フリーナ・ドゥ・フォンテーヌと魔法の世界 作:とりあえずお茶
窓から差し込む日の光で目を覚ます。ふかふかのベッドに名残惜しさを覚え、少しの間まどろみを享受してから起き上がる。ベッド脇のテーブルからロケットを取り出して寝間着の下に着ける。
階段を降りてあくびを手で隠しながらリビングに入ると、ミネルバが食卓に座って分厚い本を読んでいた。朝だというのに服も髪もきっちりと整えられている。鏡に映った自分を見ると、ゆるい寝間着を着て髪の毛には寝癖がついていた。手櫛で少し整えようとしていると、ふとミネルバがこちらに気づいて顔を上げた。
「おはようございます、フリーナ。」
ちょっとした気恥ずかしさをごまかすように咳をする。
「おはよう、ミネルバ。」
向かいの椅子に座る。
「さて、朝食にしましょうか。」
ミネルバはかけていた眼鏡を外して、杖を振った。すると、キッチンからフライパンや焼きたてのパン、ティーポッドや食器が飛んできた。これもここ数日ですっかり見慣れた光景だ。一緒に食卓を囲んで朝食を食べる。
あの衝撃的な出会いから幾らかが経った。あのあと、誘拐犯たちは無事に警察に捕らえられた。僕はそれからミネルバの家で暮らしていた。そう、驚くべきことにミネルバ・マクゴナガルは魔女だった。長く生きてきたけど、本物の魔女に会うのは初めてだ。彼女は魔法の学校で先生をやっているらしい。彼女からそれを聞いたとき、ふとハリーのことが頭を過った。……いや、まさか、そんな偶然があるはずがない。
僕はここ数日でこの新しい同居人がすっかり気に入っていた。なにせ命の恩人だ。それを抜いても彼女はいい同居人だった。仕事をしているときは真面目だけど、それ以外のときはちょっとお茶目なところがのぞく。だけど、常に気品を失わない。杖の一振りで料理も掃除も済ませてしまう。正直、泊めてもらっているのに何もしていなくてちょっと申し訳ない。
朝食を食べ終わって、ゆったりと紅茶を飲む。この世界で食べたなかで一番美味しい朝食だった。食後の紅茶を楽しんでいると、ミネルバが仕事用のローブを羽織ってこういった。
「フリーナ、私は少し出かけて来ます。夕食には戻ります。」
「いってらっしゃい。」
「ええ、いってきます。」
ミネルバがドアから出てしばらくすると、バチンという音が聞こえてきた。姿くらまししたのだ。
ソファに寝転がって本棚から適当な本をとる。文字はミネルバに教えてもらった。音と字が対応しているから言葉さえ知っていれば読むことにさほど苦労はない。……書くほうは一向にスペルを覚えられる気がしないけれど。
タイトルは緋色の研究。マグル、つまり非魔法族の小説だ。意外とこの家にはこういう小説がたくさんあった。ミネルバの趣味ではないと思うのだが、誰かに贈られたのだろうか。ページを開いて読み始めると、時間は瞬く間に過ぎていった。
ふとお腹が空いて顔を上げる。窓の外では日が天中から傾こうとしていた。いつの間にそんなに時間が経っていたのだろう。つい夢中になってしまっていたみたいだ。振り返って、食卓の上にミネルバが本を置きっぱなしにしているのを見つける。この家で見たことのない本だ。きっと、書斎に置いてある本だ。僕はミネルバの書斎に入ったことは一度もなかった。だけど、そこに何が置いてあるのかは知っていた。――魔法の本だ。
少し、どきどきしながら食卓に近づく。ページは開いていた。指を触れないように、そっとのぞき見る。どうやら魔法の使い方が書いてあるようだ。光を灯す魔法、と書いてある。その下には呪文が書かれていた。誰かに見られているはずもないのに、そっと左右を見回す。よし、誰もいない。ゆっくりと息を吸って、呪文を読み上げる。
「ルーモス、光よ!」
カーテンがふわりと広がり、開いた窓から爽やかな風が吹き込んだ。起きたことはそれだけだった。ため息をついて肩を落とす。杖がないのがいけなかったのだろうか。それとも、僕には魔法の才能がないのだろうか。
