異世界で記憶喪失、前世は世界を滅ぼしかけた邪神だったらしい   作:奥寺

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1章 空島編
第1話「死にたくない」


 ゆらゆらと。

 

 白い空間に揺れる。

 意識が曖昧だ。

 目の前がぼやけている。

 

 双葉(フタバ) 巡(メグル)。

 俺の名前。

 なぜか今、それだけは強く確認しておかなければならない気がした。

 

 身体を確認する。

 ない。

 あるのは身体の輪郭を朧げに保った光だけだった。

 

 どうなっている?

 俺は誰だ?

 歳は?

 性別は?

 どこで生まれた?

 どう育ってきた?

 なぜここにいる?

 幾度考えても、何も答えはでない。

 

 思考が鈍っていく。

 この空間のせいだろうか。

 靄がかかったかのようにすべてが不安定だ。

 視界がさらに悪くなっていく。

 目の前のすべてが光に還っていく。

 

 身体の光が散っていった。

 自分が無くなっていく。

 手先の感覚が消えていく。

 

 次第に何も感じなくなってくる。

 このままだと消える。

 そんな予感があった。

 

 頭の片隅をよぎる。

 俺はまだ、消えてはいけない。

 

 何故?

 分からない。

 ただ、消えたくない。

 何も分からないが、まだ消えたくない。

 

 ここで消えてしまったら、茜(アカネ)はどうなる?

 茜って誰だ?

 どうなるって……なんだ?

 思い出せない。

 

 抗わないと。

 身体から散っていく光を掴もうとする。

 けれど、伸ばそうとした右腕は視界に映らない。

 右腕はもう、光の塵となって消えていた。

 左腕も。

 右足も。

 左足も。

 光の塊はすでに四肢を失っていた。

 

 ただゆらゆらと。

 

 白い空間に揺れ、前へ前へと流れてゆく。

 なんだっけ。

 俺の、名前。

 

 意識が保てなくなってきた。

 

 ふと、背後にあたたかな感覚があった。

 意識が芽生えてから初めての感覚だった。

 

「――やっと、見つけた」

 

 声が聴こえた。

 四肢を失った光の身体が、背後から優しく抱きしめられる。

 俺を包み込むその腕は、どこまでも黒く、深い闇の色をしていた。

 

「もう、離さないからね」

 

 なぜか、俺は安心していた。

 すべてを委ねてしまえるほどの安らぎが、胸の奥を満たしていた。

 焦燥なんて無くなっていた。

 もう未練なんてない。

 

 君と一緒なら消えてもよかった。

 何も思い出せない。

 それでもよかった。

 君さえいればもう何もいらないと、意識を投げ出した。

 

 

◇

 

 

 どくどくと規則的に、小さく揺れていた。

 なんだろう? と目を開く。

 

 水の中にいた。

 焦る。

 焦った勢いで口が開いた。

 水が流れ込んでくる。

 

 苦しい。

 くるし――くない。

 一瞬苦しいと感じたのは思い込みだった。

 呼吸はできていないが、不思議と心地よかった。

 

 周りを軽く見渡す。

 どうやら球状のものに囚われているらしい。

 状況が分からなかった。

 過去に何があったかを思い出そうとする。

 何も思い出せなかった。

 自分が誰なのか、何をしていたのか。

 

 あるのは知識だけだ。

 地球。

 特に日本に関する知識が豊富だった。

 どんな立地で、どんな文化で。

 記憶はないが、自分は日本に住んでいたんじゃないか。

 

 俺、と。

 気づけばそう思考していた。

 前世は男だろう。

 できるのはそんな推測だけだった。

 何の役にも立たなかった。

 

 ふと自分の手に目をやる。

 ちゃんと人間の腕だった。

 少し安心した。

 水中で呼吸ができてしまっていたから、人間以外の可能性もあると考えていたのだ。

 

 そう思ったのも束の間。

 驚愕した。

 腕がぷにぷにしていた。

 子供だった。

 いや、赤ん坊だった。

 手足は全部、赤ん坊のそれだった。

 

 おかしい。

 記憶はなくとも知識でわかる。

 幼児はこんなに思考しない。

 自意識があることが奇妙に思えた。

 

 球状のガラスのような膜越しに、うっすらと外が見える。

 ここは狭い部屋のようだった。

 扉が見える。

 見渡す限り、その扉以外には何もない。

 

 明らかに、普通ではない状況だ。

 水の中に囚われる赤ん坊。

 呼吸はできている。

 意識ははっきりしていて、記憶はないが知識はある。

 

 考えても何も分からない。

 とりあえず、外に出てみようか?

