学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
春の終わりから初夏を思わせるような暖かな日差しが、都内屈指の高級住宅街――港区青山の並木道を鮮やかに照らしていた。
表通りの喧騒から一本入った閑静な路地には、手入れの行き届いた生垣や重厚な石造りの邸宅が立ち並び、行き交う人々の姿も疎らで、澄んだ静寂が支配している。
その緩やかな坂道を、二人の少女が並んで歩いていた。
一人は、腰まで届く漆黒のウェーブヘアを揺らし、白のフリルブラウスにデニムスカートという、清楚ながらも活発な私服に身を包んだ月村手毬。
もう一人は、黒髪のセミロングを優雅に整え、淡い若草色のワンピースにカーディガンを羽織った、どこから見ても良家のお嬢様然とした秦谷美鈴である。
「……ねえ、美鈴。本当にこの道で合ってるの?」
手毬がスマートフォンの地図アプリを睨みつけながら、不安そうに眉をひそめた。画面に表示された青いナビゲーションの矢印は、間違いなくこの先の一角を指し示している。
「こんな高級な住宅街、本当に優さんの家があるわけ……」
「合っていますよ、まりちゃん。優さんからいただいた住所は、この先を曲がったところです」
美鈴はおっとりとしたマイペースな足取りを崩さず、ふわりと微笑んだ。
「優さんは、二十歳で一人暮らしをなさっているとおっしゃっていましたからね。きっと、落ち着いた閑静なマンションでも借りていらっしゃるのでしょう。……楽しみですね、まりちゃん。優さんのプライベートな空間にお邪魔できるなんて」
「べ、別に楽しみになんかしてないわよ! 週末の特別ミーティングだって言うから来ただけだし!」
手毬はプイと横を向いたが、その耳の先は微かに赤らんでいた。
角を曲がると、道幅が一層広がり、さらに格式高い住宅が並ぶ区画へと入った。
スマートフォンのナビが「目的地周辺です」と静かに告げる。
二人は足を止め、顔を上げた。
「――っ……!?」
その瞬間、手毬の喉から小さな息の音が漏れ、言葉が完全に消え去った。
隣にいた美鈴もまた、黒い瞳を丸く見開いたまま、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。
目の前に聳え立っていたのは、マンションなどという生易しいものではなかった。
高いコンクリート打ち放しの擁壁に囲まれた、広大な敷地。
重厚なアイアンワークが施された特注の自動開閉式メインゲートの向こうには、美しく舗装された石畳のアプローチが伸びている。その奥に鎮座しているのは、近代建築の粋を集めたような、白亜の三階建ての大豪邸だった。
ガラス張りの吹き抜け、手入れの行き届いた前庭のシンボルツリー、そして最新鋭のセキュリティカメラが何重にも張り巡らされたその佇まいは、個人の住居というよりも、どこかの国の迎賓館か、超一流企業のゲストハウスそのものだった。
門柱に掲げられた、磨き上げられた真鍮の表札には、シンプルにこう刻まれていた。
『AMAMIYA』
「……う、そ……でしょ……?」
手毬の唇がガタガタと震え、声が掠れた。
「ご、豪邸……ってレベルじゃないじゃない……! なにこれ……お城……? 美術館……!?」
「まあ……」
美鈴もまた、両手を胸の前で重ねたまま、信じられないものを見るように見上げていた。
優が「株で資金を運用していた」「青山の自宅にスタジオがある」と話していたことは聞いていたが、まさか青山の一等地に、これほどの規模の敷地を持つ一軒家を個人で所有しているとは夢にも思っていなかったのだ。
資産四十億円という現実の重みが、巨大な建造物となって二人の眼前に立ちはだかっていた。
「ど、どうするのよ美鈴!? 本当にここを押すの!? 間違って大富豪の石油王の家だったりしたらどうすんのよ!」
「落ち着きなさいな、まりちゃん。表札にお名前が書いてありますでしょう」
