学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
中庭に広がる夕暮れの静寂を切り裂いて、少女の切実な叫びが木々の間を震わせていた。
「私の、プロデューサーになってほしいの……っ!」
放たれたその言葉の重みに、風さえも息を潜めたかのようだった。
月村手毬は、肩を激しく上下させながら優を見つめていた。顔はこれ以上ないほど朱に染まり、切れ長の黒い瞳には涙の膜が張っている。
普段の冷徹で人を寄せ付けない仮面を自ら粉々に砕き、脆く、傷つきやすい魂の輪郭を剥き出しにした姿だった。
木製のベンチに腰掛けていた天宮優は、サファイアのような碧眼をわずかに見開き、息を呑んだ。
二十歳という実年齢以上の落ち着きを常に崩さない優であったが、この瞬間ばかりは、手毬の放った強烈な熱量に胸を衝かれていた。
目の前にいるのは、かつて「ナンバーワン」と称されながらも孤立し、他者を拒絶することで自らの尊厳を守ろうとしてきた不器用な少女だ。
その彼女が、プライドも虚勢もすべてかなぐり捨てて、震える手で自らの未来を差し出している。
優の唇から、ふっと柔らかく温かな息が零れた。
彼の碧眼に宿ったのは、戸惑いではなく、底知れない深い慈しみと、プロデューサーとしての静かな覚悟だった。
優はベンチからゆっくりと立ち上がった。
夕陽を背負った彼の長身から、長い影が芝生の上に伸びる。銀色の髪が茜色の光を浴びて淡く輝き、優は一歩、また一歩と手毬の前へと歩み寄った。
拒絶される恐怖からぎゅっと身を竦め、思わず俯きそうになった手毬の小さな手――白く、レッスンで酷使されてかすかに強張ったその両手を、優は自らの大きな掌でそっと包み込んだ。
「――っ!?」
手毬がびくりと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。
優の掌は驚くほど温かく、そして力強かった。触れられた瞬間、手毬の全身を支配していた緊張の糸が、微かに緩むのを感じた。
「月村さん」
優の声は、どこまでも優しく、春風のように手毬の鼓膜へと染み渡っていった。
「自分を卑下する必要なんて、どこにもありませんよ」
「え……?」
手毬が呆然と呟く。
優は手毬の濡れた黒い瞳を、一切逸らすことなく真っ直ぐに見つめ返した。
「君はさっき、自分の性格が面倒で、中等部で仲間とうまくやれずに全部を壊してしまったと言いましたね。でも、それは君が悪意を持っていたからでも、怠けていたからでもない。
誰よりも高く跳ぼうとして、誰よりも歌を愛していたからこそ、その情熱の向け方が不器用で、周囲との歩調がずれてしまっただけだ。
……君はまだ十五歳です。今はまだ、長い人生の成長途中にいるに過ぎないんですよ」
優の手が、手毬の冷えた指先を温めるように、ぎゅっと優しく力を込めた。
「たくさん失敗したっていいんです。自分の至らなさに打ちのめされて、無力さに悔し涙を流したっていい。
人は完璧だから美しいんじゃない。傷つき、迷いながらも、それでも何かを掴もうともがく姿にこそ、人の心を震わせる本当の輝きが宿るんです。
……月村さん、これからは失敗を恐れないでください。たくさんの失敗をして、その分だけたくさんの想いを受け止めて、一歩ずつ前に進めばいいんです」
「で、でも……っ」
手毬の声が震えた。胸の奥底に澱のように溜まっていた暗い記憶が、首をもたげる。
「私……また誰かを傷つけるかもしれない……! 私と一緒にいたら、あなたまで周りから悪く言われて、泥を塗られるかもしれないのよ……っ!? 私、本当に面倒くさい女なんだから……っ!」
中等部時代、「Syng UP!!」が解散した時の激しい炎上。手毬自身に向けられた無数の心ない罵声。
初星学園に入学してからも、周囲のプロデューサーたちが自分を腫れ物のように扱い、遠巻きに見ていた記憶が、呪いのように手毬を縛り付けていた。
だが、優はその呪縛を断ち切るように、力強く、そして凛とした声で告げた。
「諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける」
その言葉は、優の魂の奥底に刻まれた、絶対の信条だった。
前世から受け継いだ知識や女神から与えられたチート能力があろうと、株で四十億円という莫大な富を築こうと、優の本質はどこまでも実直で泥臭い男だった。
栄光の頂点に立つことよりも、誰かの痛みに寄り添い、共に泥に塗れながら前へ進むことにこそ、生きる意味を見出しているのだ。
