『じゃあ……
安心してしまっている自分がいる。
情けないことに、そよにまたねと言われたことにホッとしてしまう。
『少し買い物する?』
『いいのか?』
『うん、償いさせてあげる。私もちょっと……』
『大人げなかったから』
言うまでもなかった。
俺の答えなど、『了承』以外あり得なかったのだ。
例え、最後の発言がなくてもそよは向き合おうとしてくれていた。
『こっちとこの服どっちがいい?』
『何故、俺に聞く?』
『幼馴染なんだし、よく見てるでしょ?』
服を選んだ。
荷物持ちをさせられたり……。
『最近、クラスの間でドラマが流行ってるみたいでね、私ああいうのあんまり好きじゃないの』
『どういうドラマなんだ?』
小休憩で一緒にアイスを食べながら、軽く話をしたり……。
『あんまり言いたくないかな、有紀君失礼なこと言いそうだし。今だってしたでしょ?』
『なら、勝手に調べるが構わないか?おお、これはとても興味深そうだ』
『私のこと放置して勝手に盛り上がらないでくれる?』
食べていたカップアイスのスプーンを少し止めながらも、注意してくるそよ。
『今日はありがとうね』
『ああ、また買い物でもするか?』
『そうだね、
どうしても、そよのまたという言葉に反応してしまう。
肩が上に動いたような感覚ばかり覚えてしまう。自分のことを情けない男だと十字架に突きつけたくなる。
幼馴染だからということもあるだろう。
だが、それ以上心の何処かでこんな俺を認めてくれてる。
そよとの買い物が俺を強くそう意識させてくれていたのだ……。
意識。
懐かしい言葉だ。随分前に、似たようなことを……。
『恥ずかしがることはない、燈ならきっとできるはずだ』
燈にも言ったことがある。
燈のノートは読んでいるだけで、燈自身の心であり俺はあのノートが好きだ。
まさか、こんな形で自分に返って来るとは……。
********
白い息が見えない。
目の前に広がるのは何もないもの……。
バンド……。
また始めるなんて考えたこともなかった。
またダメになる、もうやりたくない。
バンドという言葉すら聞くのが嫌だった。
自分だけが取り残されていく、世界から外されていく。そんなことばかり気にするしかできなかった。僕はこのまま、息を吸うことすら出来なくなるんだろうか。窒息死すらしてしまうほどの空間の中で目の前にいたのは……。
燦燦と輝く太陽の輝きだった……。
違う、僕とは全然違う。
前向きでみんなが頼りにしてる。
『ライブやったら、ダメになる……』
『え?』
最初は不安だった……。
『またダメにならないように頑張ればよくない?一回ダメになっても、やり直せるって思わないと』
扉の隙間ほど考えたこともなかった。
転んでも立ち上がってもいい。痛くても、立っていいなんてことは……。
『え?一生……?』
一生という言葉を使ったとき、困惑していた。
重たさという言葉の雨が降り注げば、誰もが受け入れて来るとは限らない。
そこに悪意がなくても、抱えきれるとは違う……から。
逃げ出してしまった。
僕は逃げ出してしまう。やっぱり、バンドをするなんてことは僕にはできない。
袋小路の世界で僕は生きることしかできない。牢の向こう側から微かに照らす光を希望だと信じることすらできなかった僕は、息を吸うことすら難しかった。
それでも……。
それでも、僕は求めていた光を。
矛盾している。
導かれてしまったのかもしれない。僕はただ共鳴する音を欲しかった。
『一緒にやってみよ?今度はちゃんと話し合えば、上手く行くはずだよ』
『誓う、燈となら一生バンドやるって』
僕の世界は此処から変わっていたのかもしれない……。
『よかったー燈ちゃん、私のこと忘れてると思ってたー』
『言っておくけど、燈が主役だから』
『えー?』
愛音ちゃんと立希ちゃんの会話が聞こえて……。
僕はそう実感する。
********
ノートに日時、曜日を書き終わって、現実に戻ってきたことを思い出す。
