学マス~チートPと一緒に初星学園を無双する話~ 作:みちみちお
春の柔らかな日差しが、アイドル科本棟の静かな廊下に明るい光の筋を落としていた。放課後のチャイムが遠くで鳴り響く中、天宮優と秦谷美鈴の二人は、並んで一階の職員室へと向かって歩いていた。
優の半歩後ろを歩く美鈴は、黒髪のセミロングを優雅に揺らしながら、おっとりとしたマイペースな足取りを崩さない。その口元には、目的を一つ果たした少女特有の、どこか悪戯っぽく可憐な笑みが浮かんでいた。
「優さん、私の歩く速度、遅すぎたりはしませんか? 私、昔からのんびり屋だとよく言われますので」
優は足を緩め、振り返って柔らかく微笑んだ。
「いいえ、ちょうどいいですよ、秦谷さん。僕の方こそ、急ぎ足になっていなければいいのですが」
「ふふ、優しいですね。そういう気遣いができるところ、とても素敵だと思います」
美鈴の澄んだ黒い瞳から向けられる甘やかな視線と、お淑やかな声音に乗せられた真っ直ぐな言葉に、優は思わず小さく苦笑いを浮かべた。
二十歳という年齢からくる落ち着きと、四十億円の資産を運用する冷静さを兼ね備えた優であっても、この十五歳の大和撫子が繰り出す柔らかくも逃げ場のない「猛攻」には、思わず気圧されそうになってしまう。
やがて二人は、職員室の重厚な引き戸の前に到着した。
優は身だしなみを軽く整え、トントンと二度ノックをした。
「失礼します。根緒亜紗里先生、今よろしいでしょうか?」
室内から「はい、どうぞー」と聞き慣れた声が返ってくる。
優が引き戸を開けて足を踏み入れると、デスクで生徒たちのカルテやレッスンスケジュールを整理していた根緒亜紗里が顔を上げた。
二十四歳の若き女性教師は、優の姿を認めて親しみやすい笑顔を浮かべたが、その直後、優の背後から悠然と現れた美鈴の姿を捉えた瞬間、その表情をぽかんと凍りつかせた。
「あら、天宮君……に、秦谷さん?」
亜紗里は手に持っていたシャープペンシルを机の上に置き、眼鏡の位置を指で直しながら二人をまじまじと見つめた。
「二人揃って、どうしたのかしら? 秦谷さんのレッスンに関する相談?」
優は美鈴と軽く視線を交わし、背筋を真っ直ぐに伸ばして亜紗里のデスクの前へと進み出た。
「亜紗里先生、度々お時間を取らせてしまい申し訳ありません。秦谷さんから正式にプロデュースの申し出をいただき、僕もそれをお受けすることに決めました。つきましては、ペア制度に基づく追加の担当契約を結びたく、申請に伺いました」
「――は、はいぃっ!?」
亜紗里の口から、教師らしからぬ素っ頓狂な声が漏れた。
職員室にいた他の教職員たちも、一斉にカタカタと動かしていたキーボードの手を止め、信じられないものを見るような目で優と美鈴を凝視した。
「つ、追加契約……!? 天宮君、あなた、昨日月村さんと契約を交わしたばかりじゃないの!」
亜紗里は思わず椅子から腰を浮かせ、机に両手をついた。
「入学してまだ数日よ!? もう二人目を担当するだなんて、プロデューサー科の歴史でも前代未聞のスピードだわ! それに……それに相手が、よりによって秦谷さんだなんて……!」
亜紗里の動揺は、至極当然のものだった。
初星学園の規則上、一人のプロデューサーが複数のアイドルを受け持つことは禁止されていない。しかし、通常は一人の担当アイドルとじっくり信頼関係を築き、活動の地盤を固めてから次の展開を考えるのが定石である。
何よりも、亜紗里が最も懸念しているのは、月村手毬と秦谷美鈴という二人の「因縁」だった。
亜紗里は声を潜め、真剣な眼差しで美鈴の顔を覗き込んだ。
「秦谷さん……本気なのね? あなたたち二人が中等部時代に組んでいた『Syng UP!!』のことは、学園側も重々把握しています。あの解散劇と、ネットでの炎上騒ぎ……月村さんがどれほど傷つき、心を閉ざしていたか、あなたもよく知っているでしょう? 同じプロデューサーのもとで活動するとなれば、否が応でも毎日顔を合わせることになるわ。また二人がぶつかり合って、傷つけ合うようなことには……」
