学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
外界のあらゆる振動と喧騒を完全に遮断した、青山の豪邸の地下――要塞スタジオの中は、澄み切った緊張感と心地よい静寂に包まれていた。
壁一面に整然と配置された特注のウッド拡散パネルとダークグレーの吸音パネルが、室内の音響反射をミリ秒単位で理想値へと整えている。
コントロールルームの中央では、巨大なアナログミキシングコンソールが鈍く優雅な光を放ち、ラックに組み込まれたヴィンテージ機材のインジケーター群が、琥珀色や青色の柔らかな明滅を繰り返していた。
「さて……二人とも、準備はいいですか?」
コンソール卓の前に座る天宮優が、背筋をすっきりと伸ばし、サファイアのような碧眼を二人へと向けた。
目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪が、空調の微風にさらりと揺れる。
二十歳という年齢以上の落ち着きを湛えたその佇まいには、プロデューサーとしての真摯な覚悟が満ち満ちていた。
昨夜、青山の豪邸で三人並んで温かな夕食を囲み、まるで家族のような時間を過ごしたとはいえ、この地下要塞に足を踏み入れた瞬間から、ここは音楽という名の戦場となる。
「ここ数日、基礎的な呼吸法や発声のポジションを確認してきましたが、今日からは一歩踏み込みます。二人の潜在能力を極限まで引き出すための、本格的な実践ボイスレッスンを行いますよ」
優が引き締まった表情で告げると、ソファに並んで座っていた二人の少女が背筋を正した。
「望むところよ! 私、このスタジオで歌うたびに、自分の声がどんどん変わっていくのが分かるの。もっと上へ行けるなら、どんな厳しいメニューだってやってみせるわ!」
月村手毬が腰まで届く漆黒のウェーブヘアを揺らし、大きな黒い瞳に爛々とした闘志を宿して言い放った。
その隣で、秦谷美鈴もお淑やかに微笑みながら、胸の前で両手を重ねる。
「ええ、まりちゃんの言う通りですよ。優さんのご指導は本当に魔法のようですもの。私、優さんが導いてくださる場所なら、どこまでもついてまいります」
頼もしい二人の返答に、優はふっと頬を緩めた。
「心強いですね。それじゃあ、まずはブースに入ってもらいましょうか。……月村さんからいきましょう」
優が何気なくそう声をかけた、その瞬間だった。
「――ちょっと待って!」
手毬がピタリと動きを止め、唇を尖らせて優のコンソール卓へとずかずかと詰め寄ってきたのだ。
「月村さん? どうかしましたか?」
優が不思議そうに首を傾げると、手毬は両手を腰に当て、ぷくっと頬を膨らませて優のサファイアの碧眼を睨み上げた。
「どうかもこうもないわよ! さっきから気になってたんだけど……優さん、いつまで私のことを『月村さん』って呼ぶつもりなのよ!」
「えっ……?」
優は虚を突かれたように目を瞬かせた。
手毬は一歩踏み込み、顔を赤らめながらも一歩も引かない勢いで言葉を畳み掛ける。
「だって、おかしいじゃない! 私たち、もう優さんの家に荷物を持ち込んで、部屋まで作って、毎日一緒にご飯を食べてるのよ!? 優さんの前で泣きじゃくって、秘密だって共有して……もう私たち、とっくに一心同体でしょ!」
「い、一心同体……っ!?」
手毬の口から飛び出したあまりにも強烈な単語に、優は思わず額に手を当てて狼狽えた。
二十歳の大人の分別として、担当アイドルとは適度な礼節を保ち、名字に「さん」付けで呼ぶのがプロデューサーとしての正しい距離感だと考えていた優である。
だが、手毬にとっては、その礼儀正しさこそが自分と優の間に引かれた見えない壁のように感じられて、耐え難かったのだ。
「そうよ! 一心同体よ! なのに、いつまでも他人行儀に名字で呼ぶなんて水臭すぎるわ! 優さんも、私のことをちゃんと名前で……『手毬』って呼んでよ!」
手毬の叫びは、防音スタジオの壁に反響した。
顔は耳まで真っ赤に染め上がり、胸元が激しく上下している。
恥ずかしさで爆発しそうになりながらも、優の特別でありたいという痛切な独占欲が、彼女の唇から素直な本音を零れ落ちさせていた。
すると、後方からふわりと上品な足音が近づいてきた。
秦谷美鈴が、優雅に制服のスカートを揺らしながら優のすぐ傍へと寄り添ってきたのだ。
美鈴は黒髪のセミロングを耳にかけ、悪戯っぽく、けれど蕩けるような甘い眼差しで優を見上げた。
「ふふ……まりちゃんの言う通りですよ、優さん」
「秦谷さんまで……?」
優が助けを求めるように美鈴を見ると、美鈴はお淑やかに首をコテンと傾げ、とどめの一撃を放った。
