後宮の司書になったので、死ぬ気で政争から遠ざかりつつ本の虫になるTS転生者 作:本のむしむし
雨が振る夜更けに、私は書庫で本を読んでいた。
なんとなく寝付けなくて、ここまできてしまったのだ。
もうこの時間には後宮の仕事はだいたい終わっていて、人はほとんどいない。
この時間帯に出歩くものなど、夜半の見回りか主上くらいのものなのだが、後者のお方はまだ閨に通うには早い年齢。
後宮は、ほぼほぼ静謐に満たされていると言っていい。
そんな中、一人の麗人が書庫に入ってくる。
「──ここにおったか、幽蘭」
「昭華様」
パタン、と本を閉じてやってきた人物に視線を向けた。
油紙傘を折りたたみ、雨水が入りこまないよう戸の向こう側に立てかけてから昭華様は入って来る
げぇっ! 昭華様!
こういう時の昭華様は、それはもう格別に厄介な仕事を持ってくると相場が決まっている!
「……急ぎの用ですか? であれば、明日にしていただきたいのですが」
「心にもないことを言うでない。……
「……またですか」
ああやっぱり。
なんとなーく、昼頃から宮中の空気が澱んでいると思ってはいたんだよな。
前回は感じ取れなかった気配だ。
すなわち、前回と同じ呪符騒ぎが起きていると昭華様は言うけれど、前回よりも規模が大きくなっているらしい。
……あれ、もしかして阿華様の言っていたことってこれだったのか?
……まさかねぇ。
「例の禁書は解体したはずですが」
「
「厄介なものですね、禁書というのは」
「ああ、敵陣に紛れ込ませ引っ掻き回すのに、これほど都合の良いものは早々ない」
これが間者の類であれば、人一人分の巨体をどこかに隠さなければならない。
しかし本であれば、荷物の中に紛れ込ませるだけで侵入できてしまう。
使う人間も、現地で調達すれば簡単だ。
為政者は、常に禁書対策で頭を悩ませてきたというわけである。
「解析を頼めるか」
「ええ、報酬には期待しています」
「くく、せいぜい楽しみにしておけ」
前置きを終えると、昭華様は持ってきていたらしい呪符を机に広げる。
ここから、この呪符を生み出した根源である禁書と、その主を探し出す。
まぁ、私の『
そう思い、解析を起動したのだが──
「──
「なんだと?」
自分で自分の出した結論に、疑問符を浮かべてしまった。
いやまて、そんなこと起こりうるのか?
後宮に来て、そんなことは初めてだった。
いや、違う。
後宮に来てからは初めてだけど、過去にこういった解析のエラーは起きたことがある。
先ほど阿華様と話をしただろう。
私は”陰”の気配を解析できない。
すなわち──
「──解りました」
努めて冷静に放った言葉が、自分でも解るくらい声音が低くなっていて思わず舌打ちをしたくなった。
何を苛立っているんだ、私は。
私の解析の特性を考えれば、敵がこういう対策を取ってくることは考えられることだっただろう。
「……どういうことだ、幽蘭」
「私の解析には欠点があります。それはこの力が陽の因果を解析するものであるということ」
「因果を?」
「ええ、ですから。
──すなわち。
「命脈尽き果てた者。
その言葉に、昭華様が絶句としか表現できない表情をして。
私は昭華様でもこういう顔をするのか、と乾いた笑いがこぼれてしまった。
本当に、最悪な気分だ。
■
『──
「こちらが、何かしら禁書を容易に対処できるすべを持っていると判断し、色々と策を講じているのは間違いないと思います」
──その後、雨が天井を叩く音だけが響く暗闇に満ちた書庫で、私は金色に瞳を光らせながらこぼす。
私の耳には、昭華様の言葉が聞こえてくる。
しかしこの場に、昭華様はいない。
「決して、完璧な対策を取れているわけではないでしょう。そもそもあの侍従長が死んだのは偶然であり、向こうの意図するところでもなかったはずです」
『しかしせっかく死んだのだから躯を利用しようと思い立ち、それが偶然汝の解析をすり抜けた、と』
「おそらくは。……ですから向こうも、対策をすり抜けることができたと気付いていないはずです。侍従長の死体が奴らの元へ帰還する前に回収すれば、露呈はしないでしょう」
──奴らの狙いは、一言で言えば偵察だ。
万蟲屍解経に関してもそうだが、敵が宮中に潜り込ませた禁書は程度が低い。
ただ呪符を撒き散らすことしかできないのだから。
確実に、目的は禁書で宮中をめちゃくちゃにすることではなく、潜り込ませた禁書がどの様に始末されるのかを見たがっている。
私が後宮に入ってから、朝廷は禁書の対処を容易に行い過ぎた。
敵がそれを警戒するのも当然だ。
