学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
初星学園の放課後を告げるチャイムが鳴り響く頃、校門を抜けて駅へと向かう生徒たちの波から少し離れた場所に、並んで歩く三人の姿があった。
端正なスーツを着こなし、目にかからない長さに整えられた白銀の髪を風になびかせる天宮優。その左右には、制服姿の月村手毬と秦谷美鈴が、まるで示し合わせたかのようにぴったりと寄り添っている。
「天宮さん、また月村さんと秦谷さんを連れてお帰りですか?」
校門の近くで担当アイドルのスケジュール帳を確認していた中野仁が、少し羨ましそうに、そして苦笑いを浮かべながら声をかけてきた。
「ええ、中野さん。これから学外でみっちり集中レッスンなんです」
「相変わらず熱心ですね。高瀬さんあたりが『新入生のくせに調子に乗って二人も囲い込んで』なんて嫌味を言っていましたから、あまり無理はなさらないでくださいね」
「忠告ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
優が柔らかく微笑んで会釈を返すと、手毬は「ふん、高瀬Pなんかの嫌味なんて関係ないわよ」と鼻を鳴らし、美鈴はお淑やかにぺこりと一礼した。
ここ最近、三人の放課後の過ごし方は、完全に一つのルーティンとして定着していた。
学園の専用事務所で簡単な連絡事項を確認し終えると、すぐに電車に揺られて港区青山の閑静な住宅街――優の所有する広大な豪邸へと直行するのだ。
初星学園の特別棟にも充実したレッスン室やスタジオは用意されているが、予約の取り合いや利用時間の制限がある。何より、青山の自宅地下に構える要塞のようなプライベートスタジオの音響環境と機材の質は、学園の施設すら遥かに凌駕していた。
巨大なアイアンゲートをくぐり、大理石の敷き詰められたエントランスホールを抜けて、地下への頑丈な防音扉を開ける。
外界の喧騒から完全に切り離された地下の絶対静寂に包まれた瞬間、手毬と美鈴の表情は、放課後の女子高生のものから真剣な表現者のそれへと一変した。
「それじゃあ、今日も発声のウォームアップから始めましょうか」
優が世界最高峰のアナログミキシングコンソールの電源を入れると、無数のVUメーターが美しく跳ね上がり、スタジオ全体が生き生きとした光を灯す。
ガラス張りのレコーディングブースに入った手毬と美鈴に対し、優はトークバックマイクを通じて、二人にとってまさに「目から鱗」としか言いようのない的確な指導を重ねていった。
「月村さん、前回の課題だったパッサッジョ(換声点)の処理ですが、息のスピードを一定に保とうとするあまり、軟口蓋の後ろ側がわずかに落ちています。あくびをする直前の喉の空間を意識して、上前歯の裏側に向けて音の焦点を当てるように母音を響かせてみてください」
「秦谷さん、息を吸い込むときに肩甲骨を少し寄せるイメージを持ってください。君の豊かな中音域の響きは、背面の筋肉がリラックスして共鳴腔が最大限に開いたときに、最も美しい倍音を含みます」
優の放つ言葉の一つひとつは、初星学園の授業で教わる抽象的な精神論や感覚的なアドバイスとは次元が違っていた。
骨格の構造、筋肉の連動、音響物理学、そして声帯の微細な振動に至るまで、すべてを論理的かつ直感的に理解できるよう解きほぐしてくれる。
女神から授かった『音楽に愛されし者』というチート能力と、前世の膨大な音楽知識に裏打ちされた優の指導は、二人にとって未知の叡智の宝庫だった。
手毬と美鈴は、乾いた大地が水を吸い上げるように、まるでスポンジのように優の知識と技術を吸収していった。
「――あ、本当だ……! 喉の引っ掛かりが全然ない……っ!」
手毬がブースの中で自らの喉に手を当て、黒い瞳を輝かせる。
