フリーナ・ドゥ・フォンテーヌと魔法の世界 作:とりあえずお茶
ハリーたちと遊んだり、ミネルバとこっそり二人でお茶会をしたり、宿題に追われたりしているうちに月日はあっという間に過ぎていった。
十月、闇の魔術に対する防衛術ではついにムーディが生徒に服従の呪文をかけ始めた。いつかやるのではないかと誰もが内心、薄々思っていたことが現実になったのだ。一人目は元気にタップダンスを踊り、二人目は調子っぱずれのアリアを大音声で歌わされた。それから幾人かが呪文をかけられたが、誰も対抗できた者はいなかった。
「フォンテーヌ、前に出ろ。」
ムーディが唸るように僕の名前を呼んだ。教室の中央、机が片付けられて舞台のようになったそこに緊張しながら歩み出る。ムーディの杖が真っ直ぐ僕に狙いを定めた。
「インペリオ!服従せよ!」
幸福が頭を満たした。まるで美味しいケーキをお腹いっぱい食べて、ふかふかのベッドに横になったときのような気分だ。さっきまでなんとか服従の呪文に抗うと考えていたことなど、記憶の彼方に飛んでいった。
大声で自分の名前を叫べ……自分の名前を叫べ……。
頭の中にムーディの声がこだまする。僕は最高の気分のまま、片手を胸に当て、もう片方の手を高く掲げる。
「皆の者、傾聴するがいい!僕こそがフリーナ・ドゥ・フォンテーヌだ!」
そう叫ぶ僕を、もう一人の僕がどこか遠くから見ていた。まるで演技をしているときのような感覚だ。
次は故郷の歌を歌ってみせろ……。
もう一人の僕が、僕の肩に手をかける。
はっとして我に帰ると、教室中の視線が僕に集まっていた。はっ恥ずかしい。完全に服従の呪文にかかっていた。
「こほん、それでは次の役者に舞台を譲るとしよう。」
そういって、そそくさと壁際に戻ろうとする。だが、ムーディはにやりと笑って叫んだ。
「それだ!いいぞ!今、お前は完全に服従の呪文を打ち破った。お前たち、見たか?フォンテーヌがやったぞ!さあ、もう一回だ。」
どうやら、まだ退場はできないようだった。
授業が終わると、ムーディは僕に残るように言った。生徒たちが去り、空っぽになった教室でムーディと向かい合う。……何も悪いことなどしていないのに、なぜだか悪いことをしたような気分になる。
「座れ。」
そういってムーディは椅子をよこした。言われた通り、そこに座る。ムーディも向かいに座った。
「なぜ呼ばれたか、わかるか?」
魔法の目と生身の目が両方、僕をじっと見つめる。皆目見当がつかない。
「……もしかして、追加課題の出来が悪かったとか?」
ムーディは唸るように笑った。
「お前の課題はよく出来ている。驚くほどにな。大したものだ。」
ムーディがそんなことをいうとは思わなくて、思わず驚く。いや、よく考えれば授業中も案外生徒のことをよく見ているし、気にかけている。恐ろしげな闇祓いの言動もどこか演技が混じっているように感じられる。もしかしたら、本当は案外いい先生なのかもしれない。
「ありがとうございます。でも、それじゃあ用事は?」
ムーディは僕をぎょろりと睨んだ。ひっ……やっぱり、気の所為だったかも。
「お前からは呪いの気配がする。」
「呪い?」
首を傾げる。
「心当たりはないか。これは重要なことだ。記憶の隅までひっくり返して思い出せ。」
思い出せと言われても、さっきまで服従の呪文をかけられていたばっかりだ。ホグワーツでは呪いなんてありふれている。授業ではこれだし、毎日廊下では生徒たちが呪文を打ち合っている。
「……誰かに悪戯呪文でもかけられたとか?」
「生徒にかけられるような呪いではない。――いや、心当たりがないならいい。だが、もしも何か少しでも思い当たることがあればわしに言え。」
意外なほど優しげな声色だった。普段もそういう姿を見せれば少しは怖がられなくなるだろうに。
ムーディが立ち上がる。どうやら話は終わりらしい。
「それにしても、君はなかなかいい先生なんだね。」
「……わしが?」
ムーディは一瞬、ほうけたような顔をした。
「だって生徒のことをよく気にかけているじゃないか。正直にいうと、もっと怖い人だと思っていたよ。『恐ろしいマッドアイ』の演技をしなければ、もっとみんなも君を慕ってくれるんじゃないかい?それじゃあ、失礼するよ。」