 内外を隔てる膜にたどたどしく泳いで近づいてみる。

 触ると薄くはあるがかなり固かった。

 突いてみても、びくともしない。

 

 そもそも、外に出て大丈夫なのだろうか。

 身体は幼児だ。

 泳げたからハイハイはできるかもしれないけど、それ以上の行動は無理だろう。

 ここでは呼吸ができているが、外に出たら呼吸できないかもしれない。

 この膜のようなものを突き破って、その破片でも身体に刺されば、そのまま命を落とす可能性もある。

 なにせ、近くに大人はいないのだ。

 

 そう考えると安易な行動は危険が過ぎる。

 まあ実際は、そんなことを考えても意味がないのかもしれないが。

 大人の力があってもこの膜がそう簡単に破れるとは思えなかった。

 

 どうしよう、と再度思考を巡らせようとしたとき、急に眠気が来た。

 ここで寝て、次起きられる保証もなかった。

 だから抗おうとしたのだが、抗えない。

 

 思考が鈍っていく。

 

 ――起きられなかったらその時はその時か。

 これで寝たままになってしまったら死ぬと同義なのかな。

 死ぬってどんな感覚なんだろう。

 

 

 ◇

 

 

 黒い天井が見えた。

 身体が動かない。

 視界がぼやける。

 はっきりと目が見えない。

 どうやら仰向けに倒れているようだ。

 手足の感覚はあるが、鈍い。

 

「お前が……いなければッ!」

 

 人が見えた。

 見下ろされていた。

 金髪、ウェーブがかった髪型の青年。

 目はきれいな翡翠の色をしていた。

 その青年の顔は、血塗れていた。

 

 よくよく見れば、手足もボロボロだ。

 鎧のようなものを着ていた。

 鎧? 仮装か? などという軽い考えはすぐに消え失せた。

 青年は右手に、抜き身の剣を握りしめていた。

 その切っ先が、俺の胸に突き立てられている。

 青年は憎悪を込めた瞳で俺の目を覗き込むと、倒れている俺のすぐ横に、片膝を突く形で腰を落とした。

 

「これで……終わりだ……」

 

 そういうと青年は手にぐっと力を込める。

 

 ――やめろ!

 殺そうとしている?

 殺されるのか。

 嫌だ、死にたくない。

 どうしてこんなことをする?

 俺は何もしていない。

 記憶がない。

 記憶が無くなる前、何かしたのか?

 殺されるほどのことなのか?

 

 ゆっくりと、剣が肉を裂いて押し込まれる。

 

 赤。

 鮮血が噴き出す。

 熱い。

 痛くはない。

 怖い。

 身体が動かない。

 手足の感覚がなくなった。

 胸がはねた。

 口から血が止まらなくなった。

 呼吸ができない。

 息を吸おうとすると血が喉を塞いだ。

 苦しい。

 酸欠だった。

 

 ただひたすらに怖かった。

 動けない状態で剣を突き立てられる。

 命が終わる。

 その恐怖だけが感情を支配していた。

 

 やがて、熱さを感じなくなった。

 身体中の感覚が無くなる。

 指先すらピクリとも動かない。

 死にたくない。

 そんな思考も消えた。

 

 すぐそこに、死は近づいていた。

 

 

 ◇

 

 

「がはッ!!」

 

 目が覚めた。

 口から出た気泡で大きく水が揺れる。

 窒息はしなかった。

 呼吸はできた。

 肺に水が入って苦しくなることもない。

 

 俺は死んだ。

 確かに死んだはずだ。

 そう思い胸元を確認する。

 傷はなかった。

 生きていた。

 殺されていなかった。

 

 そこで違和感があった。

 服を着ていた。

 胸元が布類で隠れていた。

 首を振ったとき、肩ほどの長さの髪が視界をかすめた。

 おかしい。

 さっきまで、髪は視界に入るほど長くなかった。

 

 手足にも違和感がある。

 手を確認する。

 大きくなっていた。

 腕、足も確認。

 少年と呼べるぐらいに成長していた。

 赤ん坊のものではなくなっていた。

 今なら立てるし、動けるだろう。

 

 すべてが狂っていた。

 起きたら赤ん坊で、思考することもできるし知識もある。

 急に眠気が来たと思って眠りに落ちると、到底、ただの夢とは思えないようなリアリティをもって殺された。

 そして、起きたら身体が急激に成長していた。

 

 見える光景は眠る前と一切変わっていない。

 どのくらい時間がたったんだろうか。

 まるで、これがほんの数時間の出来事のような気がして薄気味悪かった。

 

 確かに、寝ている間に俺は死んだ。

 その光景は今の知識では説明できないものだった。

 剣、鎧。

 そして翡翠の目の青年。

 憎悪に歪んだ顔。

 

 あの光景は、俺の記憶なのではないか?

