Neptune Ⅱ~蒼海の追跡者~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
今回から、本格的にふそうが任務に入っていくところを描いていきます。今回は新キャラも登場し、さらに世界観にも広がりが出てきます。また、後半ではあの訓練の意味が初めて明かされることに…!?それではどうぞ。
第二章:黒い航路(前篇)
篤志の合流から数日後。ふそうは佐世保港沖合で、SH-60K対潜哨戒ヘリコプターも発艦させつつ、海上監視・捜索任務にあたっていた。目当てはもちろん、九州北部近海で目撃証言がある不審潜水体。約2週間前は、巡視艇が発見できなかった「海面スレスレを動く不審な灯火」の正体を掴むためだ。
そんな中、航行中のふそう戦闘指揮所―CICに立ち入ろうとする二つの人影があった。
「灰原一尉、入ります」
「綾瀬三尉、入ります」
ともにやや高い声で名乗りを上げた後、測量長・灰原美弥一等海尉とその部下、測量士・綾瀬瑠花三等海尉は、揃ってCICの入り口をくぐった。灰原は28歳で、新人の綾瀬は23歳。共に第6分隊、警備・測量科の測量隊を取り仕切る若き幹部である。
測量隊は、1から順に砲雷科/船務・航海科/機関科/主計・衛生科/航空科/警備・測量科と存在する6つの分隊の中でも、特に幹部と曹士の距離が近いチームだ。共に搭載艇に乗り込み、一緒に現場まで繰り出し、海のありようを知る。その結果は適切に処理されたうえで、海図制作を担当する沿岸警備隊の科学測量部へと送られ、民間の海運系企業や研究所などに送られる。数が限られる測量船を補うため、比較的遠洋でも活動する沿岸警備艦に与えられた任務だ。
さらに、より精度が高く機微な情報も含む生データは、対潜戦闘で用いる貴重な海洋情報として国防海軍とも共有されるほか、ふそう自身を含む沿岸警備艦でも用いられる。一見すると比較的地味な仕事にも思えるが、実は日本国沿岸警備隊にとっては不可欠な、重要な役回りを担っているのが彼女たちなのだ。
海軍同様、電子機器を多数揃えるCICは、空調管理をおざなりにするわけにはいかない。艦内通路と比べても少し肌寒く、暗い空間を2人は進んでいく。その視線の先には、PCのような機械に向かっている1分隊・砲雷科と、2分隊・船務科の隊員たち。そして、こちらを揃って見据えながら待ち構える、真行寺蒼・司の姉弟及び葛城の姿があった。
「お疲れ様ですばい、艦長、副長、少佐。お呼び出しんあったけん参上しました」
3人の前で立ち止まると、灰原は俊敏に敬礼した。博多出身で、普段は明るく天真爛漫な性格で誰に対しても距離が近く、誰からも愛されるタイプである彼女。司と同じく、軍人にもかかわらずなかなか方言が抜けず、ついには優秀な指揮能力を犠牲に出来ないと、「お前はもういいから、伝達不備への対策だけ何とかしろ」と匙を投げられたタイプの九州人である。福岡と長崎の違いはあっても、おそらくこのコンビの間で意思疎通に問題が出ることはないだろう。
「お疲れ様。今日はあなたたちに、大事な話があって来てもらったわ」
蒼はそう答えると、若き部下たちの顔をまっすぐ見据えた。
「さっきあなたたちをウェルドックから呼び出した時、『特別に許可するから来い』と言ったわね?」
「はい、確かにそう言われました」
神奈川県出身の綾瀬が答える。落ち着きがあり、観察力と知的好奇心が旺盛で、好きなものへの探求心が強く静かに情熱を燃やすタイプ。幹部の中では最年少とあって、大きな瞳と若々しく可愛らしい顔立ちで、年上のお姉さんたちからは課業外では可愛がられる立場でもある。
「これからはね、その『特別な許可』はいらなくなるから。あなたたち2人には、これからCICへの恒常的な立ち入り権限を付与します」
「えっ!?」
思わぬ知らせに、灰原と綾瀬は揃って目を丸くした。海軍でもそうだが、CICでは秘匿性の極めて高い情報を扱うため、同じ艦の乗員であっても全員が自由に立ち入れるわけではない。ふそうにおいては、基本的に立入資格は艦長・副長の他、「1分隊及び2分隊の海曹以上」と定められている。それ以外の人員は、基本的に艦長の特別な許可を得て立ち入るというのがルールだ。
