足蹴にされるラスカがいた。
初めてのことだった。
肉体が奥底から煮えたぎる。
巡る魔力が解き放たれるその時を待ち望んでいた。
「……ねえ、ラスカに何をしてるの?」
「お前、強いな」
魔炎杖を後ろ腰から抜く。
魔力を込める。
以前の時のように、出力が落ちるなんてことはない。
この力は、俺の力だ。
邪神なんて関係ない。
ラスカを守るための力だ。
穂先を顕現させた。
ようやく解き放たれた魔力は、その圧倒的熱量で空間を捻じ曲げていた。
ラスカを踏みつけていた男は、一歩進みこちらに向き直す。
「許さないから」
「それは強者の特権だ」
突きつけられた穂先に、男はびくともしない。
たたずまいと魔力の圧。
どこをとってもこれまでの相手とは格が違う。
正気を失っていた魔族とも、野生の晶角獣とも違う。
意思を持った人間との戦い。
男が左手を上げる。
魔力がその手に集まる。
魔法が放たれようとしている。
接近し魔法を止めるほど猶予はない。
回避か、防御するしかない。
集まる魔力を分析する。
魔力量は多くない。
小手調べだろう。
俺の魔力なら十分防げる。
これまでは、黒炎を壁として防御していた。
しかし、それでは俺の魔力は消費されてしまう。
魔炎杖がある今、無駄に魔力を消費する必要はない。
男の魔力が収束した。
同時に、俺も前進。
水の刃が放たれていた。
穂先を盾形態にする。
水は盾に接触し、溶けた。
そのまま近接戦闘に持ち込む。
穂先を刃に変え、上から振り下ろす。
男は両手斧を片手で軽々と振る。
下から振り上げられた斧に、刃が弾き返された。
男が流れのまま、左手をこちらに突き出す。
素手で?
どうして?
嫌な予感がして、反射的に身を引く。
男には触れられなかった。
そのまま、槍で突き返す。
斧で弾かれる。
しかし、斧の振りはそこまで早くない。
一振りに対して、槍ならば二回突ける。
そのまま、槍で追い詰める。
「……チッ!!」
男は忌々しいといった様子で後ろに下がり距離を取った。
その動きは明確に隙だった。
この杖にとって。
「なっ!?」
杖の先から黒炎を放つ。
咄嗟だから、魔力はそれほど集められていない。
しかし、この一撃は避けられない。
男は左手を前に出し、水の防壁を展開。
黒炎はそれを貫通し、男の左手に引火した。
魔力量が少なかったから、これで勝負を決めるほどの威力はない。
だが、それでも有効打にはなるはずだ。
「これは……私の魔力を喰らっている? 厄介だな」
男は左手の黒炎を冷静に分析した。
それだけで、この男の異常性が明らかだった。
次の瞬間、男の左手の魔力が消失した。
いや、違う。
魔力を空間に放ったのだ。
魔力を喰らう黒炎ごと。
男の左手の黒炎は空気中に離散した。
魔力を切り捨てることに一切の迷いがなかった。
小さい黒炎だったとはいえ、引き剝がすのに馬鹿にならない量の魔力を消費したはずだ。
こうやって火を消されることは予想外だった。
黒炎を当てれば有利はできるが、致命傷にはできない。
一発当てれば勝ちがほぼ決まっていた今までとは違う。
黒炎の威力が、この男には通じない。
地力で勝つ必要がある。
ふと違和感に気づいた。
腹部の感覚がない。
手を当てる。
怪我はしていない。
だが、触覚が無い。
目で確認しても、外傷はない。
――いや、何かがまとわりついている。
目には見えないが、注意すると気配を感じた。
魔力だ。
男の魔力が、俺の腹部にごくわずかに付着している。
そう気づいたとき、腹部の魔力が消えた。
全て消費されたのだ。
腹部の触覚が戻る。
固有魔力だ。
しかし、能力の全容が掴めない。
考えている暇もなく、男が距離を詰めてくる。
距離を詰められすぎると危険だ。
槍では戦いづらくなる。
肉薄した男に対して、半歩下がり、応戦。