美鈴は震える手毬を宥めつつ、自らも胸の鼓動を抑えながら、門柱に埋め込まれた最新式のインターホンのボタンに指を伸ばした。
ピンポーン、と澄んだ電子音が鳴り響く。
数秒の静寂の後、スピーカーから聞き慣れた、あの温かで柔らかい青年の声が返ってきた。
『はい、天宮です。……いらっしゃい、月村さん、秦谷さん。今、門を開けますね』
カチャリ、と重厚なロックが解除される電子音が響き、巨大なアイアンゲートが音もなくゆっくりと左右に開いていった。
手毬と美鈴は顔を見合わせ、お互いにゴクリと唾を飲み込んでから、恐る恐る敷地内へと足を踏み入れた。
石畳のアプローチを進み、白亜の玄関ポーチへ。
重厚な天然木と金属で設えられた二重の玄関ドアが開くと、そこにはラフなチャコールグレーのサマーニットにスラックスという、私服姿の天宮優が立っていた。
目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪が柔らかく下り、サファイアのような碧眼が優しく細められる。
「二人とも、遠いところまでよく来てくれましたね。道には迷いませんでしたか?」
「ゆ、優さん……」
手毬は圧倒されすぎて、声が上擦っていた。
美鈴はぺこりと優雅にお辞儀をする。
「お招きいただきありがとうございます、優さん。……あの、本当に素敵なお屋敷ですね」
「ふふ、十八歳の時に無理をして買った家ですからね。一人で住むには少し広すぎるくらいなんですが……さあ、どうぞ上がってください」
優に促され、二人は玄関ホールへと足を踏み入れた。
そして――再び二人は息を呑むことになった。
「――っ……!!」
「ほう……っ」
美鈴の口から、熱いため息が漏れ出た。
手毬に至っては、完全に顎が外れたようにぽかんと口を開けたまま、上を見上げて固まっている。
そこは、まさに「美術館の回廊」そのものだった。
二階までの贅沢な吹き抜け構造になった広大なエントランスホール。
見上げる天井の中央には、幾何学的なカットが施された巨大なクリスタルのシャンデリアが吊るされ、柔らかな自然光とプリズムの光を浴びて、空間全体に七色の光の粒を降らせている。
そして床面には、鏡のように滑らかに磨き上げられた最高級の天然大理石。幾重もの繊細な文様が織り込まれた特注の大理石は、まるで一枚の巨大な敷物――「大理石の絨毯」のように広がり、二人の姿を美しく足元に映し出していた。
壁面には優が海外で収集した洗練された現代アートの絵画が間接照明に照らされ、靴を脱ぐことすら躊躇われるほどの気品と静謐さが漂っている。
「な……な、なにこれ……」
手毬が震える足でスリッパを履きながら、美鈴の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「美鈴……ここ、本当に個人のおうちなの……? ホテルじゃないの……? シャンデリアが……落ちてきたら即死しそうな大きさなんだけど……!」
「静かにしなさいな、まりちゃん。はしたないですよ」
美鈴は手毬を窘めつつも、その頬を桜色に上気させていた。
(本当に……なんて素晴らしい空間なのでしょう。優さんの気品と美しさが、そのまま形になったようなお屋敷……)
優の底知れない器の大きさと洗練された生活空間に触れ、美鈴の胸は甘いときめきで激しく脈打っていた。
「二人とも、リビングへどうぞ。案内しますね」
優が穏やかに微笑み、大理石の廊下を先導する。
二人はスリッパの音をパタパタと響かせながら、まるで宮殿を訪れた迷子のように優の後ろをぴったりとついていった。
案内されたリビングルームは、玄関ホール以上の広大さを誇っていた。
優に五十畳はあろうかというリビングの中央には、イタリア製の最高級レザーで仕立てられた巨大なコーナーソファと、一枚板のウォールナットで造られた特注のローテーブル。一面のガラス窓からは、美しく剪定された芝生と木々が広がるプライベートガーデンが一望でき、都心のど真ん中とは思えないほどの開放感に満ちている。