幹部とはいえ、6分隊の人間である灰原と綾瀬には、もちろんCICへの立ち入りは原則認められていない。その区分を変えようというのだ。2人が思わず目を見開くのも無理はないだろう。
「これからNarco-subを追いかけるにあたって、あなたたち測量隊が収集した海洋情報と、陸上から我々や浦賀捜査官が得た捜査情報などを突き合わせて、照合する作業が物凄く大事になるわ。その時に、あなたたちが逐一特別に許可を得なければここに来られないんじゃ、仕事の効率が悪くなる」
蒼は言葉を続けた。
「だから、これからは1分隊や2分隊と同じように、必要に応じてここに来なさい。あなたたちからの海洋情報は、他の情報も含めて少佐に統合してもらって、それを最終的に副長の下に集約する形になるから。これから、この2人とは頻繁に仕事をしてもらうことになるから、よろしく頼むわよ」
「はいっ!!」
その言葉に、この仕事における自分たちの役割の重要性を理解した2人は、徐々に真剣な表情に変わっていた。返す刀で、灰原は蒼の脇に立って会話を見守っていた、司の方に顔を向ける。
「ましゃか、艦長ん弟しゃんと一緒に直接仕事がでくるごとなるとは思わんやった。ちかっぱ光栄ばい。よろしゅうお願いします、真行寺少佐」
「おう、こちらこそよろしゅう頼むばい」
司はそう答えると、ふと少し冗談めかすようにニヤリと笑った。
「そういえば測量長。わい、去年警備士が第六十二円竜丸事件で怪我した時に、ケガさせた当事者でもなかじょんわざわざ見舞いぎゃ行ったおいん同期に、ばり八つ当たりかましたげなな?おいにはそがんことせんでくれや?」
「少佐ん同期…?」
「河内少佐よ」
蒼の言葉に、灰原は飛び上がらんばかりに驚いた。河内少佐とは、昨年まで国防海軍で多機能フリゲート・ふぶき(FFM-830)の艦長を務めていた、河内翔少佐のことである。元々は陸海空で統合運用される、情報本部の配属であった情報畑上がりで、後にそのキャリアを拡張するため艦艇乗りに転向。少佐にもかかわらず、異例のフリゲート艦長への大抜擢を経験した男だ。
司とは防衛大学校、および国防海軍士官学校時代の同期であり、しかも生年月日が偶然完全に同一という間柄。もちろん、司とは二卵性双生児である蒼もその点では同様だ。昨年下半期、沿岸警備隊と海軍の関係が悪化した際にも、水面下で連絡を取り合った、蒼にとっては非常に重要な海軍士官でもある。
「いやいや、大丈夫ですばい少佐。もうあれは終わった話ですし、おかげしゃまで海軍ともちゃんと和解したやなかと。少佐ともちゃんと仲良うやるつもりなんで、安心してくれんね」
「さ、流石に耳は慣れてると思ってましたけど、お互い九州弁だと会話についていくの大変かもですね…」
綾瀬が苦笑いする。蒼と司は地元佐世保、灰原は博多、葛城は大阪と、今この場には西日本出身者ばかりが揃っている。唯一の関東人にとっては、確かに九州人同士の会話はしんどい部分があるかもしれない…、本来なら司と灰原が標準語をちゃんと身につけていれば、それで済む話なのだが。
「大丈夫よ、私も何だかんだ違和感なく会話できるようにはなれたから。どうしてもどうにもならなかったら文句言いなさい、副長権限で許す」
本来あるべき軍人らしく、素の姿は関西の姉御にもかかわらず、仕事中は完璧なコードスイッチングで、基本的に標準語でしか会話しないスタイルの葛城が茶々を入れる。あまりにも違和感がなさ過ぎて、仕事中の姿しか知らない相手には、しばしば関西人だとは気づかれないのが密かな悩みだとか。
「えー、そりゃ困るばい。副長公認でクレームつけらるーって。いたらんプレッシャーかかるやろうが」
「そもそも測量長、あなたが標準語ちゃんと身につけなかったのが問題なんでしょうが。そっちこそ部下に余計な圧かけないの」
不満そうに口をすぼめた灰原に向かって、大げさに肩をすくめた葛城のツッコミに、CIC内に笑いが起こった。