しかし、突きのできる距離感ではない。
柄を両手で持ち、穂先をうまく使い、攻撃をいなす。
魔力の気配。
男の左手が、俺の頭を引き裂こうとするが、さらに下がり躱した。
違和感。
急に現れた二つの水の刃。
間髪を入れず、斧の攻撃も来る。
このままだと、直撃する。
魔力の温存など度外視だ。
黒炎を身体中から噴出し、防いだ。
男も黒炎の発生と同時に飛び、回避した。
この動作で魔力をかなり消費してしまった。
二つの刃への対価に見合っていない。
何度も続けられると徐々に不利になる。
男が再び肉薄してくる。
また同じやり取りだ。
戦い方を考えなければ――
「――ッ!!」
男が斧ではなく、左手を付きだした。
今度は魔力が籠っていない。
それでも、この左手には何かがある。
絶対に避けないといけない。
ギリギリで躱して距離を取る。
次の瞬間、目の前が急に霞んだ。
嗅覚が消えた。
音が聴こえない。
男の姿が見えない。
距離感が分からない。
咄嗟に魔炎杖を盾に変え、前に構える。
衝撃。
魔炎杖が弾かれ、態勢が崩れる。
斬られる。
さっきのような黒炎噴射は間に合わない。
体外に魔力を放出し、活性化させる時間なんてない。
魔力を身体の前面に集中させる。
魔力制御の練習成果だ。
少しでも防御をする。
再び衝撃。
霞んでいた視界が戻る。
血の匂い。
身体から鮮血が舞っている。
だが、多量ではない。
身体強化が活きている。
男が斧を振り抜いているのが見えた。
隙だ。
男と目が合った。
驚いたような顔をしている。
身体の魔力の巡りを早める。
魔炎杖を男に向かって構え直した。
先ほどとは違う、活性化させた魔力を流す。
魔炎杖の穂先に黒炎が纏う。
このまま至近距離で黒炎を放った。
男の姿を覆い隠すほどの黒炎。
仕留めた――
「ぐッ!?」
――男は、黒炎に焼かれながらこちらに突撃してきていた。
左手で身体を押され、態勢を崩される。
そのまま、右手の斧が振りかぶられる。
駄目だ、避けきれない。
斧が視界から消えた。
視界が赤く染まる。
斬られた。
腹部を確認する。
深くない。
男も手負いだった。
踏み込みが足りていない。
受け身を取り、バックステップで距離を取る。
男は黒炎に全身を焼かれている。
今度は魔力と一緒に切り捨てられない。
切り捨てなければならない魔力があまりにも大きすぎる。
黒炎は相手の魔力を喰らいながら燃え盛っている。
魔力を喰らう速度より、燃えて消費される俺の魔力の方が大きい。
男の魔力に触れている、黒炎から伝わってくる。
男が魔力操作で抵抗しているのだ。
喰われづらい、固い魔力の防護だ。
しかし、全く喰えていないわけではない。
この調子であれば、あと数十秒は燃え続ける。
男の固有魔力の正体。
分かった気がする。
「感覚の遮断、でしょ? 固有魔力」
「……ご名答……だ」
肩で呼吸する男。
固有魔力を言い当てられたというのに、それでもどこか余裕げに笑う。
今もなお黒炎で燃え、その魔力を喰われ続けているというのに。
自身の身体の、魔力を確認する。
男の魔力が付着している気配はない。
感覚はもう、大丈夫だ。
左手から放たれる魔力にだけ気を付ければいい。
「行くよ」
足に力を込める。
相手の動きは鈍い。
黒炎で燃えている今がチャンスだ。
とどめを刺す。
迷わない。
ラスカを助ける。
魔炎杖に、活性化した魔力を注ぎ込み、接近。
ありったけをこの一撃に。
「らあああああ!!」
槍を振り抜こうとした、その瞬間。
「――半分、だがな」
背中を何かが激しく打つ。
視界が暗転した。
違う。
暗転したのではない。
俺が地面に伏せたのだ。
視界が地面で埋まっていた。
何かを背中にぶつけられて倒れた。
魔力の起こりは一切感じなかった。
なぜ?
魔法ではないのか?
