学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
初夏の爽やかな西日が、青山の街並みを黄金色に染め上げていた。
放課後のチャイムが鳴り響いた後、月村手毬と秦谷美鈴の二人は、逸る胸の鼓動を抑えきれないまま、初星学園から青山の豪邸へと帰路を急いでいた。
昼休みのオフィスで、天宮優からかけられたあの言葉が、二人の頭からずっと離れなかったのだ。
『今日の夕方、地下のスタジオに来てくれるかな? 楽しみに待っていてほしい』
目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪を揺らし、サファイアのような碧眼を悪戯っぽく細めて微笑んでいた、あの青年の表情。
普段は真面目で誠実そのものの優が、あそこまで嬉しそうに、自信に満ちた笑みを浮かべることなど滅多にない。
重厚なメインゲートをくぐり、大理石が敷き詰められた静かなエントランスホールを抜ける。
靴を脱ぎ捨てんばかりの勢いでリビングの奥へ向かう手毬の袖を、美鈴がお淑やかに引いた。
「まりちゃん、そんなに慌てては転んでしまいますよ」
「慌てるに決まってるでしょ! 優さん、徹夜してたみたいだったじゃない! 一体何を用意して待ってるのか、気になって授業どころじゃなかったんだから!」
美鈴を振り返る手毬の黒い瞳は、好奇心と緊張で爛々と輝いていた。
美鈴もまた、手毬を窘めつつも、若草色の制服の胸元にそっと手を当てていた。
(優さんが……私たちのために……)
手毬には平静を装ってみせていたが、美鈴自身の心臓もまた、早鐘のように熱く脈打っていた。
リビング奥のセキュリティドアを解錠し、二人は間接照明の灯る階段を駆け下りた。
地下要塞スタジオの分厚い二重防音扉の前に立つ。
重厚なハンドルを回し、気圧調整の空気が抜ける音とともに扉を開けると、そこにはすでに準備を整えて待ち構えていた優の姿があった。
コントロールルームの中央、Neveの巨大アナログミキシングコンソール卓の前。
椅子を回転させて二人を出迎えた優は、少しだけ目の下に微かな疲労の色を滲ませながらも、サファイアの碧眼にこの上なく澄み切った光を宿していた。
「おかえりなさい、手毬さん、美鈴さん。待っていましたよ」
優の声は、いつものようにどこまでも柔らかく、温かかった。
「ただいま、優さん!」
手毬がずかずかとコンソールの前まで歩み寄り、身を乗り出した。
「ねえ、もったいぶらないで早く教えてよ! 楽しみに待ってろって、何を用意してくれたの!?」
美鈴も優のすぐ傍へと寄り添い、黒髪のセミロングを耳にかけて優を見上げた。
「お疲れではありませんか、優さん? 昨晩はほとんどお休みになっていらっしゃらないのでしょう? お茶を淹れてまいりましょうか」
「あはは、気遣いありがとう、美鈴さん。でも大丈夫、疲労なんて完全に吹き飛ぶくらい、僕自身も昂っていますから」
優はふっと口元を綻ばせると、背筋を真っ直ぐに伸ばした。
その表情から柔らかな笑みが消え、プロデューサーとしての、そして至高の表現者としての絶対的な威厳が宿る。
「二人を呼んだのは他でもありません。……六月の『実力発表ライブ・学期成績判定』のための、二人のソロ曲が完成しました」
「――っ……!!」
手毬と美鈴の息が、同時に止まった。
優はコンソール卓の上に置かれていた、二枚のクリアファイルに手を伸ばした。
「昨夜、一晩かけて僕の持てるすべてを注ぎ込みました。……かつて覆面歌手として活動していた、『天月』としての新作です」
天月の、完全新作――。
その言葉の重みに、地下スタジオの空気がビリビリと震えたかのような錯覚を覚えた。
かつてわずか三曲で全曲ダブルミリオンを叩き出し、音楽界の頂点を極めた伝説の怪物の、正真正銘の書き下ろし楽曲。
それが、今、自分たちのためだけに用意されたのだ。
優はまず、二人に印刷したばかりの純白の用紙を手渡した。
「まずは……音を聴く前に、歌詞を読んでみてください。僕が二人に何を歌ってほしいのか、そのすべてをこの言葉に込めましたから」
「歌詞……」
手毬は震える指先で、自らの名前が記された用紙を受け取った。
用紙の最上部には、太いゴシック体で一つのタイトルが印字されていた。
――『Luna Say Maybe』
手毬は唾を飲み込み、視線をその下へと滑らせていった。
「…………っ!?」
一行、また一行と文字を追うごとに、手毬の全身を電流のような衝撃が貫いていった。
黒い瞳が激しく見開かれ、呼吸が浅くなる。
(な……なによ、これ……っ!?)
