Neptune Ⅱ~蒼海の追跡者~   作:R提督(旧SYSTEM-R)

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こんにちは、R提督です。

今回は、第二章の締めくくりとなります。前半は慣熟訓練の場面となるため、裸体描写が入ります。苦手な方はいつも通りお気を付けください。また後半は、いよいよ篤志が麻薬取締官の本分をスタートさせて…?それではどうぞ。


第二章:黒い航路(後篇)

 ふそう艦内、第一士官浴室。合流初日に、自分たちが盛大にドッキリにはめられたその場所に、司と篤志は顔を揃えていた。ここに来た目的は、もちろん課業後の入浴のためだが、今はまだ自分たちが脱衣することは許されていない。何故なら、もう一つのふそう名物である慣熟訓練の真っ最中だからだ。

 数分前、葛城と黒川の許可を得て入室した二人を待っていたのは、二人のほか、機関科の茶谷・茜谷、主計科の白金、医務長の橙木だった。全員、入浴を終えたばかりである。訓練の目的は、緊急時に非直幹部を捜索する際、相手の更衣状況に関係なく職務を遂行できるようにすること。もっとも、女性幹部たちが二人の反応を面白がっているのも事実だった。

 「少佐、それにしてもだいぶウチには慣れたな?もう全然視線逸らさんくなったやん」

 「そりゃ、副長は初日からずっと、担当としておいん前におるやなかですか。毎晩やっとったら嫌でも慣るるって」

 司がぼやくと、葛城は「狙い通りやな」と笑った。普段から顔を合わせる相手を、緊急時に探す際の躊躇をなくす。それが彼女の考えだった。

 「そん理屈は分かるばってん、ばってんまだおいにとっては、ばり気まずか相手がこけーおるとです」

 司はそう言うと、その言葉通り気まずそうな表情を浮かべたまま、葛城の奥にいた人物を指示した。その女性が、急に自分に話を振られて目を丸くする。

 「えっ、司くんそんなに気にしてくれてたの?やだなぁ、気持ちは嬉しいけど、そんなに気にしなくたっていいのに。だって私たちの仲じゃない」

 白金弥生三等海佐、30歳。第四分隊長を兼ねる主計長として、給食、補給、経理、物品管理から勤務シフトまで、艦の日常を支えている。部下たちからは優しい姉のように慕われる、穏やかな人物だ。

 蒼とは学生時代からの親友で、防大受験に失敗した蒼を海保大へ誘ったのも白金だった。その縁で双子の弟・司とも幼い頃から親しく、思春期の司が密かに意識したこともある相手である。別々の進路を歩んで十数年。まさかこんな形で再会後の距離を縮めるとは、司も想像していなかった。

 「何言うてんだ、おいとわいん関係やけんこそ気まずかとじゃろうが。久しぶりに初日ん艦内ブリーフィングで顔ば合わせたと思うたら、いきなり何段階関係性ば飛び越えたと思うてんだ」

 司がこぼす。

 「何、アンタら前からの知り合いなん?」

 「はい、海軍と沿岸警備隊に入る遥か前からの知り合いです」

 葛城の問いかけに白金が答える。

 「あぁ、そうか。主計長、艦長とは学生時代からの大親友やったもんな。そら双子の弟とも、仲良うやる機会もあるか」

 葛城は納得したような表情でそう言うと、司の方に向き直った。

 「だとしたら少佐、そらアンタが気まずくなるんも分かるわ。でもさ、それって銀山とは別のベクトルで、解消せなアカン奴とちゃうの?」

 「えっ…?」

 「気まずさにも二種類あるやろ。知らん女やから気まずいのと、昔から知りすぎとるから気まずいのと。どっちも克服せなアカン。前の銀山みたいなこと、繰り返すわけにはいかんやろ?」