「まあ……声が自然に前に飛んでいきますね。無理に息を吐き出そうとしなくても、こんなに響くなんて……」
美鈴もまた、テレフンケンのマイクの前で驚嘆のため息を漏らした。
さらに二人を驚かせたのは、優がリアルタイムで行う音の「神調整」だった。
優がコンソールのフェーダーとヴィンテージのイコライザー、コンプレッサーを指先で滑らかに操作するたび、ヘッドホンから返ってくる自らの歌声が、信じられないほどの極上の艶と透明感をまとっていく。
ノイマンのヴィンテージU47を通して返ってくる手毬の歌声は、力強さを保ったまま耳障りな角が取れ、どこまでも澄み渡る魂の叫びへと昇華される。
美鈴のELA M 251から紡ぎ出される歌声は、シルクのような滑らかさでスタジオの空気を甘く包み込んでいく。
(……すごいな。二人とも、本当に恐ろしいほどの才能だ)
コンソール卓の前に座る優自身もまた、サファイアの碧眼を見開き、二人の進化の速度に内心で舌を巻いていた。
教えたことを次の瞬間には体得し、自らの感情を乗せて表現へと変えていく。中等部でトップを走っていた実績は決して伊達ではない。
正しい導きと最高の環境さえあれば、彼女たちはどこまでも高く飛べるのだと、優は確信を深めていた。
「はい、今日のボーカルワークはここまでです。二人とも、本当に素晴らしい集中力でしたよ」
優がトークバックを切ってブースのドアを開けると、二人は汗を拭いながら充実感に満ちた笑顔で出てきた。
「優さん! 今日の高音の抜け、すごく気持ちよかったわ!」
「ふふ、まりちゃんばかり褒められてはずるいですよ。優さん、私のブレスのコントロールも良くなっていたでしょう?」
「ええ、二人とも劇的な進化ですよ。僕が驚かされるくらいです」
優が目を細めて二人の頭を撫でるように褒めると、手毬は照れくさそうに頬を染めてそっぽを向き、美鈴はお淑やかに目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
地下での充実したレッスンを終え、三人は一階のリビングへと上がってきた。
時刻はすでに夜の七時を回っている。
優がリビングのソファに腰掛け、一息つこうとしたその時だった。
「さて、それじゃあご飯の支度を始めましょうか、まりちゃん」
美鈴がカーディガンの袖をまくり、手慣れた様子でキッチンへと向かった。
「ええ、任せなさい! 今日の下ごしらえも私が完璧にサポートするわ!」
手毬も負けじと、美鈴の後に続いてキッチンへと小走りで駆け込んでいく。
ここ最近のもう一つの「お決まり」がこれだった。
地下でのレッスンが終わると、美鈴と手毬が二人でキッチンに立ち、優のために夕食を作り、三人で食卓を囲むのが日課となっていたのだ。
手毬がこの豪邸に連日入り浸るようになった理由は、優の神調整レッスンを受けられることだけではなかった。
何よりも、「秦谷美鈴の作る絶品の手料理」が目当てだったのだ。
美鈴が作る料理は、出汁の取り方から火加減に至るまで料亭顔負けの美味さであり、レッスンで極限までエネルギーを消費した手毬の胃袋を完全に虜にしていた。
そしてもう一つ、手毬にとって絶対に譲れない理由があった。
それは――「優と美鈴を二人きりにさせないため」である。
手毬が帰ってしまえば、美鈴が優の手料理を作り、甲斐甲斐しくお世話を焼き、優の心を完全に独占してしまうことは目に見えている。
そんな抜け駆けを、手毬のプライドと独占欲が許すはずがなかった。
「まりちゃん、お肉の筋切りはもっと浅く入れなさいと言ったでしょう」
「わ、わかってるわよ! これくらい大胆に切った方がタレが染み込むのよ!」
「タレが染み込みすぎて辛くなってしまいます。それから、そこのプチトマトをつまみ食いするのはおやめなさい」
