学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
次話から徐々に音楽的な話も混ざっていきます。
物語中盤スタートですね。
青山の住宅街が淡い群青色の夕暮れに包まれる頃、天宮優の邸宅の地下――外界のあらゆる喧騒を遮断した要塞スタジオの中には、研ぎ澄まされた旋律が静かに満ちていた。
特注の吸音・拡散パネルが張り巡らされた広大なコントロールルームの中央で、優は巨大なミキシングコンソールの前に座り、モニターに表示されたDAWの波形画面を見つめていた。
目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪が、微細な空調の風に揺れている。サファイアのような碧眼は、音の粒子一つひとつを視覚化するかのように鋭く、そして深い集中を宿していた。
鍵盤を叩き、コードの響きを確かめる。
『音楽に愛されし者』としての能力が、脳内に渦巻く無数の音の断片を、寸分の狂いもなく調和したアレンジへと組み上げていく。
その優のすぐ左隣、息遣いが届くほどの至近距離に、秦谷美鈴が腰を下ろしていた。
黒髪のセミロングを耳にかけ、淡いラベンダー色の部屋着を身にまとった美鈴は、優の作業を邪魔しないよう細心の注意を払いながら、小さなサイドテーブルの上に湯気を立てるマグカップをコトリと置いた。
「優さん、少しお耳を休めてください。カモミールとレモングラスをブレンドしたハーブティーを淹れてまいりました」
鈴の音のように澄んだ、甘やかで穏やかな声。
美鈴はさらに、手元に用意していた小さな清潔なハンドタオルを広げると、優の首筋にそっと添えた。
「集中なさるあまり、少し汗をかいていらっしゃいましたよ。……はい、お拭きしますね」
「あ……すみません、秦谷さん。いつも気を遣っていただいて、ありがとうございます」
「いいえ、優さんのお世話をさせていただくのが、私の何よりの喜びですもの」
ふわりと花が綻ぶように微笑み、甲斐甲斐しく優の世話を焼く美鈴。
その立ち居振る舞いは、どこからどう見ても、多忙な夫を献身的に支える「完璧な若妻」そのものだった。
そして、その後方――スタジオの革張りソファの上から、その光景を猛烈な形相で凝視している少女がいた。
「…………っ!!」
月村手毬は、膝の上に抱え込んだクッションを爪が食い込むほど強く握りしめ、黒い瞳をギリギリと吊り上げていた。
(な、なによ……なんなのよ、あの正妻みたいな顔は……っっ!!)
手毬の胸の中で、警報がけたたましく鳴り響いていた。
お茶を淹れるタイミング、タオルの差し出し方、優を見つめる潤んだ瞳の角度に至るまで、美鈴の仕草には一切の隙がない。
担当アイドルという立場を完全に隠れ蓑にして、優の日常の領域へ土足ならぬシルクのスリッパで優雅に踏み込み、外堀を埋め尽くそうとしているのだ。
(このままじゃ……優さんの隣が、完全に美鈴の定位置になっちゃうじゃない……! 私だって、優さんの力になりたいのに……っ!)
