学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
六月下旬の初夏の陽光が、東京都中野区に広がる初星学園のキャンパスを眩いばかりに照らし出していた。
校門をくぐった瞬間から、敷地内に満ちているのは普段の厳格な養成校の空気とはまるで異なる、熱狂的な「お祭り騒ぎ」の喧騒だった。
色とりどりの幟旗が初夏の風にはためき、アイドル科本棟から特別棟へと続く大通りには、開場を待ちわびる学園内外の観客たちの長蛇の列ができている。
今日は、一学期の集大成――「実力発表ライブ・学期成績判定」の開演日である。
新入生たちにとっては、四月の入学から積み重ねてきた努力の成果を学園全体、そして音楽業界の関係者たちへ見せつけるための最大の晴れ舞台であり、同時に一学期の成績を左右する冷徹な査定の場でもあった。
通路のあちこちでは、スーツを着こなしたプロデューサー科の生徒たちが、インカムを耳に当てながら忙しなくスタッフと連絡を取り合い、あるいは担当アイドルの最終チェックに余念がない。
そんな喧騒を抜け、アイドル科特別棟の地下――関係者以外立ち入り禁止のバックステージエリアへと続く重厚なセキュリティ扉をくぐり抜けると、空気の質感が一変した。
静まり返ったコンクリート打ち放しの廊下に、微かに響くのは空調の低い駆動音と、これから舞台へ上がる者たちの張り詰めた吐息だけだ。
その廊下を、三人の足音が並んで進んでいた。
中央を歩くのは、天宮優。
二十歳という年齢に相応しい洗練されたチャコールグレーのスーツを纏い、目にかからない長さに整えられた白銀の髪を微風に揺らしている。サファイアのような碧眼は、どこまでも澄み渡り、プロデューサーとしての静かで絶対的な覚悟を宿していた。
その優の両手には、重厚なシルバーの特注アタッシュケースが一つずつ握られている。
優の右隣を歩くのは、月村手毬。
黒のレッスンウェアの上に薄手のジャージを羽織り、腰まで届く漆黒のウェーブヘアを揺らしながら、肩を怒らせて歩いている。その黒い瞳には、昨夜の寮での静かな夜を越えて、極限まで研ぎ澄まされた刃物のような闘志が宿っていた。
そして左隣には、秦谷美鈴。
セミロングの黒髪を耳にかけ、淡い若草色のカーディガンを羽織ってお淑やかに歩みを進めているが、その陶器のように白い頬には、決戦を前にした微熱のような紅潮が差していた。
やがて優は、廊下の奥にある「第3控室」のプレートが掲げられた重厚な防音扉の前で足を止めた。
「ここが、今日の僕たちの専用控室です。……二人とも、入ってください」
優がドアを開け、手毬と美鈴を室内へと促した。
広々とした控室の中には、大きな姿見とドレッサー、打ち合わせ用のソファ、そしてステージ上の様子をリアルタイムで中継する大型モニターが壁に掛けられていた。奥にはカーテンで仕切られた個別の更衣スペースも備え付けられている。
手毬と美鈴がソファの前に立ち止まると、優は手元のアタッシュケース二つをローテーブルの上に静かに置いた。
カチャリ、と金属のロックが外れる重々しい音が響く。
「優さん、それ……何?」
手毬が不思議そうに首を傾げた。美鈴もまた、黒い瞳を瞬かせて優を見つめる。
「重厚なケースですね。音響機材の予備か何かでしょうか?」
優はサファイアの碧眼を柔らかく細め、二人の顔を順番に見つめ返した。
「いいえ。……これが、今日のステージで二人が身に纏う、本番用の衣装ですよ」
「――えっ!? 衣装……!?」
手毬が息を呑んだ。
初星学園の実力発表ライブでは、学園側から支給される標準的な共通ステージ衣装を着用するのが一般的である。新入生の段階で完全なオーダーメイドの個別衣装を用意することなど、前代未聞だった。
優は悪戯っぽく微笑みながら、アタッシュケースの蓋をゆっくりと持ち上げた。
「先週、二人にあらかじめ詳細な身体の各部サイズを測らせてもらいましたよね? あのデータをもとに、僕が青山のツテを使って、パリの一流オートクチュール工房に特注で仕立てさせた世界に一着だけの衣装です」
「――っ……!!」
その言葉を聞いた瞬間、手毬の顔が一気に耳の先まで真っ赤に沸騰した!