「つまみ食いじゃないわよ! 糖度をチェックしてただけよ!」
「言い訳はお上手ですね。まりちゃん、太りますよ」
「ふ、太らないわよぉぉぉっ!!」
広大なシステムキッチンの向こうから、いつもの賑やかな掛け合いが聞こえてくる。
優はリビングのソファからその光景を眺めながら、温かな苦笑いを浮かべていた。
家事がさっぱりできない自分に代わって、二人の少女が腕を振るい、楽しそうに夕食を準備してくれている。豪邸の静けさを心地よく吹き飛ばすその温もりが、優の胸を満たしていた。
やがて、香ばしい甘辛いタレの香りと、炊き立てのご飯の匂いがリビングいっぱいに広がった。
「優さん、お待たせいたしました。今夜は鶏の照り焼きと、季節の温野菜、それにまりちゃん特製のお豆腐とワカメのお吸い物ですよ」
「ほら、優さん! 私の切ったお豆腐、今日も角が立ってて完璧でしょ!」
「ええ、見事な腕前ですね。月村さんも秦谷さんも、本当にありがとうございます」
三人は並んで食卓につき、手を合わせて「いただきます」と声を揃えた。
外はすっかり夜の帳が下りているが、食卓を照らす暖色のライトの下、湯気の立ち上る料理を囲む時間は、何物にも代えがたい幸福に満ちていた。
箸を進めながら、今日のレッスンの振り返りや、学園での出来事、クラスメイトの噂話などで話が弾む。
手毬は相変わらずご飯をおかわりして美鈴に小言を言われ、優が笑いながらお茶を注ぐ。
まるで、血の繋がった家族のような温かな団欒だった。
美味しかった夕食を綺麗に平らげ、手毬と美鈴が協力して食器を食洗機へとセットし終えた頃、優はふと壁の時計を見上げた。
針はすでに、夜の九時半を指そうとしていた。
「……さて、そろそろいい時間ですね。二人とも、学園の寮まで車で送っていきますよ」
優が立ち上がり、車のキーを手に取ろうとした、その時だった。
「あら、優さん。送っていただく必要なんてございませんよ」
美鈴がお淑やかに首を傾げ、何事もなかったかのように微笑んだ。
「え……? でも、寮の門限もあるでしょう?」
優が不思議そうに尋ねると、手毬がソファの上で足をパタパタと揺らしながら、得意げに胸を張ってみせた。
「門限なんて関係ないわよ。だって優さん、私と美鈴は今夜、ここに泊まるんだから!」
「――は?」
優の動きが、完全に停止した。
サファイアの碧眼が点になり、持っていたキーを取り落としそうになる。
「と、泊まる……!? ここに、ですか!?」
「はい、そうですよ。優さん、ちょっと二階へいらしてくださいな」
美鈴が楽しそうに手招きし、手毬も「ほらほら、早く早く!」と優の腕を引いて階段へと向かわせる。
呆気にとられたまま二人に連れられ、優は豪邸の二階へと上がった。
二階には、優自身も普段は滅多に使わない、広々としたゲストルームが数部屋並んでいる。
そのうちの一番日当たりの良い二つの部屋の前に案内され、美鈴がカチャリとドアを開けた。
「――っ……!?」
その光景を目にした瞬間、優は絶句した。
そこは、もはや無機質なゲストルームなどではなかった。
白と淡いグリーンを基調とした部屋には、ふかふかのクッションや可愛らしいぬいぐるみが並べられ、ドレッサーの上には手毬の愛用するヘアアイロンやスキンケア用品、そしてクローゼットには私服やレッスン着、初星学園の制服の予備までがぎっしりとハンガーに掛けられていた。
隣のもう一つの部屋を覗けば、そこには落ち着いた若草色とアイボリーで統一されたカーテン、美鈴の好むアロマディフューザー、そして整然と並べられたパジャマや身の回り品が美しく配置されている。
いつの間にか、優の豪邸の二階に、「手毬の部屋」と「美鈴の部屋」が完全に完成していたのだ。
「な……な、なんですか、これは……っ!?」