「私だって、優さんにいつまでも『秦谷さん』などと他人行儀に呼ばれるのは、少し寂しゅうございます。私たちはもう、優さんに身も心も……歌も未来もすべてを預けた仲ではありませんか。……優さん、私のことも、どうぞ名前でお呼びになってくださいな」
美鈴の潤んだ瞳が至近距離から注がれ、手毬は「美鈴まで便乗してんじゃないわよ!」と喚きつつも、「でも名前呼びは絶対に譲らないからね!」と優の腕を掴んで離さない。
二人の美少女からの、あまりにも熱烈で逃げ場のない要求。
優は観念したように息を吐き、困り果てたような苦笑いを浮かべた。
「参ったな……。僕としては、二人に対する敬意のつもりだったんですが……そこまで言われてしまっては、断る理由がありませんね」
優は姿勢を正し、二人の目を順番に見つめ直した。
そして、どこまでも柔らかく、温もりを込めてその名を呼んだ。
「分かりました。それじゃあ……手毬さん、美鈴さん。改めて、よろしくお願いしますね」
その瞬間、手毬の肩がビクッと跳ね上がった。
「――っ……!!」
優の低く澄んだ声音で「手毬さん」と呼ばれた刹那、手毬の脳天を甘い電流が突き抜けた。
顔が火を噴きそうなほど真っ赤になり、手毬は思わず優の腕をパッと放して両手で顔を覆った。
「う……っ、う、うん……っ! べ、別に……名前で呼ばれたくらいで、どうってことないけど……っ! ちゃんと呼べたじゃないの、優さん……っ!」
指の隙間から覗く黒い瞳は、隠しきれない歓喜と幸福感で爛々と輝いていた。
一方の美鈴はといえば、胸元を押さえ、うっとりと熱いため息を漏らしていた。
「まあ……『美鈴さん』……。なんて心地よい響きなのでしょう。優さんの声で名前を呼んでいただけるだけで、全身の細胞が目覚めるようですね……」
「美鈴、浸ってないで正気に戻りなさいよ!」
手毬が突っ込むが、美鈴の至福の表情は崩れなかった。
スタジオの空気が一段と温かく、そして親密なものへと深まったところで、優は咳払いを一つして空気を引き締めた。
「さて、呼び方の問題も解決したことですし……ここからは本気でいきますよ。手毬さん、ブースへ入ってください」
「――はいっ!」
手毬は力強く頷き、ガラス張りのレコーディングブースへと飛び込んでいった。
ブースの扉が重厚な音を立てて閉ざされ、手毬はNeumann U47の前に立った。
ヘッドホンを両耳に装着し、優とアイコンタクトを交わす。
コントロールルームのコンソール前に座る優の表情から、先ほどの柔らかな苦笑いが消え去った。
サファイアの碧眼が、研ぎ澄まされた刃物のように鋭く光る。
――『音楽に愛されし者』。
女神から授かったその規格外のチート能力が、優の全神経を覚醒させていた。
優の耳には、ブース内の空気の揺らぎ、手毬の肺が吸い込む大気の流速、心臓の鼓動、そして声帯の微細な緊張状態までもが、手に取るように感知できていた。
「手毬さん。前回の面談で伝えた課題を覚えていますね? 君の最大の武器であり弱点でもあるのは、『完璧を求めすぎるストイックさ』です。音程やリズムの狂いを恐れるあまり、喉を締め付け、魂の感情を型の中に押し込めてしまっているんです」
トークバックマイクを通じて、優の凛とした声が手毬の鼓膜に届く。
「今日のレッスンでは、ピッチの正しさは一切気にしなくていいですよ。音が外れたって構いません。その代わり、胸の奥底にあるドロドロとした悔しさ、焦り、誰にも負けたくないという飢え――そのすべてを、喉の奥から絞り出すように吐き出してください」
「ピッチを……気にしない……?」
手毬が息を呑む。
正確無比な歌唱を自らに課し続けてきた元ナンバーワンにとって、それは禁忌を犯すような恐怖を伴う指示だった。
「大丈夫、僕を信じてください。君がどれだけ感情を暴走させても、僕がこのコンソールで、世界で一番美しい音楽へと完璧に調声(ミックス)してみせますから」
優の絶対的な自信に満ちた言葉。
その瞬間、手毬の胸の奥で、頑なに張り巡らされていたリミッターがカチリと音を立てて外れた。
「……わかったわ、優さん。私の全部……受け止めてよねっ!」
優がコンソールの再生ボタンを押し、激しいロック調のトラックが再生された。
手毬が息を深く、背中側の肋骨を限界まで広げて吸い込む。
「――壊れそうな夜の静寂を、切り裂いて進めぇぇぇっ!!」
手毬の喉から、爆発的な絶唱が解き放たれた。
その歌声は、これまでの手毬の枠組みを完全に破壊するものだった。
ピッチの正確さに縛られない、剥き出しの激情。喉が裂けんばかりのダイナミクス、掠れ、唸り、激情のままに跳ね上がるハイトーン。
並のレコーディング環境であれば、マイクの入力限界を超えて歪み、耳を劈く耳障りなノイズと化していただろう。
だが――優の指先が、神がかり的なスピードでコンソールの上を舞った。
カチカチカチッ、スススッ――!
