世界を滅ぼしかけた炎でも、君を守っていいですか   作:奥寺

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第14話「侵蝕」

 足蹴にされるラスカがいた。

 

 初めてのことだった。

 肉体が奥底から煮えたぎる。

 巡る魔力が解き放たれるその時を待ち望んでいた。

 

「……ねえ、ラスカに何をしてるの?」

「お前、強いな」

 

 魔炎杖を後ろ腰から抜く。

 魔力を込める。

 以前の時のように、出力が落ちるなんてことはない。

 

 この力は、俺の力だ。

 邪神なんて関係ない。

 ラスカを守るための力だ。

 

 穂先を顕現させた。

 ようやく解き放たれた魔力は、その圧倒的熱量で空間を捻じ曲げていた。

 

 ラスカを踏みつけていた男は、一歩進みこちらに向き直す。

 

「許さないから」

「それは強者の特権だ」

 

 突きつけられた穂先に、男はびくともしない。

 たたずまいと魔力の圧。

 どこをとってもこれまでの相手とは格が違う。

 正気を失っていた魔族とも、野生の晶角獣とも違う。

 意思を持った人間との戦い。

 

 男が左手を上げる。

 魔力がその手に集まる。

 魔法が放たれようとしている。

 接近し魔法を止めるほど猶予はない。

 回避か、防御するしかない。

 

 集まる魔力を分析する。

 魔力量は多くない。

 小手調べだろう。

 俺の魔力なら十分防げる。

 これまでは、黒炎を壁として防御していた。

 しかし、それでは俺の魔力は消費されてしまう。

 魔炎杖がある今、無駄に魔力を消費する必要はない。

 

 男の魔力が収束した。

 同時に、俺も前進。

 水の刃が放たれていた。

 穂先を盾形態にする。

 水は盾に接触し、溶けた。

 そのまま近接戦闘に持ち込む。

 

 穂先を刃に変え、上から振り下ろす。

 男は両手斧を片手で軽々と振る。

 下から振り上げられた斧に、刃が弾き返された。

 

 男が流れのまま、左手をこちらに突き出す。

 素手で?

 どうして?

 嫌な予感がして、反射的に身を引く。

 男には触れられなかった。

 そのまま、槍で突き返す。

 

 斧で弾かれる。

 しかし、斧の振りはそこまで早くない。

 一振りに対して、槍ならば二回突ける。

 そのまま、槍で追い詰める。

 

「……チッ!!」

 

 男は忌々しいといった様子で後ろに下がり距離を取った。

 その動きは明確に隙だった。

 この杖にとって。

 

「なっ!?」

 

 杖の先から黒炎を放つ。

 咄嗟だから、魔力はそれほど集められていない。

 しかし、この一撃は避けられない。

 

 男は左手を前に出し、水の防壁を展開。

 黒炎はそれを貫通し、男の左手に引火した。

 魔力量が少なかったから、これで勝負を決めるほどの威力はない。

 だが、それでも有効打にはなるはずだ。

 

「これは……私の魔力を喰らっている? 厄介だな」

 

 男は左手の黒炎を冷静に分析した。

 それだけで、この男の異常性が明らかだった。

 

 次の瞬間、男の左手の魔力が消失した。

 いや、違う。

 魔力を空間に放ったのだ。

 魔力を喰らう黒炎ごと。

 

 男の左手の黒炎は空気中に離散した。

 魔力を切り捨てることに一切の迷いがなかった。

 小さい黒炎だったとはいえ、引き剝がすのに馬鹿にならない量の魔力を消費したはずだ。

 こうやって火を消されることは予想外だった。

 

 黒炎を当てれば有利はできるが、致命傷にはできない。

 一発当てれば勝ちがほぼ決まっていた今までとは違う。

 黒炎の威力が、この男には通じない。

 地力で勝つ必要がある。

 

 ふと違和感に気づいた。

 腹部の感覚がない。

 手を当てる。

 怪我はしていない。

 だが、触覚が無い。

 目で確認しても、外傷はない。

 

 ――いや、何かがまとわりついている。

 目には見えないが、注意すると気配を感じた。

 魔力だ。

 男の魔力が、俺の腹部にごくわずかに付着している。

 

 そう気づいたとき、腹部の魔力が消えた。

 全て消費されたのだ。

 腹部の触覚が戻る。

 

 固有魔力だ。

 しかし、能力の全容が掴めない。

 