僕はそういって教室を出た。扉を閉める直前、ふと振り返ると、あの奇妙な魔法の目だけがじっと僕を追っていた。
玄関ホールにつくと、掲示板の前に大勢の生徒が群れをなして右往左往していた。一番後ろの方に特徴的なのっぽの赤毛を見つけて手を振る。いつもの三人組だ。
「おーい、何があったんだい?」
ロンは僕を見つけると興奮した様子で叫んだ。
「ボーバトンとダームストラングが来るぞ!金曜日だ!最後の授業を三十分早く終えて、城の前に集合だって!」
それから金曜日まで、学校のなかはずっと浮足立って、お祭りの前のような興奮が支配していた。僕もまたフラーに会えると思うと楽しみだった。
金曜日、いつもより早めに最後の授業が終わり、僕達は城の前に整列した。晴れた、寒い夕方だった。みんなが今か今かと到着を待ち構え、期待に目を輝かせるなか、僕は寒さに震えていた。マフラーをきつく巻いてローブの前を締めても醒めるような冷気が服の中に入り込んでくる。イギリスの秋はフォンテーヌでは経験したことがないほど寒かった。期待の気持ちも体を温めてはくれない。震えながら手を擦っていると、隣の子に心配そうに覗き込まれた。
「大丈夫、フリーナ?唇が真っ青よ。」
「だ、ダイジョウブダトモ。」
「声まで震えてるぞ。」
と別の子が言った。
そのとき、ダンブルドアが先生方の並んだ最後列から声を上げた。
「ほっほー!わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいてくるぞ!」
生徒たちが熱い声を上げながら、どこかと目を凝らした。
「あそこだ!」
僕のちょうど前に立っていた子が森の上空を指さして叫んだ。夕暮れの紺に染まる空のなかに何かが浮かんでいた。ぐんぐんと大きくなる。
「ドラゴンだ!」
「バカ言うなよ……あれは空飛ぶ家だ!」
グリフィンドールの方で誰かが叫んだ。近づくに連れてその正体が明らかになった。それは屋敷ほどもある巨大な馬車だった。十二頭の輝くたてがみの天馬が引いている。天馬は一頭一頭が象ほども大きかった。
そのときばかりは僕も寒さを忘れて見入っていた。馬車が猛烈なスピードで突っ込んでくるので、思わず何歩か下がる。どん、と大きな衝撃とともに馬車は着陸した。
淡い水色のローブを着た少年が金色の踏み台を引っ張り出し、恭しく飛び退いた。すると馬車のなかから見たこともないほど大きな女性が現れた。ハグリッドと同じくらい大きいのではないだろうか。あの大きさは間違いない。クィディッチ・ワールドカップで助けてくれた魔女だ。前の生徒が彼女をよく見ようと背伸びをしたので、僕はその後頭部しか見れなくなった。仕方なく、他の生徒と一緒に後頭部に向かって拍手を送る。
なんとか前の子たちの隙間からのぞくと、馬車から十数人の生徒たちが降りてくるところだった。みんな僕と同じように震えている。その中にフラーの姿を見つけて、手を振る。フラーもこちらを見つけて、手を振り返した。
ボーバトン生はダームストラングの到着を待つことなく、城の中に入っていった。
ダームストラング一行を待ちながら寒さにガタガタと震えていると、再び隣の子が顔を覗き込んできた。
「ねえ、フリーナ。本当にあなた、真っ青よ。城の中に戻った方がいんじゃない?」
僕は少しためらってから、頷いた。正直、もう限界だった。
「ソウサセテモラウヨ。」
「スプラウト先生には私から言っておくわ。」
お礼を言って、お城の中に入る。ほっと息を吐く。風がないだけで、だいぶましになる。
がらんとした玄関ホールを突っ切って大広間に入ると、入口の横でボーバトン生たちが寒そうに寄り添いながら立っていた。あの大きな校長先生はいない。その中からフラーを探していると、フラーが先にこちらを見つけて声をかけてきた。
「フリーナ!お久しぶりでーす。」
「久しぶり、フラー。あのときはありがとう、助けてくれて。ずっとお礼を言いたかったんだ。」
「当然のことをしたまででーす。」
フラーは澄まし顔でそういった。けれど、どこか照れくさそうにも見えた。
「ところで、座らないのかい?」
フラーは戸惑ったように大広間の机を見回した。