 でないと、またこの間みたいな失敗を繰り返すことになるで。また同じようにウチに詰められてもええんか、と葛城は司の目を覗き込む。司は全力で首を横に振った。

 「それにな、アンタからしたら男としちゃ実に都合のええ機会やんか。自分の姉貴の大親友で、自分とも仲良うしてくれてた女の裸、訓練て名目で本人公認で、合法的に堂々と拝ませてもらえんのやで?もちろん見ての通り本人も同意済や。せやったら都合よく利用せんかい、普通に生きとったらこんな機会ないで」

 「そがん、本人の気持ちも知らんで勝手なこつ言うて…」

 困惑顔の司に対して、意外にも白金は笑顔だった。

 「大丈夫だよ、司くん。私も趣旨を理解して、自分で参加を決めたんだから。もし私が配置に遅れた時、司くんが躊躇しないで済むなら、その方がいいでしょ?」

 「そうはいってん弥生…」

 「大丈夫。ふそうがずっと抱えてた問題を踏まえて、蒼が三佐の時代に考案したこの訓練、私もその趣旨には同意のうえで参加してるから。自分の親友が作った、沿岸警備局からも決裁下りてる訓練だから、あの子を沿岸警備隊に誘った側として、ちゃんと協力したいと思ってるの。何も悪いことはしてないでしょ?だからお互い堂々とやろう?」

 そう言うと、白金はいつものような穏やかな笑みを浮かべた。制服を身につけていなくても、その表情を見るだけでいつもの白金弥生だということは、一発で分かる。一つため息をついて、とうとう司が折れた。

 「はぁ…。しょんなか。そん代わり結局、わいん居場所確認ばする機会なんか一度もなかったとしてん、知らんぞ?」

 「それならそれでいいよ、もしもの備えだもん。その時は、『仕事の役には立たなかったけど、いいもの見れてラッキー』って思ってくれたら、女の子としては嬉しいかな」

 「…、君もずいぶん苦労するな、少佐」

 頭を抱える司の姿を横目に見ながら、篤志が呟く。彼は彼で、初日の仕掛人であった黒川に対峙している真っ最中である。

 「アンタだって苦労してんのは同じだろ?初日に比べりゃ、今の振る舞いはよっぽどマシになったけどさ」

 その当の黒川が、篤志に対してすかさず茶々を入れる。その言葉に、篤志はため息をついた。

 「むしろ、これをすんなり受け入れられる方がどうかしてるでしょ。断っておきますけど、いくら司令部の決裁が下りてるからって、国家機関の船でやることとしては常軌を逸した行為であることには、変わりありませんからね?」

 「分かってるって。でも、あいにくこの船ではやらざるを得ないからやってんだ。だからこそ、沿岸警備局からの決裁だって下りてるってこと、忘れるんじゃないよ?」

 「それにしても浦賀捜査官、女性が苦手なのによく頑張っていると思うわ」

 機関長の茶谷が声を掛けた。その隣で頷いたのは、第四分隊の医務長・橙木美央一尉。31歳の医師で、艦内の診療と乗員の健康管理を担う。普段は冷静で物腰も柔らかいが、負傷者が無理に任務へ戻ろうとすれば、階級の上下に関係なく毅然と制止する。昨年の第六十二円竜丸事件で、負傷した柳田を一喝したのも彼女だった。

 「最初に舷門で会った時は普通に話してたけどね。私を男だと思ってたからだろうけどさ」

 黒川が笑う。

 「あぁ、そういえば確かにおいと一緒に捜査活動しとー時も、おい相手にはいっちょん緊張せず喋るるよな。同い年って知るまでは敬語やったばってん、そん時も別におい相手に緊張なんて大してしとらんかったろ?」

