Neptune Ⅱ~蒼海の追跡者~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
今回で第一章が締めくくりとなります。今回、ふそうに新たな登場人物がやってきます。今作のキーパーソーンとなるその人物とはいったい?
なお、今回もR-15程度のお色気描写があります。しかも、第2話より下手すると露骨な表現がある可能性があります。苦手な方はご注意ください。それではどうぞ。
「お、来た来た。あの車じゃない?」
「あ、今入ってきたあの車?確かにそれっぽいね」
ふそう艦橋から張り出した左ウイング。見張に立っていた紺野美咲と桜井詩音のコンビは、普段はあまり見かけない自動車の登場に、軽く言葉を交わした。
新たに黄瀬が砲雷科に着任したのと同様、この2人も新たな人事の対象となっている。配置こそ、従来と同じ「見張員兼ラッパ手」で変わらないものの、階級的には海士長から三等海曹に昇任。海軍でいえば、任期付き隊員である水兵から、特定の任期がなく(もちろん定年は存在するが)後輩の指導も任される下士官へとレベルアップしたのだ。
共に高卒の同期入隊で、年齢も階級もポジションも同じという2人。真面目で素直で仲間想いの紺野と、明るく活発だが仕事には真面目な桜井というコンビが、仲良くならないわけもなく。航海科の仲良しコンビとして幹部からも愛されており、2人がともに三曹に昇任したのは、ふそうにとってもグッドニュースには間違いない。
「美咲、じゃあ士官室に報告入れよう」
「オッケー」
桜井の声に頷き、紺野はヘッドセットのマイクに指を伸ばした。
「士官室、左ウイング。桟橋に黒色のセダン到着。麻取からの捜査官を乗せた車両と思われます」
「士官室了解」
その報告を士官室で受けたのは、通信長を務める碧海沙耶一等海尉。2分隊・船務科において、艦内外との通信を司る指揮官である。年齢は32歳。冷静沈着な性格で、通信規律と情報管理には厳しい。確実な仕事ぶりで艦の信頼を支える立ち位置の、黒髪ストレートが印象的な美女だ。
彼女は返す刀で、艦内無線に向かって声を発した。涼やかなアルトが、機械の向こう側へと届く。
「舷門、士官室。警備長、今到着した車が恐らく捜査官です。ご対応よろしくお願いします」
「舷門了解。軽く挨拶したらすぐ通すから、準備しておいて」
そう答えると、舷門で麻取からの訪問者を待ち構えていた警備長・黒川響三等海佐は、眼前のセダンから降りてきた若い男に視線を向けたのだった。
「これが沿岸警備艦ふそう…。話には聞いていたけど、思った以上にデカいな…」
車から降りると、九州厚生局から派遣された麻薬取締官、浦賀篤志は呟いた。年齢は蒼や司と同じ30歳。色白かつ端正な顔立ちで、一見すると俳優か何かと見間違えそうな美男子である。4つ上の兄が、オペレーション・イーグルにも参加した空軍のF-35Cパイロット、第85航空団アサシン隊の隊長である、浦賀勇翔少佐だと聞いたら、前作を読了済みの読者は驚くだろうか。基本的に口が悪くオラつき気味で、腕は確かだがガサツな印象も強い兄とは違い、篤志は真面目で礼儀正しく少し内向的なのが特徴だ。
篤志は今回、卓越した語学力を買われて捜査官として抜擢された。英語とスペイン語をいずれもビジネス~ネイティブレベルで操る能力は、確かに今回の事案にはうってつけだろう。海上ルートで、しかもNarco-subが輸送手段として用いられているならば、輸出元は恐らく海外の可能性が高い。ゆくゆくは輸送艇の乗員を取り調べたり、潜入捜査をしたりする可能性まで考慮に入れるなら、言葉ができるのは大きな武器である。
