学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
グランドステージの客席から地鳴りのように轟いていた熱狂的なスタンディングオベーションと割れんばかりの拍手の嵐を背に、重厚な防音扉がカチャリと静かに閉ざされた。
外の喧騒が嘘のように遮断されたアイドル科特別棟の地下通路を抜け、三人は「第3控室」へと戻ってきた。
カチリ、とドアの鍵が掛けられた瞬間、室内に残されていた張り詰めた空気の糸が、ふっとほどけた。
姿見の鏡が並び、淡い間接照明に照らされたプライベートな空間。
漆黒のベルベットとシルバーの特注ドレスを纏った月村手毬は、肩で大きく息を吐き出しながら立ち止まり、自らの両手をじっと見つめた。
指先には、まだあのステージ上で爆発させた熱気の微かな痺れが残っている。
その隣で、紫苑の花のグラデーションドレスの裾を揺らした秦谷美鈴もまた、胸元に手を当て、深く、熱いため息を零した。
二人の息遣いだけが重なる控室の中央で、天宮優が振り返った。
仕立てのよいチャコールグレーのスーツを端正に着こなし、目にかからない長さに切り揃えられた白銀の髪を軽く払う。
サファイアのような碧眼には、これ以上ないほど澄み切った誇りと、温かな光が満ち満ちていた。
「手毬さん、美鈴さん」
優が静かに、けれど弾んだ声で呼びかけた。
「……二人とも、本当に、本当にお疲れ様でした」
その言葉を合図にしたかのように、手毬の顔にパッと歓喜の笑みが弾けた。
「優さんっ!」
手毬は小走りに駆け寄り、高く右手を掲げた。
「やったわよ! やってやったわよ!!」
パァンッ!! と、小気味よい乾いた音が控室に響き渡った。
優の大きな手のひらと、手毬の華奢な手のひらが、力強く真正面からぶつかり合うハイタッチ。
続いて美鈴もお淑やかな足取りで歩み寄り、陶器のような白い手を掲げた。
「優さん、私も……っ!」
パァンッ!
優と美鈴の手が重なり、互いの温もりが掌を通じて伝わっていく。
そして最後に、手毬と美鈴の視線が交錯した。
かつての中等部時代のように、互いに遠慮し、言いたいことを飲み込んでいた二人ではない。
全身全霊のソロパフォーマンスで互いの魂をぶつけ合い、観客の心を奪い去り合った本物のライバル同士。
「美鈴!」
「まりちゃん!」
パァァァンッッ!!!!
二人の少女のハイタッチが、ひときわ高い音を立てて空気を震わせた。
互いの手のひらから伝わる熱さに、二人は思わず顔を見合わせ、それから弾けるように笑い声を零した。
「あははっ! なによあんた、さっきステージ袖で泣きじゃくってた癖に、いい顔しちゃってさ!」
手毬が美鈴の肩を小突いた。
「まあ、まりちゃんったら人聞きの悪い。泣いていたのはまりちゃんの方ではありませんか。『勝ったわよ』なんて言って、私の胸で子供のように喚いていたのはどなたでしたか?」
「う、うるさいわね! あれは嬉しかったからよ! 嬉し涙はノーカウントなの!」
「ふふ、都合のよろしい理論ですね」
口を尖らせて言い合う二人。
けれど、その表情には一片の曇りもなかった。
二人の胸を今満たしているのは、十五年間の人生の中で一度も味わったことのない、圧倒的な感情だった。
――「初めて、やり切った」。
中等部時代、「Syng UP!!」のメインボーカルとして頂点に立っていた頃の手毬は、いつだって飢えと焦燥に苛まれていた。
完璧でいなければ見捨てられると怯え、周りが見えなくなり、仲間と衝突しては自らを追い詰める日々。ステージに立っても「ミスをしなかったか」「音程は正確だったか」ばかりが気になり、歌い終えた後に残るのは疲労と虚無感だけだった。