「あぁ、ちなみに立ち入り権限を与えるのは、あくまであなたたちだけだから。必要があって他の要員を連れてくる時は、その都度許可を取りなさい。あなたたち2人に関しては司令部にも申請して許可をとっているけど、情報管理上そこのラインはきちんと守ること。いいわね?」
蒼がそう念押しした、まさにその時だった。
「CIC、通信室。佐世保沿岸警備局オペ室より、エマージェンシーコール!!」
蒼のヘッドセットに、突然碧海の声が飛び込んできた。オペレーター室、通称オペ室は、沿岸警備局内で市民からの118番通報を受け付ける部門である。オペ室側では、配下の巡視船艇の活動状況がすぐに分かるようになっており、通報の内容によってはそこから直接、出動命令が飛んでくることもある。
基本的に、優先的に仕事を振られるのは巡視船艇だが、そもそも対応できる船がない場合、能力的に困難な場合など、必要によっては沿岸警備艦にも要請がかかる。ふそうに届いたということは、何かしらの重い事態が発生したということを意味する。
「通信室、CIC。全艦放送に切り替えて」
蒼が命じてから数秒後、スピーカーから碧海とは違う女性の声が聞こえてきた。
「ネプチューン、オペ室。エマージェンシー、エマージェンシー。黒島周辺の沖合にて操業中の漁船より、ヒトヒトハチ番通報。同海域にて不審潜水体を目撃、Narco-subの可能性あり。貴艦の現在地、及び目撃地点までのETAオクレ」
その知らせに、それまでは多少和やかだったCIC内の空気が、ピンと張りつめた。声のする方を見上げた、その場に居合わせた全員の顔から笑みが消える。
「オペ室、ネプチューン艦長。本艦の現在地、33度11分24秒ノース、129度31分48秒イースト。当該潜水体の最終目撃地点オクレ」
「最終目撃地点、33度13分12秒ノース、129度21分00秒イースト。現在、貴艦が最寄りの対応可能艦艇です。なお、目標は現在当該海域にて視認されず」
蒼は「情報をモニターに出して」と室内に呼びかけると、自分の視線も画面に向ける。モニターに双方の現在地が記された。確かに、目撃地点はふそうからは比較的近い距離だ。ルートとしては、黒島の南側を一度回り込み、屏風山の向こう側に出る必要がある。画面上を見る限り、21ノットで行けば30分弱といったところだろうか。
「最終目撃地点、33度13分12秒ノース、129度21分00秒イースト、了解。目標現在視認されず、了解。航海長に確認をとる。しばし待て」
蒼はそう答えると、返す刀で今度は艦橋に呼びかけた。
「艦橋、CIC。航海長、今のエマージェンシーコールは聞いたわね?早急に、速力20ノット以上の想定でETA算出をお願い」
「CIC、艦橋。現在算出中です、お待ちを」
ヘッドセットの向こうからは、航海長・佐野倉紫三佐の声が聞こえてきた。蒼や司よりも1つ年下の29歳にして、三等海佐・航海長の肩書を手にした才媛。普段は小悪魔的な側面もあるトリックスターだが、仕事の際は一気にシリアスになるという二面性が魅力だ。葛城が副長に就任前だった昨年までは、佐官でありながら2分隊の分隊士という立ち位置だったが、副長就任後は佐倉が彼女を引き継ぎ、分隊長の座についている。
「艦長、最短安全航路算出完了。第二戦速なら3~40分でイケます。ETA、1110~1120」
まもなく、佐野倉からETAが返ってきた。現在時刻は1035。思ったより時間はかかる。だが、行くしかない。
「オペ室、ネプチューン。本艦、これより黒島沖の不審潜水体捜索に向かう。現場ETA、1110から1120。状況に変化あれば続報願う」
「了解、ご対応よろしくお願いします、真行寺一佐」
交信を切ると、蒼はすぐさまヘッドセットのマイクに指を伸ばした。彼女らしい、美しくもよく通る声が、艦内各部に響き渡る。彼女は一瞬にして、普段の「フランクで悪戯好きな側面もある優しいお姉さん」から、「沿岸警備艦ふそう艦長」としての顔になっていた。
「艦長より達する。たった今の入電にもあった通り、本艦はこれより黒島北方海域に急行し、目撃情報のあった不明潜水体の捜索活動を実施する。総員、対潜・対水上見張を厳となせ!!」
