しょうもない知識を吹き込んでくるお嬢様と逃げられない運転手 作:じょじょえん
「お疲れ様です、お嬢様」
「ええ。出して」
いつものように学校からの送り迎え。
自動で開くドアから滑り込んでくるお嬢様は、どうやら今日はちょっとお疲れのようであった。
最近、気温の寒暖差が激しいからかもしれない。今日も、日差しはそれなりに暖かいが風がびゅうびゅう吹いていて、体感温度はかなり肌寒い。
とはいえその分着込んでいるようだし、少し車内の空気は冷たい方がいいだろう。少しエアコンを操作して、温度を下げる。
ゆっくりと学園から出て、国道に合流すると相変わらずの大渋滞。最近、ますますひどくなっている気がする。
片側3車線もある道路なのに、傍らを自転車やら電動キックボードやらが無秩序に走り抜けていく様を目で送りながら、私はハンドルを何度か握り直した。
「……山本。退屈だわ」
「ではニュースでも少々」
お嬢様に請われてニュースを流す。とはいっても、大手のTV局などではなく、動画配信サイトで公開されているニュース動画である。近頃のテレビニュースはお嬢様にとって不愉快なようで、迂闊に流すと露骨に機嫌を損ねるのだ。その点、このニュース動画は高い評価を頂いているようで、聞きなれた言葉の響きを聞くにつれてお嬢様が心なしかリラックスしている様子がうかがえた。
私も運転しながら、ニュースの内容に軽く耳を傾ける。
「お嬢様、今年は北の方で蟹が豊漁だそうですよ。北側の国が戦争で人手不足なのと関係しているのですかね?」
「山本はお馬鹿ね。蟹といっても、食べられるまで成長するのに何年かかると思っているの? 3,4年、蟹漁が控えめだった程度でそんな事にはならないわ。これはもっと別の理由よ」
「そうなんですか……お嬢様は物知りなのですね!」
真面目に知らなかったのでほめそやすと、お嬢様はふん、と小鼻を鳴らしながらもちょっと満更でもなさそうだった。
「貴方が物を知らないだけよ……そうね、山本。もう少し貴方の知識を確かめてみようかしら」
「え?」
「タコが何年ぐらい生きるか、食べられるまでどのぐらいの時間が必要か、しってる?」
「ううむ……?」
今回は割かしまともな話の入りに安心しつつ、私は首を捻った。
タコ。
八本脚で丸い頭……いや腹なんだったっけ。とにかく日本では身近な海産物である。
んでもって、けっこう大きいのだったか。八本ある脚の一本で、ちょっとした刺身の皿が用意できる訳で。となるとさっきの蟹の話を顧みると……。
「10年ぐらい、でしょうか。となると食べられるまで3年くらい?」
「貴方は本当にお馬鹿ね、山本。タコの方がまだ賢いんじゃない?」
とてつもなく馬鹿にされてしまった。よほどとんちんかんな答えだったようだ。
「いいこと、山本。タコの寿命はね、主に食用とされているマダコで1~2年。そして体重70キロにもなる最大の種であるミズダコでも3~5年とされているのよ。つまり、ほぼ1年が彼らの平均的な寿命なのよ」
「えっそんなに短いんですか!? でもタコって結構大きいですよね!?」
素直に吃驚する。1年って、それ、昆虫と一緒じゃあないか。ってことは、食べられるサイズまで成長するのにほんの数か月?! 吃驚である。
「そうおかしな話ではないわよ。タコは海の中でのヒエラルキーは結構高い方、自分より小さければ蟹でも魚でもバリバリ食べてしまう、天敵は自分より大きなサメとかウツボぐらいのものよ。それに蟹と違って硬い殻で覆われていないし、魚と違って頑丈な骨はない。成長においてそれを阻害するものがないから、早く大きくなれるのよ」
「い、言われてみれば確かに……。って事は、早く大きくなるからその分寿命が短い、とか?」
「タコが短命なのはそれが原因じゃないわ。研究によれば、肉体の酸化に対する抵抗力が低いのが原因とされているようね。人間からすれば美容だのなんだのの話になってくる抗酸化作用も、イカやタコにとっては死活問題のようね」
抗酸化作用といえばあれか、ポリフェノールがどうとか、みたいな。そういえば酸素って本来生物に対しては毒である、と聞いた事がある。その毒を燃料にする事で地球の生物は進化したけど、その代償として常に肉体を酸素に蝕まれている、と。タコはそれが極端な生き物なのか。
「そうなんですか……いや、しかし1年……儚いですねえ」
「そうかしら、私はむしろほっとしているけども」
「え、何でですか?」
私の素朴な問いかけに、お嬢様はにやり、と人の悪い笑みを浮かべて見せる。
「タコは海の賢者、と言われているわ。一般的に、人間でいえば3歳ほどの知能を持っているとされていて、瓶の構造を理解して捻って開ける事が出来る、という話は有名ね。そんな生き物が、もし何十年も生きて知識や経験を積む事ができたら、どうかしら? 果たして、人類は霊長のままでいられたかしらね……?」
「え……」
「もしかしたら、人類が逆に、タコに食べられている世界があったのかもしれないわね? なんせ、一年で三歳ぐらいの知能に達するのだもの。10年も生きたらそこらの人間よりよっぽど賢いでしょうね」
にやにや笑いながら、お嬢様。
流石にその意見は飛躍が過ぎると思うが……しかし、あり得ないと一蹴するにはいささか説得力のある妄想でもあった。海からイルカが攻めてきたぞー、なんて絵本のイラストが昔あったらしいが、それがタコだったかもしれない訳か。
そういえば火星人ってタコみたいな見た目で描かれる事が多いな……いやいや、まさか。でも……。
口をもごもごさせて不吉な妄想に困惑する私の顔に、バックミラー越しにお嬢様はカラカラと笑った。
「あらもう、山本ったらお馬鹿で素直なんだから! そんな訳ないでしょ、犬はどれだけ長生きしても犬のまま、タコだってどれだけ生きてもタコのままよ。全くおかしいんだから、ふふふ」
「す、すいません……」
「でも山本のそういう所、私は嫌いじゃないわよ。これからも、私の可愛いタコさんでいてね」
その言葉を最後に、お嬢様は窓の外に視線を向けて黙り込んでしまった。
その貌の整った横顔に目を奪われながら、果たして今の言葉の真意はどこにあるのか、私は困惑に必死に頭を捻る。
た、タコさんでいてね、って、どういう事……? ええ……?
思い悩むも、納得いく答えはついぞ出る事はないのであった。