明後日はライブ……。
ライブをしたら、バンドが壊れる。いつもそう思ってた。
不安でいっぱいで仕方なかった。
今度は……大丈夫。
立希ちゃんも、そよちゃんもいる。愛音ちゃんも楽奈ちゃん。
祥ちゃんや睦ちゃんがいないのは寂しいけれど、みんなとなら乗り越えることが……できるのかな。
綴られているノートをぼやけた目で見つめてしまう。
「燈?」
「有紀……君?」
夜風の音がしていたなかで……。
後ろに立っていたのは有紀君。
「こんな時間に公園に居ては風邪を引くぞ?いや、俺が言えたことではないな……」
スマホを確認すればもう20時だった……。
もうこんな時間だったんだ。
「有紀君は?」
「俺か?そよとの買い物を終えた後、少しばかり映画鑑賞をしに行っていてな……」
「そう……なんだ」
手で持っている茶色の紙袋を見せてくれる。
そよちゃんとは今も仲良くしてくれてるんだ。嬉しい。
「風強くなってきたな」
「ほ、ほんとだね……」
変わらない姿があってホッとする。
ホッとすると同時に、ベンチの冷たさばかり気になってしまう。
「あ、その……えっとね」
「どうした?」
会話が……思いつかない。
いつも褒めてくれたり、凄く感情を見せてくれて隣に居てくれるのは安心する。
風の音や虫の声ばかり気になってしまってしまう。
「ううん、なんでも……ないよ?」
ドラマの話はよく分からない、見てない……から。
音楽も分からない、テレビの話題も……。なにを話せばいいんだろうか。
有紀君は自分らしくあればいいと言ってくれたけれど……。
久しぶりだね……は違う。
最初に会ったのはそよちゃんと話しているときにみんなで会ってしまったのが出会い。
そこから、有紀君とも話すようになってた。そよちゃんの視線が気に……なることもあったけど。……CRYCHICが消えてしまってから、会う機会も少なくなってた。
私が落ち込んでいるとき、大切なことを教えてくれた。
ノートに必死に色々なことを書いているところを見られて、隠そうとしていたことを笑わなかった。
自分の想いを誤魔化さなくてもいい。寧ろ、従っていいとまで教えてくれた。
有紀君みたいに自分の想いを直接口にすることはできないよ?と言ったこともあったけれど、有紀君は……。
『持ち味を活かせばいい、発することが出来なくても文字としてそれを伝えることが出来るなら自分というものを知ることが出来る。つまり、それは己を知るということ』
『己を知れば、知識も増える。見える景色も増える。そこに渦巻く欲望も時には残酷に見えるだろうが、認知は自分を強く意識させてくれるものだ。恥ずかしがることはない、燈ならきっとできるはずだ』
凄く難しいことだった。
理解できないわけじゃなかった。理解できるからこそ、疑問があった。
本当にいいのかな?って……。
雨上がりに残る窓ガラスの水滴のことを気にしているかのようだった。
有紀君はいつも読んでくれて感想を言ってくれた。
今日も有紀君はあのときみたいにいつも誇らしげで笑ってくれていた。ノートが目に入ってくれてたの……かも。
ノート……。
そうだ、伝えたい事が一つだけある。
話したいこと……あった。
「あっ、……そ、その有紀君!!」
声が裏返ってしまう。
「燈?」
首を傾げている有紀君に怯むことなく、続けたかった。
どうしても話しておきたいことだから。
「教えてくれたこと、今も続けてるよ!?」
「消さないでちゃんと言葉に……してるよ」
「目に見えたら、自分がこう思ってたんだって強く思えるから。戸惑うこともあったり、躊躇うこともあって大変……。新しいバンドのことも、怖いことがいっぱいだけれど頑張ってるよ?なによりも、有紀君が教えてくれたことは大事だと思うから」
「今、こうして話してるのもちゃんとやってるよって言いたかったの」
続けて行けば、いつかはこうだったと懐かしく思える日が来るのかも。
