学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
新入生首席・花海咲季による嵐のようなパフォーマンスが終わり、地鳴りのような大歓声と拍手がホールを揺るがす中、暗転したグランドステージの袖には、極度の緊張と静寂が張り詰めていた。
ステージから引き揚げてきた咲季は、肩で激しく息をしながら赤髪のポニーテールを揺らし、すれ違いざまに秦谷美鈴の衣装に驚きながらも顔を鋭く見据えた。
「……次、美鈴ね。精々、会場の熱気を冷まさないように足掻きなさいよ」
挑発的な言葉を残して去っていく咲季の後ろ姿を、美鈴はお淑やかに微笑みながら小さく見送った。
舞台袖の薄暗がりの中、並んで立つ天宮優、月村手毬、そして秦谷美鈴の三人。
ステージへ通じる階段の足元には、本番直前の案内を知らせるランプが緑色に点滅していた。
優はスッと背筋を伸ばし、サファイアのような碧眼を美鈴へと真っ直ぐに向けた。
目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪が、ステージ袖の微細な空気の流れに揺れている。その表情には、一切の迷いも不安もなく、担当アイドルを信じ切った者だけが湛える絶対の温もりが満ちていた。
「美鈴さん」
優の低く澄んだ声が、耳元に届く。
「今日までのすべては、君が真のソロアイドルとして生まれ変わるための道のりでした。青山のスタジオで重ねたレッスンも、手毬さんとぶつかり合った日々も、すべてが君の中に血肉となって宿っています。……これが、僕たちのこれまでの集大成です」
優はふっと口元を綻ばせ、柔らかく首を横に振った。
「だから、『頑張れ』とは言いません。……思いきり、楽しんできてください。君のその至高の愛で、あの会場にいる全員の心を、奪い去ってやりなさい」
その言葉を聞いた瞬間、美鈴の胸の奥底にじんわりと熱い光が広がっていった。
「頑張れ」という重圧ではなく、「楽しんでこい」という全幅の信頼。
どんな自分であっても受け止めてくれるプロデューサーの温もりが、美鈴の背中を優しく支えていた。
すると、隣にいた月村手毬がずいっと一歩踏み出し、美鈴の正面へと立った。
黒とシルバーの特注ドレスに身を包んだ手毬は、腕を組み、切れ長の黒い瞳を吊り上げて美鈴を睨み据えた。
「ちょっと、美鈴。咲季のあんな大歓声の後だからって、ビビってんじゃないでしょうね?」
「ふふ、まりちゃん。私が怯えるとでもお思いですか?」
「ふん、ならいいわよ!」
手毬はパッと腕を解くと、美鈴の華奢な背中を、バチンッ! と小気味よい音を立てて力強く叩いた!
「――っ、まあ……!」
美鈴が思わず目を丸くする。
手毬は悪戯っぽく、けれど爛々とした闘志を宿した笑顔を浮かべ、親指を立ててみせた。
「あんたの本当の歌、楽しみにしてるんだから! 私を悔しがらせるくらいのステージをやってみせなさいよ! ……行ってきなさい、美鈴!」
「まりちゃん……」
美鈴の唇が、感無量に綻んだ。
互いに気を遣い合っていたかつての自分たちは、もういない。
互いの実力を誰よりも認め合い、魂の底から背中を押し合える、最高のライバルがそこにいた。
「ええ、まりちゃん。……特等席で、震えて待っていてください」
美鈴は優に向き直り、深く、優雅に一礼した。
「優さん。行ってまいりますね。……私のすべてを、見ていてくださいね」
「いってらっしゃい、美鈴さん。信じていますよ」
優のサファイアの碧眼に見送られながら、秦谷美鈴はステージへと続く暗い階段を一歩ずつ上がっていった。
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舞台の上は、完全な暗転の中に沈んでいた。
客席のざわめきが、巨大なドームのように頭上を覆っている。
咲季の熱狂的な余韻がまだ抜けきらない八百人の観客席からは、プログラムを確認する声や、次の登場者に対するヒソヒソ声が漏れ聞こえていた。
「次は……秦谷美鈴? 中等部でSyng UP!!にいた子か?」
「あの子、五月のフレッシュ公演に出てなかったよな。急に出てきて大丈夫なのか?」
「Syng UP!!の頃は、手毬と燐羽の後ろでおとなしく歌ってたイメージだけど……」