美鈴もまた同じだった。手毬と燐羽の引き立て役に回り、波風を立てないように微笑みながら、自分自身の情熱から目を背け続けていた。傷つかない代わりに、何一つとして心から満たされることのなかった空虚な時間。
けれど、今日のステージはまるで違っていた。
手毬は自らの弱さも泥臭さもすべて曝け出し、型を粉々に砕いて『Luna Say Maybe』を絶唱した。
美鈴は誰かの影に隠れることをやめ、自らの愛とエゴを解き放って『シオン』で会場を包み込んだ。
一滴の出し惜しみもなく、己の命の形そのものをマイクに叩きつけ、世界中の観客と真正面から共鳴したという、震えるような達成感。
自分たちは、今日、本当の意味で初めて「自分の足でステージに立った」のだ。
「まりちゃん、本当に凄かったですよ」
美鈴が改めて手毬を見つめ、穏やかに、けれど熱狂を込めて告げた。
「あの『Luna Say Maybe』の爆発力……客席が文字通り吹き飛ぶかと思いました。中等部の頃のまりちゃんとは、まるで別人のようでした。力強くて、泥臭くて……何より、息を呑むほどに美しかったです」
「ふん……美鈴こそ、偉そうなこと言ってんじゃないわよ」
手毬は照れくさそうにそっぽを向きながらも、口元を誇らしげに緩めた。
「あんたの『シオン』だって、反則級だったわよ。たった一音のピアノで客席を静まり返らせて、あの優美な声で会場中の全員を窒息させそうにしてたじゃない。……悔しいけど、鳥肌が止まらなかったわ。あんたがあそこまで歌えるなんて、私、本当に誇らしいわよ」
互いの凄さを、濁りのない笑顔で称え合う二人。
幼馴染という甘えを捨て、ライバルとして覚醒したからこそ分かち合える、至高の絆がそこにはあった。
ふと、二人の視線がソファの前に立つ天宮優へと向かった。
優は二人のやり取りを、父親のように、あるいは兄のように、深く温かな眼差しで見つめていた。
手毬と美鈴は、示し合わせたわけでもないのに、自然と並んで優の前へと歩み出た。
そして、互いにドレスの裾を正すと、背筋をスッと伸ばした。
「優さん」
手毬が口を開いた。
いつもの強がりや憎まれ口は、そこには欠片もなかった。
大きな黒い瞳をまっすぐに優の碧眼へと向け、一言ひとことを噛み締めるように紡ぐ。
「私……初星学園に入学した時、もう歌うのが怖かったの。誰にも信じてもらえなくて、自分でも自分が大嫌いで、完璧に歌えない自分には価値なんてないって思ってた。……でも、優さんが見つけてくれた。私の手を引っ張って、青山のスタジオで魔法みたいな音をくれて、私の醜い意地っ張りも全部受け止めてくれた」
手毬の目頭に、再び熱いものが込み上げてくる。
「優さんがいなかったら、今日の私は絶対にここにいなかった。あんな風に、笑って歌える日は一生来なかったわ。……私をここまで育ててくれて、本当にありがとう、優さん」
手毬の言葉に続いて、美鈴が静かに一歩前へ出た。
胸の前で両手を揃え、潤んだ瞳で優を見上げる。
「私も、同じです、優さん。私はずっと、誰かの後ろに隠れて、傷つくことから逃げているだけの臆病者でした。まりちゃんのお世話係という都合のいい仮面を被って、自分の夢を諦めていたのです。……けれど、優さんは私の甘えを許さず、防音室で真っ直ぐに私の魂を揺さぶってくださいました。『もっと我がままになっていい』と、私のエゴを抱きしめてくださいました」
美鈴の声が、微かに震える。
「優さんが作ってくださった『シオン』が、私に新しい命を吹き込んでくれたのです。優さんと出会えたことこそが、私の人生で最大の奇跡ですよ。……心から、感謝申し上げます、優さん」
二人は息を合わせ、優に向かって深々と、直角に頭を下げた。
それは、担当アイドルからプロデューサーへ捧げられる、純度百パーセントの、偽りのない真心の礼だった。