「……どうせ、五感だけだと、思っていたのだろう……?」
男がそうつぶやく。
――やられた。
感覚の遮断。
五感だけではない。
魔力の感覚もだったのだ。
だから、水の刃の起こりを感じなかった。
だから、男の左手から魔力を感じなかった。
どこかで、男の魔力を受けていた。
そのうえで、男はこの不意打ちを、ずっと狙っていたのだ。
斧で斬り裂き体力を削ったうえで、魔法でとどめを刺すつもりだったのだ。
男との距離はまだある。
俺が水の刃を受けながらでも攻撃してくると読んでいたのか、接近の最中に打ち落とされたから、斧の追撃はなかった。
ぎりぎり、身体は動く。
膝をつきながら立ち上がる。
「チッ……まだ、立てるのかよ……」
「それは、こっちのセリフだよ……」
内臓を強く打ったからか、口端から血液が零れる。
対する男も満身創痍だ。
黒炎は消えた。
しかし、その皮膚は焼け爛れている。
斧を持つのもやっとだ。
こちらは、二つの切り傷。
どちらも深くはないが、浅くもない。
魔力を体外で活性化させる大技はもう出せない。
あるのは、身体強化を保つ体内の魔力と、少しの余剰だけ。
最後だ。
出し惜しみはない。
お互いが武器を構える。
呼吸。
吸って、息を止めた。
そして静寂。
地が弾ける。
火花が散る。
互いの武器がぶつかり合う。
金属のこすれる音。
焼け爛れの匂いと、鮮血の生々しい匂い。
混ざり合って、訳が分からない。
視界も飛び飛びだ。
男の魔力の影響ではない。
体力が限界を迎えようとしている。
それは相手も同じだ。
精彩に欠ける。
だからこそ、拮抗した。
お互いがお互いを崩せない。
どれだけ打ち合ったか分からない。
しかし、その打ち合いの決着は唐突に訪れる。
「……とっておきは、最後まで……隠しておかないとな!?」
――打ち合いの最中、男の後ろ腰から、複数の触腕が生えた。
まるで蛸足だった。
この男は、魔族だったのだ。
触腕が俺に迫る。
もう避けられない。
ぬるぬるとした触腕に捕縛される。
そのまま仰向けに地面に固定された。
「……私は、深淵魔族だ……クラーケンの……触腕を持っている……」
「くそ……!!」
抜け出せない。
力が強すぎる。
「……なあ、お前。名を、何という?」
「メアだけど……なんで」
「ハァ」
男は深くため息を吐いた。
「……私は、ヴォルクレス・ヴァンクロニス。輪廻の魔王に仕える者」
「……魔王だって?」
「魔王は、お前のような力がある者を好んでいる。どうだ? 迎え入れる準備は出来ている」
答えなんて、考えるまでもなかった。
「嫌だね。誰がラスカを傷つけるような奴の仲間に」
「よく考えろ、後悔するぞ」
後悔?
後悔なんて、するはずがない。
空島で魔族に追い詰められたあの時から、後悔しないように選択してきた。
こんなことで、後悔なんて。
頭痛。
後悔――思考が、乱れる。
頭を振った。
「――この力の使い道は、俺が選んでいいんだって。そう、リディルが言ってくれた……ッ! だから俺は、正しいことのためにこの力を使う……!!」
「リディル? リディル・ハートか――」
男がそう言いかけた瞬間。
何かが、男に向かって飛んできた。
触腕をほどき、飛び退く。
解放された。
立ち上がる。
男に向かって放たれたものは、弾のようなものだった。
それは俺の魔炎杖の穂先、魔力の塊と似ていた。
男の固有魔力の効果は切れたみたいだ。
弾は光となって消滅したが、そこから微々たる魔力を感じる。
「――メアくん!!」
この大広場の入り口。
そこにはフィリアがいた。
紙のように薄く平らなクリスタル状の魔道具が、フィリアの前を浮いている。
魔導兵装か?
