただいても?」
「よかろう、説明しろ」
担当幹部は頷くと立ち上がり、資料に目を落とした。
「約2週間前、まさにこの佐世保沿岸警備局に入った118番通報で、『深夜に海面スレスレを動く不審な灯火を見た』という漁師からの通報がありました。当時、巡視艇が当該海域を捜索したもののそれらしきものは見当たらず、海面のゴミあるいは街灯の見間違いということで処理されていましたが…」
「ちょっと待ってください。『海面スレスレ』と仰いましたか?もし、万が一それがNarco-subだとしたら…?」
その言葉に何かを察した県警担当者が、少し震えた声で尋ねる。
「あくまで、これが半潜航型潜水艇であったとの仮定に立てば、の話ですが…。夜の闇に紛れられるという時間帯の特性を考えても、状況的には整合しますね」
会議室を、一気に鉛のように重苦しい空気が包み込んだ。誰も口を開くものはなく、揃って視線を資料に落としたままだ。三機関の担当者の脳裏に、担当幹部が口にした光景が再現される。深夜の暗い海を行く、海面スレスレを行く不審な灯火。その不気味な光景と、播磨が提示した思いもよらない仮説が真実である可能性に、彼らは皆得も言われぬ恐怖感を覚えたのだった。
「どうやら、私が思っていたよりは検証に値する仮説だったようですね」
播磨が口を開く。その視線を受けた出席者たちは、次々に顔を上げた。
「もちろん、今我々からお伝えした情報をもってしても、Narco-subと決めつけるつもりはありません。だが、より直接的に関与を示しうる証拠が出た以上、これまで想定していなかった輸送手段を捜査対象から外す理由もない」
若狭が確認する。
「では海中輸送の可能性を含め、各機関の情報を再検討するということでよろしいでしょうか」
若狭の問いに、すぐに返事をする者はいなかった。数秒後、県警の担当者が頷いた。続いて税関、麻薬取締部の捜査官が頷く。最後に、沿岸警備隊側の幹部が静かに首を縦に動かした。
その時、県警の担当者が手を挙げた。
「仮にそのNarco-subが使われているなら、海上での捜索には特殊な装備が必要ではありませんか?」
「その通りです」
若狭が答える。
「通常の巡視船艇だけでは、対応が難しいでしょう」
若狭はそう言ってから、机上の資料に目を落とした。次に県警が何を提示するのか、出席者たちは黙って待った。
「であれば、国防海軍の支援を要請する必要があるのでは?」
その問いかけをあらかじめ予期していたのか、播磨が即座に応じた。
「いえ。少なくとも現段階で、捜索の主体を海軍に移す必要はありません」
県警の担当者が眉を寄せる。
「しかし、潜航艇が相手となれば……」
「ご安心を。この佐世保沿岸警備局には、ふそうという切り札がいます」
播磨は若狭に視線を向けた。その名前が出た瞬間、沿岸警備隊側の幹部たちの表情がわずかに変わった。若狭は姿勢を正し、手元の資料を開く。
「ふそうについては、昨年にも海軍とともに戦闘に参加していることもあり、皆さんもお聞き及びのことでしょう。ふそう型沿岸警備艦は、海軍艦艇に匹敵する対潜捜索能力を備えています。艦載ヘリもあり、海中目標を探知・追跡する装備と乗員も揃っている」
播磨の声には、先ほどまでとは異なる確信があった。そこに、さらに若狭が補足する。
「通常の巡視船艇では困難な海中目標の捜索にも対応できます。ただし、軍用の対潜装備が密輸艇の発見を保証するわけではありません。対象の規模や海況によっては探知が難しくなります」
「それでも、我が軍の現有戦力では最も適した艦だ。何せ昨年の下半期だけで、あの船は3隻もの潜水艦を撃沈している。国連憲章において戦争が原則違法であり、各国軍艦にあっては1隻でも敵艦を葬ること自体が異常な、この時代にあってです」
「3隻…!?」
各機関の担当者たちが目を見張る。
「潜水艦を撃沈できるということは、すなわち艦載ヘリも含めて海中のターゲットを見つけられるということです。もちろん、軍事作戦と法執行のための捜索は、全く同じではないが…。あの船の能力をお示しするには十分でしょう」
播磨は続けた。
「確かに、海上自衛隊から続く国防海軍の対潜捜索能力は、世界トップクラスとすら呼べるほど極めて強力です。もし彼らの協力が得られるなら、非常に頼りになるのは間違いないでしょう。しかし今回の事案は、外国軍による侵攻ではない。薬物密輸という犯罪行為だ。法執行事案である以上、まず我々沿岸警備隊が主体となるべきです」