「し、詳細なサイズって……っ! 優さん、あなた……あの時のスリーサイズとか、アンダーバストとか、ウエストとか……全部覚えてて工房に送ったわけぇぇぇっ!?」
手毬は胸元を両手で隠すようにして後ずさり、恥ずかしさのあまり叫んだ。
美鈴もまた、普段のおっとりとした表情を崩し、林檎のように頬を染めて両手を頬に当てた。
「ま、まあ……優さんったら。プロデューサーさんとはいえ、乙女の極めて秘密な数値をそんなにも正確に把握していらっしゃったなんて……少しばかり刺激が強すぎますよ……」
赤面して身をよじる二人の少女。
優は困ったように小さく苦笑いを浮かべ、咳払いを一つした。
「あはは……すみません、恥ずかしい思いをさせてしまって。ですが、本物のステージ衣装において、ミリ単位の身体へのフィット感は、パフォーマンスの精度と呼吸のしやすさに直結しますからね。……プロデューサーとして、一切の妥協はしたくなかったんです」
優のその真摯で濁りのない眼差し。
二十歳の青年としての打算のない、純粋に担当アイドルの輝きを追求する誠実さに触れた瞬間、手毬と美鈴の顔から照れ笑いがすっと消え去った。
二人はスッと背筋を正し、真剣な表現者の顔つきへと戻った。
「……分かったわ、優さん。そこまでしてくれたなら、文句なんてあるわけないわよ」
手毬は覚悟を決めたようにアタッシュケースの前へと歩み寄った。
美鈴もまた、静かに頷き、ケースの中へと視線を落とした。
そして――開かれたアタッシュケースの中身を目にした瞬間、二人は同時に息を呑んだ。
「――っ……!!」
「まあ……っ……!!」
手毬のケースの中に収められていたのは、息を呑むほどに美しく、鋭利な気品を放つステージドレスだった。
漆黒のベルベットと、月光を思わせる冷たいシルバーの特注ファブリックが絶妙なバランスで組み合わされ、胸元から腰にかけては夜空の星々を散りばめたような繊細なビジューが光を反射している。
激しいオルタナティブ・ロックの動きを一切邪魔しない超軽量の特殊シルクで作られたアシンメトリーのスカートは、風を孕むように幾重にもドレープを描いていた。
『Luna Say Maybe』という曲の世界観――暗闇の中で不安を抱えながらも、月を目指して疾走する手毬の魂そのものが、形となってそこに存在していた。
一方、美鈴のケースの中に鎮座していたのは、思わず触れることすら躊躇われるほどの、幻想的な美しさを湛えたドレスだった。
紫苑(シオン)の花を思わせる淡いパープルと、夕暮れの茜色を薄く溶かし込んだような極上のグラデーション。幾重にも重ねられた最高級のチュールレースが、歩くたびに淡雪のように揺らめく構造になっており、清楚でありながら、見る者すべての視線を絡め取って離さない、底知れない色香と包容力を漂わせていた。
『シオン』という曲が持つ、美しくも切ない痛烈な愛しさが、余すところなく織り込まれていたのだ。
手毬は震える指先で、自らの衣装の生地にそっと触れた。
肌に吸い付くような極上の質感。
(なんなのよ、これ……)
手毬の胸が、激しく早鐘を打った。
中等部時代、「Syng UP!!」で着用していた衣装も一流のものだったはずだ。初星学園の上級生たちが着ているオーダー衣装も見てきた。
だが、目の前にあるこの一着は、それらとは完全に次元が違っていた。
個人資産四十億円を誇る天宮優が、金に糸目をつけず、美の粋を集めて仕立てさせた本物のオートクチュール。
(他のアイドルたちとは……背負っている衣装のレベルが、最初からまるで違うじゃないの……っ!)
