古書店での勝負のあと、白眉秋《しらまゆあき》はハグの後を追い続けていた。記憶を失い、自分が何者なのかさえ定かではない。それでも、落ち着いた足取りで歩き、座ればただ黙って周囲の音を聞き、ハグの微かな息遣いや体の動きを捉えている。
その日、秋はハグの部屋にいた。狭い部屋に散らばるトランプを無言で眺め、時折カードを指で弾く音だけが響く。ハグは窓辺に立ち、外をぼんやり見ていたが、突然振り返った。
「秋。トランプでガイスターをやろう」
秋は顔を上げ、わずかに目を細めた。無言で頷く。その瞳には、わずかな興奮が見て取れた。
ハグはトランプのデッキを手に取り、特定のカードを探しながら説明を始めた。
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ガイスターは、お化けのコマを使ったゲームだ
各々が8つのコマを持ち、
うち4つが良いお化け、4つが悪いお化け
良いお化けは相手に取られたくない
悪いお化けは相手に取らせたい
区別は自分しか知らない
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ハグは知っている。この少年の深層を。だが、それを口にしない。まるで盤上のコマのように、互いの本質を隠し、相手の思考を読み合う。それが、二人の関係だった。
「今日はトランプでやる」
秋は黙って聞いている。耳を澄ませ、ハグの声の微かな揺らぎを捉えているかのようだ。
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ハグは黒いスート
スペード♠️とクラブ♣️のAから8
秋は赤
ハート♥️とダイヤ♦️のAから8
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秋はカードを受け取る。
「ボードは6x6のマス。このテーブルの模様を使おう」
ハグは余りのカードから4枚を抜き取り、出口に当たるボードの四隅のさらに左右の盤外に裏返して並べ、即席の盤面を整えた。
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スタートは自陣後列に4つ、前列に4つ
数字の異なる8枚を表向きに場に並べてコマとする
コマは前後左右に1マス動ける
斜めは不可
取る時は相手のコマに重なるように動く
```
ハグは静かに二組に分けた。秋も同じく。
秋は無言で自分のコマを配置した。ハグも並べる。
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残った8枚から4枚を選んで手札にする
それが悪いお化けの数字だ
取られたコマが悪いお化けなら、
手札から同じ数字のカードを明かして捨てる
良いお化けなら、ただ取られるだけ
```
手札と場のカードの数字を一致させることで、自分だけがお化けを区別できる仕組み。二人は手札として残す4枚を選び、不要となった4枚は横に伏せて置いた。
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勝ち方は3つ
1. 相手の良いお化けを4つ取る
2. 自分の悪いお化けを4つ取らせる
3. 相手陣地の最奥、左右の角の出口から
自分の良いお化けを1つ盤外に脱出させる
(出口の前に立つだけではなく、
次の番で盤外に移動することで脱出成功となる)
```
ゲームが始まった。
序盤は静かな探り合い。ハグがスペード♠️の5を前進させ、秋がハート♥️の3で応じる。宣言は簡潔。「スペード♠️の5、右」「ハート♥️の3、前進」。秋は言葉をほとんど発さず、ただ盤面を見つめ続ける。だが、その視線はハグの指の微かな震えや、カードを置く音の違いを逃さない。無自覚に、相手の思考を捉えようとしている。ハグは淡々と動かすが、秋の記憶の霧の向こうから鋭さが顔を覗かせるような観察眼に気づいていた。
中盤、盤面は混沌とした。
ハグのクラブ♣️の7が秋の陣地深く侵入し、秋のダイヤ♦️の4がハグの出口を脅かす。読み合いは激しさを増す。秋は寡黙なまま、ハグのコマの動きから意図を読み取り、的確に応じる。積極的なコマを避け、慎重なものを狙う。それは、無意識のうちに互いを本気で削り合う二人の関係を象徴しているかのようだった。
終盤、ハグの番。
クラブ♣️の2を前進させ、秋の左の出口に隣接させた。次に動かせば脱出成功。秋は無言で眉を寄せる。耳を澄ませ、ハグの息の長さを計るかのように。
秋の番。
脱出を阻止するため、ハート♥️の8でハグのクラブ♣️の2を取る。ハグは静かに手札からスペード♠️の2を抜き、テーブルに向かって放った。秋の取ったクラブ♣️の2の上に重なる。秋に取らせた悪いお化けはこれで3つ目。以降、秋は慎重にコマを取らねばならず、ハグの優勢が決定的になる。秋は無表情のまま、ただカードを脇に退ける。取らざるを得ない状況が、彼の内に眠る鋭さを静かに刺激した。
一方、ハグの陣地では秋のコマが出口に向けて侵攻中だった。秋はハート♥️の6とダイヤ♦️の7で巧みに2対1の構図を作り、ハグのコマを自陣地の出口マスのさらに横まで押し込んだ。ハグの援軍は間に合わず、守るコマはスペード♠️のAのみ。
ハグの番。
眼前の強気なハート♥️の6が悪いお化けだと仮定すると、出口に近いダイヤ♦️の7は良いお化けに見える。それがブラフなら前に出れば防げるが、読み誤れば出し抜かれてしまう。ハグはリズムを崩さず、スペード♠️のAを横に移動させて出口の前に立ち塞がった。自陣出口からは脱出できないため、これは純粋な守備だが、秋にとっては不可解な一手となった。ハグは相手の真相を知りながら明かさないこととイコールであるかのように、このコマの正体を曖昧に保つ。
秋の番。
コマを取られては出口を守れない。自ら相手のコマに隣接するマスへ進んだハグの一手は、短期的には取らせることを誘う悪いお化けの動きに見える。だが、ここまで慎重に位置を保ってきた経緯を考えると、良いお化けを装ったブラフの可能性もある。秋はこれまでの盤面を振り返る。ハグは序盤からスペード♠️のAをほとんど前進させず、後衛に留めていた。それは貴重な良いお化けを守るための配置に思えた。一方、悪いお化けは積極的に犠牲にし、相手を誘導していた。これまでの動きが終盤に向けた仕込みだったとするならば、この決定的な場面で出口に立ち塞がったスペード♠️のAは?
秋は確信した。これは良いお化けだ。秋の耳が、無自覚にハグの思考の音を聞き分け、判断を下す。ハグが築いた砦はハリボテだと。秋はダイヤ♦️の7でスペード♠️のAを取った。
ハグは静かに手札へと視線を落とす。手札は1枚、クラブ♣️のAだった。取られたコマと同じ数字。悪いお化けだ。これで4つ目。ハグの勝利は確定していた。だが、ハグは一向に手札を明かそうとはせず、穏やかな声で言った。
「良いお化け。お前の勝ちだ、秋」
秋はわずかに目を見開き、ハグを見つめる。
「俺の読みが外れた。お前の観察が上だった、ということだ」
本当にそうなのか?手札を明かさないことで、取られたコマが良いお化けだったと、嘘をつけることに秋は気付いている。ハグは読み合いに勝っていた。それなのに、なぜ嘘をつく? なぜ勝利を譲る?
部屋に夕陽が差し込み、二人は無言でトランプを集め始めた。
ハグは理由を明かさない。お互いのことを理解するほどに、読み合いは楽しくなるのだから。再び対峙する時を、より純粋に、より激しく楽しむための布石。
秋もまた、静かにカードを重ねる。その仕草に、ほんのわずかな笑みが混じる。次の一戦を、静かに期待するように。