「君が躓いて転んだら、僕が何度でも手を引いて立たせます。君が泥に塗れるなら、僕も一緒に泥を被りましょう。
世間が君をどう言おうと、誰が君を切り捨てようと、僕だけは絶対に君の手を離さない。
……僕が君の助けになるなら、その役目を喜んで引き受けます」
優はふっと、世界中の誰よりも温かい笑みを浮かべた。
「月村手毬さん。僕に、君のプロデューサーを務めさせてくれますか?」
「――っ、う……っ、ああ……っ!」
その瞬間、手毬の感情の防波堤が、完全に決壊した。
これまでずっと、一人で耐えてきたのだ。
「ナンバーワン」という重すぎる看板を背負わされ、完璧でいなければ価値がないと思い詰め、仲間とすれ違い、居場所を失い、孤独の中で喉を締め上げながら歌い続けてきた少女。
誰にも弱音を吐けず、誰も信じられず、泣くことすら許されないと自分を縛り付けていた鎖が、優の温かな言葉によって跡形もなく溶け去っていく。
手毬は優の胸元に顔を埋めるようにして、子供のように泣きじゃくった。
「うわああんっ……! うっ、ぐすっ……優さん……っ、優さん……っ!!」
大粒の涙が、手毬の大きな黒い瞳から次から次へと溢れ出し、優のスーツの胸元を濡らしていく。
しゃくりあげ、鼻をすすり、全身を震わせながら、手毬はこれまでの人生で流せなかったすべての涙を、優の前で思いっきり吐き出していた。
優は動じることなく、手毬の頭にそっと手を添え、優しく撫で続けた。
泣き声が夕暮れの中庭に響き渡る中、優はもう片方の手でポケットから清潔なハンカチを取り出し、手毬の背中を静かにトントンと叩いてやる。
「大丈夫ですよ。もう、一人で抱え込まなくていいんですから」
「ううっ……ひっく……ば、馬鹿……っ! 優さんの、馬鹿ぁ……っ!」
泣きながらも憎まれ口を叩く手毬の頭を、優は愛おしそうに撫でた。
その姿は、まるで迷子になって泣き喚く妹を優しくあやす兄のようであり、同時に、傷ついた歌姫をその腕に包み込む本物のプロデューサーの姿だった。
どれほどの時間が流れただろうか。
やがて、手毬の激しい慟哭は、小さくくしゃくしゃとしたしゃくり上げへと変わり、ようやく落ち着きを取り戻していった。
手毬は優の胸元から顔を離すと、自分の涙と鼻水で濡れてしまった優のシャツを見て、ハッと息を呑んだ。
「あ……っ、ご、ごめんなさい……っ! 服、汚しちゃった……っ」
顔を耳まで真っ赤にして慌てる手毬。
目元は真っ赤に腫れ上がり、鼻を赤くしたその顔は、普段のクールな美少女の面影など微塵もない、ひどく情けなく愛らしいものだった。
「ふふ、気にしないでください。クリーニングに出せば綺麗になりますから」
優は微笑みながら、持っていたハンカチで手毬の濡れた頬をそっと拭ってやった。
「それより、すっきりしましたか? 月村さん」
「……う、うん。……すっきり、した……」
手毬は素直に頷き、ハンカチを受け取って小さく鼻をかんだ。
その瞳からは、先ほどまでの刺々しい影が綺麗に消え去り、澄み切った夜空のような輝きが戻っていた。
優は手毬の目を見つめ、穏やかに言った。
「さて、気持ちが落ち着いたなら……これから亜紗里先生のところへ行って、正式にプロデュース契約を結びに行きましょうか」
「……! うんっ!」
手毬は力強く、迷いのない笑みを浮かべて頷いた。
二人は並んでベンチを離れ、夕闇が迫る中庭を後にしてアイドル科本棟へと向かった。
歩く手毬の足取りは、先ほどまでの重苦しさが嘘のように軽やかだった。時折、隣を歩く優の横顔を上目遣いに見上げては、嬉しそうに唇を綻ばせている。
「あのね、優さん……」
「はい、なんですか?」
「私、すごくわがままだし、お腹が空くと機嫌が悪くなるし、朝も起きるの苦手だけど……見捨てたら、承知しないんだからね」
「あらかじめ教えてくれて助かります。ちゃんと手毬さんのペースを考えてスケジュールを組みますね」
優が柔らかく答えると、手毬は照れくさそうに「……うん」と小さく呟き、優の歩幅に合わせて歩いた。
アイドル科本棟の一階、明かりが灯る職員室の扉の前に二人は到着した。
優が軽く二度ノックをし、ドアを開ける。
「失礼します。根緒亜紗里先生、今よろしいでしょうか?」
職員室の中では、数人の教師たちがデスクワークを行っていた。
その奥から、プロデューサー科を担当する女性教師、根緒亜紗里が顔を上げた。
二十四歳の若き指導者である亜紗里は、眼鏡の奥の優しい瞳を丸くして二人を見つめた。
「あら、天宮君に……月村さん? こんな時間に、二人揃ってどうしたの?」
