「で、有紀君。どうして髪変えたの?」
リラックするために、ソファーの背もたれに寄っかかる。
今まで、有紀君が自分のことを話そうともしなかった理由はなんとなくわかる。
「どうしても言わないと駄目なのか?」
髪を掻きながらも、少しめんどくさそうに彼は声を出す。
「言いたくないなら、いいけど?ただ言わないなら、有紀君は私に何も喋ってくれないんだ?って逆戻りするだけ」
困ってるのか、嫌なのかどっちなんだろう。
些細なことなのに、と付け足して更に言えば暫くの間長い沈黙を続くことを覚悟していた。
「中学の頃、まだ母親と住んでいただろ?」
返されるとは思っていなくて、反応するまでに時間がかかる。
少し遅れて軽く頷く。
「そのときに言われてな、髪を切った方がいいと」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ。信用できないか?」
そんなふうな言い方をされると、こっちが困る。
また……濁されたなんて思ってもないけど。どうして微妙に違和感が拭えないんだろう。
背中に残る、柔らかさが消える。
ソファーから離れて行った私の身体は有紀君の語り口からしてなのか。それとも、本当に教えたくないのかどちらかでしかないと思えた。とはいえ……。
「有紀君が隠し事していたとしても、していなくても」
「有紀君が結構男の子なのは知れたし、意外とそういうの弱いんだね」
鼻元を抑えてる。
変な感じはする。彼がこうして図星のような行動を不意に見せてくれるのは……。
今までそんなことがなかったからこそ。ちょっといじめたくなるなんて変な想いすら芽生えてる。重症かな、流石に。
「そういう話をするなら、帰ってもいいか?」
「一人にするの?」
「……そういう意味ではなくてだな」
本当はまだ話していたいなんて言えるわけがない。
自分の気持ちに正直になりたくないって考えもあれば、私自身彼に甘えたくないという想いもあったからこそ自重したいという想いもある。凄く面倒な感情。
「また来てくれる?」
「当たり前じゃないか」
微妙に身体が揺れてしまう。
こんな些細な言葉程度で自分が救われてしまっている。
有紀君に甘えてるだけと気づいてるのに、こんなふうなことを考えてしまうなんて情けなくて仕方ない。これでいいと思えてしまえている自分がいるのも……。
背中を見送りつつも、何処か細くなった目で彼のことを見つめてしまう。
「やっと、一人になれたかな」
私の領域に容赦なく入り込んで来て、陽だまりを与えてくれる彼が家を出た。
どうせ、また明日とかも来るんだろうけど……。少しだけ今は一人の時間になりたかった。
「あれ……?」
有紀君、そういえば家どうやって入って来たんだろうか。
家の鍵を開けて入って来たはず。なら、お母さんと会って……。
「嘘でしょ?……家の鍵持って帰ってるし」
テーブルの上に置いてあったと思われる鍵がない。
また、来るつもりなんだろうか。
「お母さんの鍵だから返して欲しかったんだけど……」
テーブルの上に置かれてあるスマホを掴んで、連絡を入れようとしたとき。
家の扉が開いた。お母さんが帰って来た?いつもより早いような……。
「うわぁ、そよさんの家広っ……」
凄い耳障りな声。
今有紀君と同等なぐらい会いたくなかった。
どうして、家に入って来れたのかなんて説明がつく。
後で覚えておいてね、有紀君。
********
えー、そよさんの家ってこんなに広いんだ。
お嬢様学校通ってるぐらいだし、こんな感じだろうなって印象はあったけど。
こんな家を一人で使えるなんてちょっと羨ましいかも。
「何しに来たの?」
ソファーに寄りかかりながらも、私の方すら見ようとしてない。
言葉だけが重くのしかかりそうだけど、ソファーの方へと一歩ずつ歩き出す。
此処で逃げたら、また同じ。
『留学!?千早すごっ!?』
『きっと将来は私達の中で千早が一番有名人になるんだろうな!ねぇ、サインしてよ!!』
中学の頃、少し英語が出来て周りから褒められることも多かった。
それなりには……やっていける。そう確信があって、いざイギリス留学してみれば。
実感してしまった。
実際に英語ができるのと、本場で話すのは違う。
周りはきっとできない私に気を遣ったりしてくれてかもしれない。
だけど、私は……できない自分が酷く嫌だった。だから、イギリス留学から逃げてまた日本に戻って来た。わざわざ、誰も進学してなかった羽丘までに進学してようやく第二の人生を歩めるって信じたかった。
そうだ、此処で逃げたら留学から逃げ出した頃の私と何も違わない。
「そよさんと話をしに来た」
ソファーに座ってるそよさんの前に向かい合ったまま、立つ。
目を合わせようとすらしてくれない。どんよりとした空気の中で、居心地の悪さを感じても私は逃げることは絶対にしたくなかった。
「さっき似たようなこと言ってた人いたっけ……。家どうやって入ったの?」
家……。
ああ、えっとこれって説明した方がいい……のかな。どう話せばいいのか、正直あんまり……。
「有紀君から、でしょ?鍵」
「そよさんの彼氏から借りたって言うか……」
「彼氏?有紀君が?」
一瞬だけ、そよさんの表情が変わったように見えた。
彼氏と言われたことが嬉しかったのかようにも見えた……ような。
「はぁ……愛音ちゃんにあれこれ説明していたら一々突っかかって来そうだから説明しないけど。バンドなら戻る気ないけど、聞いてないの?立希ちゃんから」
私がバンドに入れることを許可なんてそよさんは一度もしてない。
