フリーナ・ドゥ・フォンテーヌと魔法の世界 作:とりあえずお茶
緑色の炎を上げる煙突の中から勢いよく吐き出される。その場で膝に手をついて、こみ上げる吐き気をこらえる。
「大丈夫ですか、フリーナ。」
ミネルバは全くもって平然としていた。
「どうして魔法使いの移動手段っていうのはどれもこれも乱暴なんだい?」
誘拐現場から付き添い姿現ししたときのことを思い出す。どうやらミネルバも同じことを思い出したようだった。
「あのときは大変でしたね。なにか毒でも盛られたのではないかと思いました。聖マンゴにまで駆けつけて。まさか、酔ってはい――」
「あーー!あーー!その話はしなくていいから!」
遠い目をしたミネルバを睨むと、とぼけた顔をした。
「ほら、早く行こう!グリンゴッツ銀行だっけ?」
「ええ、そうですね。」
そうしてようやくダイアゴン横丁に目を向ける。そして思わず驚きで息を飲む。
「すごい。まるで魔法の世界だ。」
色とりどりのローブを着た人が大通りを行き交っている。隣の店のショーウィンドウを覗き込むと、ビロードのクッションの上に箒が浮いていた。
「本当に箒が浮いてる……。」
「さあ、行きましょう。」
歩き出したミネルバについていく。その横には大鍋や秤を売っている店があった。入学許可証に同封されていた紙に、学用品として載っていたことを思い出す。その向かいの店の前には、魔法薬の材料なのか、こうもりの脾臓やうなぎの目玉がうず高く積まれていた。思わず距離をとると、ミネルバが変な目で僕のことを見てきた。
「……気にならないのかい?」
「何がです?」
「ほら、それだよ。こうもりの脾臓とかうなぎの目玉とか!」
「ただの魔法薬の材料ですよ。」
ミネルバは心底不思議そうにそういった。通りの人間も何も気にせず通り過ぎていく。どうやらここでは僕が少数派らしい。
魔法界の価値観に恐れおののいていると、通りの先に白い壮麗な建物が見えてきた。あれがグリンゴッツ銀行だろう。
銀行の入口には僕よりも頭二つ分ほど小さい奇妙な生き物が立っていた。細く長い指に狡猾そうな顔つきをしている。
「小鬼です。」
ミネルバがそう囁いた。中に入ると、壮麗な大理石のホールのカウンターに大勢の小鬼が並んでいた。ミネルバについて、そのうち一つのカウンターに近づいていく。
僕が小さく咳払いすると、小鬼が帳簿から顔を上げてこちらを見た。
「装飾品を売りたいんだ。」
小鬼は神経質そうに細い眼鏡の縁に触れた。
「品物はお持ちですかな。」
「もちろん。」
懐から取り出した装飾品をテーブルの上に置く。大粒の青い雫型の宝石が金属の装飾のなかに嵌まっている。こちらに来たときに身に着けていたものだ。ミネルバは学用品を買う分は自分がだすと言ってくれたが、流石にそれは気が引けた。ただでさえ泊めてもらっているのに、そこまでは甘えられない。
小鬼はルーペを取り出すと、装飾品をまじまじと見つめた。その目が徐々に大きく見開かれていく。
「少々お待ちを。」
そう言い残して奥に引っ込んでしまった。思わずミネルバと顔を見合わせる。何だというのだろう。僕としては、学費分の値段で売れれば十分なのだが。
ミネルバが何かを言おうとしたとき、小鬼が戻ってきた。その隣には、くたびれた背広を着た年かさの小鬼がいる。年嵩の小鬼は使い古したルーペを胸から取り出して、装飾品をためつすがめつ眺めた。まるで赤子に触れるような繊細な手つきだ。しばらくしてルーペを戻すと、二人は並んで装飾品を覗き込み小声で何やら話し合い始めた。
「……何か問題でもあるのかい?」
「いいえ、とんでもない。」
年かさの小鬼が顔を上げた。
「失礼ですが、こちらの品はどちらでお求めになられたのでしょうか。」
「……さあ?」
小鬼が訝しげに目を細める。
「君だって家にあるものをどうやって手に入れたかなんて、全部は覚えていないだろう。」
そういうと、小鬼は納得したような顔をした。そして、うっとりとした顔で宝石を見ながらこういった。
「私は長いこと宝石を見てきました。中には王侯貴族のものだったものもあります。ですが、このような宝石は見たことがない。名前さえ分からない。美しい。非常に美しい。のぞきこむどこか恐ろしい、深い海を思わせる青の色です。それに、装飾も素晴らしい。とても精密で、職人の技を感じさせる。恐らく何百年も昔のものでしょう。ですが、丁寧に手入れがされている。」
