後宮の司書になったので、死ぬ気で政争から遠ざかりつつ本の虫になるTS転生者 作:本のむしむし
現在の朝廷の状況は少し厄介だ。
帝はいまだ幼く、即位して間もない。
そんな状況で実権を握り、権勢を誇るのが女帝と呼ばれる先代皇帝の皇后様だ。
現在は崔皇太后とも呼ばれるこの女帝は、それはもうとんでもない女傑であるそうな。
お世辞にも賢帝とは言えなかった先代の治世において、人心がよく治まっていたのはこの崔皇太后の手腕に寄るもの。
人材マニアとしてとにかく有名で、各地から家柄、門閥問わず有能な人材を登用。
それらを上手く活用することで、朝廷を守ってきた。
ただ、こういった歴史上の女傑にありがちなこととして、非常に残忍で苛烈な一面も併せ持つ。
自身が権力を握るに当たって、多くの反対派を粛清してきたのだとか。
いやはやまったく、恐ろしい話。
絶対に関わりたくない。
もちろん、幼帝とも関わるのはゴメンだ。
まぁ、まだ帝は幼いのだから見初められることはないだろうけども。
そもそも今はまだ、後宮の妃も誰もお手つきになっていないというし。
じゃあなんでこんな後宮が整備されているのかというと、それには色々事情があるんだけど。
私には関係のないことだ。
というか、仮に見初められたら即逃げるし。
名前を変えて山奥でひっそり暮らすことも辞さないぞ?
というわけで、可能な限りそういった厄介な人物とはお近づきになりたくないのだが。
残念ながら、若干手遅れな気がしなくもない。
何しろ後宮の妃が一人、もう私に目をつけているのだから。
■
司籍の仕事の一つに、妃の元へ本を届けるというものがある。
逆に書庫へやってきた女官に本を貸し出したり、本を運び出して市みたいに大々的な貸し借りを行うのも仕事。
本を届けることについては、あまりにも量が多ければ宦官の手を借りるのだが、量が少なければ私が一人で届けることになる。
ぶっちゃけ面倒。
とはいえ、ずっと日の当たらない書庫にこもりきりでは流石に健康に悪いというもの。
こちとら不健康なうすほそなのでね、ちょっとくらい運動の一つも必要だろう。
──で、大抵の妃の元には、部屋の入口まで行って女官に本を渡せばそれでおしまい。
女官の態度はまぁ色々で、大抵はあまりいい顔をされないが、そもそも私は彼女らとお近づきになりたいわけではないので、煙たがられてるほうがありがたいな。
が、世の中には例外が存在するもの。
なぜか、妃様が直接私から本を受け取りたいという既得な所が、一つだけ存在する。
「紅玉様、本をお持ちしましたよ」
「──幽蘭か! 遅いぞ!」
絢爛たる後宮において、華やかさから少しだけ遠ざかるような作りの宮。
下苑と呼ばれるその場所は、主に妃の中でも家の位が低い妃が住まう場所。
そんな下苑の一室から飛び出してきたのは、麗しい七色の衣を見にまとい、齢八つに届こうかという栗色の髪の少女だった。
名を杜紅玉。
「ほれ、安延も阿華もすでに来ておる! はよう幽蘭も来るのだ!」
「はい、はいただいまぁ」
なんで私が彼女に懐かれているかといえば、私が偶然彼女の窮地に通りかかり、これを救ったからだ。
というのもこの紅玉様、なぜか呪われて道端で倒れていたのだ。
いやほんと、後宮の廊下で妃が呪われて倒れてるってどういうことよ。
頼むから、もうちょっと平穏な後宮であってくれー。
無理? そっかあ。
あ、呪いの内容はお腹を降して腹痛に苦しむというものです。
命は奪われないけど、人前で尊厳を失ったら妃としては完全に終わりだ。
えげつないね。
「私の業務に読み聞かせは入っていないのですが……」
「よいではないか、妾の命なのだぞ!」
そんな紅玉様は、いかにもわがまま放題といった感じのお姫様。
若いうちはそれでもまだ許されるだろうが、成長するまでに落ち着きを持って欲しいものだ。
いや、私の気にするところではないけどね。
さて、部屋に入ると二人の少女と侍従長──いや、紅玉妃には侍従が一人しかいないから長とかないんだけど──が出迎えてくれる。
侍従長は私に深々と、それはもう額を床に擦り付けるレベルで頭を下げてきた。
まあうん、紅玉妃尊厳崩壊未遂事件で色々あったんです。
ともあれ、残り二人は紅玉様が仲良くしておられる妃だ。
凛々しい顔つきの少女が
どちらも顔つきは結構違うけど、なんとなく面影が似ている気がする。
姉妹……ということはないかもしれないが、同じ一族の出身なのかな。
姓は聞いていないので、そこらへん推測だ。
そしてどちらも、大人しくて聞き分けがいい。
こちらが入ってきて一礼すると、優しげに微笑んでくれる。
妃様が全員これくらい優しかったらなぁ。
ともあれ。
「それでが、本日は前回の続き、西域より伝わったお伽話を語らせていただきます」
「待ちわびたぞ!」
それから、私は訥々と物語を聞かせていた。
語り口は至って普通だが、三人は真剣に拝聴している。
こうしていると彼女たちはいたって普通の子供にしか見えず、ここが陰謀巡る後宮の中だと言うことを忘れそうになるな。
現在、入内している妃は帝が幼いことも相まって、幼童が多い。
だからこそ、本来ならバチバチの権力闘争の舞台であるはずの後宮で、こんな微笑ましい光景が繰り広げられているわけだ。
叶うことならこんな優しい世界がずっと続けていけばいいな、と思うのだが。
残念ながら、そうはいかないよなあ。
そもそも、世継ぎを作れない皇帝にどうして後宮があるのかと言えば、各地の有力者の娘を後宮に置いておくことで"人質"とするため。
言うまでもなく、発案者は女帝。
なんともおっかない話だ。
「さて、ここからアルトリウスは、聖剣と共に国の平定へ乗り出すわけですが……」
「すう……すう……」
「今日はここまでにいたしましょうか」
私の言葉に、阿華様が鷹揚に頷く。
おそらくこの三人で一番位が高いのが阿華様なのだろう、こういう時に話の流れを決定するのは阿華様である。
まあ、私としては誰が偉くてもいいのだが。
というか、疲れる仕事が終わって一安心という気持ちしかない。
こんないつ首が飛んでもおかしくない部屋にいられるか、私は書庫に帰るぞ!
