学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~   作:みちみちお

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本日1話目です。


28話 開演前夜の静断

 港区青山の閑静な住宅街に佇む白亜の大豪邸のダイニングには、夜の帳が下りる頃、香ばしい肉の焼ける匂いと温かな笑い声が満ちていた。

 

 明日の決戦――初星学園「実力発表ライブ・学期成績判定」を控え、優の自宅で行われた前夜の夕食会。

 

 ダイニングテーブルの中央には、美鈴が腕によりをかけて焼き上げた、ふっくらとジューシーな特製スタミナハンバーグが湯気を立てて並んでいた。デミグラスソースの濃厚な香りと、手毬が一生懸命に皮を剥いて茹で上げた彩り豊かな温野菜、そして艶やかに炊き上げられた白米。

 

「ほら、優さん! 早く食べなさいよ! 私が人参の面取りを手伝ったんだから、残したら承知しないんだからね!」

 

「ふふ、まりちゃん、面取りというよりは人参を削りすぎて半分ほどの大きさにしてしまいましたけれどね」

 

「う、うるさいわね美鈴! 角が取れてればいいのよ角が!」

 

「あはは、二人ともありがとう。本当に美味しそうだよ。いただきます」

 

 優がサファイアの碧眼を細めてハンバーグを一口頬張ると、口いっぱいに溢れ出す極上の肉汁に顔を綻ばせた。

 

 その姿を見て、手毬は誇らしげに胸を張り、美鈴はお淑やかに微笑みながら優のお茶碗にご飯をよそった。

 

 青山の豪邸で過ごす、いつもの賑やかで温かな食卓。けれど、その団欒の奥底には、明日という大一番へ向けた静かな決意が、三人の心に等しく満ちていた。

 

 食事が終わり、食器の手入れを済ませた後、優は二人を玄関のエントランスホールへと見送った。

 

 天井の巨大なクリスタルシャンデリアが、大理石の床に柔らかな光の粒を降らせている。

 

「今夜は、学園の寮に戻ってゆっくり休むんだよ」

 

 優は二人の顔を優しく見つめながら、穏やかな声で語りかけた。目にかからない長さに整えられた白銀の髪が、微風にさらりと揺れる。

 

「明日は朝一番から会場での音響確認やリハーサルがあるからね。寮の部屋で、心を静かに落ち着かせて、早めにベッドに入りなさい」

 

「……うん、分かってるわ、優さん」

 

 手毬はボストンバッグを肩にかけ、神妙な面持ちで頷いた。

 

 美鈴もまた、若草色のカーディガンを羽織り、お淑やかに一礼する。

 

「優さんも、連日のお仕事でお疲れでしょうから、今夜はしっかりお休みになってくださいね。……明日の朝、会場でお会いいたしましょう」

 

「ええ。車で寮の近くまで送っていくよ」

 

 優が車のキーを手に取ろうとしたが、手毬が首を横に振った。

 

「いいわよ、優さん。電車と徒歩で帰るわ。少し夜風に当たりながら、気持ちを整えたいの」

 

「まりちゃんの言う通りですよ。優さんには、明日のために体力を温存していただきたいですから」

 

 二人の強い眼差しに、優はふっと口元を綻ばせた。

 

「分かった。……気をつけて帰るんだよ。明日、一番の特等席で待っているからね」

 

「うんっ!」

 

「はい、優さん」

 

 二人は並んで白亜の屋敷を後にし、夜の青山の街へと歩み出した。

 

 門扉が静かに閉ざされる音を背に受けながら、二人は中野区にある初星学園学生寮を目指して、初夏の夜道を並んで歩いていった。

 

 初星学園学生寮――。

 

 学園の敷地に隣接するその建物は、明日に控えた「実力発表ライブ」の熱気を押し殺すように、深い静寂に包まれていた。

 

 明日のステージに立つ生徒たちの多くは、すでに部屋に引きこもってイメージトレーニングに没頭しているか、緊張と不安に押し潰されそうになりながらベッドに潜り込んでいるはずだった。

 

 寮の玄関で、美鈴が立ち止まり、手毬へと振り返った。

 

「まりちゃん、おやすみなさい。……明日は、お互いに悔いのないステージにいたしましょうね」

 

「ええ、当たり前よ! あんたに負ける気なんて、これっぽっちもないんだから!」

 