 黒川の軽口に、司が思った以上に真剣な顔で乗っかる。

 「男性とは普通に話せるのに、女性だと緊張するの? 何か理由があるのかしら」

 応急長の茜谷に尋ねられ、篤志はしばらく考え込んだ。

 「兄貴への、劣等感かもしれません」

 「お兄さん?」

 白金が聞き返す。

 「えぇ、4つ上の兄が空軍にいるんです。もっとも、勤務先は海軍の空母しょうかくなので、去年一緒に戦った皆さんならご存じだと思いますけど」

 「えっ、しょうかくで勤務しとる空軍の『浦賀』って、もしかして…」

 葛城が、何かを察して目を丸くする。

 「はい。アサシン隊隊長、浦賀勇翔少佐です」

 「あぁ、あのやたらオラついてたF-35Cパイロットか!!いたいた、アンタあいつの弟だったのかよw」

 黒川が納得したように破顔一笑した。オペレーション・イーグルでの、勇翔のオラついた、それでいて戦術の具申自体は至って冷静な交信は、あの時ふそうにも届いていた。やたらと濃い彼のキャラクターは、少なからずふそうクルーにも強い印象を残していたらしい。

 「…。で、その兄貴に対して劣等感抱えてるって?具体的にはどういう話だい?」

 篤志はぽつぽつと話し始めた。兄は昔から豪快で、女性にも遠慮がないのに不思議と人気があった。対して自分は、兄の分まで礼儀正しくあろうと意識するうち、相手の反応を気にしすぎるようになった。失礼がないか考えるほど言葉が出なくなる。その一方で、兄は今も自然体のまま人を惹きつける。それが長年の劣等感だった。女性幹部たちは、いつもの軽口を止めて耳を傾けていた。

 「なるほどね…。そりゃ、確かになかなかの重症だ。だってアンタ、それを幼少期からずっと抱えて生きてきたんだもんな?」

 話が切れたところで、黒川が呟く。

 「でもさ、アンタだって今この瞬間、ここでそのコンプレックスとちゃんと向き合ってるじゃないか」

 「えっ…?」

 「常軌を逸した行為だって言ったね。その通りさ。この船の訓練は強引で、普通の軍艦なら考えられない。でも目的は真面目だ。アンタは今、苦手な状況から逃げずに私らと話してる。それだけでも、以前とは違うだろ?」

 黒川の言葉に、居合わせた幹部たちは皆真剣な顔で頷いた。彼女の言葉はなおも続く。

 「私らは、確かにここでは基本ふざけることも多い。でもそれは、あくまでアンタたちの訓練負荷を上げるための手段でしかない。たとえ手法はぶっ飛んでても、訓練の目的は至って真面目だよ。だからもしこいつが、多少なりともアンタの劣等感や女性への苦手意識の克服に繋がるなら、アンタも少佐とは別の目的で利用したらいい」

 「…、ありがとうございます。少し肩の荷が下りたかもしれません」

 篤志はそう答えると、一転して真剣な表情を浮かべた。

 「ただ、これからは毎晩この訓練を受けるわけには、いかなくなると思います」

 「え、なんでなん?」

 「日本側の末端組織へ、潜入捜査に行くことになりました」

 葛城の問いに篤志が答える。彼の言葉通り、篤志には厚生局から、近々日本側の組織に潜入し、情報収集活動を実施するよう命令が下っていた。ずっと陸上にいるわけではなく、ふそうにも定期的に戻ることにはなるが、今までのような艦内での宿泊だけにはならなくなるのだ。

 その組織は、コンソルシオとも取引があるとされている。取引現場に立ち会えれば、当然Narco-subを彼らが用いている事実や、アルバトロス04の関係、あるいは黒島沖の潜水体の正体なども、掴めるかもしれない。危険な任務ではあるが、捜査を進展させる上では不可欠な一手だ。

 「なるほど、いつからだい?」

 「予定では明後日からです」

 「潜入捜査ということは、当然浦賀篤志として行くわけじゃないのよね?」

 「えぇ、既に厚生局の方にカバー身分を用意してもらっています」

 茶谷の問いに篤志は答えた。榊原敦也。東洋パシフィック・ロジスティクス株式会社の海外事業部マネージャーにして、国際物流コンサルタント・物流ブローカーである人物。これが、潜入捜査において厚生局が彼に与えた氏名と身分である。