そんな疑念と興味が入り混じった空気の中、美鈴はステージの中央、バミリの印がつけられた位置へと静かに歩みを進めた。
足元から、青白く淡いフットライトだけが灯り、彼女の足元と紫苑色のドレスの裾を仄かに照らし出す。
紫苑の花のグラデーションを纏ったドレス。
幾重にも重ねられた最高級のチュールレースが、美鈴の凛とした立ち姿に、幻想的なまでの気品を与えていた。
美鈴は両手を胸の前で祈るように重ね、静かに目を閉じた。
暗闇の中で、美鈴の心は凪いだ水面のように澄み切っていた。
胸を焦がすような恐怖も、誰かに譲ろうとする甘えも、もうどこにもない。
頭の中にあるのは、青山の地下要塞で優が自分だけに授けてくれた、あの奇跡のような旋律――。
そして、ステージのすぐ隣――舞台袖という一番近くの特等席で自分を見つめてくれている、あの愛おしいプロデューサーの瞳だけだった。
(優さん……。私を、見ていてください……)
その瞬間が訪れた。
――ポーン……。
張り詰めたグランドステージの空間を、たった一打のピアノの音が切り裂いた。
その音の鳴り響き方に、客席のすべての人間が息を呑んだ。
あまりにもクリアで、あまりにも美しく、そして底知れぬ哀愁を孕んだ、至高のピアノの一打。
それは、初星学園の一般的な生徒たちが使う標準的なオケ音源とは、完全に次元を異にするものだった。
天宮優が青山の地下要塞スタジオで、前世の知性と『音楽に愛されし者』のチート能力を極限まで注ぎ込んで作り上げた、神の領域の音響デザイン。
ピアノのハンマーが弦を叩く瞬間の微細なアタック、空気中へと染み渡るリバーブの減衰。その一音だけで、ホール内の八百人の意識が一瞬にして奪い去られたのだ。
ざわめいていた客席が、信じられないほどの速度で静まり返っていく。
空間の温度がスッと数度下がり、夕暮れの淡い茜色と群青色の風が吹き抜けたかのような錯覚。
ステージを照らすピンスポットライトが、天井から垂直に降り注ぎ、美鈴の白皙の美貌を鮮やかに浮かび上がらせた。
美鈴はゆっくりと瞼を開いた。
その切れ長の黒い瞳には、誰にも譲らないという絶対の意志と、甘やかな色香が宿っていた。
そして、静寂の海の中へ、美鈴の歌声が解き放たれた。
「――っ……!?」
客席の至る所から、息を呑む微かな音が漏れた。
審査員席に座る根緒亜紗里が、手元の採点ペンを握ったまま、目を見開いて硬直する。大手レコード会社のスカウト陣が、前のめりになってステージを見上げた。
(な……何だ、この声は……!?)
聴く者すべての心臓を直接鷲掴みにするような、圧倒的な音の密度。
ウィスパーボイスのように繊細で、吐息がそのまま音になったかのような柔らかさでありながら、信じられないほど芯が太く、どこまでも滑らかに客席の隅々まで染み渡っていく。
シルクの毛布のように温かく、けれど胸の奥をキリキリと締め付けるような、抗いようのない切なさを伴った響き。
「これが……秦谷美鈴なのか……?」
客席の生徒の一人が、震える声で呟いた。
「中等部の時と、まるで違いすぎる……! 声の艶も、迫力も、何から何まで別物だ……!」
「声が……あまりにも美しすぎる……っ」
かつて「Syng UP!!」のステージで、手毬の鋭角なボーカルの陰に隠れ、目立たないように調和だけを保っていた少女の面影は、どこにもなかった。
そこに立っていたのは、自らの圧倒的な包容力で、会場中のすべての人間を自らの腕の中に引きずり込み、支配しようとする至高のソロアイドルだった。
美鈴の所作は、どこまでも優美で、どこまでもマイペースだった。
激しいダンスで体力を削る咲季とは対照的に、美鈴は流れるような優雅なステップを踏み、ドレスのドレープをふわりと揺らす。
その無駄のない洗練された身のこなしの一つひとつが、観客の視線を惹きつけて離さない。
曲はBメロへと展開し、ピアノロックのエモーショナルなドラムとベースが、美鈴の歌声と完全に同期してグルーヴを紡ぎ出していく。
切なさが、臨界点へと達していく。
言葉にできない痛み、傷つくことを恐れていた過去の自分への葛藤。
美鈴は胸元をぎゅっと掻きむしるように手を当て、客席の向こう、そして舞台袖で見守る優へと想いを届けるように、感情のすべてを解き放った。
そして――サビへ。
ドォォォォンッ!!