 手毬が不敵に笑って見せると、美鈴もまたふわりと妖艶に微笑み返し、それぞれの部屋へと別れていった。

 

 学生寮の二階、三人部屋――。

 

 ここは、月村手毬、花海咲季、そして藤田ことねが暮らす居室だった。

 

 手毬が静かにドアノブを回して部屋に入ると、室内は薄暗く、間接照明だけが仄かに灯っていた。

 

 すでに部屋の中には、独特の張り詰めた空気が漂っていた。

 

 部屋の隅のデスクでは、藤田ことねが明日の物販や自己アピールのメモを真剣な顔で睨みつけながら電卓を叩いており、手毬の入室に気づいて「あ、手毬、おかえり……」と小声で手を振った。

 

 そして、奥のベッドでは、新入生首席の花海咲季が、すでにレッスンウェアからパジャマに着替え、壁に背中を預けて静かに目を閉じていた。

 

 咲季の深紅の髪は綺麗に下ろされ、膝の上には高瀬正人から渡されたと思われるスコアが置かれている。

 

 咲季は目を開けず、けれど手毬の足音だけで彼女の帰還を察知したように、低く呟いた。

 

「……遅かったじゃない、手毬。ずいぶんと余裕ね」

 

 手毬は荷物を自らのデスクの下に置き、静かに咲季を見返した。

 

「余裕なんかじゃないわよ、咲季。……ただ、やるべきことを完璧にやってきただけよ」

 

 その手毬の声を聞いた瞬間、咲季の長い睫毛がピクリと跳ね、深紅の瞳がすっと開かれた。

 

 咲季の視線が、手毬の顔を射抜く。

 

 そこにあったのは、かつてこの部屋で荒れ狂い、孤独と焦燥に怯えていた手毬の姿ではなかった。

 

 迷いが綺麗に削ぎ落とされ、静かで、けれど決して消えることのない青い炎を宿した、真の表現者の顔だった。

 

 咲季はふんと短く鼻を鳴らし、再び目を閉じた。

 

「……いい顔になったじゃない。明日の実力発表ライブ、ぶっちぎりで勝つのは私だけど……無様な真似だけは見せないでよね」

 

「言われなくても、あんたの度肝を抜いてあげるわよ」

 

 手毬は小さく答え、シャワーを浴びるために部屋を出た。

 

 熱い湯を浴び、身体の筋肉を解きほぐした後、手毬は自らのベッドへと潜り込んだ。

 

 カーテンを少しだけ開けると、中野の夜空に、白く輝く上弦の月が浮かんでいた。

 

 手毬は胸元に掛けられた薄い毛布をぎゅっと握りしめた。

 

 静まり返った部屋の中で、自らの心臓の鼓動だけが、トクン、トクンと力強く鳴り響いている。

 

(明日……いよいよ、本番なのね……)

 

 目を閉じると、この数ヶ月間の出来事が、走馬灯のように鮮明に脳裏を駆け巡った。

 

 中等部時代、「Syng UP!!」のメインボーカルとして頂点に君臨しながらも、自らの実力不足に苦しみ、仲間を傷つけ、すべてを空中分解させてしまったあの日々。

 

 解散ライブは中止になり、ネットで激しい炎上と誹謗中傷に晒され、誰も信じられなくなっていた。

 

 初星学園に入学してからも、周囲のプロデューサーたちは自分を「扱いにくい元エリートの残骸」と腫れ物のように扱い、誰も本気で向き合おうとはしてくれなかった。

 

 完璧でいなければ価値がない。

 

 弱音を吐けば見捨てられる。

 

 そう自分を追い詰め、本棟の個人練習室で喉を引き裂くように歌っていたあの夕暮れ――。

 

 突然、扉を開けて入ってきた、あの銀髪碧眼の青年。

 

 天宮優。

 

 彼は、手毬の棘だらけの拒絶を怒ることもなく、たった一度聴いただけで手毬の骨格と声帯の秘密を見抜き、喉の痛みを解放してくれた。

 

 中庭のベンチで、彼が伝説の覆面歌手「天月」であることを知った時、手毬は「なぜ表舞台を捨てたのか」と問い詰めた。

 

 その時、優が返してくれた言葉が、今も胸の奥で熱く燃え盛っている。

 

 ――『誰かの輝く一助になりたい。諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける』

 

 ――『僕は、本気で前へ進もうとする人の手を、絶対に離しませんよ』

 