 考えている暇もなく、男が距離を詰めてくる。

 距離を詰められすぎると危険だ。

 槍では戦いづらくなる。

 肉薄した男に対して、半歩下がり、応戦。

 しかし、突きのできる距離感ではない。

 柄を両手で持ち、穂先をうまく使い、攻撃をいなす。

 魔力の気配。

 男の左手が、俺の頭を引き裂こうとするが、さらに下がり躱した。

 

 違和感。

 急に現れた二つの水の刃。

 間髪を入れず、斧の攻撃も来る。

 このままだと、直撃する。

 

 魔力の温存など度外視だ。

 黒炎を身体中から噴出し、防いだ。

 男も黒炎の発生と同時に飛び、回避した。

 

 この動作で魔力をかなり消費してしまった。

 二つの刃への対価に見合っていない。

 何度も続けられると徐々に不利になる。

 

 男が再び肉薄してくる。

 また同じやり取りだ。

 戦い方を考えなければ――

 

「――ッ!!」

 

 男が斧ではなく、左手を付きだした。

 今度は魔力が籠っていない。

 それでも、この左手には何かがある。

 絶対に避けないといけない。

 ギリギリで躱して距離を取る。

 

 次の瞬間、目の前が急に霞んだ。

 嗅覚が消えた。

 音が聴こえない。

 男の姿が見えない。

 距離感が分からない。

 

 咄嗟に魔炎杖を盾に変え、前に構える。

 衝撃。

 魔炎杖が弾かれ、態勢が崩れる。

 斬られる。

 

 さっきのような黒炎噴射は間に合わない。

 体外に魔力を放出し、活性化させる時間なんてない。

 魔力を身体の前面に集中させる。

 魔力制御の練習成果だ。

 少しでも防御をする。

 

 再び衝撃。

 霞んでいた視界が戻る。

 血の匂い。

 身体から鮮血が舞っている。

 だが、多量ではない。

 身体強化が活きている。

 

 男が斧を振り抜いているのが見えた。

 隙だ。

 男と目が合った。

 驚いたような顔をしている。

 

 身体の魔力の巡りを早める。

 魔炎杖を男に向かって構え直した。

 先ほどとは違う、活性化させた魔力を流す。

 魔炎杖の穂先に黒炎が纏う。

 このまま至近距離で黒炎を放った。

 

 男の姿を覆い隠すほどの黒炎。

 仕留めた――

 

「ぐッ!?」

 

 ――男は、黒炎に焼かれながらこちらに突撃してきていた。

 左手で身体を押され、態勢を崩される。

 そのまま、右手の斧が振りかぶられる。

 駄目だ、避けきれない。

 

 斧が視界から消えた。

 視界が赤く染まる。

 斬られた。

 腹部を確認する。

 深くない。

 男も手負いだった。

 踏み込みが足りていない。

 

 受け身を取り、バックステップで距離を取る。

 男は黒炎に全身を焼かれている。

 今度は魔力と一緒に切り捨てられない。

 切り捨てなければならない魔力があまりにも大きすぎる。

 

 黒炎は相手の魔力を喰らいながら燃え盛っている。

 魔力を喰らう速度より、燃えて消費される俺の魔力の方が大きい。

 

 男の魔力に触れている、黒炎から伝わってくる。

 男が魔力操作で抵抗しているのだ。

 喰われづらい、固い魔力の防護だ。

 しかし、全く喰えていないわけではない。

 この調子であれば、あと数十秒は燃え続ける。

 

 男の固有魔力の正体。

 分かった気がする。

 

「感覚の遮断、でしょ? 固有魔力」

「……ご名答……だ」

 

 肩で呼吸する男。

 固有魔力を言い当てられたというのに、それでもどこか余裕げに笑う。

 今もなお黒炎で燃え、その魔力を喰われ続けているというのに。

 

 自身の身体の、魔力を確認する。

 男の魔力が付着している気配はない。

 感覚はもう、大丈夫だ。

 左手から放たれる魔力にだけ気を付ければいい。

 

「行くよ」

 

 足に力を込める。

 相手の動きは鈍い。

 黒炎で燃えている今がチャンスだ。

 とどめを刺す。

 迷わない。

 ラスカを助ける。

 

 魔炎杖に、活性化した魔力を注ぎ込み、接近。

 ありったけをこの一撃に。

 

「らあああああ!!」

 

 槍を振り抜こうとした、その瞬間。

 

「――半分、だがな」

 

 背中を何かが激しく打つ。

 視界が暗転した。

 違う。

 暗転したのではない。

 俺が地面に伏せたのだ。

 視界が地面で埋まっていた。

 

 何かを背中にぶつけられて倒れた。

 魔力の起こりは一切感じなかった。

 なぜ?

