Neptune Ⅱ~蒼海の追跡者~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
今回は既報の通り、司と篤志の男性陣が活躍する回となります。ふそうの独特の艦内文化に、振り回されっぱなしの2人ですが、もちろんただのコメディ要員なんてことはなく…?それではどうぞ。
長崎県佐世保市、黒島沖。あの日、海上を航行する不審な物体を目撃したという通報を受け、日本国沿岸警備隊の沿岸警備艦「ふそう」は直ちに現場へ急行した。
しかし、結果は空振りに終わった。現場海域に到着した時点で、目標の姿は既になく、航空隊による上空からの捜索も、艦の水中探知装置を用いた捜索も、決定的な成果を得るには至らなかったのである。
もっとも、だからといって、事件の調査そのものが振り出しに戻ったわけではない。目撃者の証言、通報時刻、周辺を航行していた船舶の記録、当日の海象条件。それらの情報を丹念に積み重ねれば、少なくとも不審潜水体がどこから現れ、どこへ向かった可能性があるのかについて、ある程度の推定を行うことはできる。そして、その作業は今も続いていた。
ふそう艦内、CIC。正面の大型ディスプレイには、九州西方海域を中心とした電子海図が表示されていた。黒島付近に示された赤い印が、不審潜水体の最終目撃地点。その周囲には、異なる色で描かれた複数の線が延びている。
「…、以上が、現時点で推定可能な航行経路です」
葛城が、画面を指し示しながら説明を終えた。
「目撃者の証言をそのまま採用した場合、目標は黒島西方から西南西方向へ離脱した可能性が高いと考えられます。ただし、目撃後に針路を変更した可能性は排除できません。また、対象の船体規模や航行速力についても、現時点では確度の高い推定が困難です」
「つまり、今の段階では、航路を一本に絞るのは難しいということね」
艦長席から蒼が問いかける。
「はい。通報内容に誤認が含まれていた可能性も考慮する必要があります」
「測量長。海象条件から絞り込める余地は?」
「現時点では限定的ですねぇ」
少し離れた席で資料を確認していた灰原が、顔を上げた。
「当日ん潮流や波浪んデータは整理できとります。ばってん、目標ん推進方式も速力も分からん以上、潮流ん影響ばどん程度受けたかまでは決めきれんとです。仮に自力航行能力が十分にあったなら、海流だけから航路ば絞るとは難しかですね」
「そう。ありがとう」
蒼は頷いた。
「では、航跡の推定は引き続き継続。ただし、推定に推定を重ねて、いつの間にか確定情報として扱うことがないよう注意して」
「了解しました」
葛城が答える。
蒼は一度海図を見渡すと、今度はCICの後方に視線を向けた。
「司、浦賀捜査官。そちらの調査はどう?」
「はい。現在、厚生局から提供された資料と、こちらで確認できる航行情報を突き合わせているところです」
答えたのは篤志だった。その隣では司が二台の端末を並べて、資料を確認している。
「ただ、今のところ、決定的なものは見つかっていません」
「分かった。何か進展があれば、すぐに報告してちょうだい」
「承知しました」
蒼は2人に頷き返すと、再び葛城との検討に戻った。司と篤志は互いに顔を見合わせ、手元の資料へと視線を戻した。
「…、さて」
司が小さく息を吐いた。
「どこから手ぇ付けましょうかね」
「まずは、情報を一度整理し直しましょう。今ある資料、種類が違いすぎますから」
「確かに。おいが見とるとは船ん動きで、浦賀さんが見とるとは薬物ん流れですもんね」
「ええ。だからこそ、うまく重なるところが見つかればいいんですが…、」
篤志は端末を操作し、国内の薬物密売事件に関する資料を開いた。
「今回、厚生局から提供された情報は、大きく分けて三種類です。国内で摘発された密売グループの捜査記録、押収された通信記録、それから海外の捜査機関から共有された参考情報」
「そん中で、黒島沖ん潜水体と直接つながるもんは?」
「残念ながら、ありません」
「やっぱり、そこですか…、」
「ただし、気になる点はあります」
篤志は資料の一部を拡大した。
「最近摘発された複数の密売事件で、薬物の供給経路に不明な部分が残っているんです」
「不明?」