それどころか、りっきーが言ってた。
『全部CRYCHICを復活させるためにやってたんだよ』
バンドで私が必要だったのは……CRYCHICを組むため。
多分、私が居たら燈ちゃんは納得してくれるから。だから、引き込んだ。
妙な納得感があった。
ああ、そういうことだったんだって……。
思い出してみれば、そよさんはバンドのメンバーとして私のことや、楽奈ちゃんのことを意識して呼んだことすらなかった。そこにいるから、いる扱いだけはしてるみたいなそんな辻褄が合ってしまった。
『燈ちゃんは、そよさんとCRYCHICやりなよ』
燈ちゃんのためじゃない。
自分の居場所は此処には存在しなかった。バンドをやれば、目立つ。
周りから見たら浅はかな考えだったとしても、私は……。
『愛音ちゃん、いるよ。ギター弾いて……!』
本当にやりたかった訳じゃない。
見栄だ、見栄でしかなかった。私がバンドを始めた理由なんてそれだけだった。
そよさんのことで納得したのと同じで、留学に失敗してその傷を縫い合わせることが出来るなんて考えていたのかもしれない。気分だけはずっと……。
『燈ちゃんのせいだよ』
迷子だったんだ、私も……。
燈ちゃんに……。
『一緒に迷子になろ』
って言われたとき、曇り空を見上げることしかできなかった。
燈ちゃんに声をかけてバンドを始めたのも、私。燈ちゃんの心の中に入り込んでやろうと誘うとしたのも私。バンドでライブをやれたのも私。
だけど……。
迷子でいようと言ってくれたのは他でもない燈ちゃんだった。
人生の迷子だったなのに、感化されて来てしまってる。託されたさっきの有紀君という男の子からも。
そよさんを導けるとしたら、バンドのメンバーでしかないって。
目をはっきりと開ければ、弱々しく膝元に手を置いているそよさんのことがはっきりと目に入る。
「聞いた、聞いたから此処に来た」
「自信満々だけど、愛音ちゃん何かしてたっけ?」
「楽奈ちゃんのギターを聴いて、焦ってたのは本当のこと」
ギター、ギターできるからバンドやれるじゃん。
練習なんてそれなりに適当にこれからやって行けばいい。楽奈ちゃんが入って来るまでは、言い聞かせることができた。
楽奈ちゃんの音を聴いたとき、目が大きく開いてしまった。
音楽なんて聞き専ばかりの私でも理解できた。
あんなにも、自分勝手なのに楽しそうにちゃんと弾けてる。アマチュアなんかじゃない、あのレベルを目の前で聴かされたからこそこのままじゃ、やばいとすら思っていたのも本当のこと。
「随分とお利口さんになったんだね」
「そよさんこそ、意外と意地悪いし結構人間らしいよね」
「……は?」
皮肉を皮肉で返す。
目の前に置かれてある飲み切ったティーカップが目に入る。
「共感するつもりで来たなら、帰って欲しいんだけど?バンドなら戻る気はないから」
「共感なんてしてるわけないじゃん、そよさんも燈ちゃんもずっとずっと迷子でしかない。それにさ、そよさん……私達が始めたバンドじゃん?」
「私達が始めたバンド?愛音ちゃんが勝手に始めたバンドでしょ?燈ちゃんを引き込んだ」
CRYCHICがあるのにとでも言いたそうにしているそよさん。
そよさんにとって、CRYCHICがどれだけ大事なのかなんて私には分からない。
学生時代のバンドが結構思い出に残るぐらいのことしか知らないから。
それでも、私ははっきりと言いたい。
「了承してくれたのはそよさんの方もでしょ?そこから、私達のバンドが始まった。全部投げ出してやめるんだ?そよさん」
音がする。
テーブルが跳ね上がる音がしてた。
そよさんのことをこれまで私は聖人君子だとか思えてた。
落ち着いて考えてみたら、私は今のそよさんの方がちゃんと人間らしかった。
どちらかと言えば、私は今のそよさんの方が話していて楽でいいしすっきりする。変に取り繕ってる感じもしない。変に言い訳もしない。
次に帰って来る言葉なんて私は予想出来てた。
怯むことなく、私はその言葉を待てば……。
「だったら、私が終わらせてあげる……!!」
待っていたものが帰って来た。
********
ベッドの中、俺は布団の中で自分の世界に入る。
昔のことを思い出すために、CRYCHICで開いていたSNSを調べていた。
あのSNSを見たとき、そよにこう言ったことを覚えている。
『顔を出してるのか?ネットである以上、危険だと思うが?』
『有紀君って、意外とネットリテラシー高いんだね……。なにその顔?』
『いや、なんでもない……』
あのとき本当は古臭いだとか、考えが昭和の人間だとかボロクソ言われるような気がしていたのだ。返って来たのは普通の言葉で俺は目を丸くしていたのはあいつに言えなかったが、今の俺ならば言っていたのかもしれない。
意識をして自分の口から話すということ。
慣れないことばかりで、変なことではあるが悪くないものでもあった。
目に見える成長でもあるからだ。
「燈からの連絡か」
ベッドの中に乱雑に放置されていたスマホの光が気になり、確認する。
そこにはこう書かれてあった。
『明日も……ライブやる……よ?』
『立希ちゃんも、えっとギターの人、楽奈ちゃんもいる……から』
『来て……欲しい』
今にも詰まりそうな燈の言葉が脳内で聴こえそうになってくる。
これもまた不思議な感覚であったが、俺はそよやあの愛音という女性の顔を見たとき、はっきりと確信があった。
あのバンドは此処で躓くようなバンドではないと。
そして、俺もまた逃げる気はないと。
『期待している、燈』