 「なるほど。つまりこれからアンタは、陸上では自分を偽って生活するわけだ」

 黒川が呟いた。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 「なら、浦賀篤志として帰ってきた時は、また訓練に付き合ってもらうよ。毎晩できない分、しっかりね」

 「結局そうなるんですか…」

 「ここでは、取り繕う必要なんかない。私らもありのままの自分を見せてるんだ。だからアンタも、ここでは自分自身でいな。アンタは服着てていいからさ」

 最後の一言に、脱衣所内に笑い声が響いた。

 「副長、そろそろ時間です。延長しますか?」

 橙木が時計を示した。通常は10分程度で終える訓練だが、必要なら延長できる。

 「お、もうそんな時間?なんか時間過ぎるの早ない?」

 「副長、じゃあ私から延長でお願いします」

 そこで意外な人物が手を上げる。白金だった。

 「司くん…、もとい真行寺少佐が、まだ私に対して目が泳いでるので。初回とはいえ訓練不足だと思います。もう少しちゃんと視線を固定しておいてもらわないと」

 「や、弥生!?」

 「お、主計長、今日は積極的やな」

 狼狽する司をよそに、葛城はニヤリと笑った。その目は、自然と篤志の方にも向く。

 「お、俺のせいなんですか?」

 「別にアンタはあの話すべきやなかったって言うとるんやないで。ちゃんとウチらに話してくれたんは、むしろありがたいことや。相応にウチらんこと信頼してくれたからやろ?でも、それはそれとして見るべきもんはちゃんと見るべきやろって話よ。せっかくこんなええ身体した女たちが、目の前で脱いどるんやからさ?」

 こうなった時の葛城は、完全に初日のドッキリと同じ「面白がっているモード」である。これでも艦のナンバー2、部下たちもおいそれとは止められない。

 「弥生、気持ちは嬉しかばってん勘弁してくれや。こん流れでわいが延長とか言い出すん、予想しとらんとやけど」

 司が思わず不満をこぼした。彼としては、そろそろ自分が風呂にも入りたかったタイミングだ。どうせなら、このまましれっと終わりにしてくれれば、一番良かったのだが。

 「ダメダメ。私も納得ずくなんだから、ちゃんと堂々とやろうって言ったじゃん。まだ慣れてないでしょ、司くん?」

 白金は優しく、しかし譲らなかった。「穏やかで優しいお姉さん」な彼女ではあるが、実は意外とこの訓練に対しては悪ノリするタイプでもある。4分隊の幹部は橙木も含め、意外と時間を引き延ばしたがりなコンビであることを、この時の司はまだ知らなかった。

 「少佐、せっかくの女神のご厚意やぞ。ありがたく受け取っとけ。アラフォーのBBAでもええなら、ウチらもついでに付き合ったるさかいな。ま、これを見てBBAの身体やなんて言わせへんけど?」

 葛城の軽口に女性陣が笑い、司と篤志は顔を見合わせて肩を落とした。どうやら今日も、彼女たちの方が一枚上手らしい。

 

 それから二日後。佐世保市内の雑居ビルに、篤志は「榊原敦也」として足を踏み入れた。いよいよ、カバー身分での潜入捜査のスタートだ。

 訪問先の南西貿易サービスは輸入貨物の仲介会社だが、薬物密売事件の関係者との接点が疑われていた。ただし、コンソルシオ・デル・パシフィコとの関係を示す直接の証拠はまだない。