「ええ。国内での流通先については、ある程度把握できています。しかし、海外から日本国内へ、具体的にどういう経路で運び込まれたのかが分からない」
「空港や港湾からん持ち込みじゃなかとですか?」
「少なくとも、把握できている記録だけでは説明できません。もちろん、既存の経路で持ち込まれて、単に発見できていない可能性もあります。ただ、供給量や時期を考えると、別の搬入経路が存在する可能性も検討する必要があります」
司は腕を組んだ。
「なるほど。じゃあ、そん別ん経路が海上輸送かもしれんと」
「そういうことです。ただ、現時点では仮説にすぎません」
「…、なら、こっちからも一つ」
司は自分の端末に表示していた海図を篤志の方へ向けた。
「黒島沖で目撃された潜水体ですが、仮にこいつがNarco-subやったとして、問題になるとは航続距離です」
「航続距離?」
「はい。潜水体と言うてん、普通ん潜水艦とは違います。船体ん大きさも搭載でくる燃料も限らるるし、潜航能力があるけんといって、長距離ば自由に移動でくるとは限らん」
司は九州西方の海域を指し示した。
「もし中南米あたりから薬物ば運んできたとするなら、途中で補給ば受けるか、別の船で近くまで運んできたか。少なくとも、そん可能性は考える必要があります」
「母船ですね」
「そうです。あるいは、どこかん沿岸拠点から発進したか」
「…、なるほど」
篤志は海図を見つめた。
「つまり、Narco-subそのものの動きだけを追っても、輸送経路の全体像は分からないということですね」
「はい。むしろ、そいつを支援しとる側ん動きが分かれば、話が早かかもしれません」
「それなら、船舶の航行情報を確認する価値がありますね」
「ばってん、そこにも問題があっとです」
「というと?」
「相手が犯罪組織なら、支援船が正直に航行情報ば出しとるとは限らんです。AISを切っとる可能性もあるし、別ん船を装っとる可能性もある」
「つまり、航行記録に載っていないからといって、そこに船がいなかったとは言えない」
「そがんこつですばい」
篤志は少し考え込んだ。
「…、それなら、逆に考えてみませんか」
「逆?」
「こちらの資料には、国内の密売グループが海外側と連絡を取っていた形跡があります。その連絡相手が、海上輸送に関係する人物だったとしたら?」
司の目が、わずかに細くなった。
「…、なるほど」
「人物や連絡先から、船舶の情報へたどれる可能性はありませんか?」
「あります。少なくとも、調べる価値は十分に」
司は頷いた。だが、すぐにしばし何かを思案し始める。
「ばってん、もしかしたら調べるんに時間かかるかもしれんね。ここやと、浦賀さんとおいん話し声で、周りん気が散るかもしれん」
すぐに、彼の目は艦長席の方に向く。
「姉貴、しばらく士官室ば借りてんよかと?資料ば調べるんに、時間かかるかもしれんけん」
「勤務中よ司、言葉に気を付けなさい」
すぐさま、蒼から指摘が飛んできた。今は自分が部下の立場であることを思い出して、慌てて司が咳払いをする。
「…、失礼しました。艦長、しばらく士官室ば借りてんよかですか?資料ば突き合わせて調べるんに時間かかるかもしれんけん」
「許可するわ。ただし、呼び出した際にはすぐに戻ってくるように」
「了解、ありがとうございます」
司は頭を下げると、その若干コメディチックなやりとりに一瞬苦笑いを浮かべた、篤志の方に真剣な顔で向き直った。
「浦賀さん。そん通信記録、士官室でもう少し詳しく見せてもろうてんよかですか?」
「もちろんです」
2人は立ち上がり、端末を手にCICを後にした。それまで別々の方向から進められていた調査が、初めて一つの作業として動き始めた。
「…、これが、押収された通信記録の抜粋です」
男2人きりの士官室。篤志が示した画面には、複数の日付と識別名が並んでいた。通信内容の大部分は短い文章で構成されている。数量、日時、確認を求める言葉。しかし、何の数量なのか、何を確認しているのかについては、意図的に曖昧な表現が使われていた。
「随分、短か文章ばっかりですね」
「ええ。暗号化された通信の一部が復元されたものや、押収端末に残っていた記録を整理したものです。前後の文脈が分からないものも多いんですよ」
「こいだけで取引ん内容ば特定するとは難しかですね」
「そうなんです。ただ、同じ識別名が複数回出てきます」