 魔法ではないのか?

 

「……どうせ、五感だけだと、思っていたのだろう……?」

 

 男がそうつぶやく。

 

 ――やられた。

 感覚の遮断。

 五感だけではない。

 魔力の感覚もだったのだ。

 だから、水の刃の起こりを感じなかった。

 だから、男の左手から魔力を感じなかった。

 どこかで、男の魔力を受けていた。

 そのうえで、男はこの不意打ちを、ずっと狙っていたのだ。

 斧で斬り裂き体力を削ったうえで、魔法でとどめを刺すつもりだったのだ。

 

 男との距離はまだある。

 俺が水の刃を受けながらでも攻撃してくると読んでいたのか、接近の最中に打ち落とされたから、斧の追撃はなかった。

 ぎりぎり、身体は動く。

 膝をつきながら立ち上がる。

 

「チッ……まだ、立てるのかよ……」

「それは、こっちのセリフだよ……」

 

 内臓を強く打ったからか、口端から血液が零れる。

 対する男も満身創痍だ。

 黒炎は消えた。

 しかし、その皮膚は焼け爛れている。

 斧を持つのもやっとだ。

 

 こちらは、二つの切り傷。

 どちらも深くはないが、浅くもない。

 魔力を体外で活性化させる大技はもう出せない。

 あるのは、身体強化を保つ体内の魔力と、少しの余剰だけ。

 

 最後だ。

 出し惜しみはない。

 お互いが武器を構える。

 呼吸。

 吸って、息を止めた。

 そして静寂。

 

 地が弾ける。

 火花が散る。

 互いの武器がぶつかり合う。

 金属のこすれる音。

 焼け爛れの匂いと、鮮血の生々しい匂い。

 混ざり合って、訳が分からない。

 視界も飛び飛びだ。

 男の魔力の影響ではない。

 体力が限界を迎えようとしている。

 それは相手も同じだ。

 精彩に欠ける。

 

 だからこそ、拮抗した。

 お互いがお互いを崩せない。

 どれだけ打ち合ったか分からない。

 しかし、その打ち合いの決着は唐突に訪れる。

 

「……とっておきは、最後まで……隠しておかないとな!?」

 

 ――打ち合いの最中、男の後ろ腰から、複数の触腕が生えた。

 まるで蛸足だった。

 この男は、魔族だったのだ。

 

 触腕が俺に迫る。

 もう避けられない。

 

 ぬるぬるとした触腕に捕縛される。

 そのまま仰向けに地面に固定された。

 

「……私は、深淵魔族だ……クラーケンの……触腕を持っている……」

「くそ……!!」

 

 抜け出せない。

 力が強すぎる。

 

「……なあ、お前。名を、何という?」

「メアだけど……なんで」

「ハァ」

 

 男は深くため息を吐いた。

 

「……私は、ヴォルクレス・ヴァンクロニス。輪廻の魔王に仕える者」

「……魔王だって?」

「魔王は、お前のような力がある者を好んでいる。どうだ? 迎え入れる準備は出来ている」

 

 答えなんて、考えるまでもなかった。

 

「嫌だね。誰がラスカを傷つけるような奴の仲間に」

「よく考えろ、後悔するぞ」

 

 後悔?

 後悔なんて、するはずがない。

 空島で魔族に追い詰められたあの時から、後悔しないように選択してきた。

 こんなことで、後悔なんて。

 頭痛。

 後悔――思考が、乱れる。

 頭を振った。

 

「――この力の使い道は、俺が選んでいいんだって。そう、リディルが言ってくれた……ッ! だから俺は、正しいことのためにこの力を使う……!!」

「リディル? リディル・ハートか――」 

 

 男がそう言いかけた瞬間。

 何かが、男に向かって飛んできた。

 触腕をほどき、飛び退く。

 

 解放された。

 立ち上がる。

 男に向かって放たれたものは、弾のようなものだった。

 それは俺の魔炎杖の穂先、魔力の塊と似ていた。

 男の固有魔力の効果は切れたみたいだ。

 弾は光となって消滅したが、そこから微々たる魔力を感じる。

 

「――メアくん!!」

 

 この大広場の入り口。

 そこにはフィリアがいた。

 紙のように薄く平らなクリスタル状の魔道具が、フィリアの前を浮いている。

 魔導兵装か?

