妖ばなしにひかりを灯す   作:名栗谷

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第4話 河辺に住まうもの・壱

 

「火産霊様、こんばんは。ちょっとこの子、お借りしてもよろしいですか?」

 

「本人に聞いてあげてください」

 

 先生に言われ、相模様が私を見る。

 閉じた扇子の先が、こちらへ向いた。

 

「ひかり。多摩川の件で、話があるの」

 

 畳みかけていた布を、膝の上で止めた。

 

「ニュースになってる事件ですか」

「ええ」

 

 川沿いの規制線と、橋の上から撮られた捜索の映像が浮かんだ。

 三週間で十二人。別々の日に姿を消した人たちが、同じ川から見つかっている。

 ニュースを見るたびに、また増えたのかと思っていた。

 

「そちら、相模様が調べていらっしゃるんですか」

「こちらでも話を集めていたところ。あなたには現地を見てもらいたいの」

「私が、ですか」

 

 相模様は頷いて、私の隣に腰を下ろした。

 グレーのタイトスカートの裾を整え、革のバッグを膝へ置く。白いブラウスの袖口で、金色の時計が光った。

 仕事帰りのお姉さんにしか見えない。手にした扇子さえなければ、なおさらだ。

 

 こちらは制服のままだった。

 刀を拭くためにまくっていた袖を戻し、スカートの上の布を畳む。

 手入れが済んだら、由奈のお見舞いにでも寄ろうと思っていた。お風呂には入れたと言っていたけれど、顔を見れば、もう少し安心できる気がしたから。

 まだ約束はしていない。

 しておけばよかった、と思いかけてやめた。

 

「何を見ればいいんでしょう」

 

 できるだけ、いつも通りの声で尋ねた。

 相模様が扇子をバッグの上へ置く。

 

「人の目では分からないものが、川辺に残っていないか。失踪に関わっている妖がいないか、確かめてほしい」

「妖がいるのは、分かってるんですか?」

「まだ。今のところ、これだと言えるものは見つかっていないわ」

 

 私は、横に置いた童子切を見た。

 由奈の肩には、はっきりと指が掛かっていた。顔も見えたし、話もできた。

 今度は、何かがいるかどうかから調べるらしい。

 

「警察も、ずっと捜してますよね」

「ええ。けれど、こちらでしか見つけられないものがあるかもしれない。次に誰かがいなくなるまで、待ってはいられないでしょう」

「それは……そうですね」

 

 言われれば、その通りだった。

 ただ、ニュースに出ていた広い川と、自分一人を並べると、どうにも釣り合わない。

 

「多摩川って、結構長いですよね」

「全部歩けとは言わないわ。見てもらいたい場所は絞ってある」

 

 少しだけ、肩の力が抜けた。

 

「火産霊様。こちらで、もう少しお時間をいただいても?」

「どうぞ。お茶を淹れますよ」

 

 先生が立つと、相模様は軽く頭を下げた。

 その間に、私は手入れの道具を袋へ収める。

 

 相模伯耆。神奈川の大山を拠点とする、関東統括の大天狗。

 後見人の火産霊先生が暮らしの面倒を見てくださるのに対し、相模様は私の上司だった。

 どちらにも世話になっているけれど、相模様が訪ねてくると、たいてい何かすることが増える。

 

「大山にも、この事件のお願いが来るんですか」

 

 湯呑みを受け取る相模様に聞いた。

 

「来るわよ。息子を帰してください、夫を見つけてくださいって。このところ、ほかのお社でも増えているそうよ」

「まだ、見つかってない人の……」

「ええ。捜索に加わった帰りに、お参りする人もいる。せめて無事なのか教えてほしい、とね」

 

 私は畳んだ布の端を押さえた。

 画面には、見つかった人の数が出る。

 その数字に入っていない人にも、待っている家族がいる。

 

「そういうお願いなら、できるだけ叶えてあげたいですけど」

「けど?」

「見てきます、とは言えても、見つけてきますとは、ちょっと」

 

 相模様は湯呑みを置いた。

 

「まだ何も分かっていないものね。まずは調べて。その先は、報告を聞いて決めるわ」

 

 最初から全部任されるわけではないらしい。

 頷くと、先生が私の湯呑みにもお茶を足してくれた。

 

「頼られるのも、大変ですね」

 

 私が言うと、相模様は小さく笑った。

 

「頼られなくなる方が困るわ。お祈りだけ頂戴して、あとは知らない顔というわけにもいかないでしょう」

「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ、ですね」

 

 先生が湯を注ぎ終えた。

 相模様が頷く。

 

「こちらも、御利益をお返ししないと」

「先生、今のは?」

「御成敗式目の第一条です。冒頭の言葉ですよ」

「歴史の、あれですか」

 

 神様が人に敬われて力を増し、人は神様に助けてもらう。

 それは知っているけれど、昔の法律にも書いてあるとは知らなかった。

 授業では年号を覚えて、それで済ませてしまっていた。

 

