自分の言葉で語るため……。
今更、有紀君が何を語ろうとも私は有紀君みたいに変わることはできない。
『CRYCHICはもうないんですのよ』
睦ちゃんから教えて貰って、お屋敷に行ったあの日。
心臓を突き刺しそうなほど残酷なまでに響いた祥ちゃんの発言。
頭がどうにかなりそうだった。終わってなかったと信じたかったCRYCHICはもう私の目の前に存在してない。残されたのはCRYCHICが解体されて、看板すら残されてない現状を受け入れたくなかった。
「紅茶、か……」
軽い音が響いた。
目を動かせば、有紀君がテーブルの上に置かれてあったティーカップを自分の口元に動かしてたと理解する。
「そよ、俺は実はダージリンが苦手なんだ」
「飲んだときに感じる苦み、自分の口の中に紅茶を満たせば、満たすほど喉が拒絶しそうになる。俺はどちらかと言うと、アッサムの方が好きなのだろう。あれは、甘味を感じ……いや、そうではないな。そよ、俺は……」
「紅茶が苦手なんだ」
有紀君の耳が目に入った次の瞬間、私は有紀君の顔をはっきりと見つめてしまう。
大してくだらない話をしているから、聞くつもりなんてなかったのに耳を傾けたくなってしまってた。どうしてなのかなんて自分がよく知ってる。
「そよに合わせるため、苦手を克服しようとしていたんだがどうにもコーヒーの方が好みなんだ」
「……今関係あるの?それ?」
「言っただろ、俺は自分の言葉で語る為に来たと」
やっぱり……。
やっぱり、そういうことだったんだ。なにを語るためなのか。
有紀君が紅茶の話をし始めた時点で、珍しく自分の話をしようとしてくれている。
ダージリンがどうのとか、話をされた時点でもう理解しているつもりだった。不思議な気分、こうして彼の口から自分の話をされて、怒るどころか少し安心してしまっている自分がいる。
気づけば……。
「少し待って」
ソファーから立ち上がっていた。
重たく乗っていたと錯覚していたはずのプランケットが軽々と自分の身体から抜け落ちて行く。洋服を着たまま寝ていたのなんてあまりにも滑稽だけれど、どうしてもこの落ち着かない心のまま、やりたいことがあった。
「はい、コーヒー」
テーブルの上に別のティーカップを置く。
湯気が出て、香り立つものを置けば自然と有紀君の手元、既に置かれてあったティーカップ。
「ちゃんと飲んでくれたんだ?嫌いって言ってたのに」
「ダメだったか?」
「ううん、別に……」
首を横に振りつつも返事を返す。苦手なのに、飲んでくれてありがとう。
甘やかしたような言い方はできなかったけど、苦手でも飲んでくれたことはかなり嬉しかった。さっき、ちょっとだけ咽ていたのも一気飲みしようとしていたからなの……かも。
飲み切られたティーカップの取っ手を持ちあげる。
それから、私は……それをキッチンの方へと持って行くことにした。
微妙に浮足立ってることは……有紀君にはバレないように。
「そよ」
一旦、ティーカップを洗い終えると。
見計らったように、声をかけて来る。
「なに、有紀君?」
もう普通に、言葉を返してた。
「俺は……燈の歌声が好きだ。あいつの歌声は、確かにお前の言う通り聴いていて自分達に都合のいい言葉ばかり並べているわけではない。寧ろ、聴いていると自分の本当の輪郭を知ってしまうような気すらしてしまう、悟られてるような気がしてしまう」
「変な言い方になるが、俺も燈の歌声は自分にとって、自分のことで知らなくてもいいことを知らされてるような感覚があった。まるで、自分の認識を改めて自分に問われているみたいだった。だが、それでも俺は数日前、あのライブハウスで燈の叫びを聞いて思い知らされた」
「人間というものはどうやっても、自分という存在から逃げることはできない。自分の弱さを受け入れて進むか、もしくは……それを武器にして活用するしかない。俺は燈の歌声が好きだ、あいつの叫びが好きだ。お前が、なんと言おうとも
「春日影が好きだ」
聞きたくもない数々の言葉を耳に受け入れることになっているのは私の方……。
話半分で聞けばいい、帰ってと言えば全てがもう終わるはず。自分でどうすればいいのかなんて断言できるくせして、彼の話してることをあの涙から理解してた。
「知ってる、有紀君が燈ちゃんの歌声が好きだったのも……」
「今のバンドの春日影が好きなのも」
知ってるからこそ、私は受け入れたくなかった。
どうして、あのとき有紀君が泣いていたのかなんて今までの有紀君を見ていれば、なんとなく。