小鬼は急にこちらを振り向いて、じっと見つめてきた。
「なっ、なんだい?」
「この装飾品についてご存知ありませんか?来歴や、この宝石がどのようなものなのか、そういったことを。」
「その答えは控えておこう。」
異世界の神様を演じていた人間が持っていた異世界の宝石だ、なんて言えるはずもない。
「……そうですか。」
小鬼は残念そうにそういった。そして、紙になにか数字を書きつける。
「ふむ、これくらいでいかがでしょうか。」
その数字を見て、ミネルバが目を見開いた。
「……本当にこの額で合っているのですか?」
「恐らく歴史ある品です。もし来歴が分かれば、それに相応しい値段を付けられるのですが。」
小鬼は残念そうにそういった。
横に立つミネルバを見上げる。正直、魔法界の物価はちんぷんかんぷんだ。これが適正な価格なのか、全く分からない。
ミネルバはまるで恐ろしいものでも見るような目で小鬼が書いた紙を見ていた。
「これほどあれば、家を建てても余るでしょう。」
ミネルバが震える声でそう囁く。
「学費には十分かい?」
「ええ!その十分の一でも十分すぎるくらいです!」
半ば悲鳴のような声だった。
小鬼を振り返る。
「それじゃあこれで頼むよ。」
「かしこまりました。」
小鬼は恭しく一礼して書類を取りに行った。
カウンターを離れるときには、僕はガリオン金貨のぎっしり詰まった巾着袋を持っていた。装飾品を売った代金は手に持ちきれないほどだったので、残りは金庫を借りてそこに預けた。ミネルバは未だに衝撃が抜けきっていないのか、少々強張った顔をしている。
ふと、ミネルバが何かに気づいたように足を止める。
「フリーナ、私の気のせいでなければ似たような装飾品をもう何個か持っていませんでしたか?」
「うん、一個で足りてよかったよ。」
背後で何かが落ちる音がした。振り返ると、先ほどの小鬼が床に帳簿を取り落としていた。目が合うと、慌てて拾い上げて何事もなかったように仕事に戻る。
「……明日にでも、それも金庫に預けましょう。」
「あ、ああ、うん。分かったよ。」
グリンゴッツを出ると、ミネルバは大きく息を吐いて気持ちを切り替えたようだった。
「では、学用品を買いましょう。教科書類、ローブ一式、授業で使う諸々に、杖。」
「魔法の杖!なんてわくわくする響きなんだ!早く行こう!」
「それでは杖からにしましょうか。」
ミネルバは少し呆れたようにそういった。
杖の店はダイアゴン横丁の端にある古びた小さな店だった。扉にはオリバンダーの店と書かれている。軽い鈴の音とともに店内に入る。壁際に規則正しくぎっしりと細長い箱が積まれていた。まるで劇場の幕が上がる寸前のような静けさに満ちている。
「いらっしゃいませ。」
「ひっ」
突然の声に驚いて、思わず変な声が出た。振り返ると大きな銀色の目をした老人がじっとこちらを見つめていた。
「こほん、失礼。杖を買いに来たんだ。」
「おや、これは珍しい。編入生ですかな?」
「ええ、その通りです。」
オリバンダーの目がミネルバに向く。
「おや、ミネルバ。今年はあまり見ないからどうしたのかと思っていたよ。」
「ダンブルドア校長が配慮してくださったのです。夏休みが終わるまでに彼女に普通の生徒が何年もかけて学ぶことを教えなくてはなりませんから。」
背後に積み上げられた勉強の気配に、思わず顔を引き攣らせる。
「夏休みまで授業とは、大変ですな。」
「そうでもありません。」
「あなたほど教師が似合う人はそうおらんじゃろう。」
オリバンダーはそういうと、今度は僕に視線を向けた。
「さて、お嬢さん。お名前をお聞きしてもよろしいかな。」
「フリーナ、フリーナ・ドゥ・フォンテーヌさ。」
「ではフリーナさん、杖腕はどちらですかな?」
「杖腕?利き手のことかい?それなら両利きだよ。」
「ふむ。では両の手を伸ばしてください。」
オリバンダーはそういうと、ポケットから取り出した巻き尺で色々な部位の長さを測り始めた。
「オリバンダーの杖は一本一本強力な魔力を持ったものを芯に使っております。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。昔はそれ以外の芯材を使ったり、お客様が持ち込んだものを使うこともありました。ですがそれでは最高品質の杖を安定して作ることは出来ないとわしは結論付けました。」