篤志は一つの項目を指し示した。
「これです。海外側の連絡相手とみられています」
「アルバトロス04?名前じゃなかとですね」
「おそらく識別名でしょう。本名かどうかも分かりません」
「連絡先は?」
「一部が残っています。ただし、通信アプリ上の識別情報なので、これだけで人物を特定できるわけではありません」
「…、ちょっと待ってください」
司は自分の端末に視線を移した。
「こい、どこかで見たような…、」
「何か心当たりが?」
「いや、まだ分からんです。少し時間ばください」
司は別の資料を開いた。そこには、海上輸送に関する各種情報が整理されていた。船舶の登録情報、過去の航行記録、海上犯罪に関する関係機関の共有資料。
もっとも、司が閲覧できる範囲には当然制限がある。海軍士官だからといって、外国の犯罪組織に関するあらゆる情報を自由に確認できるわけではない。それでも、海上輸送に関する資料の読み方については、篤志よりも経験があった。
「…、あった」
数分後、司が呟いた。
「浦賀さん、こいば見てください」
「何ですか?」
「以前、海上輸送に関係する不審な活動について、関係機関から共有された資料です。おいも今回ん件で見直しとったんですが…」
司は画面の一部を拡大した。
「ここに、似た識別名があります」
篤志が身を乗り出した。
「…、本当だ」
「ただし、こっちは船舶ん乗組員名簿に載っとる名前じゃなかばい。海外で問題になった海上輸送関係者について、参考情報として記載されとる識別名ばい」
「それなら、同じ人物の可能性があるということですか?」
「可能性はあります。ただ、同じ名前ば使っとるだけかもしれません」
「連絡先の情報は?」
「…、少し待ってください」
司は資料をスクロールした。数秒後、その指が止まった。
「…、ありますね」
「見せてください」
篤志は自分の端末を操作し、押収通信記録の該当箇所を表示した。二つの画面に、異なる資料から抽出された識別情報が並ぶ。そして、その一部が一致していた。
「…、これは」
篤志の表情が変わった。
「少なくとも、同じ連絡先が使われていた可能性がありますね」
「ええ。ただし、連絡先が一致したからといって、同一人物とは限らんです。複数人で使っとる可能性もあります」
「それでも、重要な手掛かりです」
篤志は素早く資料を確認した。
「この海外側の記録、もう少し詳しい情報はありませんか?」
「おいが閲覧できるとは、ここまでです。元ん情報ば持っとる機関に照会せんと、詳しかことは分からんでしょうね」
「分かりました。厚生局に確認します」
篤志は端末を手に取り、連絡文面を作成し始めた。
「国内の押収記録にある識別情報と、海上輸送関係の共有資料に記載された情報が一致した可能性がある。元資料の保有機関に照会して、同一性と関係者の身元を確認したい…」
「それと、できれば関連する船舶ん情報もお願いしたかです」
「船舶ですか?」
「はい。今ん資料には海上輸送関係者としか書かれとらんです。どん船に乗っとったか、どん海域で活動しとったか。その辺が分かれば、黒島沖ん件と比較できるかもしれません」
「分かりました。追加します」
篤志は頷いた。そして、連絡を送信する。ひとまず、2人にできることはそこまでだった。だが、手掛かりは一つ見つかった。
これまで別々の事件として扱われていた国内の薬物密売事件と、海外の不審な海上輸送活動。その間に、細いながらも一本の線が引かれたのである。
追加照会の回答を待つ間も、2人は調査を続けていた。篤志は国内の捜査記録を再確認し、司は黒島沖周辺の航行情報と海外の海上輸送関連資料を見比べる。もっとも、作業は決して順調とは言えなかった。
「…、ダメですね」
篤志がため息をついた。
「この記録だけでは、薬物がいつ国内に搬入されたのか、正確には分かりません」
「国内で押収された日付とは、当然ずれますもんね」
「ええ。密売グループの手に渡るまでに、別の人物や組織が関与していた可能性もあります」
「そいなら、海上ん航行情報と日付ば直接合わせても、あまり意味はなかかもしれませんね」
「そうですね。ただ…」
篤志は画面を切り替えた。
「こちらの通信記録には、取引の準備が進められていたと考えられる時期が残っています」
「そいは、ある程度絞れますか?」
