いつからだったのかは覚えてない。
いつから、有紀君が有紀君じゃなくなったのはあんまり覚えてない。髪型も知らないうちに男らしく、短くなってた。あのときですら、適当に流して終わりだった。あんまり答えたくなさそうだったのも覚えてる。
私の味方だって言ってくれてた。
信じてる有紀君だから、大丈夫。安心して、彼の前では自分を曝け出すことができてた。
『ねぇ、有紀君。偶には有紀君の悩みとか聞きたいな』
中学生の頃だった。
少し月ノ森の子達と会話を終えて、家に帰って来たあの日。
最初は有紀君だって、人間だから。
きっと辛いこととか、苦しいとかそういうのがあるんだろうなって考えてた。
いつもお世話になってるから、偶には有紀君の相談に乗ろうとしたけれど。自分の話はしてくれないけどこういうのならしてくれると思ってた。
『悩みか?』
『うん、いつもお世話になりっぱなしだから、有紀君のことも聞いてあげたかったの。ほら、髪の話すらしてくれなかったでしょ?中性的で私は有紀君に合ってたと思うけど』
話を聞こうとしながらも、ソファーの背もたれに寄りかかってた。有紀君も似たようなことをしてた。
『あれは答えたじゃないか?生憎だが、悩みはないぞ?』
『へぇ、有紀君って意外と悩みとか持ち越さないタイプなんだ』
『俺も人間だからな、無いわけではないが。昨日の悩みを次の日に持ち込んでも、次の日の精神状態に悪影響を与えるだけじゃないか?』
正解に近かった、有紀君の言ってることは凄く単純なこと。
ティーカップの中に入ってる紅茶が揺れ動いていた。
『すまない、また余計なことを言ってしまったな』
CRYCHICの名前こそ出なかったけれど、有紀君が触れてはいけないことに触れようとしていたことを気遣ってくれる。逆に、私は辛くなってしまって何も言葉を返すことができなかった。髪のことも結局、また有紀君は辛そうにしてただけだった。
有紀君は自分から悩みの話なんてしたことは一回もなかった。自分の話すらロクにしてくれない。
私が彼に甘えていたのは事実だと思う。
今日だって、いつもの有紀君ならCRYCHICのことを相談したら解決してくれるかもしれない。なにか助言してくれるかもしれない。期待を込めて、聞いてみたかった。
帰ってきたのは……。
『悪いがその相談には乗れない』
一言だけだった……。
********
このままでいいのだろうか。
このまま行けば、間違いなくそよの矛先は祥子や睦に向けられることに違いない。
祥子の家を知ってるかはともかくとして、あの祥子の家からして間違いなく真実に近い何かを知ってしまうこともあり得る。
『お父様、少しお待ちを……!!?』
俺が宅配のバイトを一件を受けて、少しボロめの和室のアパートにやって来たあの日。
あそこにいたのは……豊川祥子。
『あの頃以来ですわね、会うのは……』
ほんの僅かだが、中から和室のような物が目に入る。
僅かに見える景色から一つの瓶が気になり出せば、また次から次へと目に入り込んでくる。
何の冗談だ?
自分自身に問いかけたい言葉でもありながらも、祥子にも言いたかったこと。
だが、俺は聞き出そうとすらもしなかった。明らかに普通ではなかったからだ。
『宅配ご苦労様ですわ、篠村さん』
『ああ……』
玄関からして誰かと一緒に暮らしている。
靴の数を見れば、あからさまだったが口にはしなかった。
『篠村さん、私のことはそよ達には絶対に話さないで欲しいですわ』
『分かっている、他言無用だな?』
『ええ、お願いしますわ……』
異様な光景。
豊川家の人間があんなボロアパートに居たと言う事実もそうだったが……。
好奇心は猫を殺す。
そんな古くからの伝えが存在している。俺はまさしく、その日その夜。
祥子との一件だけではなく……。
そのボロアパートを出て、すぐスマホで調べてしまったのだ。
『これは……何故今まで気づなかったんだ!?』
弾丸で自分の心臓を貫くほどの衝撃が発生していた。
目に入ったのは……。
『豊川グループ、168億円もの損害発覚。その真相はいったい!?』
景色が何度も変わる。
時計の針が勝手に弄られたように、映る視界の色が定まらない。
『くそっ!』
胃液すら吐き出そうとする中で、俺は何度も似たような記事を調べては似たような記事があるということをあり、実際に起きた事件であるということを思い知らされる。