手毬の心臓が、肋骨の裏側でけたたましく警鐘を鳴らし始めた。
恥ずかしい。
顔から火が出るほどに、熱くて、痛くて、たまらない。
これ、そのまま「自分のこと」ではないか。
強がりばかり口にして、他人に心を閉ざし、「別に寂しくなんかない」と虚勢を張っていた自分。
息継ぎの仕方も分からずにがむしゃらに走り続け、大切な仲間とすれ違い、傷つき、自分のことすら愛せなくなっていた自分。
(全部……っ! 全部、見透かされてる……っ!!)
手毬の頬が、耳の先まで真っ赤に染め上がっていった。
初星学園に入学してから、優の前で見せてきた見苦しい意地っ張りも、中庭で流した涙も、事務所で喚き散らした情けない本音も、すべてがこの歌詞の中に克明に刻み込まれていたのだ。
まるで、服を一枚残らず剥ぎ取られて、魂の形を白日の下に晒されたかのような羞恥心。
だが――。
読み進めるにつれ、手毬の目頭がじわりと熱くなっていった。
そこにあったのは、単なる手毬の弱さの暴露ではなかった。
不器用で、失敗ばかりで、泥臭い自分を丸ごと肯定し、「それでも前に進むんだ」「一番の特等席にいるプロデューサーのために、全身全霊で笑顔を証明するんだ」という、手毬自身すら言葉にできていなかった魂の叫びが、圧倒的な肯定感とともに綴られていたのだ。
手毬は用紙をぎゅっと両手で握りしめ、顔を伏せた。
「……っ、狡い……っ。狡いわよ、優さん……っ」
掠れた声が手毬の唇から漏れる。
見透かされている恥ずかしさと、自分という存在を誰よりも深く理解してくれていることへの途方もない感謝が、胸の奥で激しく渦を巻いていた。
一方、隣で自らの歌詞カードを見つめていた秦谷美鈴もまた、言葉を失っていた。
手元にある用紙のタイトルは、『シオン』。
美鈴の黒い瞳に、大粒の涙の膜が張っていった。
息をするのすら忘れてしまうほどの、圧倒的な詩の美しさ。
そして、その奥底に潜む、鋭利な刃物のような切なさ。
(これが……私の、曲……?)
美鈴の指先が、微かに震えていた。
中等部時代、「Syng UP!!」の崩壊を前にして何も言えず、大切な仲間がバラバラになっていくのをただ見守るしかなかったあの無力感。
傷つくのが怖くて、咲いた瞬間散ってしまうのが怖くて、本気になることから逃げ続けていた自分の弱さ。
(ああ……優さん……)
美鈴の喉が、熱く締め付けられた。
他人に譲る優しさの仮面を被り、自分のことは気にしないでと物分かりのいい顔をしながら、本当は誰よりも深く愛されたくて、決して自分を忘れないでほしいと泣き叫びたかった自らの醜くも愛おしいエゴ。
そのすべてを、優はこんなにも美しく、こんなにも儚く、そして気高く昇華してくれたのだ。
美鈴は用紙を胸元に抱きしめ、潤んだ瞳で優を見つめた。
「優さん……。なんて……なんて美しい言葉たちなのでしょう……。私、こんなにも胸を締め付けられる詩を、これまでの人生で読んだことがございません……」
二人の震える反応を見届け、優は満足そうにサファイアの碧眼を細めた。
「言葉を受け取ってくれてありがとう。……それじゃあ、音を聴いてもらおうか。まずは手毬さん、君の曲からだよ」
優はコンソール卓のマスターフェーダーに手を置いた。
「青山の要塞スタジオが誇る、世界最高のモニタースピーカーで聴いてください。……これが、君の武器となる『Luna Say Maybe』です」
カチッ、と優が再生ボタンを押し込んだ。
静寂を切り裂いて、澄み渡るピアノの硬質な打鍵が、スタジオの空気を震わせた。
直後、優が仮歌として吹き込んだ、誰かにそっと秘密を打ち明けるような、息を呑むほど切実な吐息混じりの第一声が左耳から右耳へと駆け抜ける。
次の瞬間――ドォォォンッ!!
地鳴りのような爆発とともに、オルタナティブ・ロックの強烈なディストーションギターと、疾走する高速ドラムビートが炸裂した。
手毬の全身の毛穴という毛穴が、一瞬で開ききった。
(な……っ!?)
息が止まる。
ただの激しいロックではない。
唸りを上げる重低音の背後で、天を駆け上がるような壮大なシンフォニック・ストリングスと、華やかなブラスセクションが幾重にも折り重なり、圧倒的な音圧となって押し寄せてくる。
まるで、暗闇を切り裂いて夜空の月へと一直線に打ち上げられるロケットのような、猛烈な推進力とドラマ性。
Aメロの緊張感あるビートから、Bメロで感情の濁流が渦を巻き、そしてサビへと雪崩れ込んだ瞬間――。
鳥肌が、手毬の全身を容赦なく駆け巡った。
メロディが、泣いていた。
激しく疾走しながらも、どこまでも哀切で、どこまでも美しく、聴く者の魂を素手で鷲掴みにして揺さぶる至高のメロディライン。
(カッコいい……っ!!)