 「榊原さん、お待たせしました」

 応接室の扉が開き、40代半ばほどの男が姿を現した。落ち着いた色合いのスーツに身を包み、いかにも商社勤めといった風貌をしている。

 「いえ、こちらこそ突然お時間をいただきまして。東洋パシフィック・ロジスティクスの榊原です。本日はよろしくお願いいたします」

 篤志は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

 「南西貿易サービスの営業部長、片桐です。どうぞお掛けください」

 互いに名刺を交換し、向かい合って腰を下ろす。片桐と名乗った男は、篤志の名刺を一瞥すると、興味深そうに眉を上げた。

 「海外事業部のマネージャーですか。随分お若いですね」

 「ありがとうございます。もっとも、弊社はそれほど大きな会社ではありませんので。肩書ほど大層な仕事をしているわけではないんですよ」

 篤志は苦笑いを浮かべた。普段の彼なら、初対面の相手にこうして自分から話を広げることは、決して得意ではない。ましてや、相手が女性だったならなおさらだろう。

 だが、今は違う。自分は浦賀篤志ではない。榊原敦也という、海外との取引経験を持つ営業マンなのだ。そう意識すると、不思議なことに多少は気持ちが落ち着いた。

 「弊社では、主に中南米からの輸入案件を扱っております。最近は九州方面での取引先を増やしたいと考えていまして。御社は国内での保管や配送にも強いと伺いましたので、一度お話をと思った次第です」

「なるほど。中南米ですか」

 片桐は頷いた。篤志は笑みを浮かべた。

 もちろん、実際に商談を成立させることが目的ではない。相手がどのような仕事をしているのか、どこまで海外側との接点を持っているのか。そして何より、違法な取引に関与している可能性があるのか。その判断に必要な情報を、少しずつ集めることが今回の任務だった。

 「ちなみに、榊原さん」

 しばらく一般的な物流業務について話した後、片桐がふと声の調子を変えた。

 「中南米とおっしゃいましたけど、具体的にはどちらの国が中心なんです?」

 「メキシコ、コロンビア、エクアドルあたりですね。案件によっては、そこから別の国を経由することもあります」

 「ほう…」

 片桐の目が、わずかに細くなった。

 「随分、広い範囲を扱っていらっしゃる」

 「まぁ、扱う貨物によって条件も違いますから。現地側の事情を知っていることが、商売上の強みになるとは思っています」

 「なるほどねぇ」

 片桐はそう答えると、テーブルの上に置かれた名刺へと再び視線を落とした。

 「分かりました。では、具体的な案件が出てきたら、こちらからご連絡させていただきます」

 「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いいたします」

 初日の接触はそこで終わった。違法な話は出なかったが、榊原敦也という人物を相手に認識させるという第一段階は果たした。篤志にとってはそれで十分だった。

 

 その日の夜。佐世保市内、九州厚生局麻薬取締部の捜査拠点。

 「…、以上が本日の接触内容です」

 篤志は、机を挟んで向かい合う上司に報告を終えた。

 「なるほど。特に怪しまれた様子はなかったか」

 「少なくとも、表面上は。ただ、相手がこちらをどう評価したかまでは分かりません」

 「それでいい。今の段階で無理に踏み込む必要はない」

 上司は頷いた。

 「片桐については、引き続きこちらでも調べる。お前はカバー身分の維持を最優先にしろ。何か動きがあれば、こちらから指示する」

 「了解しました」

 篤志は答えると、手元の端末に目を落とした。画面には、ふそうから共有された海上監視情報の概要が表示されている。黒島沖で目撃された不審潜水体について、その後も決定的な発見はなかった。

 しかし、調査が止まっているわけではない。司や葛城、灰原たちが、目撃情報と海洋情報を照合しながら、航行経路の絞り込みを続けているのだ。

 それでも、黒川の言葉が胸に残っていた。『だからアンタも、ここでは自分自身でいな』。今は榊原敦也を演じているが、ふそうに戻れば浦賀篤志として迎えてくれる人たちがいる。そう思うと、少し心強かった。もっとも、戻った途端にまた例の慣熟訓練に、付き合わされることになるのだろうが。

  (…、まぁ、あれはあれで仕方ないか)

 苦笑いを浮かべた篤志は、再び端末へと視線を戻した。

 