「どうぞ、楽に座ってください」
優に勧められ、二人は恐る恐るレザーソファに腰を下ろした。
沈み込むような極上の座り心地に、手毬は「ひゃっ」と小さく声を上げ、背筋をピンと伸ばして固まる。美鈴もまた、慎重にスカートの裾を整えて端正に座った。
やがて優が、キッチンの奥からトレイを持って戻ってきた。
テーブルの上に置かれたのは、有名パティスリーのロゴが入った箱から出された色鮮やかなマカロンの盛り合わせと、上品なグラスに注がれたアイスティーだった。
「あまり気の利いたものが用意できなくて申し訳ないけれど。喉が渇いたでしょう、どうぞ召し上がってください」
優は三人掛けソファの正面にある一人掛けのチェアに腰掛け、サファイアの碧眼を細めて柔らかく微笑んだ。
手毬は目の前の高級マカロンに目を奪われつつも、緊張でグラスを持つ手が小刻みに震えていた。
一口アイスティーを含み、喉を潤すと、ようやく少し人心地がついたのか、手毬は部屋中をキョロキョロと見回しながら優に尋ねた。
「あ、あのね、優さん……」
「はい、何ですか? 月村さん」
「このおうち……本当に、優さん一人で暮らしてるの……?」
「ええ、そうですよ。両親は東京の別の場所に住んでいますから、ここは僕一人です」
「一人でこんな広大なお屋敷に……!? 掃除だけでも丸一日かかりそうなのに……!」
手毬の至極真っ当な疑問。
すると、優はグラスをローテーブルに置き、どこか居心地が悪そうに視線を微かに泳がせた。
そして、白銀の前髪を指先で軽くかき上げながら、困り果てたような苦笑いを浮かべたのだ。
「……あはは。実はね、二人を呼んでおいて本当に申し訳ないんだけど……上手くおもてなしができなくて、本当にごめんね」
「え……?」
美鈴が首を小さく傾げた。
優は肩を少し落とし、普段の完璧で頼もしいプロデューサーの姿からは想像もつかないほど、情けなさそうに眉尻を下げて白状し始めた。
「僕ね……家事が、さっぱりできないんだ」
「――はい?」
手毬が素っ頓狂な声を上げた。
美鈴の黒い瞳が、ピクリと鋭く反応した。
優は恥ずかしそうに両手で顔を覆いながら、ため息混じりに言葉を続けた。
「本当に、驚くほど何もできなくてね……。料理なんて、包丁を握れば指を切りそうになるし、火加減の調整も分からなくて目玉焼きすら炭化させてしまうんだ。掃除や洗濯も、最新の全自動家電に頼るか、帰国してから週に三回お願いしている専門のハウスキーパーさん――ヘルパーさんに全部丸投げしている状態なんだよ」
「へ、ヘルパーさん……!?」
手毬が目を丸くする。
「食事だって、普段は外食かデリバリーで済ませるか、ヘルパーさんが作り置きして冷凍してくれたお惣菜を電子レンジで温めるくらいしかできないんだ。だから、今日二人をもてなそうと思っても、自分で手料理を振る舞うことすらできなくて……有名店のお菓子を買ってくるのが関の山だったんだよ。……情けないプロデューサーで、本当に恥ずかしいな」
ガックリと項垂れ、サファイアの碧眼をしょんぼりと伏せる天宮優。
二十歳でありながら、株で四十億円を稼ぎ出し、かつて伝説の覆面歌手「天月」としてダブルミリオンを連発した音楽の最高峰の天才。
その男が、今、目の前で「目玉焼きすら焼けない」「家事が壊滅的」という理由で、まるで悪戯を見つかった子犬のように小さくなっているのだ。
「…………っ!!」
その瞬間、秦谷美鈴の胸の奥底で、何かが激しく弾け飛んだ。
美鈴の黒い瞳が、カッと眩い光を放った。
(な……なんて、愛らしいのでしょうか……っっ!!)
美鈴の胸を貫いたのは、強烈無比な「ギャップ萌え」の衝撃波だった。
完璧超人だと思っていた優。
何でも一人でこなせて、誰よりも落ち着いていて、自分たちを導いてくれる絶対的な存在。
そんな人が、日常生活においてはこれほどまでに不器用で、無力で、誰かの助けを必要としている!