「おや、本を書斎に戻すのを忘れていましたね。」
僕は勢いよく振り返った。そこにはいつの間にかミネルバが立っていた。心臓が飛び跳ねたような気がした。
「もう帰ったのかい?」
「思ったより仕事が早く片づきまして。」
「ごめん、勝手に見て。つい気になって。」
ミネルバは可笑しそうに笑った。
「それはあなたのために買ったものですよ。」
「……僕の?」
鳩が豆鉄砲を食らったような気分で聞き返す。
「ええ。本当は、あんなことがあったあとですし、もう少し時間を開けようと思っていたのですが。まあ、これもいい機会です。」
そういうと、ミネルバは僕に座るように促した。食卓の椅子に座って向き合う。
「フリーナ、魔法は好きですか?」
藪から棒な話に少し驚きつつ頷く。
「うん、好きだよ。」
「では、魔法を学んでみたいと思いますか?」
「それってミネルバが先生をしているっていう――」
「ええ、ホグワーツです。」
ミネルバは少しだけ誇らしげにその名前を告げた。
「あなたにはそこに通う才能と資格があります。」
そういうとミネルバは懐から封筒を取り出した。Hの文字を囲む四匹の動物の紋章が押されている。……あのときの封筒だ。
そっと受け取って、封を切る。中から取り出した手紙にはこう書かれていた。
ホグワーツ魔法魔術学校 校長 アルバス・ダンブルドア
親愛なるフリーナ殿
このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。
敬具
困惑しながらミネルバの顔を見上げる。
「でも、僕は魔法を使えない。さっきのだって、ごっご遊びのつもりだったんだ。」
「いいえ、使えますとも。」
ミネルバは確信があるかのように続けた。
「思い出してみてください。今まで困ったとき、あるいは感情が高ぶったとき、不思議なことが起きはしませんでしたか。」
そういわれても心当たりはない。もちろん不思議なことはたくさん起こったけれど、それはどれも僕の力ではない。本物の水神や、水龍、そして天理。そういった特別な力を持ったものたちが引き起こしたことだ。
「そうですか。ですが、それでも心配することはありません。ホグワーツがあなたを選んだのですから。その力はあなたの奥底に眠っているはずです。」
不思議な言い方だった。まるで学校そのものが僕を選んだとでもいうような。
「それに、学校って大変なんだろう?入学のために厳しい試験を受けたり、爆発したり、卒業のために研究して論文を書かなきゃいけなかったり、爆発したりするんだろう。」
フォンテーヌ科学院やスメール教令院を思い浮かべながらそういうと、ミネルバは突拍子もないことを聞いたというふうに目を瞬いた。
「何を想像したのかは知りませんが、ホグワーツには入学試験や論文審査はありませんよ。爆発もそれほど頻繁には起こりません。」
「頻繁には、って言ったかい?」
「まあ、起きないとは、言えませんね。」
ミネルバはひどく言いにくそうにそう言うと、どこか遠くを見つめた。
ミネルバは小さく咳払いをした。
「フリーナ、あなたは自分の将来について考えたことはありますか?」
「将来?」
唐突な言葉に思わず目を瞬く。ミネルバは真面目な表情で頷いた。
「ええ。どんな仕事をしたいとか、どういうふうに暮らしたいとか、そういうことです。」
将来、という言葉を口の中で転がす。考えたこともなかった。これまでは先のことなんて考える余裕すらなかった。ただ予言のことだけで精一杯だった。改めて考えてみれば、なにも思い浮かばない。将来、という言葉が自分とは遠く離れたもののように思える。
悩む僕を見てミネルバは口を開いた。