美鈴もまた、自らのドレスを見つめ、陶酔するように熱いため息を零した。
「なんて……なんて素晴らしいのでしょう……。優さん、こんなにも私のために、心を砕いてくださったなんて……」
美鈴の黒い瞳が、感動で潤んでいた。
「さあ、着替えておいで。鏡の前で、自分自身の新しい姿を確かめてくるんだよ」
優が優しく背中を押すと、二人は衣装を大切そうに抱きかかえ、控室奥の更衣スペースへと入っていった。
数分後、カーテンが静かに開かれた。
「――どうかしら、優さん」
更衣室から歩み出てきた手毬の姿を見た瞬間、優はサファイアの碧眼を見張り、小さく息を呑んだ。
そこに立っていたのは、もはや過去の残響に怯えていた迷子の少女ではなかった。
ミリ単位で仕立てられた漆黒とシルバーのドレスが、手毬の引き締まった身体のラインを完璧に際立たせ、腰まで届く漆黒のウェーブヘアが肩口で劇的なコントラストを描いている。
胸元のシルバーの装飾が照明を浴びて青白く輝き、まるで夜空に君臨する月の女神のような、圧倒的な存在感を放っていた。
手毬は少し照れくさそうに頬を染めながらも、不敵に顎を上げ、優を真っ直ぐに見据えた。
「……サイズ、ぴったりよ。信じられないくらい動きやすくて、胸の呼吸も全然苦しくないわ。これなら……どこまでも高く跳べるわよ、優さん」
続いて現れた美鈴の姿に、優は思わず息を漏らした。
「……見事ですね、美鈴さん」
紫苑の花のグラデーションを纏った美鈴は、息を呑むほどに妖艶で、そして神聖だった。
柔らかなドレープが彼女の優美なステップに合わせてふわりと揺れ、露出した陶器のような白い鎖骨と肩のラインが、息を呑むような大人の色香を漂わせている。
セミロングの黒髪には衣装と同じ淡い紫の花の髪飾りが添えられ、切れ長の黒い瞳が、優を見つめて熱っぽく細められた。
「ふふ……優さんにお褒めいただけて、光栄です。全身が、優さんの愛で包まれているようで……私、今なら世界中の誰をも魅了できる自信がございます」
二人の歌姫の覚醒した姿を前に、優は心からの敬意を込めて小さく拍手を送った。
「二人とも、息を呑むほどに美しいですよ。……その衣装は、君たちの魂の鎧であり、翼です。世界中に、君たちの本当の姿を見せつけてやりましょう」
「「はいっ!!」」
二人の力強い返声が、控室に響き渡った。
三人は控室の中央にあるソファの前に集まり、壁に掛けられた大型モニターを見上げた。
モニターの画面には、特別棟の「グランドステージ」の内部が映し出されている。
――ドォォォォォンッ!!
モニターのスピーカーから、地鳴りのような重低音と、割れんばかりの歓声が流れ込んできた。
客席は、超満員の八百人の観客で埋め尽くされている。暗転した客席には無数のペンライトが色鮮やかに揺らめき、ステージを照らす何十本ものムービングライトが交錯して、熱気の渦を作り出していた。
ステージの最前列には、根緒亜紗里をはじめとする学園の教員陣が審査員席に陣取り、その隣には大手レコード会社や芸能事務所のスカウト陣、音楽プロデューサーたちが鋭い眼光を光らせている。
客席のボルテージは、開演前からすでに最高潮に達していた。
『――大変お待たせいたしました! ただいまより、初星学園・一学期実力発表ライブ、開演いたします!!』
場内アナウンスが高らかに響き渡り、いよいよ運命のライブの幕が上がった。
モニター越しに、前半から中盤にかけてのアイドルたちのステージが次々と映し出されていく。
トップバッターを務めた生徒たちの緊張感あふれるパフォーマンスから始まり、プログラムが進むにつれて会場の熱気は加速度的に高まっていった。
佐藤健太が担当する倉本千奈の出番では、生粋のお嬢様らしい拙さは残りつつも、がむしゃらに前へ進もうとする健気で愛らしい歌声が会場の空気を温かく包み込み、観客から温かい拍手が送られた。