優の額に、ツラツラと冷や汗が流れた。
美鈴は両手を胸の前で合わせ、至極当然といった表情で微笑んだ。
「ご覧の通り、私とまりちゃんの専用のお部屋ですよ。昨日、寮から必要な荷物を少しずつ運び込んでおいたのです。いつでもここに泊まれるように、準備を整えておきました」
「いつでもって……!」
優は思わず頭を抱えた。
「秦谷さん、月村さん……! 君たちは現役のアイドル科の生徒で、僕は担当プロデューサーですよ!? アイドルがプロデューサーの家に泊まり込むなんて、倫理的にも学園の規則的にも、絶対にまずいです! 誰かに見られたら、どんなスキャンダルになるか……!」
二十歳としての分別と、真面目で誠実なプロデューサーとしての危機感から、優は必死に説得を試みた。
だが、目の前の少女二人に、そんな常識論が通用するはずもなかった。
「べーっだ! 誰も見てないんだから関係ないわよ!」
手毬がぷいと舌を出し、ベッドにダイブしてクッションを抱きしめた。
「青山のこんな静かな住宅街、パパラッチだって来やしないわよ! それに、夜遅くまで優さんの地下スタジオでレッスンして、美鈴の美味しいご飯を食べて、朝起きてすぐにまたレッスンができるのよ!? アイドルとして、こんなに効率的で素晴らしい環境が他にあるわけないじゃない!」
「まりちゃんの言う通りですよ、優さん」
美鈴もお淑やかに頷き、優のすぐ傍へ歩み寄って上目遣いに見つめてきた。
「学園の寮は門限も厳しく、夜間の音出しも制限されておりますでしょう? ここなら、優さんの神がかったご指導を夜遅くまで心ゆくまで受けられますもの。それに……優さんのお世話をするためにも、私たちがここにいた方が、優さんも助かるでしょう?」
手毬の強引な居直りと、美鈴の逃げ場を塞ぐ甘やかな正論。
二人の猛烈な勢いの前に、優は完全に気圧され、言葉に詰まってしまった。
「で、でも……亜紗里先生に知られたら……」
「亜紗里先生には『プロデューサーの指導のもと、特別強化合宿を行っている』とお伝えして、許可の書類を一筆いただけばよろしいだけですよ。学園側も、私たちの成績が上がれば文句は言いませんもの」
美鈴の完璧すぎる外堀の埋め方に、優はぐうの音も出ない。
「ほら優さん! 早くお風呂入ってきちゃってよ! 私たちも順番に入るんだから! 入らないのなら私が先に入るわよ!」
手毬がパジャマを抱えて部屋から飛び出し、意気揚々とバスルームへ向かおうとする。
「まりちゃん、年長者である優さんが最初に入るのが筋というものです。優さん、お風呂の準備は私がして差し上げますからね」
「美鈴! 私だってバスタオルくらい用意できるわよ!」
二人の賑やかな足音が、二階の廊下に響き渡る。
優は広大な廊下の真ん中で、一人立ち尽くしたまま、深いため息をついた。
(……本当に、女性陣の勢いは止まらないな……)
だが、ため息の後に唇から零れ落ちたのは、困惑を通り越した柔らかな笑みだった。
かつては孤独を抱え、誰にも心を開けずにいた月村手毬。
そんな手毬を心配し、自らの欲求を一歩引いて押し込めていた秦谷美鈴。
その二人が、こうして遠慮なく自分を頼り、自分の屋敷に入り浸り、笑顔を咲かせている。
プロデューサーとして、これほど誇らしく、愛おしい光景があるだろうか。
「諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける」
優は自らの信条を胸の中で静かに唱えた。
常識外れの同居生活が始まってしまったが、彼女たちの輝きを頂点へと押し上げるためなら、どんな賑やかな波乱も喜んで引き受ける覚悟が、優の中にはとっくに出来上がっていた。
青山の白亜の豪邸に灯る明かりは、夜が更けても消えることなく、温かな笑い声とともに、三人の新しい日常を優しく照らし続けていた。