「数日単位なら。ただ、実際の受け渡し日と一致する保証はありません」
「それで十分ばい。少なくとも、調べる範囲は狭めらるる」
司は海図を開いた。
「…、ただ、先に一つ確認しときたかことがあります」
「何でしょう?」
「おいら、黒島沖ん潜水体と、こん密売事件が関係しとる前提で話ば進めすぎとらんですかね」
篤志が顔を上げた。
「…、確かに」
「同じ時期に起きたからといって、同じ組織が関わっとるとは限らんです。そこば間違えたら、最初から結論ありきん調査になってしまいます」
「仰るとおりです」
篤志は椅子の背もたれに体を預けた。
「俺も、少し焦っていたかもしれません。黒島沖の件で何か見つけなければ、と思って」
「気持ちは分かります。おいも、あん時は結局目標ば見つけられんかったですけん」
「…、そうでしたね」
「ばってん、見つからんかったもんは仕方なかです。今度は、見落としばせんごと調べるしかなか」
篤志は、少しだけ笑った。
「海軍の方は、こういう時も冷静なんですね」
「いやいや。おいも内心は結構焦っとりますよ」
「そうなんですか?」
「そりゃそうでしょう。せっかくふそうに派遣されてきたとに、いきなり不審潜水体ば取り逃がしたんですから」
司は苦笑した。
「ただ、焦って間違った結論ば出したら、もっと面倒なことになりますけんね」
「…、確かに」
篤志は頷いた。その視線が、自然と司の顔を捉える。まだ年齢的には若く見え、自分とも同世代に見えるが、自分から自分たちの捜査の在り方に疑いを持てるあたり、かなり冷静な性格にも思える。同じ国防軍でも、空軍の兄とは大違いだ。
…、最も読者諸兄はよくよくご存じなはずだが、司は戦術に関しては冷静な一方、行動力についてはしばしば暴走しがちなところがあるので、この点についてはまだ篤志自身が正式な人物像を見定められていないのはあるだろう。
「ところで少佐、失礼ですが今おいくつですか?」
「おいですか?5月で31になります。艦長とは双子ん弟やけん、同じ日が誕生日やね」
「えっ!?」
思わず篤志が目を見開く。
「ってことは、今は30歳…。俺と同い年じゃないですか」
「マジで!?」
今度は司が驚きの声を上げる番だった。一瞬目を見開くと、今度は大口を開けて笑い出す。豪快な笑い声が、士官室に響き渡った。
「いやー、そがんやったんや。見た感じ世代が近そうばいとは思いよったばってん、まさか同い年とはね。道理でそう思うたわけだ」
司はそう口にすると、ふと肩をすくめながら苦笑いした。
「アンタもこけー来た初日、食ろうたやろ?あん悪趣味なドッキリ」
「えぇ、やられました。警備長に」
篤志も、まだあの夜のことを思い出して若干気まずそうに答える。そんな彼を見て、司はふと笑って言った。
「つまりおいたちは、ただ2人こん船に乗っとー男ん乗員で、どちらもこん船ん女たちに振り回されとー、本来なら部外者ん30歳ん男同士ってことや。…、そがんことならいらんよな、敬語とか?」
篤志は驚いて司の顔を見た。
「いいんですか…?」
「軍人も文民も関係なか、ここじゃおいたちが共同戦線や。仕事でもプライベートでもな。やけん遠慮せんでくれ。どうせしばらくは一緒に仕事するったい、派遣者同士仲良うやろうや」
司は白い歯を見せ、右手を差し出してきた。一瞬逡巡した後、篤志も頷いてその手を握り返す。女性専用艦であるこの船で、まだ居心地の悪さがぬぐい切れていない男同士が、がっちりと握手を交わした瞬間だった。
「じゃあ、確認できていることだけを整理しよう」
「おう」
2人は握手を解くと資料を開き直した。まず、国内の密売グループと海外の連絡先との間に、継続的な通信があったこと。次に、その連絡先の識別情報と、海外の海上輸送関係資料に記載された情報の一部が一致していること。
そして、黒島沖で不審潜水体が目撃されたこと。現時点で確実に言えるのは、そこまでだった。
「…、こうして並べると、まだ足りないものが多いね」
篤志が呟いた。
「特に、海外ん連絡相手が何者なんか。そこが分からんば、先に進めんばい」
「照会の回答待ちかな?」
「そがんやね」
司は一度、端末から目を離す。その時だった。篤志の端末に、新しい通知が表示される。
「…、あ」
「どうした?」
「厚生局からだ」
篤志は急いで通知を開いた。