優のチート能力が、手毬の放つ膨大な音のエネルギーをリアルタイムで解析し、極限の「神調整」を施していく。
真空管コンプレッサーの光学式アッテネーターが、手毬の激情のダイナミクスをミリ秒単位で捕らえ、太く粘りのあるアナログの温かみへと変換する。
ヴィンテージのPultecイコライザーが、中高域の痛烈な成分だけを滑らかに削ぎ落とし、手毬の骨格が本来持つべき豊かな倍音帯域を劇的にブーストさせる。
さらに、特注のプレートリバーブが手毬の声の余韻を捉え、まるで広大なアリーナの真ん中で絶唱しているかのような、圧倒的な空間の奥行きを構築していった。
(――っ!? な、なにこれ……っ!?)
ヘッドホンから耳へと返ってくる自らの声に、手毬の全身が激しく粟立った。
力任せに叫んでいるはずなのに、耳障りな歪みは一切ない。
自分の心臓の鼓動、悔し涙、怒り、渇望――そのすべてが、完璧な調和を保ったまま、神話的な美しさを帯びた『魂の歌』として自らの耳朶を打つ。
歌えば歌うほど、声の出口が広がり、喉の抵抗が消え去っていく。
「――私はここにいる! 誰にも奪わせない、私の光をぉぉぉぉっ!!」
スタジオの防音ガラスが微かに共鳴するほどのロングトーン。
手毬の歌声は、型にはまった優等生の殻を完全に突き破り、聴く者の魂を素手で鷲掴みにするような、圧倒的な「覚醒」を遂げていた。
演奏が終わり、スタジオに静寂が戻る。
手毬はマイクの前で肩で息をしながら、自らの両手を見つめて震えていた。
涙が一筋、頬を伝う。
「……出た……。私、あんな声……今まで一度も……っ」
トークバックから、優の拍手と温かな声が響いた。
『素晴らしいです、手毬さん。君のストイックさは、感情を抑え込むためのものじゃありません。こうして魂を爆発させた時、誰よりも遠くまで声を届かせるための強靭なバネだったんです。……最高の歌でしたよ』
手毬は胸をぎゅっと押さえ、ガラス越しの優を見つめて小さく頷いた。
自らの限界を打ち砕いてくれたプロデューサーへの、絶対的な心酔がその瞳に満ちていた。
「さて……次は美鈴さん、交代しましょう」
優が促すと、コントロールルームで手毬の覚醒を息を呑んで見つめていた美鈴が、静かに立ち上がった。
すれ違いざま、手毬が美鈴の肩にポンと手を置く。
「美鈴……覚悟しなさいよ。優さんの調整、本当に自分の全部を暴かれるから……っ」
「ふふ、望むところですよ。まりちゃんだけが覚醒しては、置いていかれてしまいますもの」
美鈴はブースに入り、Telefunken ELA M 251の前に立った。
ヘッドホンをつけ、優を見つめる。
優はコンソールのセッティングを瞬時に美鈴専用のプロファイルへと切り替えた。
「美鈴さん。君の課題は、『無意識に手毬さんを優先し、一歩引いてしまう癖』です。君の歌には、手毬さんを支える優しさはあっても、世界中の視線を自分一人で奪い去るというハングリーさが足りていませんでした」
優の碧眼が、美鈴の黒い瞳を捉える。
「今日のレッスンでは、誰にも遠慮する必要はありません。君のその圧倒的な包容力で、スタジオにいる僕も、手毬さんも、そして世界中の観客全員を、逃げ場のない愛で平伏させるつもりで歌ってください。君の優しさは、脇役の隠れ蓑じゃない。すべてを支配するための、至上の武器なんです」
「すべてを……支配する、武器……」
美鈴の唇から、微かな吐息が漏れた。
胸の奥底で、普段は眠らせていた強い独占欲と情熱が、静かに鎌首をもたげる。
優の隣を奪いたい、優の心を自分の愛で満たしたい――その密かな想いが、歌への情熱と完全に結びついた。
「分かりました、優さん。……私のすべてで、あなたを抱きしめて差し上げます」
優がピアノとストリングスを基調とした、美しくも壮大なバラードトラックを再生した。