そこから、光の弾が放たれたのだろう。
「チッ……どいつもこいつも……!! 殺すしか、ないようだな!!」
男が不快感を顕にした。
濃密な死の気配。
空気が淀む。
まだ、こんな力を。
「フィリア……ラスカを、頼んでいい?」
「は、はい!」
男と再び対峙する。
「今度こそ、決着をつけるぞ」
「望むところだよ」
合図はない。
触腕がこちらに伸びる。
分かっていれば、対処は簡単だ。
「ぐあッ!?」
横に避け、斬り落とす。
そのまま突きの動作に入る。
しかし、男も応じる。
避けられた。
斧が振り下ろされる。
かろうじて魔炎杖の柄で受けきる。
そのまま力で押し返す。
そして、身体を使って突進。
弾けた男に向かって、再び突きを放つ――
「――お前は確かに強い。だが、綺麗に勝とうとする嫌いがある。それが、敗因だ」
男が触腕を槍に向かって放つ。
槍が触腕を穿つ。
しかし。
男の本体にたどり着く前に、触腕の半ばで止まった。
あえて触腕を差し出したのだ。
それで、俺の武器を止めようと。
男はそのまま斧を振りかぶろうとする。
魔炎杖は、触腕から引き抜けない。
一瞬、状況を把握するために思考してしまった。
もう避けるのも間に合わない。
フィリアの叫ぶ声が聴こえる。
視界の端に、顔を歪めるフィリアが見えた。
その胸元。
対の指輪。
後悔。
渡せなかった。
頭が痛い。
そう、渡せなかったんだ。
二つ用意した。
渡したかったのに、できなかった。
理由は、恥ずかしかっただとか、そんなありふれた感情。
それが最後の機会だった。
再びは訪れなかった。
――もう、後悔はしない。
何をためらっている?
俺は最初から、この男に勝てる手札を持っていた。
このまま死んだら、きっと後悔する。
可能性を遂行しろ。
俺の身体は薪だ。
この目の前の男を焼き滅ぼすための、薪。
魔力がない?
体内にはまだある。
身体強化に使っている魔力が。
燻り続けている。
スイッチを入れた。
早くなったはずの鼓動が、やけにゆっくりに聴こえた。
耐え切れないほど熱くなる身体。
それとは関係なしに鋭敏になる感覚。
「な、なんだと……!?」
振り下ろされる斧を、左手でつまみ、止めた。
心の底から、愉快だった。
身体を内側から焼きつくすその熱すら心地よかった。
全てが遅く感じた。
全能感が肉体を支配していた。
「綺麗に戦うのは、やめたんだ」
空間が歪む。
魔炎杖を止めていたヴォルクレスの触腕が発火した。
先端から、徐々に炭化してゆく。
身体を巡る燃える魔力が、ひび割れた器から溢れ出すように。
身体の奥底の熱が、ようやく行き場を得たかのように。
俺の近くに立つものはすべて、灰燼と化す。
「……し、しょう?」
ラスカの呟きが、耳に入る。
ヴォルクレスがたまらず後ろに飛びのいた。
逃がすはずもなかった。
着地する暇すら与えず、追随。
俺の魔力にあてられて、全開放された魔炎杖をそのまま突きつける。
水の壁が展開される。
魔炎杖に触れた瞬間、蒸発した。
ヴォルクレスは驚いた表情で、斧と触腕を前に出す。
間一髪、魔炎杖の突きは防がれてしまった。
しかし、勢いは殺せない。
ヴォルクレスはそのまま大きく吹き飛び、岩肌に叩きつけられた。
「……そ、その力は……ま、まるでエレオノーラ……天位の……ガハッ!!」
おびただしい量の血を吐き出す。
「だが……ぬかったな……ッ!!」
視界が消える。
だが、そんなのは想定内だった。
目を閉じた。
必要ない。
最初から知っていた。
ヴォルクレスが魔炎杖の突きを防いだとき。
その刹那に、触腕を経由して、頭に魔力を纏わせてきていた。
先ほどまでなら気づかなかっただろう。
しかし、今であれば気づかない方が難しい。
体内の魔力を活性化したその瞬間から、付近の異物は、はっきりと浮かび上がっていた。
身体の感覚は生きているが、頭はヴォルクレスの魔力で覆われている。
視覚、聴覚、嗅覚、そして魔力感覚。
全てが消え去っていた。
完全な暗闇。
それでも、魔炎は灯る。
