フリーナ・ドゥ・フォンテーヌと魔法の世界 作:とりあえずお茶
僕が連れてこられたのは警察署だった。中に入ると身なりのよいおばさんが待ち構えていた。雰囲気から察するに、この人が僕を引き取る施設の人らしい。おばさんは警官と長々と話した後、いくつかの書類にサインをした。そうして僕はそのおばさんに引き取られた。
今度はおばさんの車に乗ってどこかへと向かう。
「お嬢ちゃん、心細くないかい?飴でもいるかい?」
運転席から飴を差し出される。包み紙を剥いて飴玉を口の中に放り込む。すると奇妙な味が口の中に広がった。レモン味の甘味の中にわずかに苦みが混ざっている。
揺られることしばらく、窓の外の景色は徐々に住宅街から都会のそれに変わっていく。都会、といっても壮麗な建物や施設があるわけではない。いわゆる下町、それも治安の悪い場所だ。壁やシャッターにはカラフルな落書きが刻まれ、路地裏には若者たちが集まって怪しげなものを吸っている。
車で揺られるうちに徐々に眠気がやってきた。目を閉じるとすぐに意識は暗闇へと落ちていった。
目を覚ますとそこはどこかの地下室だった。ひんやりと冷たい床には分厚い埃が積もっている。僕はその埃の上に直接寝かされていた。手足はガムテープで縛られている。
えっ、どういうこと?なにこれ?
身を起こして部屋の中を見回す。鍵がついた扉が一つ。明かりとりの小さな窓が一つ。それ以外には何もない。
……待ってくれ。まさか、人拐い?いやいやいや、そんな馬鹿な!僕はさっきまで警察署にいたんだぞ!警察から引き渡された先が人拐いだなんて、そんなことがあるか?
しかし、何度周囲を見回しても、状況が改善する気配はなかった。
……なるほど。どうやら僕は攫われたらしい。誘拐事件は何度も審判の場で見たことがあるが、自分で体験するのは初めてだ。なんだか新鮮な気分だ。
いや、新鮮な気分になっている場合じゃない!
窓の外は日が暮れようとしていた。寝ている間に結構な時間が経っていたらしい。どこからか早起きのフクロウの鳴き声がする。扉が開いて一人の粗雑そうな男が器をいくつか持って入ってきた。器の中には見るからに硬いパンと粗末なスープが入っていた。
「食え。」
男は器を床に置くとそれだけいって部屋をでようとした。
<ちょっと!手を縛られているのにどうやって食べろというんだい。まさか犬のように食べろというんじゃないだろうね!>
文句をいってガムテープで縛られた腕を伸ばすと、男は意図を理解したのか、舌打ちを一つしてから腕のガムテープをほどいた。
そのとき、明かりとりの窓から一通の封筒が舞い込んだ。その角が綺麗な弧を描いて男の額にピシャリと当たった。
「痛ってぇ!一体誰だ、こんなもの落としやがった馬鹿は!クソ!」
男は落ちた封筒を掴むと八つ裂きにしてしまった。破ける前、一瞬だけ封筒についた紋章が見えた。Hの字を四匹の動物が囲った紋章だった。
男は鼻息荒く部屋を出ていった。
食事はお世辞にも美味しいとはいえなかったが、食べられないことはない味だった。
夜が更け、空がすっかり暗くなる。明かりとりの窓から見える月を見上げる。不思議と恐怖は感じない。ただ少しだけあの公園が懐かしい。服の下に隠したロケットを握りしめる。……これからどうなるのだろうか。ため息をついて、体を横にする。しばらくすると睡魔がやって来た。
翌朝、朝日が昇ってしばらくしたころ、再び男がやってきた。空っぽの器を下げ、新しいスープとパンを置く。
男は顔を上げると、僕のことを睨む。
「怯えないのか。随分と豪胆なことだ。まあ、言葉が通じないんじゃあ自分の状況も――」
そのとき、再び窓から封筒が舞い込んできた。そして男の右目に直撃した。
「目が、俺の目がぁ~!」
転がりまわる男を無言で見下ろす。男は赤くなった目を押さえながら、なんとか立ち上がった。そして、地面に落ちた封筒を取り上げる。
「昨日と同じ封筒じゃねえか。一体どこのどいつだ。クソッ、絶対に見つけ出して後悔させてやる。」
男はそう叫んで外に飛び出していった。
昼間、再びスープとパンを持って男はやってきた。部屋に入ってきた男は中腰で、お盆をまるで盾のように顔の前に構えていた。目は周囲を警戒するように絶え間なくあちこちを行ったり来たりしている。
「よし、封筒は飛んでこないな。」
そう言って男はスープを床に置いた。どうやらこの男の料理のバラエティーはこれ一つしかないらしい。毎回、スープの種類だけ異なるのはありあわせのものでも買ってきているのだろう。
男が信じられないものを見たように固まった。白いシチューのなかに紛れて白い封筒が浮かんでいた。
男はお盆を放り捨ててそれを取り上げると、呆然と見つめた。
「……は?嘘だろう?」
そのとき、フクロウの鳴き声が窓の外からして、鳥の糞が恐ろしく美しい放物線を描いて男の口に入った。どうやらお盆を捨てたのは時期尚早だったらしい。