手毬は拳をぎゅっと握りしめ、唇を噛み締めた。
心臓が破裂しそうなほど熱い。
カッコいい。あまりにもカッコよすぎる。
こんなにも胸を焦がすオルタナティブ・ロックを、シンフォニックなスケールで歌えるアイドルが、今の初星学園のどこにいるというのか?
自分の不器用さも、ストイックさも、全部この激しいビートに乗せて叫べばいいのだと、曲そのものが手毬の背中を力強く蹴り飛ばしてくれているようだった。
ラスサビの圧倒的な転調を経て、最後の一音が澄み渡る残響の中に消え去った時、手毬は肩で息をしながら立ち尽くしていた。
「……っ、優さん……っ!」
手毬は弾かれたように優へと詰め寄った。
「これ……本当に、私が歌っていいの!? 私がこの曲を歌えるの!?」
「もちろんですよ、手毬さん。君の骨格と声帯、そして君の魂の熱量に合わせて、僕がミリ単位で構築した曲ですからね。君以外の誰にも、この曲は歌えませんよ」
優が誇らしげに微笑みかけると、手毬は「ぜ、絶対に歌いこなしてみせるわ……っ! 完璧以上のものにしてやるんだから!」と、涙の滲む瞳で強く頷いた。
「さて……次は美鈴さん。君の番です」
優が優しく促すと、美鈴は緊張で強張った面持ちのまま、静かに息を整えた。
優が別のプロジェクトを立ち上げ、フェーダーを上げる。
『シオン』のトラックが再生された。
スピーカーから流れ出したのは、切なく、どこか懐かしい、一音一音が涙のように零れ落ちるピアノの独奏だった。
真っ赤な夕空の景色が、音の粒となってスタジオの空間を満たしていく。
そして、AメロからBメロへと進むにつれ、タイトで叙情的なベースとドラムが合流し、感情の波が静かに、けれど確実に高まっていく。
ピアノロック寄りのエモーショナルなビートが、美鈴の心臓の鼓動と完全に同期するように鳴り響く。
そしてサビ――。
その旋律が放たれた瞬間、美鈴の目から、ポロポロと涙が零れ落ちた。
なんて……なんて美しく、儚い曲なのだろう。
胸が張り裂けそうなほどの哀愁。
失うことの痛み、別れの切なさ、そして決して消えることのない愛の残熱。
けれど、そのメロディは決して絶望で終わらない。
「前に進め」と誰も背中を押していないのに、その美しすぎる痛みに浸り、涙を流しきった後には、不思議と胸の奥から静かな勇気が湧き上がってくるような――そんな奇跡のようなエモーションが、旋律の隅々にまで宿っていた。
ラストの大サビに向かい、激情のピアノとドラムが激しく絡み合い、そして最後は静かなピアノのアルペジオが、夕暮れの彼方へと溶け去っていく。
完全な静寂がスタジオに戻った後も、美鈴は両手で顔を覆い、静かに涙を流し続けていた。
「……優さん……」
美鈴の掠れた声が、スタジオの空気を震わせる。
「こんなにも……私の心の最深部に寄り添ってくださる曲を……ありがとうございます……。私、この曲のためなら……命すら削れますよ……」
手毬もまた、美鈴の曲の圧倒的な完成度に息を呑み、圧倒されていた。
「……凄いじゃない、美鈴。悔しいけど……本当に、あんたにぴったりの、鳥肌が立つ曲よ」
「まりちゃんの曲も……本当に素晴らしかったですよ。まりちゃんのあの力強さと真っ直ぐさが、そのまま音になっておりました」
二人の少女は、互いの曲の素晴らしさを認め合いながら、再び視線を交錯させた。
そこには、先ほどまでの涙を拭い去った、本物の覚悟が宿っていた。
互いに、天宮優から授かった最高の武器を手に入れたのだ。
どちらの曲も、音楽界の頂点に君臨する怪物・天月が命を削って生み出した最高傑作。
負けられない。絶対に、相手にだけは負けたくない。
優はコンソールの前に立ち、そんな二人の顔を頼もしそうに見つめた。
サファイアの碧眼に、プロデューサーとしての熱い確信が宿る。
「手毬さん、美鈴さん。六月の『実力発表ライブ』は、もう目の前です。……この二曲を完璧に乗りこなし、初星学園の、いや世界中の度肝を抜きにいきましょう」
「――はいっ!!」
二人の澄んだ返声が、地下要塞スタジオの防音壁に力強く反響した。
天月からの最高の贈り物を受け取った二人の歌姫。
六月の決戦へ向けて、二人の魂のレコーディングがいま、本格的な火蓋を切ろうとしていた。