強烈な焦燥感と危機感に突き動かされた手毬は、クッションを放り出してソファから勢いよく立ち上がった。
「ちょ、ちょっと優さん! もう一時間以上も作業してるじゃない! 根を詰めすぎると喉にも耳にも毒よ! 休憩! 休憩にしなさいってば!」
手毬がずかずかとコンソール卓の間に割って入り、優の右腕をぐいぐいと引いた。
突然の乱入に、優は思わず目を丸くし、それから柔らかく相好を崩した。
「あはは、確かにそうですね。月村さんの言う通り、少し集中しすぎていたみたいです。……秦谷さん、お茶をいただいたら、上に上がりましょうか」
「はい、優さん。まりちゃんも、優さんのことを心配してくれて偉いですね」
「子ども扱いすんなぁっ!」
手毬の憤慨を他所に、優はハーブティーを一口飲んで喉を潤すと、制作途中のプロジェクトを保存し、コンソールの電源を落とした。
重厚な二重防音扉を抜け、石造りの階段を上がって一階のリビングへ戻ると、広大なフロアには夜の静けさが満ち始めていた。
「ふぅ……。それじゃあ、夕食の前に少しだけ、明日の仕込みの確認をしておこうかな」
優はリビングのワークデスクに置かれていたノートパソコンを開き、レザーチェアに腰を下ろした。
「仕込み……? 優さん、明日は何かお仕事があるの?」
気になった手毬が、優の椅子の背もたれに手をかけ、画面を上からのぞき込んだ。
画面に映し出されていたのは、学園のスケジュール表でもなければ、音楽制作のソフトでもなかった。
黒と緑を基調とした無機質なチャート、細かく点滅する板情報、そして幾重にも折れ曲がった複雑な折れ線グラフ――証券会社のリアルタイムオンライントレード画面だった。
「これ……株の画面?」
手毬が不思議そうに眉を寄せる。
「ええ、そうです。高校生の頃から余剰資金で運用しているんですよ。海外市場の動向を見て、少しポジションを整理しておきたくてね」
優は淀みない手つきでキーボードを叩き、数銘柄の気配値を確認していく。
その横顔は、音楽と向き合っている時とはまた違う、冷徹なまでの知性と冷静さを漂わせていた。
市場の歪み、大口の資金流入、テクニカル指標の反転シグナル――優の卓越した頭脳は、刻一刻と変化する数字の海から最適な解を瞬時に導き出していた。
カチッ。
静かなクリック音がリビングに響いた。
優はマウスから手を離し、椅子の背もたれに軽く身を預けながら、小さく息を吐いた。
「よし、これで確定だな」
「……どうなったの、優さん?」
手毬が画面を覗き込みながら、無邪気に問いかけた。
「今ので、何かが買えたの? それとも売れたの?」
優はサファイアの碧眼を細め、穏やかな声でさらりと答えた。
「ええ、先週から仕込んでいた半導体関連の銘柄を手仕舞いしました。……今ので、だいたい一億円くらいの利益が出ましたね」
「………………」
静寂が訪れた。
広大なリビングの空気が、まるで瞬間冷凍されたかのように完全停止した。
キッチンカウンターでお茶のポットを片付けていた美鈴の手が、ピタリと止まった。
優の背後からのぞき込んでいた手毬の表情が、そのままの形で凍りついた。
カタン、と美鈴の持っていたティースプーンが小皿に落ち、甲高い音を立てた。
「……は?」
手毬の唇から、間抜けな掠れ声が漏れた。
「い……いま、なんて言ったの……?」
「一億円ほど、利益が出ましたよ。相場が予想通りに動いてくれたおかげです」
「い、いちお……っ!? 嘘でしょ!? 本当に……!?」
手毬は目を限界まで見開き、顔を蒼白にして優の肩を激しく揺さぶった!
「一億って、あの『一億円』!? 百万円が百個あるやつよ!? なんでパソコンをカチッて一回押しただけでそんなお金が湧いて出てくんのよ! ゲームの課金石の話じゃないのよぉぉぉっ!!」
「あはは、ゲームではありませんよ、月村さん」
優は困惑する手毬を宥めるように苦笑し、パソコンの画面を少し傾けて手毬に見せてやった。
「ほら、見てください。これが僕の取引口座の資産明細です」
手毬が恐る恐る画面を見つめる。
そこに表示されていた総合計資産評価額の欄には――手毬の想像を絶する桁数の数字が、整然と刻まれていた。
『預託金残高・保有資産総額:3,248,560,000円』
「さ……さんじゅう……におく……?」
手毬の思考回路が完全にショートした。
三十億円。
優が持つ総資産四十億円超のうち、この証券口座の中だけで三十億円以上の資金が実際に運用されているのだ。
「ほ、本当に……本当に稼いでるんだ……」
手毬は膝から崩れ落ちそうになり、椅子の背もたれにしがみついたまま茫然自失となった。
優が青山の豪邸を現金一括で購入したことや、地下に一千万円単位のマイクが並ぶ要塞スタジオを持っていることは知っている。
けれど、こうして生々しい口座残高を目の当たりにすると、天宮優という男が背負っている現実のスケールが、同年代の高校生・大学生の常識を遥かに超越していることを痛感せざるを得なかった。
一方、キッチンカウンターから駆け寄ってきた美鈴は――。
その画面の数字を見た瞬間、両手を胸の前で祈るように固く重ね合わせ、その陶器のような白い頬を林檎のように真っ赤に染め上げていた。
「まあ……っ、まあまあまあ……っ!!」
美鈴の黒い瞳が、かつてないほど激しい熱を帯びてキラキラと輝いていた。
その視線は、優の横顔へとうっとりと注がれている。
(なんて……なんて素晴らしい殿方なのでしょう……っっ!!)