美鈴が目を閉じ、静かに息を吸い込む。
「――夜の帳が降りる頃、静かに瞳を閉じて……私だけを見つめて――……」
美鈴の声が、マイクへと吸い込まれていく。
その瞬間、優の指先が再び神速でコンソールを滑った。
美鈴の声質に合わせた『神調整』が発動する。
美鈴の持つシルクのような超高域のエア感を、伝説の真空管イコライザーが極限まで引き出し、囁くようなウィスパーボイスから艶やかな中音域へのグラデーションを、至高のコンプレッサーが完璧な滑らかさで整えていく。
さらに、緻密に計算されたリバーブとディレイが、美鈴の声を幾重にも重なる温かな光のヴェールへと変貌させ、コントロールルーム全体へと降り注がせた。
「――っ……!!」
ソファに座って聴いていた手毬が、息を呑んで立ち上がった。
鳥肌が止まらない。
いつもの美鈴の穏やかな歌声ではない。
聴く者すべての孤独や痛みを余すところなく包み込み、自らの腕の中に閉じ込めて離さないような、甘美で、どこまでも強欲な母性と色香に満ちた歌声。
逃げ場のない温もりに絡め取られ、ただ彼女の歌にひれ伏すしかないような、絶対的な支配力を持つボーカルだった。
「――迷わないで、怯えないで……私の愛の中で、眠りなさい――……っ!」
美鈴が目を開け、ガラス越しの優を真っ直ぐに見つめながら歌い上げた最後のフレーズ。
その瞳には、誰の引き立て役でもない、主役としての圧倒的な輝きが宿っていた。
余韻が静かに消え入り、スタジオに完全な静寂が訪れる。
美鈴はヘッドホンを外し、胸元を押さえながら、紅潮した顔で小さく息を吐いた。
「……これが……私の、本当の声……」
トークバックのボタンを押し、優は深く、心からの感嘆を込めて告げた。
『見事でした、美鈴さん。君の歌は、誰もが一瞬で心を奪われる唯一無二の光です。……もう、誰かの後ろに隠れる必要なんてありませんよ』
美鈴はふわりと花が綻ぶように微笑み、優に向かって深々と一礼した。
その瞳には、自らの殻を破った確信と、自分を覚醒させてくれた優への底知れない愛慕の情が満ちていた。
ブースから出てきた美鈴を、手毬が待ち構えていた。
二人の視線が、真正面から交錯する。
かつての中等部時代のような、遠慮やすれ違いの視線ではない。
互いに自らの限界を突破し、表現者として覚醒したからこそ生まれる、本物のライバルとしての火花がそこにはあった。
「……やるじゃない、美鈴。あんな恐ろしい声出せるなんて、聞いてないわよ」
「まりちゃんこそ。あの凄まじい絶唱、鳥肌が立ちましたよ。……でも、私、負けるつもりはありませんからね」
「ふんっ! 私だって、優さんの一番は絶対に譲らないんだから!」
バチバチと火花を散らしながらも、二人の口元には不敵で晴れやかな笑みが浮かんでいた。
優はコンソールの前に立ち、そんな二人を眩しそうに見つめながら、温かな苦笑いを漏らした。
(……二人とも、本当に恐ろしい進化だ……)
自らのチート能力と青山の要塞スタジオを注ぎ込み、極限まで引き出された二人の潜在能力。
手毬の魂を揺さぶるストイックな絶唱と、美鈴のすべてを包み込み支配する至高の包容力。
二人の歌姫の覚醒は、まだ始まったばかりに過ぎない。
だが、優の胸中には確かな手応えがあった。
「諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける」
自らの信条を胸に刻み直しながら、優はサファイアの碧眼に強い光を宿した。
この二人の歌声なら、初星学園の頂点はおろか、世界の音楽界の勢力図すら塗り替えることができる。
青山の地下要塞に響き渡った覚醒の歌声は、間もなく訪れる試練と栄光の季節へ向け、確固たる狼煙を上げていた。