『侍従長の死体は、動く情報源ということだな。死体が解析に反応しなかったと解るだけでも、向こうにとっては大収穫だ』
「──故に、ここで必ず彼女を見つけて連れ戻します」
探す方法自体は簡単だ。
因果がないということは、死体の場所だけがぽっかり空白になっているということ。
あるものを探すのではなく、ないものを探す。
発想の転換である。
『まったく、人使いの荒い司籍殿じゃ。既に数時間前に逃げ出した者を追いかけることが可能なものなど、吾しか朝廷にはおらぬぞ』
「朝廷に、貴方がいてよかったと本当に心の底から思いますよ、昭華様」
もしかしたら、私の情報が敵に漏れている可能性があったのだ。
肝が冷える。
それ以上に、少し腸が煮えくり返っているというわけだが、ともかく。
「しかし道術ですか。便利なものですね」
現在、昭華様は書庫にはいない。
尋常ならざる速度で森の中を爆走中だ。
先に逃走している、侍従長の骸を追いかけるために。
これを可能にするのが、昭華様の道術。
道術を使える人間は非常に限られ、朝廷で最高の道士が昭華様である。
で、私はと言えば──
『吾からすれば、汝の禁書も大概だと思うがの』
それを、禁書を通して遠隔で観察しているのだ。
分書という概念がある。
言うなれば株分けのようなもので、禁書の力を一時的に他者へ貸し与えるのだ。
当然ながら原本を使うよりも圧倒的にリスクが少なく、また利便性も高い。
私の禁書を他者に分け与えた場合──分け与えた他者を中心に『解析』を行うことができる。
これにより、遠方にいながら分書を持つ人間の周囲を私は完璧に把握し、更には通信まで行えるのだ。
なお、道士は禁書を取り込めないが、分書の力を使うことはできる。
禁書使に道士が道術をかけることも可能だ。
『さて、そろそろ追いつくぞ』
「敵をあぶり出す、のでしたね」
『うむ、──周囲に気配が五つあるのう』
追いつこうと思えば、昭華様は容易に追いつくことができるくらい早い。
しかし今回は敢えて侍従長の骸を泳がせ、それを回収しようとする者を釣り出す算段があった。
どうやら、成功したようだ。
『南東の方向から来るぞ』
「分かっています」
そして向こうも昭華様の存在はわかっている。
故に、夜闇に紛れて風を切る音が響く。
矢を射られたのだ。
そしてその矢が──
「
──空を切った。
『何!?』
動揺した様子の声が聞こえてくる。
それはそうだろう、昭華様は回避していないのだから。
森の中で足を止め、周囲を警戒している状態だった。
普通そういう状況で、躱されることはあっても当たらないと言うのはありえない。
敵もプロなのだから。
『かかれ、敵は一人だ! 囲んで叩け!』
『やれやれ、性急な連中だ』
「適当なことを言っていないで、さっさと制圧してください」
『まぁそうじゃな』
普段より心に余裕がないため、苛立ち紛れに昭華様を急かすが、昭華様は動く様子を見せない。
全く、それが一番有効であることは分かるが、こちらの苦労も分かって貰いたいものだ。
昭華様に五人の黒ずくめが迫る。
それぞれの手に、剣や槍といった致死性の得物を宿しながら。
毒が塗られている、一つでもかすれば常人なら致命傷だ。
しかし──
「解体」
当たらない。
当てさせない。
因果が歪み、本来なら昭華様を穿つはずだった五連撃は、
『な──』
『戦場で意識の空白は、首を差し出しているようなものだ』
『ガッ!』
そこからは神速だった。
一瞬にして剣を抜きはなった昭華様が、五人の腕をほぼ同時に切り飛ばす。
武器を握っていた腕が、五つまとめて宙をとんだ。
『見事なものだの、汝の
私の禁書が持つ解体の力は、因果を解体する。
これは敵が放つ攻撃をも解体することができるのだ。
そして因果が解体された攻撃はどうなるか。
当たるという因果が解体されたことで、最初から当たらない軌道を攻撃が描く。
結果は、今見た通りだ。
「──まだ終わっていません」
『……うむ』
私の解体に感嘆の言葉をこぼす間も、昭華様は制圧を完了させていた。
五人の刺客をまとめて昏倒させたのだ。
この程度なら、昭華様にとっては朝飯前。
しかし問題はここからである。
まだ、敵の本命が残っているのだ。
『この雨の中でそのような装いは寒かろう──侍従長』
「……早く、眠らせてあげましょう」
幽鬼のごとく──否、幽鬼そのものである骸の女が、こちらをねめつけるように睨んでいた。
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