彼女の脇に、真剣な表情で葛城が立った。命令を下し終えた直後、蒼の目が彼女と合う。ほんの一瞬だけ時間が止まった後、蒼はかつて隣にいた沢渡に対してそうしたのと同じように、葛城に短く命じた。
「TAO、総員二種配置。総員起こし」
「了解」
葛城が、一際大きく声を張った。
「艦橋、CIC。総員、第二種戦闘配置。総員起こーし!!」
「ソッソソッソシッソソッソ、レッソソッシソー、シッシシッシレッシレッシ、ソッシレッレソー♪」
「えっ、機関士がまだ配置につけてない?」
万が一に備えた警戒配備、第二種配置が概ね完成しようかというところで、CICに思わぬ知らせが飛び込んできた。
「はい、彼女のみワッチ上非直の状態でした。3分隊は他全員配置完了済です」
3分隊の分隊士を務める応急長、茜谷千尋三佐が葛城の問いかけに答えた。戦闘艦であるふそうが、万が一被弾などで火災・浸水等の被害に見舞われた時の、応急対応を指揮するのが彼女の仕事だ。年齢は37歳。艦内では3分隊の分隊長である機関長、40歳の茶谷早苗三佐に次ぐベテラン幹部で、彼女ともども曹士として入隊後に、部内選抜を経て幹部に転向した、いわゆるB幹と呼ばれる指揮官の1人である。
その彼女が不在を告げたのが、茶谷の部下でもある機関士の銀山瑞希二尉、26歳。機関科の中では、特に対潜戦時の静粛航行の際、機器の設定操作などでカギを握る存在だった。現状でも他の面々は配置についてはいるので、船を動かすことは可能ではあるが、探しているのが潜水体であるならば、ふそうとしてはなるべく静かに向かいたいところではある。
「最後に機関士を見たのはいつ?」
「20分ほど前、彼女がワッチを離れるのに、機関室で別れたのが最後です」
葛城の問いかけに、茜谷が答える。
「まさかと思うけど、海に落ちたりしてないよね?」
「落ちたなら誰かしらすぐ気づくはずです、それはないかと」
茜谷は真面目な顔で首を振った。次いで、彼女の口から重要な証言が飛び出す。
「そういえば、作業で汚れたのでさっぱりしたい、とこぼしていました。恐らく浴室にいる可能性があります」
「浴室か…」
葛城はしばし逡巡すると、1分隊が陣取るあたりに交じって座っていた司の方に目をやった。彼にもこちらの声は聞こえていたようで、お互いの視線が交錯する。
「了解。応急長、3分隊はそのまま配置継続。機関士についてはCICから捜索を出す。機関長に伝えて」
「了解です、よろしくお願いします」
葛城は交信を切るや否や、蒼の方に振り向き「艦長、ちょっと弟さん借りますよ」と声をかけた。何事かと、司が思わず反射的に立ち上がる。
「少佐、大至急1名居場所確認行ってきて。配置につけてない幹部が、まだ第一か第二の浴室にいる可能性がある」
「お、おいですか!?」
「周り見てみぃ。アンタしか、今動ける臨時乗員おらんやろが。他の人間、配置から剥がすわけにいかんねん。アンタが行って」
自分を指さしながら目を丸くした司に、切羽詰まっているせいか珍しく葛城が任務中にもかかわらず、語気の強い関西弁で言い返す。
「りょ、了解です。誰ね、おいが探しぎゃ行けばよかとは?」
「機関士の銀山二尉」
「銀山…!?」
司が思わず口ごもるが、葛城の声がそれを強引に遮る。
「ちゃんと最短の時間で、第一と第二両方見てきて。見つけ次第、最短で配置につけるETA、聞きだしてくること。どういう流れでやるかは教えたやろ?その通りやってくればいいから。ほら、ダッシュ!!」
そう言うと、葛城は手元にあった持ち出し用の無線機を押し付けるように司に握らせ、彼の背中を軽く押して急ぐよう促した。半ば強引に部屋の外へと向かわされ、司は慌てて駆け出す。だがその内心は、若干の混乱状態にあった。
「いや、ちょっと待って。銀山二尉って、おいまだ脱衣所で一緒になったことなかたい!!」
沿岸警備艦は、外装こそ従来の巡視船と同様のデザインだが、艦内の構造は完全に海軍の駆逐艦と同様だ。各区画を厳重に分ける、人力で開閉する水密扉もあれば、まるで梯子かと見まがうような急なラッタルもある。沿岸警備隊に籍を置いているとはいえ、戦闘任務にも従事する艦としての設計を採用しているのだ。
