フリーナ・ドゥ・フォンテーヌと魔法の世界 作:とりあえずお茶
ミネルバがテスト用紙に羽ペンを走らせて採点していくのを、僕は緊張した面持ちで眺める。
この夏休み、僕はホグワーツの生徒が何年もかけて学ぶ内容を数週間で学ぶことになった。魔法の勉強は正直わくわくしたが、流石に大変だった。毎晩ベッドに入ると頭の中で教科書の内容が飛び跳ねる、そんな日々だった。
ミネルバが羽根ペンを置いて、満足そうに頷いた。僕は生唾を飲み込む。
「これならば十分編入しても授業についていけるでしょう。」
ほっと安堵の息を吐く。いや、それにしても僕って結構すごいんじゃないか?たった数週間でここまでやるなんて。僕が内心得意げにしていると、ミネルバがこちらを見て眉を上げた。
「もっとも、実技に関してはまだまだ練習が必要ですが。」
「うっ、今それを言わなくてもいいだろう。」
恨みがましく睨むと、ミネルバは硬い表情を崩した。
「まあ、期間を考えれば上出来だといえるでしょう。変身術はなかなかでした。それに、治癒と水の魔法に関しては目を見張るものがあります。初めて杖を持ってたった数週間でこれほどの魔法を使えた生徒を私は知りません。」
その言葉に自慢げに胸を張る。
「そうだろう、そうだろう!」
「この夏休み、あなたはよく頑張りました。だから、というわけではありませんが、実はプレゼントがあるのです。」
そういってミネルバは机の下から細長い紙を取り出した。受け取ると紙面を箒に乗った選手たちが勢いよく飛び交っていた。何かが書かれていたようだが、選手が殴り飛ばしたボールで文字が穴だらけにされている。
「なんだい、これは?」
「クィディッチ・ワールドカップ、決勝戦のチケットです。」
その声音は興奮を隠しきれていなかった。
「今年はイングランドで開催されることになったのです。もちろん私も一緒に行くつもりです。あなたには常々、本物のクィディッチを味わってもらいたいと思っていましたから。イングランドは……まあ、あれですが、アイルランドは素晴らしいチェイサーが揃っていますし、チーム全体のレベルも高い。十分優勝を狙えるでしょう。それにブルガリアのシーカーも忘れてはなりません。ビクトール・クラムは間違いなく今世紀最高のシーカーの一人です。それにギリシャの――」
滔々と各国の選手を語るミネルバを、呆然と見上げる。もしかして、自分が行きたかったんじゃ……。
こほん、とわざとらしく咳をして話を止める。
「あー、うん、ありがとう。楽しみにしているよ!」
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アイルランドのチェイサーがまた得点し、爆発的な歓声が上がる。
僕はミネルバとクィディッチ・ワールドカップ、決勝戦、アイルランド対ブルガリアの試合を観戦していた。熱狂的な応援の声が空気をビリビリと揺らしている。さっきアイルランドのシーカーがフェイントに釣られて地面に激突したときなどは、世界が爆発したかと思うような歓声が上がった。僕はすっかり会場の空気に圧倒されていた。
飛び交う選手たちは赤と緑の閃光のようで、その影を追うだけでも大変だった。だが、空を自由に飛翔しながら互いの全力を尽くすその姿は、観客を熱狂させるのも納得の迫力があった。ミネルバが熱中する気持ちがようやく分かった。いつしか僕はその姿を夢中で追っていた。
「リンチが!」
ミネルバが半ば悲鳴のような声を上げて僕の肩を叩いた。目を向けると、アイルランドのシーカーが急降下していた。どうもこれは演技ではなさそうだ。ブルガリアのシーカーもぴったりとその後ろにつく。徐々にその差が縮まっていく。今の点数ではブルガリアがスニッチをとっても勝ち目はない。だがどちらの選手もただ一点を見つめていた。気づけば僕は息を止めて、食い入るようにそれを見つめていた。二人のシーカーが並ぶ。その軌跡が金色の輝きと交わった。その瞬間、クラムがスニッチを掴んだのを僕は確かに見た。リンチが地面に激突する。そしてクラムが拳を振り上げた。一拍置いて、事態を理解した観客席から割れんばかりの歓声が上がった。
夜、僕は会場の外のテントで眠っていた。ミネルバはボーバトン校の先生を見つけて挨拶をするといっていなくなった。テントには念の為防御魔法をかけるので、決して外にはでないようにと言い残して。テントの中は魔法で広げられていて、中はちょっとした家のようになっていた。そのベッドに身を横たえてじっとテントの天井を見つめる。
未だに耳の奥底にあの歓声がこだましている。目を閉じればあの試合の光景が鮮明に蘇る。あんなふうに飛べたら、きっと楽しいだろう。テントの外では熱狂の覚めやらない観客たちが未だにどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。
目が冴えて、とても眠れそうにない。諦めてベッドから身を起こす。そのとき、甲高い悲鳴が大気を引き裂いた。歌声が止む。代わりに人々の叫び声と走る音がする。