 そう紐づけるまで大して時間はかからなかった。

 記憶を失う前、俺は何をしていた?

 考えても、何も思い出せない。

 

 焦りがやってくる。

 ここが異世界の可能性がある。

 少なくとも今の地球で、剣と鎧で人を殺すなんてこと、万が一にも起きない。

 だが、俺には異世界の知識は一切ない。

 俺は異世界なんて知らない。

 俺は異世界転生なんて経験したことがないはずなんだ。

 

 なのに何故、異世界で殺される記憶がフラッシュバックする?

 

 これが本当に記憶なのか、それともただの夢なのか。

 はたまた未来予知なのか。

 どれだけ考えても結論はでない。

 記憶の欠片すら浮かび上がってこない。

 ただ一つだけ、切実に思ったのは死にたくない、ということだけ。

 

 ふと膜に手を触れる。

 ヒビが入った。

 先ほどまでは触れてもびくともしなかった。

 それが、触れただけで崩壊した。

 身体が成長しているとはいえ、ただの少年であるにも関わらず。

 ヒビが広がっていく。

 水圧に耐えきれない。

 

 ――決壊した。

 膜がはじけ飛び、水が一気に外へと吐き出される。

 

 呼吸。

 大丈夫、問題ない。

 外でも問題なく呼吸はできた。

 

 球のサイズはそこまで大きくない。

 部屋が冠水することはなかった。

 それどころか、水はたちまち光となって消えてしまった。

 それはガラス片も同じだった。

 ほどなくして、地面に投げ出されたガラス片は光となって消滅した。

 脳が理解を拒んでいた。

 

 ガラスが消えたのも、なぜか水の中で呼吸できたのも、この謎の部屋も、自分の知識では説明がつかない。

 現実で起こり得ないことだ。

 

 ここは異世界だ。

 それは間違いなかった。

 異世界の知識はない。

 それでも、異世界で殺された光景が脳にこびりついて離れない。

 はたしてその光景は俺の過去のものなのか。

 未来のものなのか。

 それとも本当に、何の関係もないただの夢なのか。

 

 ここが異世界であるならば。

 あの光景の中で俺を刺し殺した人物も、もしかしたらこの世界にいるんじゃないか?

 あの青年はとてつもない憎悪を俺に抱えている様子だった。

 今の状態の俺を探し出して、また殺しに来る可能性はないのか?

 

 悪い方向にばかり思考が転がっていく。

 ただ、考えているうちに一つだけ確信したことがあった。

 

「――記憶を、取り戻さないと」

 

 球体から部屋に降りる。

 簡素な部屋だった。

 黒い壁に扉が一つ。

 机の一つもない。

 特に広くもなかった。

 風は吹いてないし暑くも寒くもない。

 窓が一つもないのは少し不気味だった。

 

 どうやら目の前の扉を開けるしか進む道は無いらしい。

 死にたくなかった。

 おそらく転生していることからも一度は死んでいるのだろうが、何の抵抗も無しにもう一度死んでやるつもりは毛頭なかった。

 

 死なないために、記憶を取り戻す必要がある。

 あの光景が何だったのか。

 はっきりさせて、対処する必要がある。

 もしあの夢が予知夢だったとしても、その未来までに力をつけなければならない。

 

 この部屋が安全だという保証は一切ない。

 あの青年がここを突き止め、いつ俺を殺しに来てもおかしくはない。

 進まない選択肢はなかった。

 

 意を決して、扉の取っ手に手をかける。

 

 木の匂いが鼻を突いた。

 その扉は、外につながっていた。

 目に入るところで人工物はない。

 鬱蒼とした森が広がっている。

 

 外に出ようとしたところで気づく。

 足元が浮いている。

 扉は地面と接していなかった。

 飛び降りられない高さではなかったが、扉が宙に浮いていた。

 

 森の奥から、何かのけたたましい咆哮が響き渡る。

 それでも後ろを振り返るつもりはなかった。

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