異軍種の船とはいえ、そんな「勝手に慣れている」はずの艦内を移動する、司の足取りはどこか重かった。無理もない。一歩進むごとに、心の中に罪悪感や気まずい気持ちが湧き上がってくるのだから。
「クッソ、どがんすればよかとね、こがん無理難題!!」
誰もいない艦内通路で、思わず悪態が口をつく。
「なんでよりによって3分隊たい!!ろくに話したことすらなか女が、それも裸でおるかもしれんところに突入せろなんて!!」
乗艦初日に蒼と葛城にドッキリを食らって以降、司もまた翌日からは入浴のタイミングを同じくする篤志と一緒になって、毎晩脱衣所である意味での「試練」を味わっていた。
初日に彼のドッキリを担当した葛城と、篤志を担当した黒川は、変わらず風呂上りそのままの姿で彼を待ち構える。それ以外にも、彼女たちと同じタイミングで入浴していた幹部たちも、黒川が説明した通り一緒になって彼らを迎え入れていた。
一緒にいる間、何か特別なことをするわけではない。ひたすら、一糸まとわぬ姿の幹部たちから目を逸らさないようにしながら、彼女たちと雑談するだけ。とにかく目の前に裸の女性幹部がいる状況に慣れろ、ということなのだろう。ちなみに敢えて脱衣所内で待たせるのは、通路で待たせると人間が塞いでしまい、交通の妨げになるからということらしい。確かに今通っている区画を見ても分かるとおり、ふそうの生活区画の通路は決して広いとは言えない。
もっとも、男性陣は目を逸らすことも、服を着てくれと頼むことすらも禁止とあって、場の主導権はガッチリ彼女たちに握られている。わざとなかなか服を着ようとしないあたり、明らかに彼女たちの方が面白がっているのは、気のせいではないはずだ。
その「自分たちのリアクションを目の前で楽しんでいる女たち」は、乗艦して間もない今は基本的に1分隊か2分隊のいずれかだ。3分隊である機関科は、まだ誰も一緒になったことがない。つまり、今まさに脱衣所に全裸でいるかもしれない銀山を探してこいというのは、司にとっては紛れもなく未知との遭遇であったわけだ。
「緊急配置時における、非直幹部の居場所確認の遅延防止訓練」といかにも仰々しい名前を付けてはいるが、中身は至って悪趣味だと司は思う。艦長である実の姉に理屈でねじ伏せられて、渋々協力するとは言ったものの、そもそも本当にこれが軍艦で行われていいものなのかは、今でも疑わしい。それに、毎晩毎晩自分が風呂に入る直前のタイミングで、集団でひたすら揶揄われるというのは、いくらその間合法的に美人の裸体が拝めるからと言って、必ずしも気分のいいものではないのだ。
だがこの時ほど、その悪趣味な訓練がものをいうタイミングもなかったのも、悲しいかな司にとってはまた事実なのである。
(あぁ、もう!!せめて副長とか砲術長であれや!!あん辺ならまだ、こがん気まずか思いせんで済んだとやろうが!!)
そう思わず内心こぼしたのとほぼ同じタイミングで、司の目の前に第一士官浴室の扉が現れた。足を止めて呼吸を整えながら、扉を見つめる。
(こけー銀山がおるかもしれんっさな?)
その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、柄にもなく司の心臓が高鳴った。指が震え、額にはここまで走ってきてかいたのとは違うタイプの、脂汗がにじむ。
(どがんする、10秒だけ待つか?)
一瞬、そんな思いも胸に去来した。だが次の瞬間、脳裏に自分の姉が、あるいは副長が告げた言葉がよみがえる。
「そこでアンタが1秒躊躇したら、ふそう全員ん始動が1秒遅るる。そん1秒ん遅れが、時として人命にかかわりうる可能性があるとは、アンタも海軍軍人やったら分かるやろ?」
「アンタしか、今動ける臨時乗員おらんやろが。他の人間配置から剥がすわけにいかんねん、アンタが行って」
(いかん、待ったらいかん!!おいがここで待ったら、全員ん始動が遅るるったい!!)