「勝手に座っても、いいのでーすか?」
もしかして、ボーバトンは席順が決まっているのだろうか。
「もちろん。ホグワーツはいいk、あー」
いいかけて、言葉を選ぶ。
「自由だからね。せっかくだし、うちの寮のテーブルに来ないかい?」
フラーは一度ボーバトン生たちを振り返ってから頷いた。そうしてボーバトン生はハッフルパフのテーブルに座ることになった。
「イギリスはいつもこんなに寒いのでーすか?」
フラーはストールで覆った体を抱きしめながらそういった。
「そうらしいよ。僕も今年が初めてだけどね。」
フラーはきょとんとした。
「そうなのでーすか?」
「今年から編入してきたんだ。」
「それまではどこにいたのでーすか?」
「ずっと遠い場所だよ。一年中、海で泳げるくらい温かいんだ。」
「ボーバトンもここよりはずっと温かいでーす。」
そんなことを話していると、興奮したようなざわめきが玄関ホールの方から聞こえてきた。どうやらダームストラングが到着したらしい。ダームストラングの一団が大広間に入ってくる。少し遅れてホグワーツ生がどっと濁流のように押し寄せてきた。
「やあ、フリーナ。すごかったぞ。湖の底から船が出てきたんだ!」
セドリックがそういって向かいに座る。
「湖の底から船?」
「そうさ!本物の幽霊船さ!それに、クラムがいたんだ!」
「クラム?どのクラムだい?」
「ビクトール・クラムだよ!」
セドリックは興奮した顔でそういった。それから横のフラーに気づいて少し落ち着く。
「こんにちは、僕はセドリック・ディゴリーだ。よろしく。」
「フラー・デラクールでーす。」
フラーはつんと澄ましてそう答えた。僕は二人が話している間に首を伸ばしてダームストラングの一行からクラムを探そうとしていた。一行のなかにそれらしい人物を見つける。曲がった目立つ鼻、濃い黒い眉。間違いない。クラムだ!
「フラーは代表選手に立候補するんだよね。」
「もちろんでーす。」
フラーは少し馬鹿にしたように鼻で笑った。
「私たちはそのために来まーした。」
「僕も代表選手に立候補するんだ。選ばれたら、よろしく。」
セドリックは普段の好青年の顔ではなく、少し好戦的な笑みを浮かべて手を差し出した。フラーはこちらをちらりと振り返ってから、その手を握って不敵に微笑んだ。
「オグワーツの代表選手があなーたでも、フリーナでも、他の誰であろーうとも、私が勝ちまーす。」
「えっ、僕は立候補しないよ。」
驚きながらそう答えると、フラーが勢いよく振り返った。
「すみませーん。どうやら聞き間違えたみたいでーす。」
「えっと、僕は、立候補、しないよ。」
もう一度、はっきりというと、フラーは目を見開いた。
「なぜでーすか?」
いや、だっておびただしい数の死者がでたっていうじゃないか。怖すぎる!僕が出る?無理無理無理。という内心を、最高に格好つけて飾り付ける。
「栄光は間に合っているからね!」
フラーはまだ不満そうだったが、幸い、そのとき教職員が入ってきた。ボーバトンの校長、マダム・マクシームが入ってくるとボーバトンの生徒は一斉に立ち上がった。僕は思わず驚いてしまった。どうやら僕もすっかりホグワーツの適当さ加減に慣れてしまったらしい。マダム・マクシームがダンブルドアの左手に着席し、ボーバトン生も一斉に座る。ダンブルドアだけは立ったままで大広間を見回した。
「こんばんは。紳士、淑女、そしてゴーストの皆さん。そしてまた――今夜はとくに――客人の皆さん。ホグワーツへのおいでを、心から歓迎いたしますぞ。本校での滞在が、快適で楽しいものになることを、わしは希望し、また確信しておる。」
大広間を見回すと、ダームストラング生はスリザリンのテーブルに座っていた。
「三校対抗試合は、この宴が終わると正式に開始される。さあ、それでは、大いに飲み、食し、かつ寛いでくだされ!」
新学期の歓迎会のときと同じように、目の前の皿が料理で満たされた。あのときよりもずっと料理の種類が多い。どうやら今日のコックは腕を振るったらしい。その中に懐かしい料理があった。思わず目を見開く。ラタトゥイユだ。一口とって食べる。少しの間、動けなかった。エスコフィエのものとは少し味が違うが、懐かしい故郷の味だった。見回せば他にもフォンテーヌの料理がある。鴨肉のコンフィ、カスレ、フリカッセ・ドゥ・プーレまで!少しづつ自分のお皿にとっていると、フラーが横から覗き込んできた。