生徒の心を守ろうとする、教師としての純粋で切実な心配。
だが、美鈴はその問いかけに対し、ふわりと春の陽だまりのような穏やかな笑みを返した。
「先生、ご心配には及びませんよ」
美鈴の声には、迷いや翳りは微塵も存在しなかった。
「解散のことでしたら、私、とっくに吹っ切れておりますから。中等部の頃は、お互いに子供で、相手を想うあまりにすれ違ってしまっただけです。……それに、まりちゃんは本当に手のかかる子ですから。あの子の隣には、やっぱり私がいてあげないと心配なんです」
美鈴は優の隣に立ち、誇らしげに小さく胸を張ってみせた。
その言葉の端々から滲み出ているのは、過去への執着や恨みなどではなく、手毬という幼馴染に対する深い愛情と、そして天宮優というプロデューサーへの絶対的な信頼だった。
優もまた、亜紗里に向かって深々と一礼した。
「亜紗里先生。僕は、彼女たちの過去を無かったことにするつもりはありません。ぶつかり合い、傷ついた経験も含めて、彼女たちの血肉であり、表現の源泉だと考えています。月村さんも、秦谷さんも、僕が責任を持って絶対に輝かせてみせます。どうか、僕たちを信じて契約を承認していただけないでしょうか」
優のサファイアの碧眼に宿る、揺るぎない覚悟と誠実さ。
二十歳という青年の落ち着きと、常人離れした器の大きさに、亜紗里は息を呑んだ。
(この人……本当に、新入生なのかしら……)
教師である自分すら圧倒されるほどの包容力。
亜紗里は小さく溜息をつき、けれど口元には降参したような温かい笑みを浮かべた。
「……分かったわ。天宮君、秦谷さん。そこまで覚悟が決まっているなら、学園として反対する理由はありません」
亜紗里は引き出しから新たな契約書を取り出し、机の上に広げた。
「ただし、月村さんと秦谷さん、どちらか一方だけを贔屓するようなことは絶対に許しませんからね。二人とも、かけがえのない大切な生徒なんだから」
「もちろんです。肝に銘じます」
優が万年筆を走らせて署名し、続いて美鈴が丁寧で流麗な文字で「秦谷美鈴」とサインを記す。
亜紗里が学園の承認印を力強く捺印した。
カツン、という乾いた音が職員室に響く。
これで正式に、秦谷美鈴もまた、天宮優の担当アイドルとなったのだ。
「おめでとう、秦谷さん。天宮君、くれぐれもよろしく頼むわね」
「ありがとうございます、亜紗里先生」
二人は礼儀正しく一礼し、職員室を後にした。
廊下に出ると、美鈴は嬉しそうに自らの両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「ふふ……これで晴れて、優さんの担当アイドルですね」
「ええ、改めてよろしくお願いします、秦谷さん。……ですが、月村さんがどんな反応をするか、少し心配ですね」
優が頭を掻きながら苦笑すると、美鈴はクスリと笑った。
「大丈夫ですよ。あの子の反応なんて、手に取るように分かりますから。……さあ、参りましょうか。私たちの『専用事務所』へ」
二人は階段を上がり、アイドル科本棟の三階へと向かった。
廊下の突き当たり、真新しいプレートに「プロデュースオフィス 304号室」と刻まれた部屋の前に立つ。
優がポケットから真鍮の鍵を取り出すまでもなく、ドアの隙間からは微かに明かりが漏れていた。
手毬が、すでに中で待っているのだ。
優が軽くノックをして、ドアノブに手をかけた。
「月村さん、戻りましたよ」
カチャリとドアが開き、優が室内へと足を踏み入れる。
約二十平方メートルの清潔な専用事務所。打ち合わせ用のローテーブルとソファ、デスクやパソコン、スケジュール管理用の大型モニターが整然と配置されている。
そのソファの端にちょこんと座り、スマートフォンの画面を眺めていた月村手毬が、弾かれたように顔を上げた。
「あ、優さん! 遅かったじゃない、どこ行って……」
嬉しそうに駆け寄ろうとした手毬の言葉が、唐突に喉の奥で詰まった。