淡いもので、儚いもの。希望というのには、あまりにも弱々しい。
弱々しくても……自分がこういうものだって好きだと言えるから。
大事だって言えるのは……。
綴り続けていることの証明にもなっているから。
今はこうしてノートを強く握りしめることしかできない。小さな証明だとしても……。
「俺が教えたのはあくまでも、燈の本質を見失わなくていい。自分の持ち味を活かせばいいと話しただけのことさ。ちゃんと実行したのは、燈の方だろう?俺はお前のように強くはなれない。今日もそよを怒らせてばかりだった」
「そ、そうかな?有紀君にもいいところがあると思うよ?ちゃんと向き合って聞いてくれてるから」
「そうだろう……か?」
意外だったのか、手から紙袋が消えていた。
落下していた紙袋を拾って渡すと、謝罪をしてから受け取ってくれる。
その紙袋を、ベンチの脇に置いたのを見てからそよちゃんとのことを聞いてみることにする。
「そよちゃんと何かあったの?」
空白が続く。
長い長い空白が……。まるで、二人の間に透明な仕切りが出来たみたいだった。
もしかしたら……聞いちゃまずいことだったのかも。
急いで謝りたくなってしまう。
「ご、ごめん」
「やっぱり……二人だけのことだっ「「いや、あいつを怒らせてしまったのは本当のことだ。あいつは許してはくれていたが、あいつに甘えてしまっている。燈が謝る必要はない」」
言葉を遮って来たのは他でもない有紀君の方……だった。
申し訳なさそうに、声を漏らす。話をさせてしまった……。
「ううん、そよちゃんはきっと有紀君だから許してくれたんだと思う……よ?昔からの幼馴染だから、きっと……。仲直りすることって難しい……から」
祥ちゃんや睦ちゃんとの溝だけじゃない。
立希ちゃん達とも壁ができて、暫く話せていなかったのも事実だから。有紀君越しにしかそよちゃんのことは聞けなかった……から。
「確かに燈の言う通りだな、だが俺は少なくとも信じたいんだ」
「信じたい?」
「気づいたことがあったんだ、俺があいつをどれだけ傷つけても、そよはまたねと言ってくれた。信じるということは、脆い言葉なのかもしれない。相手のことを都合よく考えているのかもしれない。仮にそうだとしても、俺はまたねと言ってくれたそよに対してこれ以上に甘え続けることはできない。例え、そよのことを傷つけたとしても、俺は……」
「そよと向き合うことを選びたい」
拳には力が入っていた。
有紀君に居る場所だけ、照明の光が掛かっているように見えてた。
多分、それは有紀君がちゃんとしようとしてるから……。
やっぱり、ちゃんとしたものがあるんだ。
ちゃんと意識するとか、認知とかそういうことを考えて……る。
間違っても、愛音ちゃんみたいに進もうとしてる。
「とは言ったものの、今日あいつが話していたドラマに影響されただけに過ぎないんだ。愚かだな、俺は」
「ドラマ……?」
座り直した有紀君が、頬を掻きながらも言う。
「ああ、実は最近、テレビで心理的なものを扱うドラマをあいつが見ていると言ってな。一応、俺も気になってそのドラマの記事とか色々調べてみて、興味深いことがあったんだ」
「なんでも、心理学の監修をしていた先生の話曰く認知というものは自分というものを強く意識させる反応があるらしい」
「但し、それは認知すれば自ずと自分が変わるというわけでもなく、自分に向けている注意や自分に向けている評価を自分の中で変わるということがあり得るらしい。考えてもみれば、確かにそうだ。ある俳優がどれだけ伝記映画のその人物になったところで、その人物ではない」
「だが、なりきるということは可能なんだ。その人物を知れば、知るほど。俺はそれを知ったとき……すまない少し一人で喋り過ぎたな。これではそよに学習していないと言われて当然だな」
「俺としたことがあまりにもらしくないことをしていたようだな……」
少し首を傾げてしまう。
どういうこと……だろう?