「有紀君、燈ちゃんの話をしたとき絶対に悪く言うようなことしなかったでしょ?昔みたいに、私に合わせるか濁すようなことばかり。合わせてるだけなんだろうなって面倒くさいこと考えたときだってあった」
納得したくなかった。
有紀君がCRYCHICよりも、今のバンドが好きだなんてこと。
どうにかして、私が望むならと頷かせたかった。もうCRYCHICは戻らない。あそこはもう私の居場所じゃなくなってしまった。呼吸できる場所じゃない。
有紀君や燈ちゃんのように、前を向いて歩くことなんて……絶対できない。
これからも、CRYCHICという残影を後ろに張り付いて来る。きっと。
「私は……変われないから。弱点を都合よく使うことも、受け入れるなんてそれは前があるって知ってるからでしょ?」
「いや、俺も前があるということは知らない。その場所は舗装されてなどない、未舗装の場所かもしれない。砂利道だらけ、岩場を乗り越える日々になるかもしれない。どう足掻いたって、未来は俺達の思い通りにはなってくれない」
「やめて、そうやって現実を突き付けて来るの……」
燈ちゃんだけじゃない。
あのノートを読んだときの感覚だけじゃない。目の前にいる有紀君だって、私が私じゃないと言いたそうだった。いつも見ているのは……。
「一ノ瀬そよとして見るのはもうやめて」
「そうだな、今のお前は長崎そよだ」
「ふざけてるの?有紀君言ってたよね、一ノ瀬そよとしての自分を許してやったらどうだって。私はその苗字すら聞きた「今出したのはお前の方じゃないのか?」」
詰まってしまう。
有紀君の言ってることは飛躍でしかない。
誘導させて言わせた。こじつけることなんてできる。
口が開けない……。
答えはもう自分の中に……存在してしまっているから。
「俺はお前に自分の弱点を武器にしろ、受け入れればいいなどという気はない。誰に対しても、何かを言うのであればそれはいつだって自分で決めるしかない。お前が新しいバンドをやるのも、バンドという枠組みをもう放棄して自分の道を切り開くというのなら一つの手だろう」
「なら、どうして放置してくれないの?これも私の道でしょ?」
「そうだな、そよがソファーで一生寝ていようが選ぶのはそよ自身だ。だとしても、俺はそよに言ったはずだ」
「俺はそよの味方でいる、と。どれだけ、傷つけようともどれだけお前に帰って欲しいと嘆かれようとも、俺はそよの味方だ。どんなにも一人で居ようが、俺はそよを一人にしたくなどない。俺の罪滅ぼしのためでもあるが、今まさに……」
「苦しそうなお前を放置できないからだ」
指先に力が入らない。
音を立てるだけの力が入らなかった。指先は組んでるはずなのに、気を紛らわせることができない。だって、有紀君は……ちゃんと味方の中身を教えてくれた。いつも、空っぽでどんな意味で使われてるのかも分からなかったことを……。
ちゃんと口にしてくれてる。
泣きそうな声すら出てしまいそうになって、抑えるのがやっとで……。
私はこうちょっとだけ意地悪して聞きたくなってしまう。
「じゃあ、抱いてって言ったら抱いてくれるわけ?」
空白が続く。
無言が続く。重いからじゃない。
有紀君は……自分の鼻元を何度も擦って、瞬きしている。
「有紀君もちゃんと男の子なんだね」
「よしてくれ、そよはその……女性として魅力的なのは事実だが。変な意味ではなく」
「はいはい……そういうことにしといてあげる」
いやらしい目で……。
というより、彼は明らかに私を意識していることがあったんだ。
「変なことしないでよね、有紀君」
「なんのことだ?」
「お母さんに家の鍵まで借りて入って来たんでしょ?合鍵とか作って毎日来そうだなって」
「来ていたのはお前の方じゃないのか?」
お前……。
知らない間に、そう呼んでくれてる。
本人が無意識でやってるのかは知らないけど、少なくとも昔の関係よりも……。
「そうだっけ?有紀君の幼馴染だし、当然じゃない?」
「辛そうにしてる有紀君を慰めてあげたのだって私の方でしょ?」
今の関係の方がずっと好きだから。
こうして、溜め息をついてちょっとだけ膝上で手を擦らせている有紀君を見て、ちょっとだけ優越感に浸ってる自分が異常だとは思うけど、決して悪いものじゃない。
「バンド戻るとは言ってないからね?」
「それはあいつらで決めることだろう?」
「冷たいんだね、有紀君」
「はぁ……もう勘弁してくれないか?」
首元に手を置きながらも、ちょっとめんどくさそうにしている有紀君。
ティーカップの取っ手から手を離せば、小さい音がする。その余韻に浸りつつも……。
「じゃあ……私の勝ちってことでいい?」
「いつから競っていたんだ?」
「ずっと前からじゃない?」