優のすぐ後ろから、悠然とした足取りで部屋に入ってきた少女の姿を視界に捉えた瞬間、手毬の漆黒の瞳が限界まで見開かれたからだ。
「……え?」
手毬の動きが、完全に停止した。
部屋の空気が、一瞬にして凍りつく。
そこに立っていたのは、見慣れた、あまりにも見慣れた幼馴染――秦谷美鈴だった。
「な……な、な、なんで……っ!?」
手毬の指先が、信じられないものを見るかのように美鈴を指差して激しく震え始めた。
「なんで美鈴がここにいるのよぉぉぉっ!?」
部屋中に響き渡る手毬の絶叫。
だが、美鈴はまったく動じることなく、優雅に制服のスカートを翻して一歩前へ出た。
そして、何事もなかったかのように、柔らかく首を傾げて微笑みかけたのだ。
「まりちゃん、お久しぶりですね」
「お、お久しぶりじゃないわよ! ここは私の事務所なの! なんで勝手に入ってくるのよ!」
噛みつくように怒鳴る手毬に対し、美鈴はふわりと目を細め、胸の前で両手を揃えた。
「まりちゃん、私も優さんをプロデューサーに選びました。先ほど、亜紗里先生の前で正式に契約を交わしてきたところです。……また一緒にお願いしますね、まりちゃん」
「は、はあぁぁぁぁっ!? け、契約ぅぅぅっ!?」
手毬の絶叫のボリュームが、もう一段階跳ね上がった。
手毬は弾かれたように優へと振り返り、すがりつくようにそのスーツの袖を掴んだ。
「ゆ、優さん、本当なの!? 冗談でしょ!? なんで美鈴なんかと契約しちゃうのよ! 私っていうものがありながら!」
「美鈴『なんか』とは聞き捨てになりませんね、まりちゃん」
美鈴が静かに口を挟むが、手毬の耳には届いていない。
優は困り果てたように眉を下げながら、手毬の肩にそっと手を置いた。
「月村さん、落ち着いてください。秦谷さんから熱心にプロデュースの依頼を受けましてね。彼女の才能も素晴らしいですし、僕としても二人を一緒にプロデュースしていきたいと思ったんです」
「だ、騙されてるのよ、優さんは!」
手毬は顔を真っ赤にして、美鈴をキッと睨みつけた。
「こいつ、見た目はお淑やかそうに見えて、中身はとんでもないタヌキなんだから! マイペースで、人のことおもちゃみたいにからかって、全然言うこと聞かないんだからね!」
「まあ、ひどい言われようですね」
美鈴は上品に口元を手で隠し、クスクスと笑った。
「まりちゃんこそ、朝は一人で起きられませんし、放っておくとお菓子ばかり食べてすぐに太るくせに。優さん、この子に甘いものを与えすぎてはダメですよ。すぐに丸くなって衣装が入らなくなりますから」
「ふ、太らないわよ! 余計なお世話よ美鈴!!」
「何を言っているのですか。中等部の合宿の時、夜中に隠れてクッキーを食べていたのは、どこのどなただったでしょうか?」
「うっ……! そ、それは、あの時はエネルギー補給が必要だっただけで……っ!」
激しく言い争う二人。
だが、その光景を見守る優の瞳には、温かな光が灯っていた。
そこには、亜紗里が心配していたような、過去の解散劇に対する暗い怨恨や禍根は、微塵も感じられなかった。
中等部時代、「Syng UP!!」の崩壊によって深く傷つき、炎上騒ぎに巻き込まれた二人。しかし、互いを大切に想うあまりにすれ違ってしまったという本質を、二人はすでに胸の中で理解し、とっくに吹っ切れていたのだ。
遠慮も気兼ねもない、言いたいことを言い合える幼馴染としての信頼関係。
まるで長年連れ添った悪友同士のような軽口の応酬が、そこにはあった。
手毬は美鈴の追撃にタジタジになりながらも、負けじと胸を突き出して美鈴を睨み据えた。
そして、自らのプロデューサーである優の前に立ちはだかるようにして、高らかに宣言したのだ。
「い、いいこと、美鈴! 契約したからって調子に乗らないでよね! 優さんの一番は、絶対に私なんだから! 最初に優さんを見つけて、プロデューサーになってもらったのは私なの! 優さんの本命は私よ!」
勝ち誇ったように言い放つ手毬。