「追加照会の回答が届いた」
司が椅子を寄せる。
「何て書いてあるとね?」
「ちょっと待って、確認する」
篤志は文章を読み進めた。そして、ある箇所で手を止めた。
「…、これは」
「何か分かったと?」
「あぁ。海外当局の資料と、国内の押収通信記録に残された識別情報について、関連性が認められるという回答だ」
「同一人物と確認できたとね?」
「いや、そこまでは断定されてない。ただ、複数の資料で同じ連絡先が確認されていて、同一の活動グループに関係している可能性が高いらしい」
「活動グループ…」
司が呟いた。
「そんグループについて、何か情報は?」
「あるよ」
篤志は資料をスクロールした。
「海外当局が把握している、海上輸送を利用した薬物密輸ネットワーク。その関係者として、問題のアルバトロス04という識別情報が記載されてる」
「…、組織名は?」
篤志は一瞬、言葉を止めた。そこには、これまで2人が追ってきた断片的な情報を、一つの方向へ結びつける名前が記されていた。
「…、コンソルシオ・デル・パシフィコ」
司が眉をひそめた。
「コンソルシオ・デル・パシフィコ…?スペイン語…やね?」
「あぁ。海外当局が把握している大規模な薬物犯罪組織だ」
「…、なるほど」
司は、画面に表示された名前を見つめた。
「ようやく、名前ば出てきたね」
「あぁ」
篤志は静かに頷いた。
「ただし、ここで確認できたのは、国内の密売グループとコンソルシオの関係を疑わせる情報があるってことだ。黒島沖の潜水体まで、この組織と結びついたわけじゃない」
「分かっとる」
司は海図に視線を移した。
「ばってん、調べるべき相手が見えてきたとは、大きかよ」
「そうだな」
篤志は頷いた。
「これまでは、誰が薬物を運び込んでいるのかも分からなかった。それが、少なくとも海外側の供給網について、具体的な名前が出てきた」
「後は、そいつらがどうやって日本まで運んどるか、やね」
「あぁ。そして、その方法の一つがNarco-subなのかどうか」
2人はしばらく、画面を見つめていた。やがて司が口を開いた。
「…、浦賀さん」
「ん?」
「艦長と副長に報告しよう」
「そうだね」
篤志は端末を閉じた。
「ここから先は、ふそうだけで判断できる話じゃない。厚生局にも、改めて報告する必要がある」
「そがんやね。おいん方でも、海軍側に確認が必要な情報が出てくるかもしれん」
2人は席を立った。
「…、コンソルシオ・デル・パシフィコ?」
再び場面はCIC。報告を受けた蒼が、その名前を繰り返した。
「はい」
篤志は端末に表示した資料を示した。
「国内の密売グループから押収された通信記録と、海外当局が把握している海上輸送関係者の情報を照合した結果、この組織との接点を疑わせる情報が見つかりました」
葛城が画面を覗き込む。
「国内側の記録にあった連絡先が、海外側の資料にも載っとったということやな」
「はい。ただし、同じ人物が使用していたと断定できる段階ではありません。現時点では、同じ活動グループに関係する識別情報である可能性が高い、という評価です」
「なるほど」
葛城は頷いた。
「それで、黒島沖の潜水体との関係は?」
「そちらについては、まだ分かりません」
今度は司が答えた。
「おいん方で、潜水体の航行情報と、海外ん海上輸送関連資料ば確認しました。ばってん、今回見つかった関係者が、黒島沖の潜水体に直接関わっとった証拠はまだなかですばい」
「つまり、現段階では二つの情報が並んでいるだけということね」
蒼が言った。
「はい」
篤志が頷く。
「ただ、国内の薬物供給経路に不明な部分が残っていること、海外の海上輸送ネットワークとの接点が疑われること、そして黒島沖で不審潜水体が目撃されたこと。この三つを合わせると、関連性を調べる価値は十分にあると考えています」
蒼はしばらく資料を見つめた。
「…、分かったわ」
そして、司と篤志の2人に視線を向けた。
「まず、よくここまで調べてくれたわね」
「ありがとうございます」
「ただし、ここから先は慎重に進めましょう」
蒼は資料の一部を指し示した。
「コンソルシオの関係者と国内の密売グループが接触していた可能性がある。それは重要な情報よ。でも、黒島沖の潜水体がコンソルシオのものだったと決めつけるわけにはいかない」