 そこから、光の弾が放たれたのだろう。

 

「チッ……どいつもこいつも……!! 殺すしか、ないようだな!!」

 

 男が不快感を顕にした。

 濃密な死の気配。

 空気が淀む。

 まだ、こんな力を。

 

「フィリア……ラスカを、頼んでいい?」

「は、はい!」

 

 男と再び対峙する。

 

「今度こそ、決着をつけるぞ」

「望むところだよ」

 

 合図はない。

 

 触腕がこちらに伸びる。

 分かっていれば、対処は簡単だ。

 

「ぐあッ!?」

 

 横に避け、斬り落とす。

 そのまま突きの動作に入る。

 しかし、男も応じる。

 避けられた。

 斧が振り下ろされる。

 かろうじて魔炎杖の柄で受けきる。

 

 そのまま力で押し返す。

 そして、身体を使って突進。

 弾けた男に向かって、再び突きを放つ――

 

「――お前は確かに強い。だが、綺麗に勝とうとする嫌いがある。それが、敗因だ」

 

 男が触腕を槍に向かって放つ。

 槍が触腕を穿つ。

 

 しかし。

 男の本体にたどり着く前に、触腕の半ばで止まった。

 あえて触腕を差し出したのだ。

 それで、俺の武器を止めようと。

 

 男はそのまま斧を振りかぶろうとする。

 魔炎杖は、触腕から引き抜けない。

 一瞬、状況を把握するために思考してしまった。

 もう避けるのも間に合わない。

 

 フィリアの叫ぶ声が聴こえる。

 視界の端に、顔を歪めるフィリアが見えた。

 

 その胸元。

 対の指輪。

 後悔。

 渡せなかった。

 頭が痛い。

 そう、渡せなかったんだ。

 二つ用意した。

 渡したかったのに、できなかった。

 理由は、恥ずかしかっただとか、そんなありふれた感情。

 それが最後の機会だった。

 再びは訪れなかった。

 

 ――もう、後悔はしない。

 何をためらっている?

 俺は最初から、この男に勝てる手札を持っていた。

 このまま死んだら、きっと後悔する。

 可能性を遂行しろ。

 

 俺の身体は薪だ。

 この目の前の男を焼き滅ぼすための、薪。

 魔力がない?

 体内にはまだある。

 身体強化に使っている魔力が。

 燻り続けている。

 

 スイッチを入れた。

 

 早くなったはずの鼓動が、やけにゆっくりに聴こえた。

 耐え切れないほど熱くなる身体。

 それとは関係なしに鋭敏になる感覚。

 

「な、なんだと……!?」

 

 振り下ろされる斧を、左手でつまみ、止めた。

 心の底から、愉快だった。

 身体を内側から焼きつくすその熱すら心地よかった。

 全てが遅く感じた。

 全能感が肉体を支配していた。

 

「綺麗に戦うのは、やめたんだ」

 

 空間が歪む。

 魔炎杖を止めていたヴォルクレスの触腕が発火した。

 先端から、徐々に炭化してゆく。

 身体を巡る燃える魔力が、ひび割れた器から溢れ出すように。

 身体の奥底の熱が、ようやく行き場を得たかのように。

 俺の近くに立つものはすべて、灰燼と化す。

 

「……し、しょう?」

 

 ラスカの呟きが、耳に入る。

 

 ヴォルクレスがたまらず後ろに飛びのいた。

 逃がすはずもなかった。

 着地する暇すら与えず、追随。

 俺の魔力にあてられて、全開放された魔炎杖をそのまま突きつける。

 

 水の壁が展開される。

 魔炎杖に触れた瞬間、蒸発した。

 ヴォルクレスは驚いた表情で、斧と触腕を前に出す。

 間一髪、魔炎杖の突きは防がれてしまった。

 しかし、勢いは殺せない。

 ヴォルクレスはそのまま大きく吹き飛び、岩肌に叩きつけられた。

 

「……そ、その力は……ま、まるでエレオノーラ……天位の……ガハッ!!」

 

 おびただしい量の血を吐き出す。

 

「だが……ぬかったな……ッ!!」

 

 視界が消える。

 だが、そんなのは想定内だった。

 目を閉じた。

 必要ない。

 最初から知っていた。

 ヴォルクレスが魔炎杖の突きを防いだとき。

 その刹那に、触腕を経由して、頭に魔力を纏わせてきていた。

 先ほどまでなら気づかなかっただろう。

 しかし、今であれば気づかない方が難しい。

 体内の魔力を活性化したその瞬間から、付近の異物は、はっきりと浮かび上がっていた。

 

 身体の感覚は生きているが、頭はヴォルクレスの魔力で覆われている。

 視覚、聴覚、嗅覚、そして魔力感覚。

 全てが消え去っていた。

 完全な暗闇。

 それでも、魔炎は灯る。

 