車のドアを閉め、篤志が見上げた視線の先に、目の前に鎮座するふそうの大きな艦体が映った。全長165m、全幅21m、基準排水量7,715t、満載排水量9,920t。流石に、海軍所属の正規空母であるしょうかくにこそ及ばないとはいえ、沿岸警備隊所属の船としては異例なほど、その存在感は大きい。艦首に備え付けられた、オートメラーラ54口径127㎜単装速射砲・同62口径76㎜単装速射砲という2門の中口径火砲も、場違いなほどの存在感を放っている。
それでも、真っ白に塗装された艦体や、両舷に塗装されたブルーのSマークと、「JAPAN COAST GUARD」の船体表示は、この船が紛れもなく日本国防海軍ではなく、海上保安庁の後継組織たる日本国沿岸警備隊の一員であることを、明瞭に示していた。
その船体表示に目をやったその先で、舷門のタラップの前に立つ人物の姿に気づく。こちらの姿を見て軽く会釈してくるのに気づき、篤志は歩み寄った。
「お世話になります。厚生労働省九州厚生局麻薬取締部、捜査官の浦賀篤志と申します。本日より、ふそうにて合同の捜査活動に従事することになりました。よろしくお願いいたします」
「沿岸警備艦ふそうにて警備長を務めております、三等海佐の黒川と申します。初めまして、浦賀捜査官。これからしばらくお世話になります。よろしくお願いします」
黒川が敬礼しつつ挨拶を述べたのに対して、篤志は思わず目をぱちくりさせた。
「黒川さん…?」
「ん?どうしました…?」
「あ、いや。思ったより声高いんですね?」
「へ?…、あぁ、まぁよく言われます」
黒川は口元に笑みを浮かべると敬礼を解き、「コート着てるとはいえ、寒い中立ち話も何でしょう。ご案内します、どうぞ」と目の前の階段を指示した。それに促されて、篤志が黒川に続きタラップを登ろうとする。一歩段差に足をかけ、上を見たその瞬間。
「えっ…?」
篤志が思わず目を見開いた。
「まだ何か?」
「あ、いや…。この船、ずいぶん女性が多いんですね…?」
篤志の視線の先には、甲板上で2人を待つ海曹士たちの姿が見えた。もちろん、言うまでもないがその中に男性の姿は皆無である。彼の表情からなんとなく、言わんとしていることを察した黒川は、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「乗ったら、もっと驚くと思いますよ。きっとね」
「えっ、えっ、えっ…!?」
士官室に通された篤志は、眼前の光景に驚愕した。着席した状態で彼を待ち構えていたのは、艦長の蒼以下ふそうの幹部たち約30名。全員が、沿岸警備隊の冬制服である鮮やかな青色基調の「サービスドレスブルー」に身を包んだ、見目麗しき女性たちである。
「艦長、麻取の浦賀捜査官をお連れしました」
「ご苦労様、ありがとう」
蒼は黒川の報告に頷くと、立ち上がって篤志の方に歩み寄った。167㎝と、日本人女性にしては長身で姿勢のいい彼女の肢体が、篤志の目の前までやってくる。女性らしいほのかな香りに、篤志の心臓が大きく音を立てた。
「初めまして、浦賀捜査官。沿岸警備艦ふそう艦長、一等海佐・真行寺蒼と申します。遠路遥々お疲れ様です。乗員を代表し、本艦へのあなたの乗艦を心から歓迎します。これから乗員一同、よろしくお願いしますね」
「は、はじめまして…。こ、厚生労働省から参りました、浦賀と申します…」
「あら、ずいぶんと緊張されてるようね。大丈夫ですか?」
蒼が首を傾げたのに対して、篤志はなぜか引きつったような笑みを浮かべる。
「す、すみません。これまでの捜査活動中、あまり女性と一緒に働いた経験が、その、多くないものでして…」
蒼はその言葉に、わざとらしくきょとんとした顔をしてみせた。様子を見ていた他の幹部たちも、お互いに意味ありげに顔を見合わせる。
「あら、それは意外ね。てっきりウチに派遣されてくるなら、そのあたりの事情はリサーチ済みだと思ってたのに」
「も、申し訳ありません…。直前まで担当していた別件の引継ぎが、少々時間がかかっていたもので…。その、正直ちゃんと調べる予定がなかったんです…。そ、そのあたりの事情って…?」