「昔から忙しかったんですね、神様も」

「そうでしょうねえ」

 

 先生はおかしそうに笑った。

 

「願いを叶えるより、罰を当てる方をお好みになるお方もいますけどね」

 

 相模様の扇子が開いた。

 私は危うく頷きそうになった。

 

「ひかり。今、何か言いかけた?」

「いえ。何も」

 

 人ならざるものは、願われることでも、畏れられることでも存在を強くする。

 助けてくれると信じられるか、怒らせたら恐ろしいと信じられるか。そのどちらを選ぶかで、天狗の性格もずいぶん違う。

 京都の愛宕太郎坊様などは――やめておこう。考えたことまで顔に出そうだ。

 

 八天狗の筆頭に、平の木の葉天狗が意見などない。

 大天狗、鴉天狗、木の葉天狗。この順番は、よほどのことがあってもひっくり返らない。

 相模様には、会社の役員、部長や課長、平社員だと思えばいいと言われている。

 各地の担当は支社のようなもので、そこで働く私たちは、信仰を集める営業部員らしい。

 もっとも、会社の「社」ではなく、神社の「社」だけれど。

 

 高校生の私には、会社のことはよく分からない。

 気がつけば配属されていて、上司に呼ばれると仕事が来る。そのあたりは、たぶん似ているのだろう。

 

「ここを見てちょうだい」

 

 相模様が、スマートフォンを私へ向けた。

 地図の川沿いに、いくつか印がついている。

 

「見つかった場所ですか?」

「それもあるけれど、今見せているのは、いなくなる前に姿を見られた場所。まずは、この近くから」

 

 指で示された印を拡大した。

 川の反対側にも、別の印がある。

 

「こちらは、相模様の管轄ですよね」

「ええ。神奈川側も調べて構わないわ」

「ありがとうございます。それなら、途中で向こうへ行っても大丈夫ですね」

 

 東京は私の担当だが、太郎坊様の直轄地でもある。

 その東京を直接監督する相模様から、川の両側を調べる許可が出た。これで、縄張りのことで叱られる心配はない。

 天狗同士の争いは原則禁止。よその担当への無断干渉も御法度。うっかり境を越えて、仕事を増やしたくはなかった。

 

「前に東京を担当していた方も、こういうことをしてたんですか」

 

 相模様の指が、画面の上で止まった。

 

「こういうこと?」

「事件を調べたり、人を捜したり。私より、慣れてたんでしょうね」

 

 どうすればよかったのか、前の人のやり方が分かれば少しは助かる。

 それくらいのつもりで聞いた。

 

 相模様は湯呑みを持ち上げた。

 

「ひかりは、できることからやればいいのよ」

「はい。でも、前の方は――」

「困ったら私に連絡して。比べなくていいわ」

 

 優しい声だった。

 そのまま、画面が川辺の写真へ変わる。

 前の人の話は、それで終わってしまった。

 

 私は一度だけ先生を見た。先生はお茶を飲んでいた。

 聞き方が悪かったのだろうか。

 

「ここ、岸まで下りられるのよ」

 

 相模様の声に、写真へ目を戻す。

 草の生えた斜面と、その先の水面。これといっておかしなところは見つからない。

 

「何もいなかったら、どうしましょう」

「それも報告して。あなたが見て何もなかった場所と、まだ誰も見ていない場所では違うもの」

「……なるほど」

 

 それなら、無駄足になっても怒られずには済みそうだった。

 写真から、地図へ戻す。虎ノ門からは少し遠い。

 けれど、場所が決まって、見て帰ってくればいいと言われると、先ほどよりは引き受けやすくなっていた。

 

「分かりました。では、こちらを見てきますね」

「お願い。資料は送るわ」

 

 返事をしてから、由奈とのやり取りを開いた。

 お風呂に入れた、というメッセージの下に、短く返す。

 

『よかった。今日はゆっくり休んでね。また明日』

 

 会いに行くと約束していなくてよかった。

 そう思い直して、スマートフォンを鞄へしまった。

 

 横に置いた童子切を、両手で持ち上げる。

 鞘に収まった重みを確かめてから力を緩めると、刀の輪郭が薄れ、手の中から消えた。

 手入れの道具を片づけ、制服の袖口を留め直す。

 

「先生、お茶、ごちそうさまでした」

「気をつけて、ひかりさん」

「頼んだわよ、ひかり」

 

 相模様にも頭を下げ、鞄を肩へ掛けた。

 石段を下りると、車の音が近くなる。ガラス張りのビルに、制服姿の自分が映った。

 刀も翼も見えない。少し帰りの遅い、普通の女子高生だった。

 

 日比谷線の駅へ向かいながら、届いた資料を開く。

 画面いっぱいに表示された川の写真を閉じ、先に乗り換えを調べた。

 多摩川まで、どう行けばいいのか。

 今すぐ分かりそうなことから、片づけることにした。

 

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