体外に溢れた魔力に、何かが触れた。
魔炎杖を差し込む。
手ごたえがあった。
感覚が戻る。
ヴォルクレスの両手斧が弾き飛ばされていた。
目の前で、後ろ向きに倒れかけているヴォルクレス。
「俺は、後悔しないよ」
魔炎杖を突きつける。
残った、塵ほどの魔力。
全てを込める。
魔炎を放った。
その瞬間、違和感があった。
ヴォルクレス近くに、魔力の気配を感じた。
だが、それも関係はない。
今更何をしようが、燃やし尽くすだけだ。
これで決着だ。
数秒置いて、放った炎が散る。
――そこには、ヴォルクレスの姿はなかった。
「ふいい、危なかったあ」
広場の奥。
岩肌の途切れた無機質な道の手前。
肩を支えられるヴォルクレスと、もう一人。
中性的な人物。
しかし、その背からはクモの脚が生えていた。
魔族だ。
ヴォルクレスには仲間がいたのだ。
「ヴォル、良かったねえ。今日はボクが罠作ってなくて」
ヴォルクレスの瞳は朦朧としており、返事すらできる状況ではない。
それを察したのか、その魔族はヴォルクレスに話しかけることをやめ、こちらを向いた。
「ごめんねえ、最後まで戦わせてあげられなくて。今ヴォルに死なれたら困るからさあ」
「君たちの目的は何なの?」
飄々とした態度の魔族を睨みつける。
「やだなあ、怖いなあ。ま、すぐに分かると思うよ。もしかしたら君ともまた戦うことになるかもね?」
「ちゃんと話を――」
「君、ちょっと強そうだし、ボクたち帰るね。それじゃね! ばいばーい」
魔力の気配。
直後、魔族の後ろに、空間の裂け目ができた。
先ほどのヴォルクレスの移動……転移系の魔法か?
まずい、逃げられる。
咄嗟に魔炎杖を向けようとするが、身体が動かない。
腕はだらんとぶら下がるばかり。
その手先は焼き爛れていた。
魔炎杖を掴んでいること自体が奇跡だった。
魔族が空間の裂け目に消えた。
身体中の力が抜けた。
からん、と魔炎杖が地に落ちる。
魔力の活性化が切れる。
膝から崩れ落ちる。
手を地に付き、伏すのを避けた。
きっとそのまま起き上がれなくなる。
身体が冷たい。
じりじりとした痛みと、どくどくとした痛みが混ざり合う。
目の前がぐるぐると回る。
腹部が熱い。
熱いのに全身は冷たい。
動悸が止まらない。
息が吸えない。
視界が回る。
俺は今、揺れている?
やはり、諸刃の剣だった。
命が焼け落ちる感覚があった。
爆発的な力と引き換えに、命を差し出していた。
「メアくん!!」
フィリアが駆け寄ってきた。
背中に触れようと、フィリアは手を近づける。
ひっ、と反射で手を離した。
苦しい。
心細かった。
フィリアの顔を見れば、きっと安心できる。
そう思い、倒れるように、姿勢を変えた。
後ろ手を付き、座り込んだ。
フィリアは、泣いていた。
「メアくんの、バカ!!」
「え、ええ?」
「分からないんですか!! 全身、火傷まみれなんですよ!?」
そう言われ、身体を見る。
フィリアの言う通り、手だけでなく、身体中が焼き爛れていた。
皮膚が焼け落ち、変色した肉が露出していた。
ぽろぽろと、炭化した部分が崩れる。
「大丈夫だよ、すぐに治る」
「そういう問題じゃ、ないです……!!」
フィリアの瞳から、大粒の涙がぽつぽつと落ちる。
「私は、こんなことのために、魔道具を渡したわけじゃないです……!!」
「――」
また俺は、フィリアの気持ちを考えていなかった。
俺が傷ついたらフィリアがどう思うかなんて、一切考えていなかった。
これだけ大切にしてもらっているのに、蔑ろにしていた。
この力を使わなければヴォルクレスには絶対に勝てなかった。
だから、使うしかなかったんだ。
そこに後悔はない。
ただ、フィリアにはちゃんと謝らないといけない。
「ごめん、フィリア」
「許さない、です……」
フィリアが下を向く。
手で涙を拭おうとして、醜い手に気づいて、やめた。
「……約束」
「……?」
「約束、してください」
フィリアが俺の瞳をまっすぐに見た。