緊張して声を震わせたままの篤志の横から、今度は黒川が声をかける。
「あぁ、ウチ沿岸警備隊で唯一の、女性専用艦なんですよ。航空要員20名含め、乗員248名全員基本的に女だけで回してるんです」
「じょ、女性専用艦!?」
素っ頓狂な声を上げながら、篤志は思わず黒川の方に振り向いた。
「えっ、だって黒川さん…。えっ、えっ…」
「あー、やっぱりそういうことだと思ってましたわ。実は艦艇航海の時も、よく一般の方から間違われるんですよねぇ。まぁ、私警備長でフィジカル勝負な仕事してるんで、体格的にも身体鍛え上げてるし、イケメンって言われるのも悪い気はしないですけど」
黒川は苦笑いすると、上着のボタンに指をかけながら「艦長、ちょっと一瞬だけ失礼していいですか」と目くばせする。彼女の意図を察した蒼が、ニヤリと笑いながら頷くと、黒川はおもむろにジャケットの上着を脱ぎ始めた。それに合わせるかのように、篤志の目は大きく見開かれる。
「やっぱ、冬制服のジャケット越しだと分かりづらいッスよね。実はこういうことなんですよ」
彼女が脱いだのは、もちろん青いジャケット1枚だけだ。だが、その下から現れた白いワイシャツ越しには、明らかに男性には存在しない2つのふくらみが、はっきりと見てとれた。しかも精悍で中性的な顔立ちと、生まれつき浅黒い肌からくる野性的な印象とは裏腹に、かなりデカい。確実に100㎝は超えている。思わず本能的に目がいった篤志が、ハッとして目を逸らす。
「アッハッハッハ!いいねそのリアクション!いいですよ別に、こっちから見せてあげようと思って、証明するために上着脱いだんだから。せっかくだしもうちょいガン見しときます?」
黒川は士官室でやるにはやや悪趣味な冗談を飛ばしつつ、篤志の行動に声をあげて笑うと、不敵な笑みを浮かべながら改めて彼の顔を見据えた。
「さっきは下の名前言わなかったですもんね。改めましてふそう警備長、三等海佐・黒川響と申します。御覧の通り女です。あいにく男でなくて非常に申し訳ないですけど、性格や趣味は男っぽいといわれることもあるんで、気軽に接してやってください。改めてよろしくお願いします」
そこまで言ってから、黒川は他の幹部に「すいません、流れで私だけ先やっちゃいましたけど」と手を上げ、再びジャケットを着始める。あまりにも予想を上回る展開に、篤志は意識が処理落ちしそうになっていた。
ガサツな印象の兄・勇翔だが、幼い頃から不思議と女性にはモテた。恐らく、口は悪いが野性的でガツガツ引っ張っていくタイプであるところが、「オス」としての魅力を感じさせるのだろう。それに対して、内向的な性格の篤志は見た目だけなら同様にモテそうなのに、不思議と異性に対しては引っ込み思案というか、「失礼がないようにしなければ」という意識が強く働くようになっていた。
同性である男性同士なら、何の問題もなくコミュニケーションが取れるのに、そもそもの思考回路や行動特性が異なる女性相手だと、途端に過剰なまでの自己監視能力が勝手に働き、普段通りの自分が出せなくなってしまう。厚労省に入省して以降は、上司からの配慮もあって今まではあまり表面化せずにすんでいた、彼の数少ない弱点である。
そんな自分が、よりによって女性専用艦に配属されただと。言語能力を買われての抜擢と聞いていたとはいえ、まさかこんな環境で仕事をしなければならないなんて。篤志はまるで、いきなり真っ暗闇に突き落とされたかのようだった。早くも半分魂が抜けたかのような彼に、蒼が優しく声をかける。
「大丈夫ですよ。女性専用艦といっても、正規の乗員が全員女性というだけ。男性が乗ってちゃいけないというわけじゃありませんから。ちょうど、海軍からの派遣で私の弟もたまたま乗っているので、また後程紹介しますね」