優は二人の頭上に注がれる静寂を受け止めながら、胸の奥底が熱く締め付けられるのを感じていた。
個人資産四十億円を持ち、前世の知識とチート能力『音楽に愛されし者』を授かってこの世界に転生してきた青年。
高校生の頃、覆面歌手「天月」として商業的な大成功を収め、ダブルミリオンを連発した時でさえ、これほどまでに心が震えたことはなかった。
自分のエゴのために歌うことと、誰かの人生に泥臭く寄り添い、その魂が開花する瞬間に立ち会うことの、圧倒的な重みの違い。
優は優しく口元を綻ばせると、二人の前へ歩み寄り、その華奢な肩へとそっと両手を置いた。
「顔を上げてください、手毬さん、美鈴さん」
優の澄んだ声に促され、二人がゆっくりと顔を上げた。
二人の瞳には、美しい涙の膜が張っていた。
優はサファイアの碧眼を細め、穏やかに笑いかけた。
「ありがとうを言うのは、僕の方ですよ」
「え……?」
手毬が目を丸くする。
「僕はね、プロデューサーとしてはまだ駆け出しの新入生です。青山の豪邸にスタジオを構えて機材を揃えても、そこに命を吹き込んでくれる歌い手がいなければ、ただの鉄の塊に過ぎません。……僕の音を信じ、僕の厳しい言葉から逃げず、泥臭く己の殻を壊して、あんなにも美しい奇跡を見せてくれた。二人という最高の歌姫に出会えて、僕はプロデューサーとして、これ以上ないほど幸せですよ」
優は二人の肩を、力強く、温かくポンと叩いた。
「二人の歩みは、まだ始まったばかりです。けれど、今日、君たちは間違いなく自分自身の足で、トップアイドルへの新しい第一歩を踏み出しました。……これからも、僕と一緒に歩んでくれますね?」
「――はいっ!!」
手毬が満面の笑みで叫ぶように答えた。
「もちろんです、優さん。どこまでもついてまいります」
美鈴もまた、蕩けるような甘い微笑みで深く頷いた。
控室を満たす、絶対の信頼と温もり。
プロデューサーとアイドルという枠組みを超え、運命を共にすると誓い合った三人の絆が、確固たる光となって結実した瞬間だった。
その時だった。
控室の壁に掛けられた大型モニターから、ドォン、と重苦しいドラムのキック音が響いてきた。
三人の意識が、自然と画面へと引き戻される。
モニターには、グランドステージの様子が映し出されていた。
現在ステージに立っているのは、プログラム第十九番目――今日の実力発表ライブ、新入生部門の最後を飾る大トリの生徒だった。
ステージの中央、スポットライトを浴びて歌い踊る少女の姿。
だが、そのパフォーマンスを見た瞬間、手毬がピクリと眉を寄せた。
「……あれ? なんか、あの子……」
手毬が腕を組み、モニターを凝視しながら首を傾げた。
「なんか、かなりぎくしゃくしてないかしら? ステップの踏み込みが浅いし、ブレスのコントロールも乱れてるわよ。音程もサビ前で微妙にぶら下がってるし……あんな実力の子だったっけ?」
手毬の指摘通りだった。
大トリを務めるその生徒は、五月のフレッシュ公演でも上位に食い込んでいた実力者のはずだった。
だが今、ステージの上で繰り広げられているパフォーマンスは、明らかに精彩を欠いていた。
表情は強張り、視線は宙を泳ぎ、サビの高音に向かう身体の動きには、目に見えてプレッシャーに呑まれたような硬さが滲み出ている。
何より、客席の空気が異様だった。
手毬が『Luna Say Maybe』で会場全体を爆心地のように吹き飛ばし、客席を狂乱の渦に叩き込んだ直後である。
観客の耳と心は、手毬の放った圧倒的な熱量と神サウンドによって完全に焼け野原にされており、並のパフォーマンスでは到底満足できない状態になっていたのだ。