「フランスの料理が好きなのでーすか?」
「フランスの……」
テーブルの上に並んだ料理を見渡す。そうか、この世界ではこれはフランス料理なのか。道理でイギリスでは見なかったはずだ。
「故郷で、よく食べていたんだ。」
「そーですか。」
フラーはそういうと席を立った。大広間を歩く姿に、何人もの男子生徒の目が釘付けになる。何をするのか見ていると、グリフィンドールのテーブルのハリーたちに話しかけた。ロンが真っ赤になって、熱に侵されたような目でフラーのことを見つめている。ハーマイオニーがそれを横目で睨んでいた。ハリーが何かを言って、フラーは両手にブイヤベースの大皿を受け取った。
戻ってきたフラーは大皿をテーブルの上に置くとこういった。
「さあ、食べーましょう。」
何度か目を瞬いてから、思わず微笑む。
「ありがとう。」
みんなが満腹になって、デザートまで綺麗さっぱり平らげた頃、ダンブルドアが立ち上がった。
僕はお腹がいっぱいで今にもベッドで眠りたい気分だった。調子に乗ってデザートを食べすぎた。だが、生徒たちの間では静かに興奮が高まっていた。ダンブルドアが魔法省の役人を紹介したが、生徒たちの関心はすでに別のところにあった。代表選手、という言葉がダンブルドアの口から出るといよいよ興奮は最高潮を迎え、大広間を張り詰めたような静けさが覆った。
用務員のフィルチさんが宝石をちりばめた大きな木箱を捧げ持ち、ダンブルドアの方に進み出た。ダンブルドアが課題について説明する間にも、それは恭しくダンブルドアの前のテーブルに置かれた。
「課題は三つあり、今学年を通して、間を置いて行われ、代表選手はあらゆる角度から試される――魔力の卓越性――果敢な勇気――論理・推理力――そして、言うまでもなく、危険に対処する能力などじゃ。」
やはり絶対に立候補しないと決意を固める。だが、セドリックや幾人ものグリフィンドール生、レイブンクローやスリザリンの上級生にとってもその言葉は決意を煽るものになったようだった。
「皆も知ってのとおり、試合で競うのは三人の代表選手じゃ。参加三校から各一人ずつ。選手は課題の一つひとつをどのように巧みにこなすかで採点され、三つの課題の総合点がもっとも高い者が、優勝杯を獲得する。代表選手を選ぶのは、公正なる選者」
ダンブルドアは息を一つためた。
「『炎のゴブレット』じゃ」
ダンブルドアが杖で木箱の蓋を三度軽く叩くと、蓋は軋みながらゆっくりと開いた。ダンブルドアは木箱の中から大きな荒削りの木のゴブレットを取り出した。その縁から溢れんばかりに青白い炎が踊っていた。フラーの瞳にも、セドリックの瞳にも、その青白い炎がきらきらと輝いていた。
「最後に、この試合で競おうとする者にはっきり言うておこう。軽々しく名乗りを上げぬことじゃ。『炎のゴブレット』がいったん代表選手と選んだ者は、最後まで試合を戦い抜く義務がある。ゴブレットに名前を入れるということは、魔法契約によって拘束されることじゃ。代表選手になったからには、途中で気が変わるということは許されぬ。じゃから、心底、競技する用意があるのかどうか確信を持った上で、ゴブレットに名前を入れるのじゃぞ。」
ダンブルドアが警告を放つ間も、その炎は消えることはなかった。まあ、彼らが出るというなら応援しよう。それくらいしか僕に出来ることはないけれど。
「さて、もう寝る時間じゃ。皆、おやすみ。」
生徒たちが一斉に立ち上がって、熱気に浮かされたように騒ぎ合う。
「フラーたちはどこで眠るんだい?」
「来るときに乗ってきた馬車でーす。」
「そうか。じゃあここでお別れだね。おやすみ。」
「おやすみでーす。よかったら今度、馬車に遊びに来てくださーい。」
そういって僕達は別れた。寮に戻ろうとすると、誰かに呼ばれた。振り返るとハリーたちがいた。
「フリーナ!あのボーバトンの子はどこに行ったんだ?」
ぼうっとした顔のロンの足を、ハリーが思いっきり踏んづけた。ハーマイオニーがわざとらしく大きなため息を吐いた。