「ねぇ、
「頼み?そよがか?」
小綺麗なカフェ……。
洋楽かと思われる曲が、レコードからは流れている。
そよらしくはないが、最近こういうお店が流行っている話も聞く。誰かからの紹介で教えて貰ったということだろうか。
「お願いがあるの、きっと有紀君なら出来ること」
「CRYCHICを取り戻して欲しいの」
「取り戻す?CRYCHICはもうないはずじゃないのか?」
机の下に手が隠れる。
明らかにいつもの動作をしている。小刻みに指先を鳴らして、自分のストレスを抑えようとしている。今のは……流石に失礼だった。だが、事実は事実。
「有紀君って本当に一言余計だよね、まるで愛音ちゃんと話してるみたい」
「その愛音っていうのが誰なのかは知らないが、悪かった」
「いい、どうせ有紀君は学習しないし。どうしても、許して欲しいなら祥ちゃんに話つけてくれる?」
響いていた洋楽が耳から消えて行く……。
言葉が詰まる。
ああ、そうか。
やっぱり、そよはCRYCHICを諦めてはいなかったのか。
そんな気はしていたんだ。最近、新しいバンドを始めた。
ようやく朗報が飛び込んできたと俺も正直嬉しかった。なのに、あいつは……。
『ねぇ、有紀君?私、バンド始めるんだけどどうかな?』
『新しいバンド、どうせ続かないだろうし』
『燈ちゃんや立希ちゃんだってきっとそう思ってるだろうし』
そよから聴こえていたのは……。
バンドを新しく始める人間とは想像できないほどの数々の言葉……。
「悪いが、できない」
「どうして?有紀君、祥ちゃんの家知ってるんでしょ?」
「そよのしていることは現実逃避だ、終わったものを戻すことはできない」
明らかに不快そうな目つきに変わる。
目を側めている。時計の針ばかり見つめて、俺の話を全く聞こうとしていない。
「ねぇ、有紀君。私感謝してるんだ」
「感謝、なにを?」
「有紀君が居てくれたから此処まで来れたこと。私が一人で寂しく、マンションに居ても。有紀君は私に構ってくれたでしょ?帰って欲しかったときも一人にしてくれなかった。CRYCHICのときも一緒に居てくれた」
「何が言いたいんだ?」
何を語りたいのか、まるで理解できず眉が下がってしまう。
なんだ、この探るような感じは?
「感謝してるって言いたいの。だから、有紀君なら助けてくれるよね?」
「いつもの有紀君なら」
それは脅しとも取れるものだ。
口元を抑えたくなる。口の中に含んでいたコーヒーが一気に苦みしか感じなくなる。
コクなど当にない。
机の上に手を置き、手を組むそよ。
訴えかけるような視線に俺は目を背けることすらできなかった。
「そよ、それは……」
喉から声が途切れてしまう。
これを言ってしまっていいのか?これを言えば、そよはどうなる。
答えは明白だ。
そよを傷つけることになる。
どうしてだ、どうしてこうなったんだ?
世の中には後悔先立たずというものがある。今の自分に相応しい状況。
そよとの関係は至って普通だったはず。
普通の友人同士だったはずなのに……。どうして、俺は膝を震わせてしまう。
コーヒーの味が何もかも判断できなくなってる。
いったい……。
いつからこうなってしまったんだ。
********
思い返してみれば、俺とそよの関係は小学生の頃からだった。
そよはいつも笑っていた。あれは、小学四年生の頃だ。
「ねぇ有紀君、明日ね。みんなで遊びに行くけどどうかな?」
「俺を誘っているのか?」
傷ついたランドセルを背負った俺に声を掛けてきたのはそよだった。
肩からランドセルが落ちそうだった。
誰に対しても、優しく声を掛けてくれる。俺が貧乏だろうとも、あいつは俺に手を差し伸べようとしてくれていた。
実際に、手を差し伸ばそうとしてくれていたわけじゃなかったのは俺が一番知っている。
話しかけてくれた、その事実が俺の扉をこじ開けるのには充分だったんだ。
何故なら、俺は家が貧乏だったからだ……。
小学三年の頃には、もう父親はいなかった。母親は俺には話してはくれなかったが、離婚していたんだろう。そんな話を親戚が居間でしていたいのを覚えてる。俺はそれをこっそり聴いていた。
いつの間にか、学校でも広まっていた。情報網というのは恐ろしい。
固定観念で哀れな目ばかり押し付けられたからこそ、俺は……。
「悪いが、俺はいけない」