 体外に溢れた魔力に、何かが触れた。

 魔炎杖を差し込む。

 手ごたえがあった。

 

 感覚が戻る。

 ヴォルクレスの両手斧が弾き飛ばされていた。

 目の前で、後ろ向きに倒れかけているヴォルクレス。

 

「俺は、後悔しないよ」

 

 魔炎杖を突きつける。

 残った、塵ほどの魔力。

 全てを込める。

 

 魔炎を放った。

 その瞬間、違和感があった。

 ヴォルクレス近くに、魔力の気配を感じた。

 だが、それも関係はない。

 今更何をしようが、燃やし尽くすだけだ。

 これで決着だ。

 

 数秒置いて、放った炎が散る。

 

 ――そこには、ヴォルクレスの姿はなかった。

 

「ふいい、危なかったあ」

 

 広場の奥。

 岩肌の途切れた無機質な道の手前。

 肩を支えられるヴォルクレスと、もう一人。

 中性的な人物。

 しかし、その背からはクモの脚が生えていた。

 魔族だ。

 ヴォルクレスには仲間がいたのだ。

 

「ヴォル、良かったねえ。今日はボクが罠作ってなくて」

 

 ヴォルクレスの瞳は朦朧としており、返事すらできる状況ではない。

 それを察したのか、その魔族はヴォルクレスに話しかけることをやめ、こちらを向いた。

 

「ごめんねえ、最後まで戦わせてあげられなくて。今ヴォルに死なれたら困るからさあ」

「君たちの目的は何なの?」

 

 飄々とした態度の魔族を睨みつける。

 

「やだなあ、怖いなあ。ま、すぐに分かると思うよ。もしかしたら君ともまた戦うことになるかもね?」

「ちゃんと話を――」

「君、ちょっと強そうだし、ボクたち帰るね。それじゃね! ばいばーい」

 

 魔力の気配。

 直後、魔族の後ろに、空間の裂け目ができた。

 先ほどのヴォルクレスの移動……転移系の魔法か?

 

 まずい、逃げられる。

 咄嗟に魔炎杖を向けようとするが、身体が動かない。

 腕はだらんとぶら下がるばかり。

 その手先は焼き爛れていた。

 魔炎杖を掴んでいること自体が奇跡だった。

 

 魔族が空間の裂け目に消えた。

 

 身体中の力が抜けた。

 からん、と魔炎杖が地に落ちる。

 魔力の活性化が切れる。

 膝から崩れ落ちる。

 手を地に付き、伏すのを避けた。

 きっとそのまま起き上がれなくなる。

 

 身体が冷たい。

 じりじりとした痛みと、どくどくとした痛みが混ざり合う。

 目の前がぐるぐると回る。

 腹部が熱い。

 熱いのに全身は冷たい。

 動悸が止まらない。

 息が吸えない。

 視界が回る。

 俺は今、揺れている?

 

 やはり、諸刃の剣だった。

 命が焼け落ちる感覚があった。

 爆発的な力と引き換えに、命を差し出していた。

 

「メアくん!!」

 

 フィリアが駆け寄ってきた。

 背中に触れようと、フィリアは手を近づける。

 ひっ、と反射で手を離した。

 

 苦しい。

 心細かった。

 フィリアの顔を見れば、きっと安心できる。

 そう思い、倒れるように、姿勢を変えた。

 後ろ手を付き、座り込んだ。

 

 フィリアは、泣いていた。

 

「メアくんの、バカ!!」

「え、ええ?」

「分からないんですか!! 全身、火傷まみれなんですよ!?」

 

 そう言われ、身体を見る。

 フィリアの言う通り、手だけでなく、身体中が焼き爛れていた。

 皮膚が焼け落ち、変色した肉が露出していた。

 ぽろぽろと、炭化した部分が崩れる。

 

「大丈夫だよ、すぐに治る」

「そういう問題じゃ、ないです……!!」

 

 フィリアの瞳から、大粒の涙がぽつぽつと落ちる。

 

「私は、こんなことのために、魔道具を渡したわけじゃないです……!!」

「――」

 

 また俺は、フィリアの気持ちを考えていなかった。

 俺が傷ついたらフィリアがどう思うかなんて、一切考えていなかった。

 これだけ大切にしてもらっているのに、蔑ろにしていた。

 この力を使わなければヴォルクレスには絶対に勝てなかった。

 だから、使うしかなかったんだ。

 そこに後悔はない。

 ただ、フィリアにはちゃんと謝らないといけない。

 