文字通り糞を吐き出した男の顔色は赤を通り越してどす黒くなっていた。男は無言で木の板と工具を持ってくると、窓に板を打ち付け始めた。僕はシチューを飲みながらそれを見物する。
「一体なんだっていうんだ。どこの配達員の仕業だ?それかガキの悪戯か?同業者の嫌がらせじゃないだろうな。」
その目が突然こちらを向く。
「まさかお前が何かしたんじゃないだろうな。」
何を言っているのか分かりません、という感じの澄ました顔でシチューに漬けたパンを頬張る。
「不気味なガキだ。ちっとも怯えやしねぇ。言葉も通じねぇし、まさか妖精や悪魔の類じゃないだろうな。」
最後に残ったシチューを綺麗にパンで拭き取って、口に入れる。もちろん言葉は分かっているし、喋れもするが、それをわざわざ教えてやる義理もない。
「まあいい。どうせ『引取先』が見つかるまでの辛抱だ。まったく、とっととおさらばしたいね。」
その日の夕方は窓を塞いだからか、平穏に時間が過ぎていった。その夜、男に電話があった。聞き耳を立てていると、男が嬉しそうに媚びを売っていた。
「へい、へい。その通りです。とびっきりの上玉ですよ。お引き取りいただけると?ありがとうございます!」
扉から耳を離して、塞がれてしまった窓を見上げる。この世界には僕を探してくれるような人はいない。きっと警察も身寄りのない孤児の行き先を真剣に探そうとはしない。だから、あの男たちが商売を出来ているのだ。……きっともうあの公園には戻れないのだろう。
翌日の朝、男は上機嫌で部屋に入ってきた。
「なんで俺が機嫌がいいか分かるか?」
男は一拍間をとって、まるで驚くべき事実のようにこういった。
「今日は日曜日だ!」
無言で床に放置されたスープとパンをこちらに引き寄せる。
「日曜日は手紙の配達がない!つまり今日は封筒に悩まされることはないんだ。」
男は晴れ晴れとした顔で天井を見上げる。それから何かを思い出したように手を叩く。
「ああ、それともう一つ。喜べ。お前の『引取先』が決まったぞ。これでようやくおさらばだ。今日は最高の日だ。嬉しいニュースが二つもある。幸運と不運は釣り合うなんていうが、ついに俺にも幸運の流れがやって来たのかもなぁ。」
男が恍惚としていると、ふと部屋が揺れた。男の表情がぴくりと固まる。そうしているうちにも徐々に揺れは大きくなっていく。その音の根源に気づいて、板を打ち付けられた窓に目を向ける。男も一瞬遅れて窓を振り返った。
その瞬間、板が吹き飛んだ。そして堰を切ったように無数の封筒が流れ込んできた。扉も吹き飛んで封筒が雪崩を打って押し寄せる。濁流に飲まれながら男が叫ぶ。
「今日は日曜日だ!日曜日なんだぞ!」
そう叫んでいる男に首根っこを掴まれ、僕は子猫のように持ち上げられた。
「逃げるぞ!」
男は部屋を飛び出すと、ガレージに停めてあった車の後部座席に僕を放り込んだ。そして自分は運転席に座ってアクセルを踏む。そうしている間にも窓を無数の封筒が叩いていた。舞い散る封筒で真っ白に染まった世界の中を、車が勢いよく発進した。
道路までは手紙の嵐も追いかけてはこなかった。男はしばらく走ったあと、適当な道路の脇に車を止めて公衆電話に駆け込んだ。電話をかけている間もその目は僕が逃げないようにこちらを睨んでいる。僕はその間、さっきの奇妙な出来事について考えていた。
しばらくすると男が車に戻ってきた。
「『引取先』が今日中にお前を引き取ってくださるそうだ。これでようやくこんなクソッタレともお別れだ。」
夜更け、僕達はとある廃ビルの一室にいた。ここに例の『引取先』とやらが来るらしい。男は今か今かと緊張した様子で分厚い鉄の扉を穴が空くほど見つめている。
やがて、扉の向こうから規則正しい靴音が聞こえてきた。
「これでお別れか。そう思うと多少は寂しくなるな。お前もそうだろう?」
男は満面の笑顔を浮かべながらそういった。足音が扉の前で止まる。
突然、扉が吹き飛んだ。赤い閃光が男の胸に当たり、男は数メートルほど後ろに飛び上がって、壁にぶつかって気絶した。そして、かつて扉があった穴からエメラルドグリーンのローブを羽織った女性が現れた。とんがり帽子を被ったその姿はまるでおとぎ話の魔女のようだ。一本芯が通ったようなその立ち姿は、普段は冷静で厳格な人物なのだろうと感じさせる。だが今、その顔は怒りでまだらに染められていた。
「子供を誘拐するなど、恥を知りなさい。」
その目がこちらを向く。すると少し冷静になったのか、その女性は小さく咳払いをして膝をかがめた。厳しそうな顔に優しげな笑顔が浮かぶ。
「私はミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツ魔法魔術学校の教師です。フリーナ、あなたを迎えに来ました。」