「どうして?」
そよは何も理解していなかった。
自分が行けば、葬式みたいな空気感になることも遊びの話がつまらないことになるも……。
「用事があるんだ、悪いなそよ」
「そっか、じゃあまた今度ね有紀君」
「また今度……?」
ランドセルが肩から外れそうなほど……。
響いていたんだ、たった一つ誰も俺に目もくれなかった。声を傾けなかった。
あまりにも単純すぎる自分の浅ましさに自分なりに酷く滑稽に思えてしまうほど……。
長崎そよは本当にいい奴だった。
あの日までは……。
「ねぇ、そよちゃんのお母さんたちってリコンしたって本当?」
「リコンってなに?」
小学五年生のある夏の日……。
学校に着いてすぐ耳に入ってきたのは意味ありげな会話
リコン。もしかして、それは……。
「おかあさんとね、おとうさんが離れちゃうって奴でしょ?知ってるよ」
「じゃあ、そよちゃん捨てられちゃったんだ!」
「お、おい……!」
止めようとした矢先だった。
背後から死体のように冷たくなっていた何かを感じていた。
すぐに、それがそよだと気づくまでには時間は掛からなかった。
「え……?」
此処は田舎じゃない、都会だ。
だとしても、情報の出方など早いに決まっている。誰かが知っていれば、瞬く間に広まっていくのが情報というもの。止められるわけなどなかったんだ。手を伸ばしたところで、あいつの気持ちを払うことなど、できなかったのだ。
それでも、俺は諦めきれなかった。
教室から飛び出て、何処かに行こうとしているそよを放置することなんて出来ず手を差し伸べてしまった。
「そよ、大丈夫か?」
「有紀君……」
走り続けて、中庭にいるそよに声を掛けてしまう。
座り込んでいたそよに……。
「あいつらの言っていることは気にしなくていい。どうせみんなすぐ忘れる」
「どうしてそんな風に言うの?有紀君はお母さんたちがリコンしたとき、辛くなかったの?」
絶妙に冷たい風だけが、通り続けてしまう。
何度も、手を握り返しては開くことしか出来ずにいたが、俺は……。
「そよ、俺は確かに父さんはいない。母さん一人だ」
「そよの気持ちが分かるとは完全には言えないが、少なくとも俺はそよを友達だと思ってる」
「本当に……?」
「ああ、勿論だ。他の誰かが一人だと言おうが、俺はそよの味方だ」
味方、そう味方だったはずなんだ。
あの日までは……。
「有紀君、私バンド始めることになったんだ」
中学三年生のとき、そよはバンドを始める。
そう俺に語り出していたことを覚えている。
「気難しい人ばかりで大変だけど、これからは有紀君ばかりに頼らないから」
「寂しくなるな」
広々とした窓から俺は外を見上げる。
そよがこうして、広い家に住むと聞いたときかなり驚いてた。
そよの母親のことを気にしていたのもそうだが、こんな家にほとんど一人で住むことになって大丈夫だろうか?不安だったのだ。
最も、俺が言えたことではなかったが……。
「有紀君も冗談とか言えたんだ」
驚いたように、ティーカップの取っ手から手を離す。
「そんなに変なことを言っていたか?」
「ちょっと意外かなって」
「そうかもしれないが、俺も冗談は言うぞ」
「そうだったんだ、全然知らなかったかも。有紀君、全然自分のことを話してくれないから」
窓に触れようとする手が止まってしまう。
話したことなかったわけじゃない。俺は自分の話を出来れば、したくなどなかった。
自分の話をすれば、するほど自分が愚かだと知ってしまうから。
「楽しそうだな、そよ」
「ほら、話を逸らす」
ティーカップの口を付けて、紅茶を飲んで一呼吸するそよ。
彼女の動作を見てから、俺も同じことをする。
「別に構わないだろう?そよは今が楽しいなら、俺はそれ以上何かを言うことはしない」
「何処かに行ったりはしない?」
「こうして紅茶を飲んでいるじゃないか」
美味しいと一言を付け足せば、ありがとうとお礼を言ってくる。
母親が選んだ紅茶の茶葉。それでも、あいつは自分のことを褒められたように喜んでいた。俺とは大違いだ。
こんな日々が続いて行く。
信じていたかったのに、歯車が許してくれなかった。
「そよ、大丈夫か!?」
CRYCHICがライブを終えて、すぐそよと連絡がつかなくなっていた。
感想を送っても、あいつはろくに既読すらつけていなかった。
二週間ほど待ってみて。