司は自分で自分の頬を軽く平手打ちした。既にNarco-subと思わしき潜水目標が目撃され、その捜索のために艦内各部が配置についている。ここで自分が遅れれば、足を引っ張るだけだ。ある種、日本国防海軍の代表として唯一この艦内にいる人間として、それだけは許されない。
司は覚悟を決めた。拳で扉を強く叩き、声をかける。
「機関士、おるか!?居場所確認ばい!!」
果たして、中からは若々しい女の声が聞こえた。
「少佐ですか!?はい、銀山です!!開けちゃってください!!」
「ほんなこて開けてしもうてよかばい?」
「大丈夫です、ご安心を!!」
その声に従って、司は勢いよく扉を開けた。目の前に、黒いショートヘアが特徴的な20代半ばくらいの若い女子、銀山瑞希その人が立っていた。まだ更衣の途中だが、既に裸ではない。既に下着は上下とも身に着け、作業服の上着を羽織って、ボタンを留めようとしているところだった。その姿に、思わず司は内心少し安堵する。
もちろん普通の軍艦なら、下着が露になっているこの状況で遭遇したとしても、事後に何かしらの処分は検討されうるだろう。そもそも全裸で遭遇したとて事故扱いにならない以上、これが完全なる安全圏カウントになるふそうは、確かに奇抜ではある。
「すいません、ワッチ上がったんで風呂入ってたら、急に総員起こしかかっちゃって…。もうみんな配置ついてますよね?」
「おう、多分今ついとらんのわいだけばい」
司は答えると、「機関士、黒島周辺海域で不審潜水体ん目撃情報。ただし今ん時点では、同海域では視認されとらん。ばってん、静粛航行んためん機関の出力調整がいる。機関室までんETAは?」と尋ねる。
「これだけ着替えたらダッシュで行きます、後5分だけください」
「了解」
司は、急いで手元の無線機のスイッチを入れようとした。無意識に慌てていたせいか、少しだけ機械が手につかない。やっとの思いでしっかり握ると、彼は既定の報告要領通りCICに一報を入れようとした。
「CIC、真行寺。現在時1051、第一士官浴室にて機関士を現認。伝達事項、完了。機関室までのETA、1056」
やり方自体は合っていたはずだ。しかし、返ってきたのは思いもよらない葛城の怒声だった。
「少佐、遅い!!もっと早よ確認とれたやろ、何もたもたしとんねんドアホ!!」
「えっ!?」
あまりにも予想外の返答に、司は思わず目を丸くした。あっけにとられる彼の耳に、葛城の声が届き続ける。そこには、普段のような悪戯好きらしさは微塵もなかった。
「ったくもう、最短の時間で言うたやろが。ETA1056やな?じゃあさっさと帰ってきて、戻りまで道草しとったらシバくで」
「結局取り逃したね、今回の該船」
数時間後、士官室。司は戦闘配置が解かれた後、即座に葛城に呼ばれた。室内には、重苦しい空気が漂っていた。沿岸警備局から入電のあった不審潜水体は、ふそうが現場に到着した頃には見当たらず。再びロクマルやソナーも駆使して数時間かけて捜索したものの、結局それらしきものは見つからず、既に当海域にはいないと結論付けられた。ふそうとしては、珍しく成果を上げられなかったケースである。
しかも今、司の目の前にいるのは、いつも悪戯っぽい笑みを浮かべておちょくってくるお姉さんではない。それとは同一人物のはずなのに、見たことがないほど声を荒げて怒声を発してきた、司の知らない人間だった。いや、少なくともふそう副長兼船務長には違いないのだろう。彼の知るいつもの葛城朱音ではないというだけで。
「少佐、今回の機関士への居場所確認、予定からどれだけ遅れたか理解してる?」
葛城が口を開いた。その声は、いつものゲラゲラ笑っている時とも、先ほど司を怒鳴りつけてきた時とも違う。冷静だが圧がある、副長としての業務モードの時の声だ。
「すみません、把握しとらんかったです」
「あなた、2分近く遅れてる。CICから士官浴室まで行って連絡よこしてくるまで、女のウチらがダッシュしても、せいぜい5~6分。あなたは今回7~8分かかってる。そこまで鈍足にも見えないのにね?もしかして、内心気まずかったからってわざとちょっと時間かけて行った?」
(ギクッ…)