 あの言葉に救われたのだ。

 

 食堂で優の後ろを追いかけ回り、中庭で「私のプロデューサーになって」と泣きついたあの日。

 

 優は手毬の手を取り、頭を撫で、「たくさん失敗していい、成長途中なんだから」と、ボロボロだった手毬のすべてを抱きしめてくれた。

 

 青山の豪邸に招かれ、地下の要塞スタジオで受けた神調整レッスン。

 

 家事が壊滅的で、目玉焼きすら焦がしてしまうという優の愛らしすぎる弱点を知り、美鈴と一緒にキッチンに立ってご飯を作ったあの日々。

 

 そして――壁にぶつかり、型にハマって泣き崩れた自分に対して、優が防音室で真っ直ぐに叫んでくれた、あの熱い檄。

 

 ――『自分自身の欲求に、素直になれ!』

 

 ――『失敗なんて恐れるな! 君のドロドロとした飢えと悔しさを、そのままマイクに叩きつけろ!』

 

 手毬は枕に顔を埋め、熱い吐息を漏らした。

 

 胸が、張り裂けそうなほどに熱かった。

 

(優さん……)

 

 優が手毬のために命を削って書き下ろしてくれた、あの至高のオルタナティブ・ロック――『Luna Say Maybe』。

 

 不器用で、言葉足らずで、不安ばかり抱えていた手毬の生き様そのものが、あの激しくも美しい旋律の中にすべて宿っている。

 

(見ていなさい、優さん……っ)

 

 手毬は布団の中で、ぎゅっと拳を握りしめた。

 

 暗闇の中で、黒い瞳がギラリと輝く。

 

 明日のステージ、一番近くの特等席で、誰よりも真剣な目で自分を見つめてくれるはずの、あの愛おしいプロデューサー。

 

 新入生首席の花海咲季にも、他のどんなライバルたちにも絶対に負けない。

 

 そして――隣で牙を研いでいる美鈴にも、絶対に一番の座は譲らない。

 

(私の歌で……私の全身全霊の絶唱で、優さんの心を撃ち抜いてやるんだから! 私の愛を、全部……全部、明日のステージで優さんに届けてやるんだから……っ!!)

 

 決意の炎が、手毬の全身の血を熱く滾らせていた。

 

 手毬は静かに目を閉じ、明日解き放つべき最初の一音のイメージを抱きしめながら、決戦の眠りへと就いた。

 

 同じ頃――。

 

 学生寮の別のフロア、一人部屋の静寂の中に、秦谷美鈴の姿があった。

 

 本来は二人部屋であるその空間を、学園側の都合により一人で使用している美鈴の私室。

 

 電気は消され、窓辺から差し込む青白い月光だけが、部屋の畳と机を静かに照らし出していた。

 

 机の上には、美鈴がお気に入りの茶器で丁寧に淹れた、温かいほうじ茶の湯呑みが置かれている。立ち上る香ばしい香りが、張り詰めた夜の空気を優しく包み込んでいた。

 

 美鈴は若草色のパジャマを身にまとい、窓辺の椅子に腰掛けて、夜空に浮かぶ月を見つめていた。

 

 手元には、優から手渡された『シオン』の歌詞カードが、大切そうに広げられている。

 

 美鈴は湯呑みにそっと手を添え、小さく息を吐いた。

 

 その整った唇に浮かんでいたのは、いつものおっとりとしたマイペースな笑みではなかった。

 

 自らの内臓を抉り出すような葛藤を乗り越え、真の「個」として覚醒した者だけが持つ、妖艶で、どこまでも静かな覚悟の笑みだった。

 

(……明日は、私の新しい誕生日ですね)

 

 美鈴は瞳を閉じ、自らの胸の奥に眠る記憶を手繰り寄せた。

 

 中等部時代からずっと、自分は「引き立て役」だった。

 

 激しく衝突する手毬と燐羽の間で、波風を立てないように微笑み、お茶を淹れ、二人のクッションになることで自らの存在意義を見出していた。

 

 誰かと本気で競い合って負けるのが怖くて、傷つくのが怖くて、「私はサポートですから」と一歩引くことで、安全地帯に引きこもり続けていたあの十五年間。

 

 そんな自分の卑怯な甘えを、あの青年は容赦なく暴き出してくれたのだ。

 

 ――『他者を優先する優しさを盾にして、自らのエゴから逃げ続けている怠慢だ!』

 