と思って立ち上がると──
「幽蘭殿!」
ここまでずっと黙っておとなしくしていた安延様が、立ち上がって私の名を呼びながら私の服の袖を引っ張った。
く、なんだなんだ!
「そ、その……幽蘭殿の此度の読み聞かせは……その、ええと。とても暖かい声で、聴き入ってしまいました。それで、その……ち……わ、私にももっと読み聞かせをしてほしい……といいますか……えっと……あう……」
「え、ええと……」
う、うおお!?
なんか安延様に言い寄られている!?
いや、前々から安延様はこっちに熱い視線を向けてくるなあ、とは思っていたのだけど。
まさか、なんで!?
私は何もしてないぞ!
本当に何もしてないのだ。
だって安延様とはここでしか合わないし、まともに会話したのもコレが初めて。
何か起こりようがないではないか。
と、とにかく、ここは丁重にお断りしよう。
できるだけもうこういう話をしてこないよう諫める方向で!
私はそっと屈んで安延様に視線を合わせると、できるだけ柔らかい声音で言った。
「――安延様は、望めば全てを手に入る立場にあります」
「っ!」
「少なくとも、私にとってはそういうお方です」
庶民の私にしてみれば、貴妃なんて天上のお方。
贅沢も好きにできるし、どれだけ惰眠を貪っても許される。
でもそれには、それ相応の責任が伴うわけだ。
「ですが、この世にある物は全てに限りがあるのです」
「……はい」
「安延様が全てを望んでしまっては、多くの民が困窮するでしょう」
だから民草の私には絡まないでくれー!
ダメですか?
「…………ありがとうございます、幽蘭殿。本当にそのとおりです。ち……私は
「はい」
「だからこそ、戒めねばならぬ。……思えば、幽蘭殿の物語でも多くの英傑はそうしてきたというのに。行けませんね、これでは」
ふぅ、わかってくれたみたいだ。
何やら言い方に違和感があるけれど、これなら問題ないだろう。
側で見ている阿華様もニッコニコだ。
なんとなく、この笑顔を見ていると
うん、次があると考えるとそれはそれで憂鬱だけれども、今日はこの難局を乗り切ったことを素直に喜ぼう。
私は仕事が終わった開放感から、少しだけ上機嫌になりつつ書庫へと戻るのだった。
■
安延と阿華――二人は宮中を進む。
供するものは他におらず、二人だけが人気のない宮を歩く。
先を進む安延は、実に嬉しそうだ。
「やはり、幽蘭殿は素晴らしいお方です。あの方こそ、この後宮に必要な方だと思います」
「そうですね。……安延、あまりはしゃいでは行けませんよ」
「わっと……いけない。申し訳ありません」
貴妃の衣服は、どうしても着飾らなければならず、動きにくい。
こういった服に慣れていない安延は、うっかり踏んづけて転んでしまいそうになる。
そうして態勢を崩しながらも何とか踏みとどまった安延は、自身の衣服をつまみながらぼやく。
ぼやく際、周囲に誰もいないことを確認してから。
「それにしても、どうして後宮を訪れる時、
その言葉に、阿華は笑みを浮かべたまま、答える。
「民を困らせず、民草と触れ合うために必要なことですわ、陛下」
「確かに、幽蘭に会うためにはこのような格好が必要なことは理解できますが……」
「いずれわかります。この時の経験が、貴方の糧となるのですわ」
不思議そうに首を傾げる安延に、阿華は気にすることなく彼女――否、
そして、数歩先を歩いて立ち止まった。
わざわざこのようなことをする理由は、とても単純。
「何より、幽蘭という女官に会うことができるもの。彼女は素晴らしいわ。忌まわしい禁書を、その身一つで解体して見せる能力も、無欲で権力に媚びず――陛下に説教までしてしまう度胸」
――浮かべている笑みがあまりにもはしたなくて、安延には見せられたものではないからだ。
「彼女こそ、陛下の朝廷にとって欠かすことのできない逸材。ええ、絶対に逃がしませんわ――絶対に」
――先帝の崩御により、幼くして皇帝に即位した少年。
名を、
親しいものからは安延と呼ばれ、親しまれている。
故に、名を隠す際にもそう名乗り、妃と偽って彼は後宮を渡り歩いていた。
その隣に立つは、幼き皇帝に変わって実権を握る当代きっての女傑。
名を崔鳳華。
多くのものは知らない、普段の女帝は敢えて年老いて見えるよう化粧を施しているということを。
その素顔が、息子であるはずの李延と並んでも遜色ないほどの幼童にしか見えぬということを。
そんな二人が、幽蘭へ既に目をつけているのだ。
当然その事を――幽蘭は知らない。
そして、幼き皇帝と女帝もまた、幽蘭が自分たちの正体に気付いていないことを――しらないのだった。