優と手毬は、亜紗里のデスクの前へと進み出た。
優は背筋を正し、礼儀正しく一礼する。
「亜紗里先生、お時間をいただきありがとうございます。僕たち二人で話し合い、合意に達しましたので、ペア制度に基づくプロデュース契約の申請に伺いました」
「――えっ!?」
亜紗里は思わず立ち上がり、手元の書類を落としそうになった。
職員室にいた他の教師たちも、一斉に驚いた顔で二人を振り返る。
「天宮君と、月村さんが……!?」
亜紗里が驚くのも無理はなかった。
月村手毬は中等部時代の実績こそ抜きん出ているものの、その妥協を許さない性格と過去のトラブルから、プロデューサー科の生徒たちの誰もが担当を躊躇していた、最も扱いづらい生徒の一人だった。
一方の天宮優は、二十歳で海外から帰国したばかりの謎多き新入生。
その二人が、入学からわずか数日でタッグを組むなど、誰が予想できただろうか。
亜紗里は真面目な表情に戻り、手毬の顔を覗き込んだ。
「月村さん、本当なのね? 誰かに無理強いされたり、焦って妥協したわけではないのね?」
教師としての、生徒を思いやる心配だった。
だが、手毬は首を横に振った。その瞳には、かつてないほど強固な光が宿っていた。
「はい、亜紗里先生。妥協なんかじゃありません。……私が、私から優さんにお願いしたんです。私のプロデューサーになってほしいって。私の歌を、私のすべてを預けられるのは、優さんしかいません」
その迷いのない言葉に、亜紗里は息を呑んだ。
そして、手毬の隣に立つ優を見た。
銀髪碧眼の青年は、手毬の言葉を慈しむように受け止めながら、静かに、しかし絶対の自信と責任感を漂わせて立っていた。
亜紗里の口元に、自然と温かな笑みが広がった。
「……そう。あなたがそこまで真っ直ぐな目をしているのを見るのは、入学以来初めてかもしれないわね」
亜紗里は引き出しから、初星学園の公式な契約書類を取り出し、デスクの上に広げた。
「初星学園におけるペア制度は、単なる形式的なものではありません。互いの将来を背負い、夢に向かって共に歩むための神聖な誓いです。
……天宮君、月村手毬さんを担当することの重み、分かっていますね?」
「はい。命に代えても、彼女をトップアイドルへと導きます」
優は淀みなく、澄んだ声で答えた。
「結構です。それでは、ここに署名を」
優が万年筆を取り、流麗な筆跡で「天宮優」とサインを入れる。
続いて手毬がペンを握り、少し緊張で指を震わせながらも、しっかりと「月村手毬」と書き記した。
二つの名前が並んだ書類を、亜紗里が確認し、学園の承認印を押印する。
カツン、と乾いた捺印の音が響いた。
その瞬間、天宮優と月村手毬の運命が、正式に一つの線として結ばれたのだ。
「おめでとう、二人とも。これで正式に、あなたたちはプロデューサーと担当アイドルよ」
亜紗里が微笑みながら拍手を送ってくれた。
そして、デスクの奥から一つの真鍮製の鍵を取り出し、優の手のひらへと載せた。
「天宮君、これがあなたたちの『専用事務所(プロデュースオフィス)』の鍵よ。本棟の三階、三〇四号室。今日からそこが、あなたたち二人の活動拠点――新しい城になるわ。
日々の打ち合わせやレッスンの管理、すべてをそこで行いなさい」
「ありがとうございます、亜紗里先生」
優は真鍮の鍵をしっかりと握りしめた。
ずっしりとした金属の重みが、手のひらを通して自らの責務の重さを実感させる。
手毬もまた、優の手の中にある鍵を、宝物を見るかのような眩しそうな眼差しで見つめていた。
職員室を後にした二人は、静まり返った本棟の廊下を歩いていた。
窓の外はすでに夜の帳が下り、遠くの街灯りが宝石のように瞬いている。
手毬が、優の袖口をちょこんと指先で引いた。
「優さん……」
「はい、月村さん」
少女の頬が嬉しそうに緩む。
「私ね……絶対に諦めないから。泥臭くても、惨めでも……優さんと一緒なら、前へ進める。だから、私を一番のアイドルにしてね」
「ええ、約束します」
優は手毬の頭を優しく撫で、夜空を見上げた。
青山の豪邸の地下に眠る要塞スタジオ、自らの中に宿る『音楽に愛されし者』の力、そして前世の記憶。
そのすべてを注ぎ込むべき唯一の光が、いま自らの隣に立っている。
二人の歩む道は、決して平坦なものではないだろう。
けれど、どんな嵐が吹き荒れようとも、泥臭く前へ進み続ける覚悟が、二人の胸には確かに灯っていた。
異端の青年プロデューサーと孤高の歌姫による伝説が、初星学園の夜の静寂の中で、いま力強く産声を上げた。