続いて登場した藤田ことねは、鈴原良治の綿密な計算通り、「お金を稼ぐアイドル」としての泥臭いガッツと天性のあざとさを全開にしたパフォーマンスを披露し、客席のコールを一気に引き出して爆発的な盛り上がりを生み出していた。
さらに中盤、中野仁が担当する紫雲清夏がステージに上がると、空気は一変した。
世界レベルのバレエ仕込みのステップが解き放たれ、長身から繰り出されるダイナミックでキレのあるダンスが、観客の視線を釘付けにした。
五月の公演では見せなかった本気の表現力に、審査員席の大人たちも思わず身を乗り出してメモを走らせていた。
控室のソファで画面を見つめる手毬と美鈴の表情は、一瞬たりとも緩まなかった。
ライバルたちが放つ本気の輝き。
それぞれがプロデューサーと二人三脚で積み上げてきた努力と情熱の結晶が、ステージの上で火花を散らしている。
「……みんな、五月の公演を経て、確実に一段階段を登っているわね」
手毬が低く呟いた。
「ええ。誰もが、自分の持てるすべてを懸けてぶつかってきています」
美鈴もまた、静かに頷く。
そして――プログラムの第十四番目。
手毬と美鈴の出番の直前、ついに「その瞬間」が訪れた。
『エントリーナンバー十四番――花海咲季!』
アナウンスが響いた瞬間、グランドステージの歓声のボリュームが、一段と跳ね上がった。
ステージの中央、真紅のスポットライトを浴びて現れたのは、新入生首席・花海咲季だった。
深紅の髪を高くポニーテールに結び、鋭い刃物のような瞳をギラつかせた少女。
プロデューサー科三年生の高瀬正人が手掛けた、攻撃的で冷徹なハイテンポ・ダンスナンバーのイントロが炸裂した。
ドォン、ドォン、ドォン――!
咲季の身体が、爆発的なスピードで躍動する。
元アスリートとしての圧倒的な体幹と運動量。激しいステップを踏み、高く跳躍しながらも、マイクを通した歌声は寸分のブレもなく、直線的な弾丸となって客席を貫いていく。
「私は勝つのが好き! 負けるのがだ〜いッキラい!!」
――その信条を体現するかのような、圧倒的な力と完成度のパフォーマンス。
会場全体が赤のペンライトで染まり、観客たちの地鳴りのような大歓声が特別棟を揺るがしていた。
モニター越しにその圧巻のステージを見届けた手毬は、膝の上で握りしめた拳をギリリと軋ませた。
「……凄いじゃない、咲季。新入生首席の看板は、伊達じゃないわね」
手毬の唇が、悔しさと、そして抑えきれない歓喜で獰猛に吊り上がっていた。
「でもね……あんたのその力任せの歌じゃ、私の魂までは届かないわよ!」
美鈴もまた、静かに立ち上がり、胸元の紫苑のブローチにそっと触れた。
「ええ。咲季さんのステージは確かに圧巻でした。……けれど、あんなにも激しく燃え盛った会場だからこそ、私の『シオン』で、すべてを静寂と愛の海に沈めて差し上げるのが楽しみです」
咲季のステージが終わり、割れんばかりの拍手と歓声が響き渡る中、控室のドアがコンコンとノックされた。
スタッフが顔を覗かせる。
「天宮プロデューサー、秦谷美鈴さん、出番のスタンバイをお願いします!」
ついに、その時が来たのだ。
優はスッと立ち上がり、二人の前へと歩み寄った。
サファイアの碧眼に、揺るぎない絶対の信頼と、熱い光が宿る。
「手毬さん、美鈴さん。……準備はいいですね」
「ええ、優さん! 私たちの本気を、見せつけてやりましょう!」
手毬が力強く胸を張り、美鈴がお淑やかに、けれど妖艶な笑みを浮かべて頷いた。
「はい、優さん。……特等席で、私だけを見つめていてくださいね」
三人は控室を後にし、ステージへと続く暗い舞台袖の通路へと歩み出した。
プロデューサー科の生徒たち、そして初星学園のすべてが注視する中――異端の青年プロデューサーが育て上げた二人の歌姫の奇跡が、いま、開演の幕を開けようとしていた。