「もう二度と、その力は使わないって」
「……うん、約束するよ」
◇
「いやあ。ここ、ごはんが美味しくないですね。師匠」
「うん」
「またいいお店いきたいなあ。あ、もちろん僕は一銭も出しませんけど」
「タダ飯上等ってこと?」
「上等ってことです」
翌日。
俺とラスカは施療院で休んでいた。
固くて低いベッドに寝かされている。
火傷はまだ、完治していなかった。
姿を見れる程度には戻ってきてはいたが。
それでも、見た目だけだ。
今思えば、あの時の負荷は尋常ではなかった。
寿命を削っていた、と言われても不思議には思わない。
隣のラスカも、身体中がボロボロだったようで、包帯だけで一回り身体が大きく見えるほどに、ぐるぐる巻きにされている。
「……師匠」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとうございました」
ラスカが、前を向いたままそう言った。
「師匠がいなかったら百回は死んでました。身体強化があったからなんとか耐えられましたし」
「それは俺のおかげじゃなくて、ラスカが頑張ったからだよ」
「へへ」
ラスカは少し照れ笑いをし、今度はまっすぐ、隣にいる俺と目を合わせた。
「僕、アネリアさんや師匠みたいに、誰かを助け、守れる人になりたいです。そのために、強くなりたいです」
「うん」
「きっと、怖がりなのもすぐには変わらないですし、まだまだ落第寸前の落ちこぼれです。だから――」
ラスカが顔を上げる。
その瞳は希望に満ちていた。
「師匠、これからもよろしくお願いします!」
「うん。こちらこそよろしくね、ラスカ」
突き出してきたラスカの拳に、そっと拳を合わせた。
火傷痕が少しだけ、ぴり、と痛んだ。
それからまた数日が経って、俺とラスカが外出できる程度には回復したころ。
賢者から、手紙が届いた。
魔力の解析が終わった、研究所に来てくれ、と。
「……メアくん、傷の具合はどうですか? 歩くの、つらくないですか?」
「うん、もう大丈夫。まだちょっと痛むけど、ほら」
フィリアと共に、ウルヴィンの研究所に向かっていた。
ラスカは一緒ではない。
俺の記憶のことなどは機会が無くて話せていない。
変に重いことに巻き込むのもよくないと思った。
きっと協力してくれるだろうが、ラスカに負担を掛けたくなかった。
腕を動かす様子をフィリアに見せる。
袖口から包帯がちらつく。
爛れは消え、皮膚も再生した。
けれど、色だけは黒く変色して戻らなかった。
回復する様子はない。
力を解放したことで、身体に変化が起きていたのだ。
邪神と無関係だとは、決して思えなかった。
邪神は黒い闇の塊だったとウルヴィン、リディルから聞いている。
俺は、それに近づいているのではないか。
今は焦っていても仕方がない。
ウルヴィンに会ったときに確認すればよいだろう。
フィリアにも、伝えればまた心配をかけてしまう。
だから、誰にも見られないよう包帯で隠していた。
フィリアが傷を確かめるように俺の腕にそっと触れる。
少しだけ痛みが走り、思わず硬直してしまう。
それを見たフィリアが眉をひそめた。
「メアくんの魔力、ちょっと淀んでいるというか……」
「……そうだね」
変化が起きていたのは身体だけではなかった。
俺の中に眠る固有魔力のうち、『魔力を喰らう黒』が大きくなっていて、黒炎としての力が増している。
「身体はちゃんと動くし、何ともない。平気だよ」
「……はい」
俺の記憶を取り戻す手段が、きっとこれから分かる。
フィリアはここ数日、ずっと魔法ギルドで調査していたが、先生の痕跡は一切残っていなかった。
先生はおそらく、地上に降りた後、王都にやってきていない。
後はウルヴィンにすがるしかなかった。
ヴォルクレスとの戦闘の最中に取り戻した、対の指輪についての記憶。
俺は明確にこの指輪を知っていた。
俺が前世、誰かに渡そうとして渡せなかった指輪だ。
それを先生が持っていた。
何故、俺が渡せなかった指輪を先生が持っている?
