レゼにも未来を見せたい話 作:ノクティス玉子
電話ボックスの扉が開いた。
先に外に出たレゼが、デンジへ振り返る。何かを伝えると濡れた歩道を歩き出した。
デンジはその背中を何も考えていないような面持ちでしばらく見送っていた。やがて、レゼが消えた方角に足を向け、後を追うように駆けていった。
「さて、我々も」
軒下から出た女が、何の躊躇もなく二人が去って行った方に向けて足を踏み出した。
「いや、行かねぇよ?」
「えぇっ!? なんで!?」
心底驚いたように女が叫んだ。
「ここまで見て気にならないとか正気!? あのあとどう進展するか気になるくない!? 青春いちゃらぶえっちなのか、歯止めが効かなくなって路地裏えちちち展開なのか!?」
「何もなく終了、だろ。脳みそ真っピンクで普通の考えできてねぇじゃん。奔放に生き過ぎて地獄に逆戻りは馬鹿だろ」
「えー! 行こうよぉ!」
「公安に通報されんぞ」
「……か、確認だけぇ……」
「何の確認だよ」
男は深いため息を吐くと、女の横を通り過ぎた。
女はその背中を見て、パッと表情を明るくしてすぐに後を追う。すでにデンジとレゼの姿は見えなくなっていた。
女は二人が消えた方角へ駆け出そうとするが、隣から伸びた手に服の襟元を引かれた。
「うげっ」
「走んな。目立つ」
「……あい」
女は素直に歩調を緩めた。
男と並んで追い始めたものの、二人の姿はどこにもなかった。どちらへ向かったのかも分からず、女は脇道を覗いたり、通りを引き返したり、角を曲がったりしながら歩き回る。
しばらくして、通り沿いにある小さな喫茶店の前を通りかかった時だった。窓際の席に見覚えのある金髪を見つけ、女は足を止めた。
デンジだった。
その傍らには、エプロン姿のレゼもいた。
「ふっ、名探偵カプと呼んでくれたまえ……!」
「迷う方の『めいたんてい』な」
「うっせ」
女は男の袖を引き、通りを横断して路地裏の陰に身を潜めた。女はスパイ映画さながらに腰を落とし、男は棒立ちだ。そこから改めて二人の様子を窺う。
「なあ、頭の端っこしか見えんのだが?」
「私は
「え、きっしょ」
「うわっ、デンジくんの『好き』がデカくなった! すごく、大きいです……!」
「きっしょ」
「ねぇっ、なんでそんな辛辣なの! しっかりこの栄養素摂取しろ!」
「だから見えねぇんだって」
人通りが少ないのを良いことにやいのやいのと騒ぐ男女。それを他所に、店内ではデンジとレゼのやり取りが続いていた。
◆
「いいねぇ……、レゼちゃんちょっと嬉しそう。おじさん、妬いちゃうなぁ」
「お前はババアの方だろ」
「心にち〇ち〇あるなら、それはもう男だろうがよォッ!」
「暴論やめろ」
女はここ数日で定位置となった路地裏から、喫茶店内に熱い視線を向けていた。女が毎日と言えるほど喫茶店の前に齧り付く度、男も一緒に駆り出され、窓から覗く頭頂部だけで少年少女の距離感を推し量っていた。
「あいつ、ズブズブだな」
男が呟く。
デンジの姿は、毎日喫茶店にあった。レゼを目当てに足繁く通っているのは、女でなくともわかることだった。
「はぁ……やれやれ、分かってねぇなぁ。それがいいんじゃん。好意を寄せられて気にならねぇ女はいねぇぜ?」
「お前はどの立場で言ってんの?」
女は口元を緩ませる。
デンジは窓際のテーブル席に座っていた。レゼはその隣の席で、何か作業でもしているのか時折頭が見えなくなっている。
二人を観察するうちに、女には別のものも分かり始めていた。
人が誰かと関係を築くと、その周囲には大小様々な繋がりが生まれる。家族や友人、学校で顔を合わせる相手。長く付き合う者もいれば、すぐに途切れる縁もある。
そうしたものが、デンジとレゼには妙に薄かった。
まったく誰とも関わってこなかったわけではない。二人とも、強く結ばれた相手との縁はいくつか感じられる。
ただ、年頃の少年少女なら当たり前に積み重ねていそうな、同年代の友人や学校生活を通じた繋がりが乏しい。
それがなぜなのかは彼女には分からなかった。けれど、そうした二人の間に、今は新しいものが生まれ始めている。
女はレンズの奥で目を細めた。
「ありゃあ、一度タガが外れたらとんでもねぇですぜ」
「あ?」
「あの二人、普通の友達とか、そういう縁があんまりないっぽい」
「へぇ」
「学校とか、家族とかさ。なんかそういうの……薄いんだよねぇ」
「天涯孤独とか?」
「んにゃ、まだそこまではわかんにゃい。何にせよ、依存しあったらぐちょぐちょドロドロえっちっちですぜ。特等席でおいたんに見せて欲しいなぁ!」
「死ね」
男のストレートな罵倒も何のその、女はそこまで話すと再び喫茶店に目を向けた。
電話ボックスで出会ったばかりの頃には、レゼにしか強く向いていなかったもの。それが今は、デンジから向くものがまだ強いとは言え、明確に両方向にある。
「ぐへへ、こりゃいけるっしょ。今夜は赤飯かな?」
「きっしょ」
「……こ、これだから
「何そのマウント? きっしょ」
「いっ、いい加減ウチもキレるんだぞ! いいんか? 泣くぞ? カプ泣くぞ?」
「泣けよ」
「う、うわぁ〜ん! 辛辣すぎるだろバカぴえん!」
「ぴえんって呼ぶなボケぇ!」
追い打ちをかけるような怒鳴り声に、女はますます顔をくしゃくしゃにしてしゃくり上げた。
そんな大騒ぎするすぐそばを、通行人たちは二人の存在に誰一人気づくことなく、何事もなかったかのように通り過ぎていった。