「はい。その点は承知しています」
篤志が答える。
「副長」
「はい」
「今回判明した情報を踏まえて、黒島沖の航跡分析を継続して。特に、海上輸送に関係する船舶との接触が可能だったかどうかを検討してちょうだい」
「了解しました」
「ただし、最初から母船が存在したという前提にはしないこと。陸上拠点から発進した可能性も含めて、複数の仮説を維持して」
「承知しました」
顔を上げた葛城が、真剣な表情で頷く。
「浦賀さん」
「はい」
「コンソルシオについて、厚生局を通じて追加情報を集められるかしら。特に、海上輸送部門の活動実態と、日本国内との接点について」
「分かりました。こちらから照会します」
「司は引き続き浦賀さんを支援して。海軍側の情報と照合する必要が出てきたら、所定の手続きを踏んで確認すること」
「了解です」
蒼は頷いた。その表情に、安堵の色はない。むしろ、これまで以上に慎重なものになっていた。
「…、それにしても」
葛城が小さく呟いた。
「仮にこの組織が関わっとるとしたら、相当厄介な相手になりそうやな」
「ええ」
蒼は静かに答えた。
「まだ何も確定していない。でも、少なくとも、単独の密輸業者だけを想定していればいい状況ではなくなってきたわね」
司が口を開いた。
「姉…、艦長」
先ほどと同様、危うく普段の呼び方が出かけたところで、司は慌てて言い直した。
「一つ、よかですか?」
「何かしら?」
「もし本当に組織的な海上密輸が行われとるなら、Narco-sub1隻ば見つけたところで、問題は終わらんと思います」
「そうね」
「仮に母船があったとしてん、そん船ば押さえるだけで終わるとは限らんです。運び込まれた薬物ん流通先も、別ん輸送経路も残っとる可能性があります」
篤志が頷いた。
「そのとおりです。密輸の実行犯だけでなく、供給元や国内の受け入れ先まで明らかにしなければ、組織全体の摘発にはつながりません」
「ええ」
蒼は2人を見た。
「だからこそ、あなたたちの連携が重要になるのよ」
司と篤志が顔を上げる。
「ふそうができるのは、海上での捜索、警戒、必要な法執行措置。そして、関係機関への情報提供。薬物犯罪の捜査全体を、私たちだけで完結させることはできない」
「はい」
「でも、海上で得られる情報が、捜査を大きく前進させることはある。逆に、捜査機関が持っている情報が、私たちの捜索に役立つこともある」
蒼は一度言葉を切った。
「今回、2人が見つけた手掛かりは、そのいい例だと思うわ」
「…、ありがとうございます」
篤志が頭を下げた。司も頷く。
「引き続き、調べてみます」
「お願いね」
蒼はそう答えると、再び正面の海図へと目を向けた。九州西方に広がる海。
黒島沖で目撃された不審潜水体は、今もその行方が分からない。それが本当に薬物密輸に使われたNarco-subだったのか。もしそうなら、どこから現れ、どこへ消えたのか。そして、その背後にどのような組織が存在しているのか。分からないことは、まだあまりにも多かった。
しかし、一つだけ確かなことがある。それまで正体すら見えなかった相手について、ようやく具体的な名前が浮かび上がったのだ。
コンソルシオ・デル・パシフィコ。太平洋を意味する言葉を、その名に冠した犯罪組織。
その存在が、遥か離れた日本の海で起きた事件と、どのようにつながっているのか。その答えを知る者は、まだ『ふそう』の中にはいなかった。そして、彼女たちがその名前にたどり着いた頃。太平洋の向こう側でもまた、日本近海で起きた一件を巡り、ある動きが始まろうとしていた。
司は国防海軍、篤志は九州厚生局と、沿岸警備艦ふそうにおいてはどちらも外部からの派遣者。女性専用艦であるふそうにあって、本来は存在しない男性乗員という意味でも、やや居づらい環境には違いありません。
そんな同じ境遇にある、共通点も数多く持っている2人が、単なる協力者から相棒となり、そして事件解決の糸口となる情報にたどり着く。ある意味、この船だからこそ成り立つ友情かもしれませんね。
さて、今回初めて捜査線上に名前が挙がった「コンソルシオ・デル・パシフィコ」ですが、次回はいよいよその内実が明らかになります。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。