ウチの乗員はみんな優しいので悪いようにはしません、ご安心を。そんな彼女の声も、篤志の耳に届いていたかは疑わしい。入省8年目の彼の捜査活動は、彼にとって予想外すぎる形で幕を開けた。そして、読者諸兄はご存じだろう。この後、彼が輪をかけてひどい洗礼に晒される運命であることを。
「ウ、ウワァァァァァァァ!?!?!?!?!?」
時刻は1930。沿岸警備艦ふそうの第一士官浴室に、「ドンガラガッシャーン」という備品が盛大に落ちる音と相まって、浦賀篤志の悲鳴が響き渡った。
普段はプライバシー尊重のため、厳に設置が禁止されている一方、この日だけは第6分隊・警備課の管理下で、特別に設置されているカメラ越しに、様子を見ていた士官室では幹部も曹士も関係なく、大爆笑が巻き起こった。そのカメラとは、乗艦初日の男性陣の反応を楽しむためのドッキリカメラ。モニターの映像には、床にすっ転んで狼狽する篤志と、生まれたままの姿で仁王立ちし、筋肉質ながらも人一倍グラマラスなボディラインを露にした黒川の姿が映っていた。
ふそう恒例の全裸ドッキリは、何もMOSAD派遣の海軍士官だけが対象なわけではない。脱衣所でのエンカウントは構造的な問題であり、その男性がどこ所属であるかは関係がないからだ。そしてこのドッキリ、仕掛け人は幹部・おぜん立ては曹士と基本的に乗員全員がグル。したがって、実際のドッキリの様子を見届けるのも幹部と曹士一緒だ。普段は食事の際の給仕くらいでしか、士官室に入室しない曹士も、この時ばかりは階級に関わらず集まることができる。計画がターゲットに発覚しないよう、わざわざ存在しない乗員の名前を使って「〇〇一曹、伝達事項、士官室」という、準備完了を知らせる暗号文まで用意する熱の入れようである。
…、なぜそこまでやるのかって?そりゃ、彼女たちにとっては4分隊・主計科が供給してくれる美味しい食事と並ぶ、貴重な洋上の娯楽だからですよ。まだ右も左も分からない状態で、ブチかまされる男性陣からしたらたまったものではないが。
「な、な、な…。何してるんですか黒川さん!!こんなところで、そんな恰好で!!」
頑張って顔を必死に背けながら叫ぶ篤志を前に、黒川は自慢の肢体を隠しもせずに高笑いした。
「いやぁ、乗艦した時に女が苦手って聞いてたから、こりゃ仕掛けたら相当面白いことになるぞって思ってたけど、予想以上だねぇ!!そりゃ、ジャケット1枚脱いだだけでああなるんだったら、全部脱いだらもっと楽しいに決まってる。ちゃんと期待以上のリアクションくれて何よりだよ」
アンタ30歳なんだって?なら私より3歳年下だし、挨拶も終わったんだからタメ語でいいよね、と黒川は笑みを浮かべる。
「ちょっ、お願いだから早く服着てくださいよ…!!目のやり場に困りますって…!!」
「ダメダメ、あいにくここでは『早く服着ろ』も『目のやり場に困る』も禁句だよ。ちゃんとこっち見な」
必死に顔を背け、両腕で覆っている篤志の姿に、黒川はニヤリと笑う。
「こ、こっち見ろって、だって今あなた服着てないでしょうが…!?」
「そうだよ、素っ裸だよ。その私の裸を、ちゃんと今ここで堂々と拝み倒せって言ってんの。こいつは、明日からアンタにやってもらう慣熟訓練の導入なんだからね」
「か、慣熟訓練…!?なんの話ですか…!?」
「ちゃんとこっち向いたら教えてあげるよ。言っとくけど、日和って首から上見てたって駄目だからね。そうだねぇ、じゃあ今度こそちゃんと胸元ガン見しといてもらおうかな。昼間の士官室で言ったのはあくまで軽口だけど、今回は命令だよ…なんてねw ほら、いいからちゃんとこっちに顔向けな」
「そ、そんな無茶な…!!」
篤志の声は、昼間士官室で顔を合わせた時とは比べ物にならないほど、ガタガタと震えていた。一体全体、いきなり俺の前に全裸で表れて何を言っているんだ、この女は。ここは軍艦だろ?しかも沿岸警備隊は軍隊であり法執行機関だろ?そもそも国の機関が運用する船で、こんなことが許されるのか?なんだこれは、悪夢か!?