「ごめん、フィリア」

「許さない、です……」

 

 フィリアが下を向く。

 手で涙を拭おうとして、醜い手に気づいて、やめた。

 

「……約束」

「……?」

「約束、してください」

 

 フィリアが俺の瞳をまっすぐに見た。

 

「もう二度と、その力は使わないって」

「……うん、約束するよ」

 

 

 ◇

 

 

「いやあ。ここ、ごはんが美味しくないですね。師匠」

「うん」

「またいいお店いきたいなあ。あ、もちろん僕は一銭も出しませんけど」

「タダ飯上等ってこと?」

「上等ってことです」

 

 翌日。

 俺とラスカは施療院で休んでいた。

 固くて低いベッドに寝かされている。

 火傷はまだ、完治していなかった。

 姿を見れる程度には戻ってきてはいたが。

 それでも、見た目だけだ。

 今思えば、あの時の負荷は尋常ではなかった。

 寿命を削っていた、と言われても不思議には思わない。

 

 隣のラスカも、身体中がボロボロだったようで、包帯だけで一回り身体が大きく見えるほどに、ぐるぐる巻きにされている。

 

「……師匠」

「ん?」

「助けてくれて、ありがとうございました」

 

 ラスカが、前を向いたままそう言った。

 

「師匠がいなかったら百回は死んでました。身体強化があったからなんとか耐えられましたし」

「それは俺のおかげじゃなくて、ラスカが頑張ったからだよ」

「へへ」

 

 ラスカは少し照れ笑いをし、今度はまっすぐ、隣にいる俺と目を合わせた。

 

「僕、アネリアさんや師匠みたいに、誰かを助け、守れる人になりたいです。そのために、強くなりたいです」

「うん」

「きっと、怖がりなのもすぐには変わらないですし、まだまだ落第寸前の落ちこぼれです。だから――」

 

 ラスカが顔を上げる。

 その瞳は希望に満ちていた。

 

「師匠、これからもよろしくお願いします!」

「うん。こちらこそよろしくね、ラスカ」

 

 突き出してきたラスカの拳に、そっと拳を合わせた。

 火傷痕が少しだけ、ぴり、と痛んだ。

 

 それからまた数日が経って、俺とラスカが外出できる程度には回復したころ。

 賢者から、手紙が届いた。

 魔力の解析が終わった、研究所に来てくれ、と。

 

「……メアくん、傷の具合はどうですか? 歩くの、つらくないですか?」

「うん、もう大丈夫。まだちょっと痛むけど、ほら」

 

 フィリアと共に、ウルヴィンの研究所に向かっていた。

 ラスカは一緒ではない。

 俺の記憶のことなどは機会が無くて話せていない。

 変に重いことに巻き込むのもよくないと思った。

 きっと協力してくれるだろうが、ラスカに負担を掛けたくなかった。

 

 腕を動かす様子をフィリアに見せる。

 袖口から包帯がちらつく。

 爛れは消え、皮膚も再生した。

 けれど、色だけは黒く変色して戻らなかった。

 回復する様子はない。

 力を解放したことで、身体に変化が起きていたのだ。

 邪神と無関係だとは、決して思えなかった。

 邪神は黒い闇の塊だったとウルヴィン、リディルから聞いている。

 俺は、それに近づいているのではないか。

 

 今は焦っていても仕方がない。

 ウルヴィンに会ったときに確認すればよいだろう。

 フィリアにも、伝えればまた心配をかけてしまう。

 だから、誰にも見られないよう包帯で隠していた。

 

 フィリアが傷を確かめるように俺の腕にそっと触れる。

 少しだけ痛みが走り、思わず硬直してしまう。

 それを見たフィリアが眉をひそめた。

 

「メアくんの魔力、ちょっと淀んでいるというか……」

「……そうだね」

 

 変化が起きていたのは身体だけではなかった。

 俺の中に眠る固有魔力のうち、『魔力を喰らう黒』が大きくなっていて、黒炎としての力が増している。

 

「身体はちゃんと動くし、何ともない。平気だよ」

「……はい」

 

 俺の記憶を取り戻す手段が、きっとこれから分かる。

 フィリアはここ数日、ずっと魔法ギルドで調査していたが、先生の痕跡は一切残っていなかった。

 先生はおそらく、地上に降りた後、王都にやってきていない。

 後はウルヴィンにすがるしかなかった。

 

 ヴォルクレスとの戦闘の最中に取り戻した、対の指輪についての記憶。

 俺は明確にこの指輪を知っていた。

 俺が前世、誰かに渡そうとして渡せなかった指輪だ。

 それを先生が持っていた。

 何故、俺が渡せなかった指輪を先生が持っている?