 数日後。ふそう艦内、CIC。蒼、葛城、司が端末を囲み、篤志からの連絡を受けた。

 「お疲れ様です、皆さん」

 「お疲れ様。潜入捜査はどう?」

 蒼が問いかける。

 「今のところ、問題なく進んでいます。ただ、少し気になる情報が出てきました」

 「気になる情報?」

 「はい。先ほど、接触先の会社から連絡がありまして。中南米からの輸入案件について、具体的な相談をしたいと」

 司が身を乗り出した。艦長と副長が居合わせる正式な打ち合わせなので、ここではあくまでもお互い敬語である。

 「そりゃ、向こうから話が来たってことですか?」

 「ええ。ただし、まだ普通の商談として説明できる範囲です」

 篤志はそう前置きすると、話を続けた。

 「相手は、通常の港湾輸送だけでなく、海外側の海上輸送事業者との調整についても相談したいと言っています。そこで、気になる言葉が出てきたんです」

 「何て?」

 葛城が尋ねた。

 「『アルバトロス』です」

 その瞬間、司の表情が変わった。

 「…、アルバトロス?」

 「はい。ただし、04という数字は出てきていません。相手は、海外側の輸送関係者の呼称として、その名前を使いました」

 「待ってください。そいは、あん押収通信記録にあった…」

 「そうです。アルバトロス04です」

 篤志は頷いた。

 「ただし、同じものを指すかは分かりません。『アルバトロス』だけなら船名や会社名にも使われます」

 「なるほど。なら、まだ同一対象とは断定できんですね」

 司も頷いた。蒼は腕を組むと、二人の顔を交互に見た。

 「つまり、これまで別々に確認されていた情報の間に、新しい接点が出てきた。ただし、それが本当に同じ対象を指しているかは未確認、ということね」

 「はい。その認識で間違いありません」

 「副長、照合を続けて」

 「了解しました」

 蒼の指示に葛城が答える。

 「それで浦賀捜査官。今後の予定は?」

 「明日、改めて片桐と面会します。そこで、もう少し具体的な話が出るかもしれません」

 「了解。くれぐれも無理はしないでね」

 「ありがとうございます」

 篤志は軽く頭を下げた。通信を終えた後、司はしばらく画面を見つめていた。

 「…、副長」

 「何?」

 「もしかしたら、少しずつ繋がり始めたかもしれんですね」

 「そうかもね。でも、まだ断定するには早い」

 葛城はそう答えると、電子海図へと視線を向けた。

 「黒島沖の潜水体と、アルバトロス04。それから、浦賀捜査官が接触している組織。現時点では、まだ全部別々の情報として扱う必要がある。ただ、照合する価値はある」

 「はい」

 その言葉に、司は力強く頷いた。

 

 翌日。再び、南西貿易サービスの応接室。

 「榊原さん、実は少し特殊な案件でしてね」

 片桐はそう切り出した。

 「特殊、とおっしゃいますと?」

 「海外側の輸送業者との調整が、少々難しいんです。通常の輸入案件とは勝手が違いまして」

 「なるほど。具体的には、どのような点でしょう?」

 篤志は、努めて自然な表情で問い返した。片桐はすぐには答えなかった。しばらく考えるような仕草を見せた後、口を開く。

 「榊原さんは、中南米の物流事情に詳しいとおっしゃっていましたね」

 「はい。仕事柄、ある程度は」

 「でしたら、現地の業者との調整が、必ずしも日本の商習慣通りには進まないこともご存じでしょう」

 「もちろんです。契約条件や書類の扱い一つ取っても、相手によって事情は異なりますから」

 「そうでしょうね」

 片桐は頷いた。

 「今回、こちらが相談したい相手も、そういう事情のある業者なんです」

 「なるほど。差し支えなければ、会社名を伺っても?」

 「…、今はまだ、そこまでは」

 片桐は曖昧に笑った。篤志も、それ以上は踏み込まなかった。相手が話したがらない情報を無理に聞き出そうとすれば、かえって警戒される可能性がある。今は、相手が自分にどこまで話そうとしているのかを見極める方が重要だった。