だが、必死に首を振って抗議しようとしても、ちらっと眼に入る黒川の表情は真顔のまま、一切変わらない。顔を右手で覆ったまま、思わず左手で頬をつねる。返ってきた鈍い痛みが、篤志に再び軽い絶望を与えた。意を決して、彼はゆっくりと手の覆いを外し、顔を黒川の方に向ける。彼女の胸部にそびえる2つの巨大な山脈が目に入り、思わず目を背けそうになるところを、その意味も分からないまま必死に耐える。彼の「努力」を認めたのか、黒川は満足そうにフッと笑った。
「どうだい?この姿だと、制服越しよりも分かりやすいだろ?私がいい身体した女だってことがさ。別に、男と間違われた当てつけで言うんじゃないけどね」
一糸纏わぬ姿にもかかわらず、彼女は完全にこの場の空気を支配する側だった。
「よろしい、じゃあ最初に言っとくよ。今アンタが私に向けてるその視線は、私に対する失礼やセクハラでも何でもないから。この船の外での一般的な常識とは違ってね。ちゃんと視線釘づけにして、私が脱いでる間は絶対に逸らすんじゃないよ。説明が終わるまでは、いや終わってもアンタが慣れてないなって思ったら、服は着てやんないから。私がそうしろと言ってるんだから、ちゃんと従うように」
そう言うと、黒川はふそう独特の艦内文化について説明を始めた。かつて、艦内構造と女性専用艦であることが原因で、浴室でのエンカウント事案が多発したこと。それが服務事故としてカウントし続けられたため、現場の運用に多大な支障が生じたこと。普通の対処方法では解決しなかったので、逆にそのエンカウントを利用することにしたこと。その手段として、有事の総員配置の際の非直員の確認役を、男性の臨時乗員に任せることにし、異性の裸体を目にする可能性による躊躇をあらかじめ消すため、この訓練を導入することにしたことを。
「この船でやってること、あるいは今のこの状況、常識外れだって顔してるね?そりゃそうだ、よそじゃこんなのあり得ない。だが、昼間も言った通りふそうは正規の乗員が全員女だ。元々国策で普通の編制になってない以上、普通の軍艦と同じ対応したって現場は回らない。だからこういう『現場の創意工夫』が必要なのさ。大丈夫、一応これでもウチの司令部の決裁はちゃんと降りてるから」
「現場の創意工夫で片づけていいんですか、これを…!!」
篤志は必死に視線を固定しながら、震える声を絞り出した。
「そもそも、俺は軍人じゃない。所属してるのは、国交省でも防衛省でもないんだ。あくまで厚労省所属の麻薬取締官で、文民ですよ!?その俺が、な、なんで配置の時の居場所確認まで協力させられるんです…!?」
「もちろん、アンタにはアンタの仕事はちゃんとやってもらうさ。けど、これは私らが省庁横断でやる合同捜査だ。今回の輸送手段が仮にNarco-subなら、有事は前触れなく突然やってくる。その時、私らが如何に早く戦闘準備を整えられるかは、間接的にアンタの仕事だって左右するはずだろ?」
黒川の表情は、一転してシリアスなそれになっていた。
「アンタが来る前の幹部ブリーフィングで、大体の話は聞いた。今回の事件は、今までにない未知のルートでの密輸案件だ。恐らく、そう短期で解決することなんてない。なら、アンタはお客様じゃなく、しばらくこの船で一緒に仕事をする仲間だろ。仲間なら、それなりにこっちにも協力してもらいたいんだよ。もちろん、私らだってアンタには最大限協力するからさ」
「きょ、協力って…」
「アンタの仕事に関係する、ウチの知見や装備が使えるものは全て。それと、もちろん今やってるこれもだ。どっちも全面協力だよ」