 考えても答えは出ない。

 だが、俺と先生には何かの因果がある。

 記憶を取り戻せば、きっとそれは明らかになるはずだ。

 

 研究所に着くと、ウルヴィンの執務室に案内される。

 案内してくれたローブの男がノックすると、相変わらずの冷たい声で、入りたまえ、とだけ返ってくる。

 両開きの扉が開かれた。

 

「メア」

「リディル?」

 

 そこに居たのはウルヴィンだけではなかった。

 

「どうしてここに……?」

「そろそろメアが来る頃かと思ってね。フィリアも、久しぶりだね」

 

 フィリアがリディルに対し、ぺこりとお辞儀した。

 

「私が招集した。これからの話はリディルにも関わる」

「リディルにも?」

 

 邪神を殺した勇者にも関わる?

 俺が、邪神だったということか?

 落ち着け。

 呼吸を整える。

 

「まずは、輪廻の魔王の右腕、ヴォルクレス・ヴァンクロニスとの戦闘、ご苦労だった。傷もまだ癒えていないと聞くが、身体の調子はどうだ? ……君なら問題はないとは思うが」

「ありがとう。もう大丈夫だよ。……輪廻の魔王の右腕?」

 

 輪廻の魔王。

 ヴォルクレスが話していたのを覚えている。

 

「それに関しては僕から説明しよう」

 

 リディルがこちらに向き直す。

 

「輪廻の魔王、エレオノーラ・ヴァンクロニス。太古から存在すると言われている魔族だね。死んでは記憶を保ったままの転生を繰り返している」

「太古から?」

「ああ。三百年前の記録に、僅かにエレオノーラの名が残っていた。……四年前、記録を掘り起こすまでは忘れ去られていたよ」

 

 転生。

 俺と同じだ。

 しかし、記憶を保っているらしい。

 俺とは異なるのか?

 何か特別な方法があるのだろうか。

 

「ずっと昔から数百年周期で転生していたんだろう。その周期がちょうど四年前だったんだ。そして、その輪廻の魔王は僕が討伐した」

「ちょっと待って、討伐した? ヴォルクレスのあの時の言い方だとまるで――」

「――輪廻の魔王は復活している。理由は分からないけど、数百年の周期を無視してたったの四年でね」

「……洞窟内の異常な魔力だが、輪廻の魔王が復活しダンジョンを作り上げたことが原因だ」

 

 ウルヴィンが口を開いた。

 

「本題に入ろう。メア、君の話だ」

 

 息を呑む。

 俺の、魔力の調査結果についてだ。

 これでこの黒い力が魂に紐づいていたのだとしたら、俺が邪神の転生体だという可能性が高まる。

 

「結論から言うと、君のその黒い魔力は、魂に紐づくものだった」

「――」

 

 心臓の音がうるさい。

 やけに気に障る、こめかみに汗が伝う感覚。

 右手で胸を押さえる。

 

「じゃあ、俺は、邪神だったってこと?」

「断定できない。不明確な憶測を私は好まない」

 

 ウルヴィンは以前、この力が高位悪魔のものを起源にしていると言っていた。

 魂に紐づいていたからと言って、力が邪神のものであるとは限らない。

 ウルヴィンの視点だと、ほぼ黒に近いグレーだ。

 

 しかし、俺にはリディルに殺された記憶があった。

 

 リディルと目が合う。

 その瞳は、決して俺を責めているものではなかった。

 そうだ、この力が過去に邪神のものだったとしても、今は『メア』の力だ。

 

 俺は贖罪しなければならない。

 例え前世だったとしても、罪を犯したのであれば償わなければならない。

 だが、今の俺には記憶がない。

 何をどう償えばいいのか、俺には分からない。

 

 ――まずは記憶を取り戻さなければならない。

 話はそれからだ。

 

「……記憶を取り戻す方法、明確になったんだよね?」

「……ふむ」

 

 ウルヴィンが机の上で手を組む。

 

「以前、私が話した固有魔力と魂についてを覚えているか?」

「うん。使い込まれた固有魔力は魂と融合する。普通は転生の過程で記憶と共にろ過されるけど、膨大な魔力があれば固有魔力、記憶を持ったまま転生できる……だったよね」

「その通りだ。……この方法は以前、輪廻の魔王、エレオノーラが語っていた内容だ。実例がある。奴以外の成功例は聞いたことがないが、実例がある以上、不可能ではない」

 