月ノ森にも行ったが、学校に来てないと言われてしまった。どうにか、強行突破で友人に会いに来た。訳を話して、此処の住人に開けて貰ってオートロックを解除して家に来てみれば……。
鍵は開いていたんだ。
無用心極まりになかったが、それよりも俺の目に入ったのは……。
「有紀君、どうして来たの?」
今にも死にそうなそよの姿だった。
ソファーから立ち上がることもできず、幽霊のように髪がソファーの上から垂れ下がっている。足が動いて、そよの方に近づいていたのに気づいたのは後からになってからだった。
「どうしてって当たり前じゃないか、俺はそよの味方だ」
「私の味方、それって……傍に居てくれるってこと?」
「当たり前だ、言ったはずだ。小学生の頃、俺は絶対にお前から離れたりしない。バンドを始めたときだって言っ……そよ?」
自分の身体に何か違和感があった。
冷たい感覚が身体に感じれば、甘い匂いが広がる。
「そよ?」
間を空けてから、ようやく気づけた。
そよは俺に……抱きついたのだ。
「有紀君は絶対に離れないで」
「さっきも言っただろ、俺はお前から離れたりしない」
「うん、ありがとう。それと、一つだけお願い」
「なんだ?」
縋るそよの声を無視できず、反応してしまう。
「今はこうさせて欲しい」
泣きそうで、苦しそうなそよのことを無視することは俺には不可能だった。
ソファーに座り、抱きしめ返して俺は温もりを与えたかった。
一人じゃない、そう落ち着かせたかったのに。
今にしてみれば、あの行動ははっきりと言える……。
過ちの一つだと……。
何故なら、彼女はあれ以来。
「有紀君が望むなら、連絡くれれば家の扉開けておくから」
「いいのか?知らない人が来たら」
「守ってくれるんでしょ?有紀君なら」
頷いたが……。
明らかにあれは、破滅への片道切符だったのだ。
「高校入ったら、どうするの有紀君は?」
「高校?ああ、そうだったか。そよの学校はエスカレーター式だったか、俺の方は一人暮らししようと思ってる」
「お母さんと仲悪かったっけ?」
敢えて、あいつは再婚相手の父親の話はしてくれなかった。
気を遣ってくれたというより、同じ痛みを知ってるからこそだったんだろう。
「その……居心地が悪くてな。バイト始められる学校なら、自転車で宅配とかしてるバイトがあるだろう?ああいうのやろうかなって思っているんだ」
「バイト、いいんじゃない?私も高校入ったら、始めてみようかな」
「意外と似合うじゃないのか、そよは」
「凄く適当だね、有紀君」
そうか?と笑えば、そよも口元を隠しながら笑っていた。
穏やかな会話だったが、危険を孕んでいることも知っていたはずだったんだ。
「有紀君が一人暮らしするなら、家行ってもいい?偶には」
「まあ、偶になら構わない」
「っそ、じゃあ本当に偶に行くから」
俺の家に来ることは基本なかった。
無かったが、稀に俺の家に来て自分の呼吸を落ち着かせようとしていた。
そんなそよを覚えてるからこそ、普通に話せる彼女を知っているからこそ……。
ぼかしてしまったんだ。
何もかも……。
********
「ねえ、有紀君聴いてる?はいか、いいえで答えて欲しいの」
「どうかな?有紀君」
頭を手で覆いたくなる。
彼女をこうしてしまったのは、自分の責任だ。
何も手を施さず、野放しにしていたのも……。
『篠村さん、私のことはそよ達には絶対に話さないで欲しいですわ』
祥子には釘を刺されている。配達で祥子の家に来ることになるなんて想像もしてなかったが、彼女のことも裏切るわけにはいかない。
なら、俺が取れる方法は一つ。
「そよ、悪いがその相談には乗れない」
「どうして?有紀君はいつも私のことを助けてくれたでしょ?」
「それはそうだが……今のそよは冷静さを失っている。一旦、落ち着いて考え直すべきだ。だから、この話は一「もういい、有紀君のことを信じた私が馬鹿だった」」
椅子の引く音がする。
目の前のティーカップが揺れ動く。
「待て、そよ!!」
声を荒げようとしたが、もう……。
遅かった。
この店から消えていた。最後に聴こえていたのはあいつがこの店から出る前……。
「最後まで味方でいるって言ってくれたくせに……」
最早、洋楽など聴こえてなどいなかった。
残ったのは机を強く叩きつける反響と……。
愚かな自分だけ。