戸惑いながらテントの入口を見つめる。一体何が起こっているのだろう。テントの入口に手をかけて、そこでためらう。ミネルバからは自分が戻るまで決してこのテントから出ないようにと言われていた。外に出てミネルバが僕を見つけられなくなったらどうなるだろう。ミネルバは僕を探すためにここに戻って来るはずだ。そのときに僕がいなかったら?それに、外に出た方が逆に危ないかもしれない。このテントには守りの魔法をかけたとミネルバがいっていた。このままここに居たほうが安全かも。
僕がテントの入口で立ちすくんでいると、いよいよ空気に煙の匂いが混ざり始めた。誰かが痛い、痛いと呻く声がした。この声の感じは、すぐ近くだ。
勢いよく息を吸い込んで、覚悟を決める。テントの入口を開ける。あちこちのテントが燃えていた。煙が目に染み込んで、涙が出る。声の方向に駆け出すと、すぐそこに腕から先が無くなった男が倒れていた。真っ青な顔で自分の肩を押さえている。
杖をその肩に向ける。魔法は知っている。ミネルバに教えてもらった。冷静に、いつものようにやればいい。
「エピスキー、癒えよ」
まるでどこからか腕が突然現れたように、男の体は元に戻った。予想外の治り方に驚きながら、男に声をかける。
「大丈夫かい?」
男は驚いたように自分の腕を触ったあと、立ち上がった。
「助かった。姿くらましをしようとしたんだが、慌ててたからかバラけちまった。感謝するぜ、お嬢さん。」
そういって男はどこかへと走り出す。
あたりを見回すと、何張りものテントが燃えていた。逃げ惑う人々の間を赤い火の粉が舞い、あちこちから悲鳴が聞こえてくる。火の向こうに、宙に浮いて悲鳴を上げている人がいる。少し離れたところでは、煙を吸い込んだらしい魔女が地面に座って咳き込んでいる。
杖を高く掲げる。何をすればいいのかは知っていた。練習したときよりも遥かに強力な力が杖先に集まっていく。まるで杖が喜んでいるようだった。
「光よ。」
杖先から白く輝く水の輪が広がっていく。それに触れた途端、火が鎮火する。咳き込んでいた魔女はそっと自分の喉に触れた。
「痛くない。」
そう信じられないように呟く。逃げる途中に転んで膝を擦りた魔法使いは、それが治っているのに気づいた。木の枝で頬を切って泣いていた子供は、不思議そうに自分の顔を触った。水の輪はキャンプ場を超え、僕の想定も超えて周囲の森にまで広がっていく。まるで杖が喜んでいるようだった。いや、いくらなんでも広がりすぎだろう!内心慌ててながら杖を下ろすと、ぱっと水の輪が消えた。
一瞬、耳が痛いほどの静寂があたりを覆った。煙が消え、その向こうに趣味の悪い仮面を被った一団と、パジャマ姿の魔法使いたちが立っていた。魔法を使うことすら忘れたように、呆然と立ちすくんでいる。宙吊りにされていた人影が地面に落ちた。その音が、やけに大きく響いた。まるでそれが合図だったかのように、彼らが一斉にこちらを振り返った。
ま、まずい。戦いの呪文なんて知らないぞ。
彼らの杖がこちらを向いた瞬間、バチンと音がして目の前に流れるような銀の髪が踊った。まるで夜の闇を裂く月光のような少女がそこに立っていた。彼女の美しさに、仮面の集団も、パジャマの魔法使いたちも一瞬目が奪われた。まるで時が止まったようだった。少女が杖を振り上げ、仮面の一団に呪文を打ち込む。派手な爆発音とともに、ようやく呪縛が解けた。パジャマの一団も一気呵成に仮面を攻撃し始める。仮面の一団もすぐさま反撃に転じる。
そのとき誰かの腕に勢いよく抱きしめられた。よく知った気配に、強張った体から力を抜く。
「フリーナ!無事でよかった。」
ミネルバに抱きしめられながらシルバーブロンドの少女の方を振り返ると、いつの間にかその隣で巨大な女性が戦っていた。彼女が杖を振るたびに仮面の人間が吹き飛んでいく。やがて劣勢を悟った仮面の集団は姿くらましで消えていった。
ミネルバが腕を解き、もう片方の手で構えていた杖も降ろした。
「フリーナ、怪我はありませんか。」
「大丈夫だよ。怪我一つない。」
そういうと、ミネルバはようやく安堵して息を吐き出した。
「素晴らしい魔法でーした。」
振り返るとあの少女がいた。
「あたしはボーバトンのフラー・デラクールでーす。あなーたのお名前はなんというーんですか?」
「フリーナ、フリーナ・ドゥ・フォンテーヌさ。」
突然の称賛に驚きながらそう答える。
「あなーたと競い合えるのを楽しみにしていまーす。」
彼女はそう言うと、くるりと背を向けてあの大柄な女性の方に戻っていった。
「競い合う?なんのことだい?」
「さあ?」
ミネルバを見上げると、彼女はすまし顔でそういった。
そのとき、ざわめきが走った。あの魔法使いの一団が険しい顔で森の方を見つめている。ミネルバがその視線の先を追って、さっと顔を青ざめさせた。森の上に巨大な髑髏のマークが浮かんでいた。その口から緑色の蛇が這い出していた。