ホール全体に、美鈴の至高のロングトーンが木霊した。
客席の誰もが、鳥肌を立てて立ち尽くしていた。
自分のことは忘れてと別れを告げるような切ない旋律でありながら、その歌声は「絶対に私を忘れるな、私だけを見つめろ」と、狂おしいほどに観客の心を締め付けていた。
逃げ場のない愛の奔流。
優美でありながら、底知れぬ強欲さを秘めたその歌声に、八百人の観客は完全に息を呑み、金縛りに遭ったかのように身動き一つ取れずにいた。
誰かの引き立て役ではない。
秦谷美鈴という一人の少女が放つ、強烈無比な主役の輝き。
優が導き、美鈴自身が殻を打ち砕いたことで手に入れた、真の「個」としての覚醒が、ステージの上で大輪の紫苑の花となって咲き誇っていた。
曲は激情の大サビへ向かって駆け上がっていく。
最後のフレーズを歌い終えた美鈴の瞳から、一筋の美しい涙が零れ落ち、スポットライトを浴びてキラリと光った。
ピアノの繊細なアウトロが、静かに、夕暮れの彼方へと溶け去っていくように減衰する。
そして――演奏が完全に止まり、ステージに静寂が戻った。
美鈴は静かに両手を前で揃え、客席に向かって、深々と頭を下げた。
優雅で、完璧な一礼。
顔を上げた美鈴は、誰にも媚びない誇り高き微笑みを浮かべると、ゆっくりと踵を返し、ステージ袖へと戻っていった。
その瞬間――。
会場全体を支配していたのは、完全な「無音」だった。
一秒、二秒、三秒……。
観客も、審査員も、あまりの衝撃と感動に言葉を失い、拍手をすることすら忘れて呆然と立ち尽くしていたのだ。
そして、美鈴がステージ袖の暗がりに足を踏み入れた、その刹那――。
――ドッ、バババババババババッッ!!!!
まるでダムが決壊したかのような、凄まじい地鳴りのような拍手と歓声の嵐が、ホール全体から爆発した!
「うおおおおおおおおっっ!!」
「秦谷美鈴ぅぅぅぅっ!!」
「ブラボー! 信じられない、なんて歌声だ……!!」
割れんばかりのスタンディングオベーション。
八百人の観客が一斉に立ち上がり、手のひらが真っ赤になるほど激しく拍手を打ち鳴らしている。審査員席の大人たちも、誰もが興奮に顔を紅潮させ、手元の用紙に満点近い数字を書き殴っていた。
その熱狂の嵐を背に受けながら、美鈴はステージ袖へと戻ってきた。
そこには――両手を広げて待ち構えていた、天宮優の姿があった。
優のサファイアの碧眼は、心からの感動と誇らしさで潤んでいた。
「美鈴さん」
優の温かく、震えるような声が響く。
「……君は、完全に殻を破ったよ。本当によくやったね。世界で一番、美しく、誇らしいステージだった」
その言葉を聞いた瞬間――。
美鈴の張り詰めていた糸が、完全にほどけた。
「――っ、優さん……っ!!」
美鈴の大きな黒い瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
美鈴は両手で顔を覆い、しゃくり上げながら、子供のように泣き崩れそうになった。
十五年間、引き立て役という安全地帯に引きこもり、誰にも本気を見せられなかった自分が、今日、世界中の観客を平伏させ、そして何より愛するプロデューサーに認められたのだ。
歓喜と、安堵と、胸いっぱいの幸福感に、美鈴の身体が震えていた。
すると――。
「美鈴ぅぅぅぅっっ!!」
ダダダッと床を鳴らして駆け寄ってきた月村手毬が、勢いそのままに美鈴の身体へと飛びついた!
ぎゅうううっ、と美鈴の首元を抱きしめる手毬。
「まりちゃん……っ!」
「ば、馬鹿! なによあんた、あんな凄い歌声響かせちゃってさ……っ! 鳥肌が止まらなかったじゃないのよぉぉぉっ!!」
手毬の黒い瞳からも、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちていた。
悔しさと、それ以上の誇らしさで顔をぐしゃぐしゃにしながら、手毬は美鈴を力いっぱいに抱きしめ返した。
「さすがは私のライバルよ……! 本当に、最高だったんだからね、美鈴っ!」
「ふふ……っ、まりちゃん、苦しいです……。でも……ありがとう、まりちゃん……っ」
抱き合って涙を流し、笑い合う二人の歌姫。
そこには、過去の傷を完全に乗り越え、互いを心から讃え合う本物の絆があった。
優はそんな二人を愛おしそうに見つめながら、温かな笑みを浮かべた。
秦谷美鈴の覚醒は、完璧な形で果たされた。
そして――残るはあと一人。
ホール内に響き渡る大歓声の中、いよいよ実力発表ライブのクライマックス――月村手毬の『Luna Say Maybe』が、世界を揺るがす瞬間を待っていた。