「あまり自分の話をしないように心掛けているつもりでな、俺の話はつまらないだろう?」
不思議そうにしてたことに気づいたのか、答えてくれた。
ちょっとだけまた首が傾げてしまう。
「そんなことない……よ?さっきの有紀君楽しそうだったよ?」
声が微かに聞こえてくる。
多分、「楽しい、か……」と噛み締めるような言い方をしていたような気が……する。
有紀君でもこんなふうに自分の感情を疑うようなことあるんだ。知らなかった。
知らなかったけど、有紀君ならもしかしたら……。
理解してくれるかもしれない。
バッグから箱を取り出せば、不意に心の内側の扉が開きそうになってた気がする。
「有紀君、見せたいものがあるんだ」
なによりも、信じてみたかった。
好きなことを熱弁してるからこそ自分に似ている……かもって。
「見せたいものか?」
「……絆創膏」
開いたのは心の内側だけじゃない。
箱の扉さえ開くのは簡単だった。もっと、もっと大変なものだったと信じていたはずなのに。
……思い込みだったのかな。
「顔の模様にピンク色が多いのがフンボルトペンギンでね。こっちのピンク色の薄いのがガラパゴスペンギンなんだ」
箱の中から取り出した絆創膏を二つ見せる。
視線を感じていて、額には汗が流れてしまう。
「違いがあまり分からないが、なるほど。確かによく見れば、線の色が薄い方はガラパゴスペンギンだと分かる」
「興味深いな、ペンギンという生き物は空を飛ぶこともあるらしいが、あれは実際に飛んでいるわけではないと聞く」
「えっと、旭山動物園の……話?」
「知っているのか燈!?」
勢いよく、顔を覗き込んできて一歩下がってしまう。
一緒の話題ができて楽しいけれど、熱意がすごくてどう返せばいいのか分からなくて頷くことしかできなかった。
「ああいう視覚的なもので、幻想的な場所を演出し、水槽と言う閉鎖的なものを下から見上げることで実際に飛んでいるかのように見せてくれる。人間が作り出したものとペンギンの特性を活かすというのは実に素晴らしいものだ……実際にあの場所を見て触れ合いたいと願ってしまう。燈、今度の日曜──」
「すまん、流石に急すぎたな」
頭を下げて来る有紀君……。
「動物園……」
ちょっとだけ行ってみた……かった。
池袋にある水族館以外あまり行ったことが……ない。
他のペンギンたちも気に……なるから。
なによりも、もう少し話をしたかった……な。ペンギンのことで……。
夜も遅いし、あまり熱中し過ぎるのもよくない……かな。
「燈、もっとペンギンの話を聞かせてくれ。お前の知っている範囲内でいい」
「え?え?い、いいの……?」
耳を疑ってしまう自分の耳を……。
気のせい……だよね?
「当たり前じゃないか、俺はペンギンというものに俄然興味が湧いて来た。さっきみたいに熱くならなることはないように気を付けよう。もし、熱くなったときはお前が言って欲しい」
して欲しいって言ってくれた。そう……なんだ。
してもいいんだ。自分の好きな話をそうだよね……。笑っても、不思議そうな顔もしてない。
だから、こんなにも……。
「う、うん……!!ま、待ってね……!!」
風が心地いいのかな……。
自信、自分にもあるとは思えない。
自分のことを誰かに明かすことも、バンドをすることもまだまだたくさん言えないこともあるけれど……。
明後日のライブ、ちゃんと向き合わなくちゃ……。
有紀君もそよちゃんと向き合うって言ってた。私も……。
向き合わないと……。