客席から向けられる無言の比較と冷ややかな視線が、大トリの少女のメンタルを容赦なく削り取っていた。
手毬の疑問に、美鈴がふふっと優雅に口元を手で隠しながら、楽しそうに笑い声を漏らした。
「あら、まりちゃんったら。自分で原因を作っておいて、よくそんなことが言えますね」
「はあ? 私が原因って、どういうことよ美鈴!」
手毬が目を吊り上げて食ってかかる。
美鈴は黒い瞳を細め、悪戯っぽく手毬の横顔をつついた。
「どういうことも何も、その通りではありませんか。……まりちゃんが、あの凄まじい歌声と音圧で、会場の空気を完全に食べ尽くしてしまったからですよ」
「――っ!」
手毬が息を呑む。
「あんなにも神がかった絶唱を見せつけられた直後にステージへ上がらされたのですもの」
美鈴はモニターの中の哀れな大トリを見つめながら、クスリと笑った。
「あの子にしてみれば、大怪獣が暴れ回って更地になった直後の焼け野原に、丸腰で放り出されたようなものですよ。足が竦んで、声がぎくしゃくしてしまうのも無理はありません。……ふふ、可哀想に。まりちゃんの胃袋は、食べ物だけでなく会場のボルテージまで底なしなのですね」
「なっ……! 食べ尽くしたってなによ! 人を怪獣みたいに言わないでよ美鈴!!」
手毬が顔を真っ赤にして喚き散らした。
「私、ただ全力で歌っただけよ! 優さんに『すべてを食ってしまえ』って言われたから、その通りにしただけなんだから!!」
手毬のその叫びを聞いた瞬間、優は思わず「あはは……」と額に手を当て、引き攣った苦笑いを浮かべた。
(……本当に、言葉通り全部食ってしまったな……)
ステージへ送り出す直前、手毬の背中を押すために自分が掛けた言葉が脳裏に蘇る。
『大トリの子が震え上がるような歌を楽しみにしていますよ。……すべてを食ってしまえ』
あの時は手毬の闘争心を極限まで引き出すためのハッパのつもりだったのだが、まさか本当にこれほど残酷なまでに大トリの生徒を震え上がらせ、会場を更地にしてしまうとは。
「優さん、苦笑いしてないで何か言いなさいよ!」
手毬がぷくっと頬を膨らませて優の腕を揺さぶる。
「優さんの言った通りにしたのに、美鈴が私を大食い怪獣扱いするのよ!」
「ふふ、事実を申し上げたまでですよ、まりちゃん」
美鈴が涼しい顔でお茶を一口すすりながら微笑む。
「優さん、まりちゃんを甘やかしてはダメですからね。今夜のお夕食は、カロリー控えめの湯豆腐にして差し上げましょう」
「なんでよぉぉぉっ!! 今日は特大ステーキを奢ってもらう約束でしょ優さんっ!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる手毬と、優雅にいなし続ける美鈴。
その賑やかな掛け合いを挟まれながら、優の苦笑いは、やがて胸の底から湧き上がる温かな笑顔へと変わっていった。
モニターの向こう側で、大トリのステージが終わりを告げ、いよいよ一学期の実力発表ライブのすべての演目が終了しようとしていた。
これから行われるのは、審査員と観客投票による厳正な学期成績の判定。
だが、結果を見るまでもなく、優の胸中には確信があった。
月村手毬と秦谷美鈴。
この二人の歌姫が刻みつけた衝撃は、初星学園の歴史を確実に塗り替え、彼女たちの評価を一学期にして頂点へと押し上げるに違いない。
青山の豪邸で過ごした日々と、地下要塞スタジオで流した汗と涙。
それらすべてを糧にして、少女たちは過去の亡霊を振り払い、真のアイドルとして覚醒した。
今頃、特別棟の外に広がる初夏の夕空には、茜色から深い群青へと移ろう美しいグラデーションが広がっていた。
それはまるで、これから訪れる熱い夏――さらなる高みを目指す二人の輝かしい未来を祝福しているかのようだった。