そこまで言うと、黒川は一度大きく息を吐く。その顔には再び、不敵で悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「厚労省もなかなか罪なことするよねぇ?女しかいない艦に、よりによって女が苦手な捜査官を派遣してくるなんてさ。まぁ、せっかく『普通の男なら、役得として大喜びする訓練』が存在するふそうに来たんだ。一緒に仕事するついでに、女に対する免疫も鍛え上げて返してあげるよ。私だけじゃなく、この船の幹部全員でね」
「えっ…!?」
「今日は初日のドッキリだから私だけだけど、明日からはアンタと艦長の弟の直前に入ったグループが、入れ代わり立ち代わり慣熟対象になるからね。入室指示があり次第入ってくること。とりあえず私と、艦長の弟に仕掛けた副長は毎晩見ることになるけど、退艦するまでにちゃんと幹部全員の裸を知っときな。万が一の時、誰がここと第二浴室に取り残されててもいいようにね」
「全員…!?」
「あぁ、ここには少なくとも艦長以外は全員来る可能性があるよ。一尉以上の連中は、みんな私に負けず劣らずいい身体してるし、むしろ脱いでる側が率先して悪ノリするくらい慣れてるから、思う存分役得享受しときなよ」
「う、嘘だろ…」
昼間の士官室の光景を思い出しながら、篤志は絶句した。あの時見た顔ぶれの中には、様々な女性たちが揃っていた。いずれも整った顔立ちをした、沿岸警備隊士官らしい雰囲気を併せ持った女性たちが。そんな彼女たちのあられもない姿を、これから毎晩ここで拝むことになるだと。どうやら自分は、とんでもない船に来てしまったらしい。
「それにしても、最初はどうなるかと思ったけど、なかなかいい根性してるじゃないか。ちゃんと私の方に視線固定したままに出来てるんだから。正直、もっと苦労するかと思ってたけどね。とりあえず、私の身体はいつでも拝めるようにしときな。私に慣れとけば、多分他の幹部は大体大丈夫だから。もっとも、万が一アンタが一線超えるようなことがあったら、その時は警備長として仕事することになるけどね。くれぐれもそんなことするんじゃないよ、アンタが思ってる以上に私も面白がってる側なんだからね」
まぁ、今のアンタ見てたらそんな心配はいらないか、と再び高笑いを上げる黒川を目の前に、篤志はまたも処理落ちすることになるのだった。
「配置を変えてほしいですって?」
黒川がようやく着替えを終えて間もなく、篤志は息も絶え絶えに艦長室に乗り込んでいた。司が抗議で乗り込んだ時と同じように、蒼はデスク越しに椅子に腰かけてこちらを見つめている。
「まだ乗艦してたった数時間じゃない。それで配置を変えてほしいって、どういうことかしら?」
「は、配置というか、船を変えてほしいんです…!!」
黒川同様、口調をタメ語に切り替えた蒼に対し、篤志は先ほどまで見ていた光景を必死に振り払おうとしながら、彼女に泣きついた。
「さっき、風呂場で黒川さんに…、その…」
「あぁ、警備長のドッキリ食らってたわねw なかなか見事な反応だったわよ。士官室で初めてお会いした時から、薄々期待してたけど。警備長も仕掛け人に志願した甲斐があったんじゃない?」
「か、艦長も見て…!?」
「えぇ、士官室でね。もしかして、黒川の方を見るのに必死で、ドッキリカメラが仕掛けられてるのに気づく余裕すらなかったかしら?」
悪戯っぽく笑う若き艦長の姿に、篤志は驚愕の表情を浮かべた。まさか、そんなものが仕掛けられていて、それを通じて艦長も自分の狼狽する姿を見ていたとは。もちろん全く気付く余裕などなかった。だって、ずっと黒川の方を見ていろと言われていたんだから。