(お料理もできない……お掃除もできない……。一人でこんな広いお屋敷に住んで、冷たいお惣菜を温めて食べていらっしゃるなんて……っ! なんて危なっかしくて、放っておけないお方なのでしょう……!!)
美鈴の内に眠る、底知れない母性と世話焼きの情熱が、火山の如く噴火した。
手毬が「ええええっ!? 優さん、本当に料理できないの!? 目玉焼きすら焦がすって、私より酷くない!?」とゲラゲラ笑い出すのを尻目に、美鈴はすっと立ち上がった。
そして、優の座るチェアのすぐ傍まで歩み寄ると、両手を胸の前で重ね、この上なく可憐で、誇らしげな笑みを浮かべたのだ。
「優さん」
鈴の音のように澄んだ、甘やかな美鈴の声。
「それでしたら、何も心配なさることはございませんよ」
優が不思議そうに顔を上げると、美鈴は優のサファイアの瞳を至近距離から見つめ返し、満面の笑みでこう宣言した。
「それなら、私が優さんのお世話をいたしますね」
「……え?」
優がぽかんと目を瞬かせた。
美鈴は嬉しそうに、まるで天職を見出した聖母のように言葉を重ねた。
「私、お料理もお掃除も、お洗濯も大好きなのです。優さんのような素晴らしいお方が、そんなコンビニや冷凍のお食事ばかり召し上がっていては、お身体を壊してしまいます。……私、いつでもここへ参ります。優さんのために、栄養たっぷりの温かい手料理をお作りして、お部屋を綺麗にお掃除して、身の回りのことすべて、私が甲斐甲斐しくお世話して差し上げますからね」
お淑やかな声音でありながら、その瞳の奥にはギラリとした強固な野望が宿っていた。
(これで……優さんの胃袋は、完全に私のものですね……!)
生活能力ゼロの優の弱点を完全に把握した美鈴にとって、これはプロデューサーの心を射止めるための、これ以上ない絶好の好機だったのだ。
当然、その抜け駆けを手毬が見逃すはずがなかった!
「ちょ……ちょっと美鈴ぅぅぅっ!!」
手毬がソファから飛び起き、マカロンを放り出して二人の間に割り込んできた!
「なによそれ! なんであんたが優さんの専属お世話係みたいになってんのよ! 抜け駆けにも程があるでしょ!!」
「あら、まりちゃん。優さんがお困りなのですから、担当アイドルとしてサポートするのは当然の務めですよ。まさか、包丁も握れないまりちゃんが、優さんのお世話をなさるおつもりですか?」
美鈴が涼しい顔で首を傾げる。
「うぐっ……! そ、それは……っ!」
痛いところを突かれ、手毬が言葉に詰まる。
だが、手毬は引き下がらない!
「料理ができなくたって……そうよ、私が優さんの話し相手になってあげるし、一緒にいてあげるわよ! 美鈴なんかに優さんの胃袋は渡さないんだからね!」
「ふふ、話し相手だけでお腹は膨れませんよ、まりちゃん。優さん、明日の夕食は何がよろしいですか? 肉じゃがでしょうか、それともハンバーグがよろしいでしょうか?」
「無視すんなぁぁぁっ!!」
広大すぎるリビングに、二人の少女の賑やかな声がこだまする。
優は挟まれたまま、赤面して両手を振りながら恐縮しきりだった。
「あ、あの、二人とも……! 秦谷さんのお気持ちは本当に嬉しいけれど、僕のためにそこまでしてもらうのは申し訳ないというか……」
「申し訳ないことなど、一つもございませんよ、優さん」
美鈴は優の手元をそっと覗き込み、極上の笑みを浮かべた。
「私、優さんのお世話ができるなら、これ以上の幸せはありませんもの」
青山の豪邸の静けさは完全に打ち砕かれ、天宮優の知られざる「致命的な弱点」を巡る、新たな波乱の日常が幕を開けていた。