 リディルはその話に、黙って頷いている。

 ウルヴィンはそのまま話を続けた。

 

「固有魔力が魂に残っているなら、君は膨大な魔力を使って魂を守っていたはずだ」

「あ、ということは――」

「そうだ。君の記憶はろ過を免れ、魂の奥底に眠っている可能性が高い」

 

 俺の記憶は間違いなく存在している。

 これまでも、何度もフラッシュバックしていた。

 

「君の記憶を取り戻すために必要なのは、その固有魔力の更なる解放だ」

「解放……ヴォルクレスのような敵と戦って、力を使えってこと?」

「その通りだ。魂に記憶が眠っているのならば、固有魔力で刺激すればいい」

「メ、メアくん! 駄目ですよ、そんなの!!」

 

 俺とウルヴィンの会話に割って入ったのはフィリアだった。

 

「メアくん、約束しましたよね。例えあの力は使わないのだとしても、そんな危ないこと……!!」

 

 記憶を取り戻すためには、ヴォルクレスとの戦い以上に固有魔力を酷使しないといけない。

 そんなことをして、俺の身体は耐えきれるのか?

 

 包帯の下。

 俺の腕は黒く変色している。

 これは邪神への変化の兆候ではないのか?

 そうして最後には、俺は俺でなくなるのでは?

 

 分からない。

 

「それが君の記憶を取り戻す唯一の手段だ」

 

 だけど、このままでいいはずもなかった。

 

「分かったよ」

 

 自分が何者かを知らなければ、罪を償うことはできない。

『メア』のこの力をどう使うか、選ぶことさえできない。

 

「メアくん!?」

 

 今にも泣き出しそうなフィリアと目が合う。

 

「ごめん、フィリア。自分を傷つけるような力の使いかたはもう、しないから」

「――」

 

 フィリアは俺が意思を曲げないと悟ったのだろう。

 執務室から飛び出してしまった。

 空島でのことをふと思い出す。

 また傷つけてしまった。

 この選択に後悔はない。

 だけど、心は痛んだ。

 

「話を戻して構わないか?」

「うん」

 

 ウルヴィンが一連の話を何も気にしていないかのように、再び冷たい声を発する。

 

「メア。君が力を解放するにあたって最適な相手がいる」

 

 予想は付いていた。

 なぜ、リディルがここにいるのか。

 なぜ、輪廻の魔王について話したのか。

 

「……輪廻の魔王の討伐、俺に行けってことだよね」

「ああ。……もちろん、君だけではない」

「僕も行くよ」

 

 リディルが手を振った。

 

「そして、私の知己から、戦闘に優れた者を出すつもりだ」

「三人ってことだね。分かった」

「よろしく、メア」

 

 こうして、俺の次の目標は輪廻の魔王の討伐に決まった。

 

 

 ◇

 

 

 その日のうちに、俺は再びウルヴィンの元を訪ねていた。

 今度は一対一だ。

 

「ウルヴィン、これ……」

 

 腕の包帯を外した。

 

「……固有魔力が侵蝕している、のか」

 

 ウルヴィンは動揺する様子もなくそう言った。

 俺の状態がどうであっても結論は変わらないということだろう。

 

「うん。多分、ウルヴィンの言う悪魔由来の力が蝕んでいるんだと思う」

 

 包帯を巻き直す。

 

「俺は、俺じゃなくなるのかな」

「……そうかもしれないな」

「そっか」

 

 結論が変わらないのは俺も同じだった。

 記憶を取り戻す。

 その意志はもう変わらない。

 

「邪神にしろ、悪魔にしろ、力を解放すれば俺を蝕んでいくのは変わらない。だけど記憶を取り戻すには力を解放しないといけない。……ねえ、何とかこの侵蝕を食い止める方法はないの?」

「分からない。今はまだ」

 

 ウルヴィンが立ち上がる。

 

「君が魔王討伐に行く間、私が調べておこう」

「うん、ありがとう。助かるよ」

 

 俺が感謝を述べると、ウルヴィンは頷いた。

 

「邪神がなぜ龍脈を破壊したのか。その手掛かりは今、君にしか存在しない。君が記憶を取り戻さない限り、邪神との戦いは終わらない。――頼んだぞ」

 

 研究所を出たときには日は落ちかけていた。

 包帯の下には黒化した皮膚が残っている。

 例え俺がどうなろうとも、この記憶は取り戻さないといけない。

 その選択がきっと、贖罪になると信じて。

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