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僕達は付き添い姿現しで家に戻ると、言葉少なに互いの寝室に向かった。ベッドに横になってもやはり眠気はやってこない。クィディッチ・ワールドカップの決勝戦がもうだいぶ昔のことのように感じられる。
温かいミルクでも飲もうとベッドから起き上がり、階段を降りる。するとリビングにまだ明かりがついていた。
部屋に入ると、ミネルバが食卓で一人、グラスを傾けていた。グラスには琥珀色の液体が入っている。
「おや、まだ起きていたのですか?」
ミネルバの言葉はいつもより少しゆっくりだった。無言でその横に座る。
「どうしたんだい?」
ミネルバは少しためらってから口を開いた。
「少し、昔のことを思い出していたのです。」
「昔のこと?」
「昔の生徒たちです。マーリン、ベンジー、ギデオン、フェービアン、ジェームズ、リリー、――」
ミネルバは喉がつまったように言葉を止めた。それから、息を深く吸って再び話し始める。
「あの印は例のあの人のマークでした。あれが打ち上がるたびに、その下で人が死にました。決して死ぬべきではなかった人たちが。」
ミネルバは俯いて深く息を吐き出した。それから小さく首を振った。
「いけませんね。あなたに聞かせるつもりはなかったのですが。」
ミネルバの隣に座って、手を重ねる。
「もっと聞かせてくれないかい。時間というのは残酷だ。良いことも、悪いことも摩耗させてしまう。だから、僕も覚えていよう、彼らのことを。」
ミネルバはグラスに浮かぶ液体をじっと見ながらしばらく黙っていた。それからぽつりとこぼす。
「フリーナ、あなたは不思議な人ですね。あなたと話していると、ときどき、本当にときどき、アルバスと話しているような気分になります。」
「そりゃあ僕は君よりもずっと年上だからね。」
さらりとそう答えると、ミネルバは顔を上げて、まじまじと僕を見た。その目が徐々に大きく見開かれる。それからふと笑みをこぼした。
「少し長くなりますよ。」
「長い話は嫌いじゃない。むしろ大歓迎さ。」
ミネルバが杖を振ると、温められたミルクの入ったマグカップが僕の前に現れた。それを受け取って、宙に掲げる。
「今はもう会えない彼らのために。」
「彼らのために。」
グラスとマグカップが触れて高く澄んだ音をだした。そしてミネルバは語り始めた。
夜も更けてくると、ミネルバにも少しだけ酔いが回っていた。語る言葉が少しづつゆっくりになっていき、間に沈黙が挟まることが多くなった。
僕はミネルバの持つグラスを興味深く眺める。実のところ、僕はお酒を飲んだことがない。どんな味なんだろうか。昔からずっと気になっていた。
「ねえ、僕も飲んでいいかい?」
そういうと、ミネルバは奇妙な表情で杖を振った。宙からミネルバのものと同じグラスが現れる。ミネルバはボトルを傾けて、それに琥珀色の液体を注いだ。差し出されたそれを受け取る。
「不思議な気分です。」
「なにがだい?」
「あなたが私よりも年上だなんて。……本当ですよね?」
ミネルバは未だ信じられない様子でそういった。
「もちろん。」
「……本当の本当に?」
「ああ。」
「とてもそうは見えません。」
「そんなに子供っぽくないだろう!」
僕がそういうと、ミネルバは吹き出した。そんなふうに笑うミネルバを見るのは初めてだった。
グラスとグラスを軽く触れ合わせてから、杯を傾ける。琥珀色の液体が舌に触れた瞬間、カッと焼けるような刺激がした。思わず咳き込む。
「なんだい、これ?」
「おや、私よりも年上なのでは?」
「お酒は初めてなんだ!さてはからかってるな?」
ミネルバは笑った。
「フリーナ、あなたが来る前はこの家はとても静かでした。私も夏休みにしか帰らないので、一年の大半は空っぽのまま放置していました。ですが、あなたが来てからはずっと賑やかになりました。」
「そんなに騒いでないだろう!」
心外だという顔をすると、ミネルバは微笑んだ。
「あなたが無事でよかった。」
口を開いても、言葉が出てこない。なんだか胸のあたりが温かい。僕にはそれがお酒のせいなのかどうか分からなかった。
照れ隠しに勢いよくボトルからグラスに液体を注いで、一気に傾ける。
「あっ、それは……。」
カッと喉を焼く液体が通り過ぎた。体が熱くなり、視界が揺れる。なんだかとてもいい気分だ。そうして何かをしようとして――
翌日、起きると頭ががんがんと痛んだ。あれからの記憶がまるでない。手すりを掴みながら、ゆっくりと階段を降りる。
「おはよう、ミネルバ。」
頭を抑えながらそう挨拶すると、ミネルバはどこか怒った顔で振り返った。
「おはよう、フリーナ。あなたは、私の見ていないところで、決して!お酒を飲まないでください。それと当分この家でお酒は禁止です!」
「いったい何があったんだい?」
僕は思わず情けない声をだした。