もちろん、実際には意図的に移動をゆっくりしようとしたわけではない。それでも、反射的に司が表情を歪めたのを、葛城は見逃さなかった。
「すいません…」
「謝罪は一旦いいから。何でそんなに気まずかったか教えて?」
彼女の整った顔がこちらを向き、その眼はまっすぐに自分の目を射抜いてくる。「これは中途半端にごまかしとったらいけん」と司は直感した。
「か、銀山はまだ慣熟前やったけん…」
「ふーん」
その声は、いつもと違って冬の海のように冷たかった。
「じゃあそれならよ。仮に今回遅れてたのが、銀山二尉じゃなくて私だったら、どうなってた?」
「遅れとったんが副長やったら…?」
その言葉に、数時間前に心に浮かんだ言葉を思い出す。
「多分、すぐ行けたんやなかか思います」
「なんで?」
「だって副長は、初日からいつも担当としておいんごと揶揄って…」
そこまで口にした瞬間、司は何かに気づいて思わず「あっ…!?」と叫んだ。先日艦長室に乗り込んだ時に、姉がわざわざ時間を割いてしてくれた説明の意味を、ようやくここで体で理解したのである。それを見た葛城が、口調だけは一瞬関西弁に変え、しかし変わらずニコリともせずに呟く。
「…、今ようやっと理解したな?なんでウチらが、敢えてあんな訓練を毎晩やっとるんかって理由」
「は、はい…!!」
「アンタは艦長とウチに、初日から思いっきり揶揄われたさかい、きっとその反発もあって納得出来てへんかったやろ?けどな、ちゃんとこれやってへんかったら、もしもん時こうなんねん」
軍艦であないなこと毎晩やっとるなんて、アホやと思うやろ?けど、何でわざわざ、司令部決裁とってまでこんなことやっとるかって分かる?こういう時に、正規の乗員ではないアンタが、ちゃんと自分なりの仕事こなせるようにするためや。単にウチらがアンタや浦賀のことイジって遊んだりするためだけに、やっとることとちゃうんやで。
「申し訳ございませんでした」
頭を下げた司に、葛城はなおも追撃する。
「それとな、アンタが風呂場突っ込むかどうかは、アンタが訓練済かどうかとは全く関係あらへん。敵さんはそんな事情勘案してくれへんからな。次こういうことがあったら、誰を探しとるんであろうと、相手は裸でおるもんやと思った上で必ずノータイムで突っ込め。結果、相手が服着とったならそれでよしや。開ける前に躊躇するんが一番アカンねん」
「はい、肝に銘じます」
頭を下げたまま、司は声を震わせた。そんな彼の姿を見て、再び葛城は口調を標準語に戻す。この場において、彼女はとうとう最後まで「沿岸警備艦ふそう副長兼船務長」を貫いたのだった。
「はい、じゃあ顔上げて。今夜の少佐の入浴のシフト弄るよ。警備長と私以外は、今晩は少佐がまだ慣熟やってない組を優先で固めるから。もちろん機関士も込みね。あぁ、こんなことがあったからって銀山相手に気まずがったりしないでよ?じゃあ、主計長呼んできて。新しいシフト考えるから」
【悲報】真行寺司、女湯の脱衣所への突入が遅れたことを理由に、上官から怒られる。
この文字列だけ見ると一見意味不明ですが、第2話で蒼が司に説明していたように、有事の際のこうした確認の遅れをなくしたい、というのがあの訓練の目的の一つです。
・元々、脱衣所でのエンカウント事案に悩まされていた
・解決を試みたが、色々対策を打っても解決しない
・異性の裸体を目撃すること自体は、現在の艦内構造ではゼロに出来ないと判断せざるを得なくなったが、かといってただ黙認するだけでは軍紀上問題がある
・一方、総員配置の時に非直員の復帰が遅れた際、正規の乗員を確認に行かせると、戦闘配置の充足率が下がるという課題がある
・なら、MOSAD派遣中は派遣されてきた士官に確認作業を任せたい
・だが、派遣士官は男性なので、そのままだと異性相手に躊躇してしまい効率が悪い
・なので、ふそうではゼロに出来ない裸体の目撃を、居場所確認のための訓練に転用する
こういうロジックなんですね。今回の司の場合、訓練そのものは受けていたが、銀山相手にはまだだったので躊躇して遅れてしまった、というわけです。
次回は、そんな訓練に振り回される男性陣が活躍する回となります。お楽しみに。それではまたお会いしましょう。