「な、なら話は早いですよね…!?あれを毎晩やるなんて無理です!!ただでさえ、俺は女性との付き合い方が苦手だってのに、あんな、あんな…!?精神的に持たないですって!!」
篤志は必死にアピールするあまり、自然といつしか涙声になっていた。そんな彼の必死の訴えに、蒼は黙って視線を逸らさずに耳を傾ける。だがやがて、一度ため息をついてから彼女は口を開いた。
「まず最初に言うわ。今までにも何人か男性を乗せてきたけど、こんな訴えをしてくる人は初めて見た。まぁ何だかんだで、みんな男として美味しい思いができると思ったせいでしょうね」
その目線は冗談めかすでもなく、真剣そのものだった。
「浦賀捜査官、あなたのご希望は聞きました。ただ、残念ながら私にその決定権はないわ。私はあくまでも受け入れ先のトップ。このふそうに派遣を決めたのは、あなたが所属する厚生局なのだから。だからどうしてもこの船の環境が無理なら、そちらの上長に相談して乗せ換えてもらってください」
その言葉に、一瞬だけ希望を感じ取った篤志の姿を見ながら、蒼はすかさず「でもね」と続ける。
「そもそもあなた、なぜ自分がこの船に派遣されたか、理解してる?」
「えっ…?」
「この沿岸警備艦ふそうが、佐世保沿岸警備局所属艦で唯一、対潜捜索能力を持つ船だからよ。今回疑われているNarco-subに対して、捜索から逮捕・証拠保全まで単独で完結できるのは、このふそうだけ。だからあなたはここに送り込まれたの。女性が苦手な特性を承知でね」
「っ…!!」
思わず、篤志が息をのむ。
「黒川からも説明したとおり、ふそうのドッキリや慣熟訓練は、特殊な艦内構造に起因するものよ。だから、ここに残るならあなたに対しても訓練の免除はしない。その代わり、それを不服として降りるなら、あなたの捜査に必要な能力の半分は提供できなくなる。あなたの仕事にとって、どっちがより有益かを考えて判断してください」
篤志は、思わず蒼の目を直視した。脱衣所での黒川と違って、服を着ているならまだちゃんとまっすぐ目を合わせることはできる。その彼女の眼には、一点の曇りもなかった。ついに、篤志が一度ため息をつく。
「分かりました。ちなみに、艦長は参加されるんですか、あの訓練…?」
「えぇ、出来る範囲でね。三佐の時にあの訓練を具申したの、他ならぬ私だから。艦長になった今は運用責任者でもあるの。発案した私がやらない道理はないでしょう?うふふ、ご希望なら毎日だって付き合ってあげるわよ」
そこでようやく、女性らしい茶目っ気のある笑みをこぼした蒼の前で、篤志は脱力してがっくりと肩を落としたのだった。
【悲報】女が苦手な捜査官、女性専用艦で早くも2度の洗礼を浴びる。
ふそうのこの訓練、篤志にとっては司に輪をかけて地獄でしょうね。司は「乗艦早々に実の姉におちょくられた!」という話なのに、篤志の場合は「ただでさえ女性が苦手なのに、その苦手な相手から初手でめちゃくちゃ踏み込まれた」ということになるので。思わず蒼に泣きつくのもむべなるかな。
ただ、篤志のこの「女性が苦手」という特性、実は物語の中で今後カギを握る要素になります。そのあたりはおいおい描いていきますので、そのあたりはお楽しみにということで。次からは本格的にふそうも任務に入っていきます。次からはちゃんと真面目な海洋サスペンスモードになりますので、よろしくお願いします。それではまたお会いしましょう。