考えても答えは出ない。
だが、俺と先生には何かの因果がある。
記憶を取り戻せば、きっとそれは明らかになるはずだ。
研究所に着くと、ウルヴィンの執務室に案内される。
案内してくれたローブの男がノックすると、相変わらずの冷たい声で、入りたまえ、とだけ返ってくる。
両開きの扉が開かれた。
「メア」
「リディル?」
そこに居たのはウルヴィンだけではなかった。
「どうしてここに……?」
「そろそろメアが来る頃かと思ってね。フィリアも、久しぶりだね」
フィリアがリディルに対し、ぺこりとお辞儀した。
「私が招集した。これからの話はリディルにも関わる」
「リディルにも?」
邪神を殺した勇者にも関わる?
俺が、邪神だったということか?
落ち着け。
呼吸を整える。
「まずは、輪廻の魔王の右腕、ヴォルクレス・ヴァンクロニスとの戦闘、ご苦労だった。傷もまだ癒えていないと聞くが、身体の調子はどうだ? ……君なら問題はないとは思うが」
「ありがとう。もう大丈夫だよ。……輪廻の魔王の右腕?」
輪廻の魔王。
ヴォルクレスが話していたのを覚えている。
「それに関しては僕から説明しよう」
リディルがこちらに向き直す。
「輪廻の魔王、エレオノーラ・ヴァンクロニス。太古から存在すると言われている魔族だね。死んでは記憶を保ったままの転生を繰り返している」
「太古から?」
「ああ。三百年前の記録に、僅かにエレオノーラの名が残っていた。……四年前、記録を掘り起こすまでは忘れ去られていたよ」
転生。
俺と同じだ。
しかし、記憶を保っているらしい。
俺とは異なるのか?
何か特別な方法があるのだろうか。
「ずっと昔から数百年周期で転生していたんだろう。その周期がちょうど四年前だったんだ。そして、その輪廻の魔王は僕が討伐した」
「ちょっと待って、討伐した? ヴォルクレスのあの時の言い方だとまるで――」
「――輪廻の魔王は復活している。理由は分からないけど、数百年の周期を無視してたったの四年でね」
「……洞窟内の異常な魔力だが、輪廻の魔王が復活しダンジョンを作り上げたことが原因だ」
ウルヴィンが口を開いた。
「本題に入ろう。メア、君の話だ」
息を呑む。
俺の、魔力の調査結果についてだ。
これでこの黒い力が魂に紐づいていたのだとしたら、俺が邪神の転生体だという可能性が高まる。
「結論から言うと、君のその黒い魔力は、魂に紐づくものだった」
「――」
心臓の音がうるさい。
やけに気に障る、こめかみに汗が伝う感覚。
右手で胸を押さえる。
「じゃあ、俺は、邪神だったってこと?」
「断定できない。不明確な憶測を私は好まない」
ウルヴィンは以前、この力が高位悪魔のものを起源にしていると言っていた。
魂に紐づいていたからと言って、力が邪神のものであるとは限らない。
ウルヴィンの視点だと、ほぼ黒に近いグレーだ。
しかし、俺にはリディルに殺された記憶があった。
リディルと目が合う。
その瞳は、決して俺を責めているものではなかった。
そうだ、この力が過去に邪神のものだったとしても、今は『メア』の力だ。
俺は贖罪しなければならない。
例え前世だったとしても、罪を犯したのであれば償わなければならない。
だが、今の俺には記憶がない。
何をどう償えばいいのか、俺には分からない。
――まずは記憶を取り戻さなければならない。
話はそれからだ。
「……記憶を取り戻す方法、明確になったんだよね?」
「……ふむ」
ウルヴィンが机の上で手を組む。
「以前、私が話した固有魔力と魂についてを覚えているか?」
「うん。使い込まれた固有魔力は魂と融合する。普通は転生の過程で記憶と共にろ過されるけど、膨大な魔力があれば固有魔力、記憶を持ったまま転生できる……だったよね」
「その通りだ。……この方法は以前、輪廻の魔王、エレオノーラが語っていた内容だ。実例がある。奴以外の成功例は聞いたことがないが、実例がある以上、不可能ではない」
リディルはその話に、黙って頷いている。
ウルヴィンはそのまま話を続けた。
「固有魔力が魂に残っているなら、君は膨大な魔力を使って魂を守っていたはずだ」
「あ、ということは――」
「そうだ。君の記憶はろ過を免れ、魂の奥底に眠っている可能性が高い」
俺の記憶は間違いなく存在している。
これまでも、何度もフラッシュバックしていた。
「君の記憶を取り戻すために必要なのは、その固有魔力の更なる解放だ」
「解放……ヴォルクレスのような敵と戦って、力を使えってこと?」
「その通りだ。魂に記憶が眠っているのならば、固有魔力で刺激すればいい」
「メ、メアくん! 駄目ですよ、そんなの!!」
俺とウルヴィンの会話に割って入ったのはフィリアだった。
「メアくん、約束しましたよね。例えあの力は使わないのだとしても、そんな危ないこと……!!」
記憶を取り戻すためには、ヴォルクレスとの戦い以上に固有魔力を酷使しないといけない。
そんなことをして、俺の身体は耐えきれるのか?