 「承知しました。では、まずは御社のご希望を伺って、そのうえで弊社として対応可能か検討させていただきます」

 「ありがとうございます。そうしていただけると助かります」

 片桐は安堵したように頷いた。そして、机の上に置かれていた資料の一枚を手に取る。

 「こちらが、先方から送られてきた案件概要です」

 篤志は資料を受け取った。記載されているのは、輸送予定貨物の大まかな分類、希望時期、国内での受入れに関する条件。少なくとも表面上は、一般的な物流案件と大差ない。

だが、その末尾に記載された連絡先の欄を見た瞬間、篤志の目が止まった。そこには、アルファベットで一つの名称が記されていた。「ALBATROS」。

 (…、やっぱり出てきたか)

 篤志は、内心で小さく息を呑んだ。しかし、表情は変えない。

 「なるほど。こちらが海外側の窓口ですか?」

 「ええ。もっとも、会社名というより、担当部署の呼称に近いものだと聞いています」

 「担当部署、ですか」

 「はい。詳しいことは、私もまだ聞かされていません」

 その言葉が本当なのか、それとも何かを隠しているのか。今の篤志には判断できなかった。ただ、一つだけ確かなことがある。国内の押収通信記録に残されたアルバトロス04。そして、海外の海上輸送関係資料に記載された類似の識別名。その両方に関係している可能性のある呼称が、今、目の前の資料に現れたのだ。

 篤志は、資料を丁寧に閉じた。

 「何か追加で必要な情報があれば、改めてご相談させてください」

 「ええ、もちろんです」

 片桐は笑みを浮かべた。

 「こちらとしても、榊原さんのような方とお付き合いできれば、心強いですから」

 「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、努力いたします」

 篤志も、営業マンらしい笑顔で応じた。少なくともこの瞬間、彼は完全に榊原敦也として振る舞っていた。

 

 その夜。九州厚生局の捜査拠点で、篤志は受け取った資料について報告していた。

 「…、アルバトロス、か」

 上司が呟いた。

 「はい。ただし、04という識別番号はありませんでした。また、今回の案件が違法な取引に関係しているかどうかも、現時点では不明です」

 「分かった。資料は関係機関にも照会する。ただし、相手にこちらの関心を悟られるようなことはするな」

 「承知しました」

 篤志は頷いた。

 「それと、浦賀」

 「はい」

 「お前の任務は、相手の組織に接触して情報を収集することだ。自分で事件の全容を解明しようとして、無理に踏み込む必要はない。そこは忘れるな」

 「了解しました」

 篤志はそう答えると、ふと司の顔を思い浮かべた。

 (少佐…。こっちは、少しだけ前に進めたかもしれない)

 太平洋の向こう側に拠点を置くコンソルシオ・デル・パシフィコ。その海上輸送部門の識別名こそアルバトロス04であり、黒島沖の潜水体も彼らのNarco-subだった。しかし、それを裏付ける証拠はまだ日本側にない。それでも海と陸、二つの捜査はようやく同じ方向へ進み始めていた。




恐らく、初日の篤志であれば今回のような人生相談は、絶対に出来なかったと思います。何せ、目の前の絵面があまりにも強烈すぎますからねw

そんな状況下でも、乗艦初日と比べて遥かに流暢に会話し、自分自身が抱える劣等感も開示するところまでいくとは、やはり彼もこの訓練を通じて鍛えられている証拠なのかもしれません。まぁ、普通は国家機関でこういう鍛え方はしないのですが()

そして、後半ではそんな彼のちゃんとかっこいいところも描いています。やっぱり、麻薬取締官ってこうじゃなくちゃね。「榊原敦也」としての彼も、引き続き見守っていただければ幸いです。

次回からは第三章に入っていきます。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。
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