そう言いながら棚から一つの箱を取り出す。
「これをお試しください。ハナミズキに一角獣のたてがみ、18センチ。振りやすい。」
杖を取ろうと手を伸ばすと、まるで静電気が走ったような感覚が指先を駆け抜けた。バチンと音がして、杖が弾かれてどこかへと飛んでいく。
「これはいかん。」
オリバンダーは器用に杖をキャッチすると、別の箱を取り出した。
「トウヒにドラゴンの心臓の琴線、27センチ。良質でしなやか。さあ、どうぞ。」
杖を取ろうとすると、再び手が弾かれた。
「これもいかん。」
それから何本も杖を試したが、すべて触れる前に弾かれてしまった。途中からは魔法に嫌われているんじゃないかとすら思えてきた。オリバンダーは箱に手を伸ばす途中で手を止めて、なにやら考え込んでいる。
「ふむ。不思議じゃ。実に不思議じゃ。こんなことはわしも経験したことがない。いや、しかし、もしかすれば……。フリーナさん。もしや何か、魔法の品をお持ちではないですか?」
「そんなの、持っていないよ。」
困惑しながら首を振る。だが、オリバンダーの大きな銀色の目は僕の首元に止まった。
「その首元のペンダントを見せていただけますか。」
鎖は服の下に隠れて見えないはずだが、オリバンダーの目はじっとそれを見つめていた。少しためらってから、言われた通りにロケットを首から外して渡す。
「開けてもよろしいですか?」
「ああ。」
オリバンダーが開けると、そこには丸められた青い糸が入っていた。
「髪の毛、ですか?」
横から覗いていたミネルバがそう呟く。
「そうさ。僕の故郷では一昔前に自分の髪の毛をアクセサリーに入れて贈るのが流行っていたんだ。」
もう百年以上も前のことではあるけれど。
「まあ!」
ミネルバが口を手で塞ぐ。その目がきらりと光ったのを僕は見逃さなかった。
「もう、そんなんじゃないってば。」
慌てて訂正するも、ミネルバの目は分かっていますとでもいいたげだった。
確かに妻や夫や恋人に贈るのが一般的だったが、これを贈った朴念龍がそれを理解していたとは思えない。大方、メリュジーヌから「家族や大切な人に贈るんですよ」とでも聞いたのだろう。その様が目に浮かぶようだった。
オリバンダーは無言でじっとその髪の毛を見つめていた。
「……これで、杖を作らせてはいただけませんか?」
「これでかい?」
思わず驚く。だってただの髪の毛だ。いや、龍の髪の毛だし、力はある……のだろうか?
「恐らく、他の杖はこれに弾かれたのでしょう。なにか不思議な、そして強大な力を感じます。きっとこれを使えば素晴らしい杖ができます。わしの杖作りとしての勘がそう言っているのです。」
静かに爛々と輝く銀色の目を見つめる。職人の目だ。こういう目を何度か見たことがある。みな優秀な職人だった。
「……最高の杖を作ると約束できるかい?」
「ええ、オリバンダーの名にかけて。」
まだ少しためらいながら、ロケットを差し出す。
「いいとも。君に任せよう。」
「ありがとうございます。」
オリバンダーはロケットの中に入ったそれをそっと取り出した。
「では、小一時間ほどしてからまたお訪ねください。」
店の外に出ると、ミネルバが驚いた顔でこういった。
「あのようなことがあるのは初めてです。もしやあなたのご友人は特別な魔法生物か何かなのですか?」
「まあ、そんなところさ。」
それから僕達はダイアゴン横丁で他の買い物を済ませた。教科書や望遠鏡、大鍋、クリスタルの薬瓶、真鍮の秤、ローブ一式とドレスローブ、それと魔法のトランク。初めて見たときはあんなにわくわくしたのに、今は気もそぞろで杖のことが気になってしょうがなかった。すべてを買ってオリバンダーの店に戻ると、店内には誰もいなかった。
しばらく待っていると、奥からオリバンダーがやってきた。その手には恭しく一本の杖を持っていた。
「杖材はイトスギを使いました。38センチ。良質でしなやか。」
手を伸ばすと、今度は弾かれることはなかった。そっと杖を握る。その瞬間、何か大きな影が店の天井を泳いでいるのを見た。誰も口を開くことができなかった。ふと気がつくとそれは消えて、いつもの光景が戻っていた。
「どうやら相応しい杖が見つかったようですね。」
ミネルバがそういって微笑んだ。