なによりも……。
『豊川グループの傘下である、豊川地所株式会社の社長の豊川清告』
鼻元を抑えたくなるほどの吐き気がする。
文字を見ただけではっきりと因果関係があると確信をもって言えた。あの断片的な闇の中にあった瓶は間違いなくその男、本人のものだったのだ……。
ああ、なんということだろうか。
あの日以来、誰にも言えないことを抱えることになってしまったのだ。
言ったところで、何も解決しない。余計拗らせるだけのものを……。
話せるわけがない、話したところでどうにもならないのだから。
「俺は……」
「どうすればいい」
自ら深入りをし、あいつを改めさせることすらできなかった。
現実ばかり並べて、納得してくれるのなら最初からこうなってなどなかった。現実は推理ドラマのような展開ばかり、待っていない。あるのは、後悔と懺悔まみれの地獄……。
だが、その地獄のなかでも俺は……。
「いいわけがない」
祥子のことも、睦に貰い事故が発生することもそうだが。
あのまま行けば、そよが傷つくこともあり得ること。なによりも、俺の身体を立ち上がらせていたのは……。
現状維持という固められたコンクリートのようなことばかりしている。
自分に嫌気が差していたことだ。
止められなかったのは俺。
何もそよに話せなかったのも俺。
今から、電話を一本入れたところで繋がるわけがない。
テーブルの上に転がってるスマホの画面は真っ暗ではあるが。
その中には何度もそよの連絡先に掛けた着信履歴だけが残されてある。
もう俺の電話に出ることすらないのかもしれないだろう。ならば、俺がするべきことは一つしかない。
「ねぇ、あそこにいるのって男子生徒だよね?」
「月ノ森で?誰か待ってるとか?」
「えー?彼氏待たせる人いるのー?」
こういう噂が立つからこそ、俺は月ノ森の校門前で待つことなど一回もしていなかった。
ああいう噂を立たせられるのは、そよもかなり嫌っていた。怒らせるようなことをしているのは理解しているが、今回ばかりはこれしかない。
月ノ森の生徒たちの声をあまり聞こえないふりをしながらも、待ち続ける。
妙に晴れた空ばかり気にしていると、薄めの緑髪の女子生徒が目の前を通り過ぎている。一瞬、こっちを見て「あっ」という顔をしていた。
睦だ……。
彼女は、俺の方を見て立ち止まろうとしていたが……。
「頑張って、有紀」
それだけ言い残して、彼女は俺の目の前を去って行く。
軽く頷けば、数秒も経たないうちに……あの喫茶店と同じような空気感を感じ取り、もうその時点で誰が来ているのか分かっていた。
「どの面下げて此処に立ってるの?有紀君」
「私いつも言ってたよね?月ノ森には来ないでって」
自分自身に対して小さく呟く。
「深呼吸をしろ」、と。そよの反応は当たり前だ。
「昨日の件、悪かったのは俺の方だ」
彼女の目を見つめて、俺ははっきりと口にする。
「そよが勇気を振り絞って、相談してくれたというのに俺はそれを無下にしてしまった」
「本当に申し訳なかった」
********
多分、有紀君は……。
このまま続けて、CRYCHICに対するお願いは聞くことはできないとかそういうことをまたいつも通り言う。有紀君は、そういう人だから容赦なく突き付けてくる。ただ、有紀君がそういう人じだけじゃないのは私は知っていたし……。
なによりも、有紀君の真剣な謝罪を見せられて私は自分の中で……。
『じゃあ、睦ちゃんや祥ちゃんを説得してきて』
なんて言えるわけもなかった。
私にとって有紀君は本当に……。
「好きにしたら?私はもう帰るから」
「本当、有紀君っていつもそうだよね」
「すまない、そよ……」
「いい、それが有紀君だから」
肩に掛けていたバッグを掛け直す。
肩に重みが伸し掛かったのを感じながらも、有紀君に顔を上げさせる。
そして、何処か悲しそうな彼の顔を見て私はやっぱり「嫌い」なんて言えなかった。
『他の誰かが一人だと言おうが、俺はそよの味方だ』
『さっきも言っただろ、俺はお前から離れたりしない』
助けてくれた存在だから……。
彼が居なかったら、私は呼吸すら出来ていないから。
有紀君と違って、昨日はごめんね。
なんて言えなかったけれど……。
「明後日のライブ見に来るんでしょ?」
「当たり前じゃないか、そよの晴れ舞台だ。見に行かないわけないだろう?」
「大袈裟じゃない有紀君?じゃあ……」
「またね」