包帯の下。
俺の腕は黒く変色している。
これは邪神への変化の兆候ではないのか?
そうして最後には、俺は俺でなくなるのでは?
分からない。
「それが君の記憶を取り戻す唯一の手段だ」
だけど、このままでいいはずもなかった。
「分かったよ」
自分が何者かを知らなければ、罪を償うことはできない。
『メア』のこの力をどう使うか、選ぶことさえできない。
「メアくん!?」
今にも泣き出しそうなフィリアと目が合う。
「ごめん、フィリア。自分を傷つけるような力の使いかたはもう、しないから」
「――」
フィリアは俺が意思を曲げないと悟ったのだろう。
執務室から飛び出してしまった。
空島でのことをふと思い出す。
また傷つけてしまった。
この選択に後悔はない。
だけど、心は痛んだ。
「話を戻して構わないか?」
「うん」
ウルヴィンが一連の話を何も気にしていないかのように、再び冷たい声を発する。
「メア。君が力を解放するにあたって最適な相手がいる」
予想は付いていた。
なぜ、リディルがここにいるのか。
なぜ、輪廻の魔王について話したのか。
「……輪廻の魔王の討伐、俺に行けってことだよね」
「ああ。……もちろん、君だけではない」
「僕も行くよ」
リディルが手を振った。
「そして、私の知己から、戦闘に優れた者を出すつもりだ」
「三人ってことだね。分かった」
「よろしく、メア」
こうして、俺の次の目標は輪廻の魔王の討伐に決まった。
◇
その日のうちに、俺は再びウルヴィンの元を訪ねていた。
今度は一対一だ。
「ウルヴィン、これ……」
腕の包帯を外した。
「……固有魔力が侵蝕している、のか」
ウルヴィンは動揺する様子もなくそう言った。
俺の状態がどうであっても結論は変わらないということだろう。
「うん。多分、ウルヴィンの言う悪魔由来の力が蝕んでいるんだと思う」
包帯を巻き直す。
「俺は、俺じゃなくなるのかな」
「……そうかもしれないな」
「そっか」
結論が変わらないのは俺も同じだった。
記憶を取り戻す。
その意志はもう変わらない。
「邪神にしろ、悪魔にしろ、力を解放すれば俺を蝕んでいくのは変わらない。だけど記憶を取り戻すには力を解放しないといけない。……ねえ、何とかこの侵蝕を食い止める方法はないの?」
「分からない。今はまだ」
ウルヴィンが立ち上がる。
「君が魔王討伐に行く間、私が調べておこう」
「うん、ありがとう。助かるよ」
俺が感謝を述べると、ウルヴィンは頷いた。
「邪神がなぜ龍脈を破壊したのか。その手掛かりは今、君にしか存在しない。君が記憶を取り戻さない限り、邪神との戦いは終わらない。――頼んだぞ」
研究所を出たときには日は落ちかけていた。
包帯の下には黒化した皮膚が残っている。
例え俺がどうなろうとも、この記憶は取り戻さないといけない。
その選択がきっと、贖罪になると信じて。