美鈴の胸の中で、強烈な感動の嵐が吹き荒れていた。
二十歳という若さでありながら、神話的な美貌を誇る銀髪碧眼の容姿端麗。
音楽の世界では伝説の覆面歌手『天月』として君臨した至高の天才。
誰に対しても誠実で、泥臭く人を信じ抜く圧倒的な包容力。
そして極め付けに――指先一つで一億円を動かし、数十億円の資産を堅実に運用する圧倒的な経済力と知性!
「容姿も、頭脳も、才能も、そして経済力も……完璧すぎますよ、優さん……」
美鈴の口から、熱いため息が零れ落ちる。
「これほどまでに頼もしく、甲斐性のある男性がこの世に存在してよろしいのでしょうか……。ふふ、私の見立てに、一片の狂いもございませんでしたね……」
美鈴の瞳は完全に、「未来の超優良物件な夫」を射止めた確信と喜びに満ち満ちていた。
その美鈴のただならぬ気配を察知した手毬が、ハッと我に返って飛び退いた!
「ちょ、ちょっと美鈴っ!! 目が! 目が完全に獲物を狙う肉食獣になってるわよ!! 涎が出そうな顔で優さんを見つめるんじゃないわよ!!」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください、まりちゃん。私はただ、優さんの素晴らしいご才覚に純粋な敬意を表しているだけですよ」
美鈴はお淑やかに微笑みながら、優の椅子のすぐ傍へと詰め寄った。
「優さん。これほどの大金を動かして、お頭をお使いになられたのですから、ひどくエネルギーを消費されたでしょう? 今夜は、特に栄養がついて精の出る極上のお夕食をご用意いたしますね」
「だ、誰が精のつく料理なんて頼んだのよ! 優さんを変な目で見ないで!!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる手毬と、涼しい顔で優の健康管理(という名のアプローチ)を推し進める美鈴。
優は挟まれたまま、赤面して頭を掻きながら苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あはは……二人とも、お金の話はこれくらいにして、お腹も空きましたしご飯にしましょうか」
優の一言でようやく休戦協定が結ばれ、美鈴と手毬はキッチンへと向かった。
広大なオープンキッチンからは、やがていつものように賑やかでリズミカルな調理音が響き渡り始める。
「まりちゃん、タマネギのみじん切りはもっと細かくです」
「わかってるわよ! 目が痛いのよこれ!」
「涙を流している暇があったら、お肉に片栗粉をまぶしてください」
「言われなくてもやってるわよ! ほら、均等についてるでしょ!」
「はいはい、上出来ですよ。……あら、まりちゃん、また味見用のお肉を一枚多く口に入れようとしましたね?」
「い、入れてないわよ! 下味が染みてるか毒見してあげようとしただけよ!」
「まりちゃん、太りますよ」
「ふ、太らないわよぉぉぉっ!!」
小気味よい言い争いとともに、甘酢の爽やかな香りと、ジューシーな揚げ油の弾ける音がリビングを満たしていく。
優はその様子をダイニングテーブルの席から静かに見守りながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
三十分後、ダイニングテーブルには彩り鮮やかな豪華な夕食が並べられた。
今夜のメインは、美鈴特製の「黒酢の具だくさん酢豚」。
外はカリッと、中はジューシーに揚げられた豚肩ロースに、素揚げされた色鮮やかなパプリカ、タマネギ、レンコンが絡み、艶やかな黒酢あんで輝いている。
その脇を固めるのは、手毬が刻んだタマネギと生姜が効いた蒸し鶏の香味ソース和え、中華風の卵とトマトのトロトロスープ、そして炊き立てのツヤツヤとした白米。
「優さん、お待たせいたしました。どうぞ召し上がってくださいな」
美鈴が優の右隣に座り、お淑やかにお茶碗を差し出す。
「優さん! トマトスープのトマトは私が湯むきしたのよ! ちゃんと味わってよね!」
