レゼにも未来を見せたい話 作:ノクティス玉子
「都会のネズミと田舎のネズミ。どっちがいい?」
二人の答えは、ほとんど同時だった。
女が顔を上げる。長い前髪の奥で、眼鏡をわずかに押し下げた。
「やっぱり?」
「そりゃそうだろ」
男は気のない声で返す。
それから、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「────」
一拍。
女も、釣られるように口の端を上げる。
「きっしょ」
「お前が言うな」
◆
雨は突然だった。
少し前まで曇っていただけの空から、大粒の雨が落ち始める。鞄を頭の上にかざす者もいれば、気にした様子もなく足を早めるだけの者もいる。
連れ立って歩いていたその男女も、近くの店の軒下に滑り込んだ。
女はずり落ちた眼鏡を押し上げる。濡れた前髪が、レンズに張りついていた。
「……最悪、濡れた」
「雨だからな」
男は袖についた水を軽く払う。女も額に張りついた髪を指で摘まんでみたが、何本か絡まっただけだった。
軒先から落ちる雨を、二人して眺める。
通りには、雨を避ける場所もなく先を急ぐ人影がぽつぽつと残っていた。そのうちの一人が、少し先にある電話ボックスへ駆け込んでいく。
金髪の少年だった。
ずぶ濡れのまま狭い箱に収まり、しばらく外を眺めている。女は一度だけそちらに目を向けたが、少年が一人でいるだけだと分かるとすぐに興味を失った。
「……暇」
「帰るか?」
「雨」
「じゃあ黙ってろ」
女は返事をせず、また眼鏡の位置を直した。
雨脚は弱まらない。その向こうを、もう一つの人影が走ってきた。
少女だった。濡れた髪を揺らしながら、そのまま先ほどの電話ボックスに駆け込んでいく。
眼鏡に触れていた女の指が止まった。
狭い箱の中で、少年少女が向かい合う。
「……おっふ」
「は?」
女は身体を少しだけ前へ傾けた。
視線の先で、少女が何かを話している。
少年が戸惑い、少女が笑い、泣き、そして慌てたように頭を下げると、少年は嘔吐くように口元を押さえた。それから小さな花を取り出し、差し出す。
雨音と距離に遮られ、声はまるで聞こえない。
それでも、女は聞こえているかのように反応を示していた。
「おっ……おーっ……! 初々しいファーストコンタクトって感じ。サプライズで口から出すのはNGだけど……ええやん。ごっつええ」
「よくねぇよ、ボケ」
男のツッコミには反応せず、女は興味津々と電話ボックスでの成り行きを見守っている。
花を受け取った少女が笑った。少女側の好意が、僅かに動く。そしてその笑みを境に、少年から少女へ向かう好意は、出会ったばかりにしては随分と強くなった。
女の脳裏に、自然と二つの名前が浮かんだ。
当然、彼女に面識はない。だが、女にとってそこまで珍しいことでもなかった。
「ふ〜ん、へぇ……、デンジくんとレゼちゃんって言うんだ。かぁいい名前〜……!」
「いや、『デンジ』は変な名前だろ……」
「……ねぇ、私の崇高な趣味に茶々いれるのやめてくれる?」
「下世話な趣味で、いつ公安な目つけられるか分かったもんじゃねぇだろ」
「全然大丈夫ですぅ〜。公安様はこんなクソ雑魚ゆるふわ女、相手にしません〜」
「言ってて哀しくなんねぇの?」
「うっせ……!」
唇を尖らせて拗ねたような表情をして、ぷいと顔を逸らす。
彼女の興味は、少年少女──デンジとレゼの間に生まれ始めたものにあった。
甘く酸っぱい、蜜の味。
これまで交わることのなかった二人の間に、今まさに生まれようとしている新しい関係。
それは女にとっての甘露に久しく、彼女の本能に密接に関わっていた。
「やっべぇ、昂ってきた……。心のち〇ち〇、ビンビンだぜ!」
「きっしょ」
「ねぇねぇ〜、おうち帰ったら一発しけ込もうぜぇ〜! 今日は頑張るからぁ〜! 今日は足の生えたマグロ! ね? ね? お願い!」
「家帰ったらな」
「やーい、すけべ」
「殺すぞ」
女は張りついた前髪もそのままに、眼鏡の奥で目を細めた。
雨はいつの間にか止んでいた。