 ――『君のその圧倒的な包容力は、誰かに譲るためのクッションじゃない! 客席にいる何千人もの観客を、君一人の愛で窒息させ、平伏させ、すべてを奪い去るための凶器なんだ!』

 

 ――『もっと我がままになっていい! 秦谷美鈴を見せろ!!』

 

 防音室で優が叩き込んでくれた、あの魂の叫び。

 

 思い出すだけで、今も全身の皮膚が粟立ち、心臓が熱く跳ね上がる。

 

 美鈴は自らの胸元を、パジャマの上からぎゅっと握りしめた。

 

(なんて……なんて深く、私を愛してくださる方なのでしょう……)

 

 並の人間であれば、美鈴の愛想の良さと家庭的な魅力に騙され、都合のいいサポート役として扱い続けていただろう。

 

 けれど優は違った。

 

 美鈴の心の奥底に眠る、醜く、強欲で、独占欲に満ちた「本当の秦谷美鈴」を真っ向から見つめ、それを肯定し、世界で一番美しい武器として解き放ってくれたのだ。

 

 そして与えられた、至高のピアノロック――『シオン』。

 

(優さん……)

 

 美鈴の黒い瞳に、狂おしいほどの熱情が宿る。

 

 まりちゃんには渡しません。

 

 他の誰にも、あの人の隣を譲る気など毛頭ありません。

 

 明日のステージで、私は過去の殻を完全に脱ぎ捨てます。

 

 まりちゃんを引き立てる優しい幼馴染の秦谷美鈴は、もうどこにもおりません。

 

(明日のステージで……私のこの歌声で、会場中のすべての観客を私の愛に溺れさせてみせます。そして……誰よりも、優さんの心を、私一人だけで完全に満たして差し上げます……)

 

 優への密かな恋心と、自分自身が一番輝くという絶対の決意。

 

 その二つが完全に融合した今、美鈴の心には、一片の迷いも恐れも存在しなかった。

 

 美鈴は冷めたほうじ茶を静かに飲み干すと、ベッドへと横たわり、優しく瞼を閉じた。

 

 そして――。

 

 二人が去った後、港区青山の白亜の大豪邸。

 

 静まり返った広大な邸宅の地下――要塞スタジオの中に、天宮優は一人、佇んでいた。

 

 コントロールルームの照明は最小限に絞られ、Neveのアナログミキシングコンソールが、明日の出番を待つように静かに鎮座している。

 

 優はコンソール卓の前に立ち、手元のタブレットで、明日の『Luna Say Maybe』と『シオン』の最終マスタリング音源のデータをもう一度確認していた。

 

 音に狂いはない。

 

 周波数の処理、ダイナミクス、空間の広がり、すべてが神業の領域で完璧に仕上がっている。

 

 優はふっと息を吐き、静まり返ったスタジオを見渡した。

 

 ここ数週間、この場所にはいつも手毬と美鈴の賑やかな声が響いていた。

 

 汗を流し、悔しさに涙を流し、怒鳴り合い、そして互いを認め合って笑い合った二人の少女。

 

(二人とも……本当に、強くなったな)

 

 優のサファイアの碧眼に、プロデューサーとしての深い感慨と、温かな慈愛が宿る。

 

 二人はもう、過去の残響に怯える迷子ではない。

 

 自らの足で立ち、己の欲望のままに世界へ牙を剥くことができる、本物のソロアイドルへと脱皮を果たしたのだ。

 

 優は胸元に手を当て、自らの絶対の信条を、夜の静寂の中で静かに反芻した。

 

「諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける」

 

 明日の「実力発表ライブ」。

 

 新入生首席の花海咲季をはじめとする強力なライバルたちが待つその舞台で、二人がどんな嵐を巻き起こすのか。

 

 プロデューサーとして、これほど胸が高鳴る夜はなかった。

 

「さあ……明日は、二人の新しい第一歩だ。世界に見せつけてやろう、僕たちの音楽を」

 

 優はコンソールの電源を落とし、地下スタジオの重厚な防音扉を閉ざした。

 

 青山の夜が更けていく。

 

 中野の寮で闘志を燃やす月村手毬と秦谷美鈴。

 

 そして青山の自宅で二人の未来を見据える天宮優。

 

 それぞれの静かな夜を越えて、運命の六月――「実力発表ライブ」の幕が、いま静かに上がろうとしていた。

 

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