「国防海軍の支援が必要になった場合は?」
「専門的な情報や技術支援は受ければいい。しかし、捜索から停船措置、立入検査、証拠保全、関係者の身柄確保まで、一貫して法執行として進められるのは我々の強みです」
播磨は言い切った。
「今回の件は、まず我々がやります。海軍の助けを借りるのは、必要になってからだ」
その言葉の後、会議室には短い沈黙があった。若狭は播磨を見つめ、それからゆっくりと頷いた。
「では、ふそうを中心とした海上捜索体制を検討します」
「ただし、まだ目標の存在すら確定していない。まずは情報を集約しろ」
「承知しました」
若狭は各機関への依頼事項を整理した。
「麻薬取締部には、供給元と密売組織に関する情報の整理、合同捜査の連絡体制構築をお願いします」
「了解しました。必要であれば、捜査官を沿岸警備隊へ派遣します」
「県警には国内側の受け渡しと流通網、税関には貨物・船舶情報の再分析をお願いします」
両機関の担当者が了承する。県警の担当者はメモを取り始め、税関の担当者は新しい付箋を資料に貼った。
「沿岸警備隊は、海中目標の捜索可能性と、ふそうを用いた捜索計画を検討します」
若狭の言葉を補足するかのように、今度は播磨が付け加えた。
「海上で何かを発見しても、それだけで薬物密輸の証拠にはなりません。捜査情報との照合が必要だ。麻取からも担当者を出してもらい、現場と捜査側をつなげておきたい。麻取さん、お手数ですが捜査官の選定は早急にお願いいたします」
「承知しました」
若狭は最後に播磨へ向き直った。
「ふそうと真行寺一佐にも、海中輸送の仮説を含めて情報を共有します」
「まだ捜索命令を出す段階ではない。だが、近いうちにふそうの能力が必要になるかもしれん。ちょうど情報統合に長けた、艦長の弟君もMOSAD派遣で乗ってるタイミングだ。関連すると思われる情報は全て投げておけ」
播磨はそう言って、スクリーンに映る半潜水艇の画像を見た。低い船体は、海面の向こうへ消えかけているように見えた。
「了解しました」
こうして、情報共有を目的に始まった合同会議は、海中輸送という新たな仮説を検証する場へ変わった。
麻薬取締部は、流通量と既知の密輸事案の差を示した。税関は、その量に見合う輸入経路を確認できないと報告した。県警は、国内の受け渡しから上流へ辿れない事実を示した。沿岸警備隊は、海上の瀬取りでも説明しきれない可能性を認めた。
その積み重ねの先で、初めて海中輸送という仮説が浮かび上がったのである。それが本当に存在するのか。存在するとすれば、誰が、何を、どこから運んでいるのか。まだ答えはない。
会議室を出る準備をしながらも、誰もすぐには席を立たなかった。資料を閉じる音、椅子を引く音、低い声で交わされる確認の言葉。そのどれもが、普段の会議終了時より慎重だった。
県警の担当者は、最後にもう一度、半潜水艇の画像を見上げた。税関の担当者は、船舶記録の束を抱え直した。麻薬取締部の捜査官は、付箋の貼られたページを開いたまま、しばらく動かなかった。
ただ、これまで十分に目を向けられていなかった海の下に、事件を解く鍵が隠されているかもしれない。その可能性が、初めて捜査の俎上に載せられた。そして一度浮かび上がった疑念は、誰の胸からも、簡単には消えなかった。
Narco-sub、日本ではあまり聞き慣れない概念かもしれませんが、麻薬密輸用組織が用いる潜水艇です。現実世界でも問題となっており、アメリカ沿岸警備隊が実際に摘発を行っています。今回、作中世界における海保の後継である、日本国沿岸警備隊もこのNarco-subとの戦いに挑むことになります。
ふそうは設定上、ほぼ海軍駆逐艦に匹敵する強力な対潜戦闘能力を保有しています。前作『蒼海の守護者』では、これが軍用潜水艦相手の戦闘に用いられましたが、今回は法執行事案に同じ装備を用いることに。「法執行権限を持つ軍隊」としての、沿岸警備隊のもう一つの強みを描きたいと思います。
次回は再び新たな登場人物がふそうにやってきます。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。