手毬が左隣からすかさず身を乗り出してアピールする。
「はい、心していただきます」
優が手を合わせ、一口酢豚を口に運ぶ。
カリッとした心地よい衣の食感の後、豚肉の濃厚な旨味と、黒酢の芳醇でまろやかな酸味が口いっぱいに広がった。野菜のシャキシャキとした食感も見事に残されており、完璧な火加減だった。
続いてトマトスープを一口すすると、手毬が丁寧に湯むきしたトマトの自然な甘みと酸味が、優しい卵の出汁と溶け合い、身体の芯まで染み渡る。
「……んっ、本当に美味しい」
優は心からの感嘆の声を漏らし、白米を口に運んだ。
「秦谷さんの味付けは本当に絶品だし、月村さんの下ごしらえも完璧ですよ。二人で作ってくれたご飯は、世界一美味しいです」
優のその飾り気のない賛辞に、美鈴は嬉しそうに頬を染めて胸元を押さえ、手毬は「えへへ……当然でしょ!」と満面の笑みを咲かせた。
「ほら美鈴、優さんが世界一だって! 私のトマトのおかげね!」
「まりちゃんのおかげというよりは、私の黒酢あんの配合が素晴らしかったからだと思いますけれど」
「なによ、私の手柄を横取りする気!?」
賑やかな声が、吹き抜けの天井へと心地よく木霊する。
優はそんな二人のやり取りを愛おしそうに見つめながら、手元のお茶を一口飲んだ。
そして、ふっと柔らかく目を細めて、胸の内にある想いを口にした。
「……本当にね、毎日がすごく楽しいよ」
その穏やかで、底抜けに温かい声音に、手毬と美鈴はピタリと言い争いを止め、同時に優を見上げた。
優はサファイアの碧眼で二人を優しく見つめ、静かに言葉を紡いだ。
「十八歳の時にこの家を買ってから、ずっと一人だったんだ。広すぎるリビングも、最新のキッチンも、地下のスタジオも……便利ではあったけれど、いつもどこか静かすぎてね。家事もさっぱりできないし、冷たい出来合いの惣菜を一人で食べるのが当たり前だった。……だけど、二人がここに来てくれるようになってから、家の中が本当に明るくなった」
優は胸元に手を当て、二人に深く微笑みかけた。
「朝起きて、地下で一緒に音楽を突き詰めて、夕方にはこうして温かいご飯をみんなで囲んで、笑い合える。……二人のおかげで、この家が本当の『家』になった気がするんだ。僕の方こそ、本当にありがたいと思っているよ。ありがとう、月村さん、秦谷さん」
プロデューサーとしてではなく、一人の青年としての、純粋無垢な感謝の言葉。
打算も、飾り気もない、天宮優という人間の本質から溢れ出た温かな光。
その言葉を受け取った瞬間、手毬の大きな黒い瞳が、じわりと涙の膜で覆われた。
胸がぎゅっと締め付けられるように熱くなる。
中等部で孤立し、誰にも受け入れられず、居場所を失っていた自分。
そんな自分を、この人はこんなにも必要とし、こんなにも温かく迎え入れてくれたのだ。
「ゆ、優さん……っ。ば、馬鹿じゃないの……。私たちの方こそ、優さんと一緒にいられて……嬉しいに決まってるじゃない……っ」
手毬は真っ赤になった顔を隠すように俯き、お茶碗をぎゅっと抱きしめた。
美鈴もまた、胸の前で手を組み、潤んだ瞳で優を見つめていた。
「優さん……。そんな風におっしゃっていただけるなんて、私たち、果報者ですね。……私、誓います。これからもずっと、優さんの側でお世話をさせてくださいね。優さんの帰る場所は、私たちがいつでも温めておきますから」
「ふふ、頼もしいね。これからもよろしく頼むよ」
優が柔らかく笑うと、食卓には春の日だまりのような、どこまでも優しい空気が広がった。
血の繋がりはない。
プロデューサーと担当アイドルという、本来であれば一線を画すべき関係なのかもしれない。
だが、青山の豪邸に灯るこの温かな食卓には、誰がどう見ても疑いようのない、固い絆で結ばれた「疑似家族」の姿があった。
互いを想い、支え合い、共に明日へと歩んでいく三人。
夜の帳が降りた都心の空の下、優を中心とした三人の絆は、かけがえのない確固たるものへと、深く、静かに溶け合っていた。