「もしまだ決めていないのでしたら、私は学校に通うことをおすすめします。もしあなたが望むならホグワーツでなくとも、例えばマグルの学校でも構いません。知識というのはランプのようなものです。人生という長い道のなかで迷ったとき、きっとそれはあなたのことを助けてくれます。」
ミネルバの目が真っ直ぐにこちらを見つめる。僕は思わず目を逸らした。
「……少し考えさせて欲しい。」
「ええ、もちろんです。あなたの人生です。十分に考えてください。」
それから夕食までの間、僕は将来というものについて考えようとしてみた。だけど、上手くいかなかった。どうしても未来を過ごす自分の姿が思い描けなかった。
日が暮れた頃、ミネルバと一緒に夕食を食べる。今日の夕食はチキンときのこのパイだった。さくさくのパイ生地をフォークで割ると、熱々の湯気が立ち上る。
「ねえ、ホグワーツってどんなところなんだい?」
ミネルバは顔を上げると意味を測りかねたように首を傾げた。
「どんなことが聞きたいのですか?」
「うーん、例えばどんなことをやるんだい?」
「そうですね。まず主な授業は七つあります。呪文学、魔法薬学、闇の魔術に対する防衛術、変身術、魔法史、薬草学、天文学です。これに加えて三年生からは占い学か、魔法生物飼育学か、数占い学か、古代ルーン文字学のいずれか二つをとることになります。」
説明に慣れているのか、ミネルバはすらすらと述べた。
「他にも、クラブに参加したり、寮のクィディッチチームに入る生徒もいます。」
「クィディッチ?」
僕が首を傾げると、ミネルバの眉がぴくりと動いた。
「ええ。箒に乗って競い合う魔法族のスポーツです。」
そしてミネルバは簡単なルールと様々な逸話を教えてくれた。例えば、反則が700以上あってそれらが全て第一回クィディッチ・ワールドカップの決勝戦で行われたとか。例えば魔法族で知らない人がいないほどの人気スポーツらしいが、話を聞いただけではいまいちその楽しさを理解できなかった。
そして、話は普段のホグワーツでの生活に移っていった。変身術の授業のこと、毎年の寮対抗杯の行方、大きな体の森番ハグリッド、お騒がせなポルターガイスト、大広間でクソ爆弾を投げる双子、休み時間に廊下で呪いをかけあうグリフィンドールの四人組とスリザリンの生徒、いつも騒動が起きればそこにいるお騒がせな三人組。どうやらホグワーツというのは思った以上に自由な場所らしい。だけどそれを語るミネルバの顔はどこか楽しそうだった。
夜、布団に潜って目を瞑り、自分がホグワーツに通っているところを想像してみる。案外悪くないんじゃないか、そう思えた。だが、例え行くとしても、「悪戯仕掛け人たち」と「双子」、「いつもの三人」には近寄らないようにしよう。そう僕は心に決めた。
翌朝、リビングに入ると珍しくまだミネルバは起きていなかった。せっかくだと思って、朝食を作ることにする。パンと目玉焼きとベーコンを焼くくらいなら僕にだって出来るだろう。
朝食を作り終える頃、ミネルバがリビングに入ってきた。
「おはよう、ミネルバ。」
「おや、フリーナ。もう起きていたのですか。珍しいですね。」
フライ返しを置いて、食卓に座ったミネルバの前に立つ。ミネルバは不思議そうな表情で僕を見上げた。
そっと息をのんで、何気ないふうにいう。
「僕、決めたよ。ホグワーツに行ってみようと思う。」
ミネルバは目を見開いて、そして嬉しそうに笑った。
「そうですか!」
そんなに喜んでもらえることに、少し気恥ずかしくなる。
「では、学用品を用意しなければなりませんね。朝食の後にでもダイアゴン横丁に買いに行きましょう。編入ということになるでしょうし、何年生のものを買いましょうか。そういえば、あなたは何歳なのですか?」
「五百歳さ。」
「まあ、いいでしょう。」
ミネルバは全く本気にしていない顔でそういった。
「編入する学年は、夏休みの勉強の進み具合を見て決めましょう。……ところで、少し焦げたような匂いがしませんか?」
「あっ、あーーーーーーー!」