顔を耳まで真っ赤に染めながら、必死に自らの優位性を主張する姿は、まるで大好きな飼い主を奪われまいと必死に威嚇する小型犬のようだった。
それに対し、美鈴は眉一つ動かさなかった。
ただ静かに、優雅に歩み寄ると、首を傾げてふふっと艶やかに微笑んだ。
「ふふ……それはどうでしょうね、まりちゃん?」
「なっ……!?」
手毬が息を呑む。
美鈴の黒い瞳に、静かで熱い、そして絶対に引かない勝負師の光が宿った。
「優さんはとても公平でお優しい方です。どちらが一番だなんて、最初から決めつけるような真似はなさいませんよ。……それにね、まりちゃん。まりちゃんは感情の起伏が激しくて、手がかかるばかりでしょう? 優さんを困らせてばかりのまりちゃんより、大人の落ち着きを持った私の方が、優さんのお役に立てるかもしれませんよ」
美鈴は優の隣へと歩み寄り、両手を胸の前で重ねて優を見上げた。
「優さん、私、優さんのためならどんなレッスンも一生懸命頑張りますね。まりちゃんのお世話も、事務所のお手伝いも、何でも言ってください」
「あ、ありがとうございます、秦谷さん……」
優が恐縮して答えると、手毬の顔色が真っ赤に沸騰した。
「ず、ずるい……っ! なによその猫かぶり! 普段は一番マイペースなくせに、優さんの前でだけいい子ぶって!」
「ふふ、プロデューサーさんに素直に従うのはアイドルの美徳です。まりちゃんのような意地っ張りには真似できませんものね?」
「キーッ! なによぉぉぉっ!!」
手毬は美鈴を押しのけるようにして優の腕を引き、美鈴は柔らかな微笑みを崩さずに優の反対側の立ち位置をキープする。
専用事務所の静寂は完全に消え去り、二人の少女による、静かで熱い「プロデューサー争奪戦」の火蓋が切って落とされた。
優はその光景を前に、額を押さえて苦笑いを漏らした。
(……これは、思っていた以上に賑やかな毎日になりそうだな)
だが、その胸の内に去来したのは、困惑ではなく確かな温かさだった。
かつて傷つき、バラバラになってしまった二人の少女が、いま自らの前で、過去の傷を乗り越えて笑い合っている。
互いにライバルとして、悪友として、そして何よりも大切な存在として向き合いながら、再び同じ未来を見据え始めているのだ。
「諦めればそこでお終いだ。泥臭くてもいい。それで前に進めるなら僕は惨めでも歩み続ける」
優は自らの信条を胸の中で静かに反芻した。
手毬の圧倒的な歌への渇望と、美鈴の底知れない表現力と包容力。
二人を同時にプロデュースすることは、並大抵の覚悟では務まらないだろう。
だが、青山の地下スタジオに揃えた最高峰の機材も、自らの中に眠る『音楽に愛されし者』の力も、すべてはこの二人の少女を世界の頂点へと押し上げるためにあるのだ。
「二人とも、そこまでですよ」
優が柔らかく、けれどプロデューサーとしての威厳を込めて声をかけた。
ピタリと二人の言い争いが止まり、手毬と美鈴の視線が一斉に優へと向けられる。
優はサファイアの碧眼を細め、二人に向かって誠実な笑みを向けた。
「月村さん、秦谷さん。僕にとっては、二人ともかけがえのない、世界でたった一人の大切な担当アイドルです。どちらが一番だなんて優劣をつけるつもりはありません。……僕は、二人と一緒に、誰も見たことのない最高の景色を見に行きたいと思っています」
優の真っ直ぐな言葉に、手毬はカッと顔を赤らめてそっぽを向き、美鈴はおっとりと目を細めて頬を染めた。
「べ、別に……優さんがそう言うなら、仕方ないけど……っ」
「ふふ、優さんは本当に、お人がよろしいのですね」
悪友のように軽口を叩き合いながらも、二人の少女の瞳には、天宮優というプロデューサーと共に歩む未来への、確かな希望の光が宿っていた。
春の夕暮れ、プロデュースオフィス304号室の窓から差し込む茜色の光が、三人の影を長く、温かく包み込んでいく。
波乱に満ちた、けれどどこまでも愛おしい、天宮優と二人の歌姫の物語が、いま本格的な幕を開けようとしていた。