翌朝、目が覚めると、隣の寝床にサボの姿がなかった。
昨日は結局、日が傾くまでガープにしごかれた。おれは新しい岩を殴り、サボは自分の岩を砕こうと何度も拳を打ち込んだのだが、あと少しというところでガープに止められた。
明日もやるんだから手を休めろと言われたサボは、相当悔しかったらしい。
まさか、もう岩を殴りに行ったんじゃないだろうな。
そう思いながら外へ出ると、家の裏でサボがガープと向かい合っていた。
「おう、エース! 起きたか!」
「何やってんだ?」
「じいさんに覇気を教わってたんだよ。お前が起きてこねぇから、先に始めちまった」
「ずりィぞ! 起こせよ!」
「昨日、先に起きた方が朝飯を多く食っていいって言ったの、お前だろ」
「それとこれとは別だ!」
サボは得意そうに笑った。どうやら今朝は朝飯も負けたらしい。
ガープはそんなおれたちを見ながら、腕を組んでいた。
「ちょうどよい。エース、お前もこっちへ来い」
「おう!」
駆け寄ると、ガープは地面に置いてあった小石を拾い上げた。
「昨日は武装色を見せてもらったからのう。今日は、その先を見せてやろう」
「その先?」
「お前は武装色を拳にまとわせられるようになったんじゃろう? なら、もっと強く、もっと硬くする方法がある」
ガープが右拳を握る。
その拳が、黒く変わった。
「おおっ!」
思わず声が出た。
武装色の硬化だ。
原作では何度も見たことがあるし、自分でもいずれ習得するつもりだった。けれど、実物を目の前で見るのは初めてだった。
「何だ、それ!?」
サボもガープの拳を覗き込んでいる。
「これが武装色の硬化じゃ。武装色をより強くまとわせることで、拳を硬くすることができる」
「黒くなるのか!」
「うむ。お前らも鍛えりゃできるようになるぞ」
ガープは近くに転がっていた岩の破片を拾い、黒くなった拳で軽く叩いた。
それだけで、岩が砕けた。
「すげェ!」
サボが歓声を上げる。
おれも興奮していたが、それ以上に、ガープの拳から目が離せなかった。
今まで使ってきた武装色とは、明らかに違う。拳にまとっている力が、ずっと強く感じられる。
「じいちゃん! どうやるんだ!?」
「簡単じゃ。こう、ぐっと力を込めて、ぎゅうっと固めるんじゃ!」
ガープは拳を握り直しながら、当然のように言った。
「……それだけ?」
「それだけじゃ!」
「分かるかよ!」
「何じゃ、見せてやったじゃろうが!」
「見ただけでできるなら苦労しねェよ!」
サボが横で笑い出した。
「エース、お前がいつもおれに言ってることと一緒じゃねェか!」
「おれはもうちょっと説明してるだろ!」
「大して変わんねェよ!」
言い返そうとしたが、今はガープの拳の方が気になる。
もう一度見せてもらおうと顔を上げると、ガープはまだ拳を黒くしたままだった。
「じいちゃん、ちょっと触っていいか?」
「おう、構わんぞ」
差し出された拳に指を当ててみる。
見た目が黒くなっただけでなく、触れた感触も硬い。指で押したところでびくともしないし、昨日受け止められた時よりも、ずっと頑丈なものに触れている気がした。
「お前も拳を出してみい」
言われたとおりに右拳を握り、武装色をまとわせる。
ガープはおれの拳を軽く叩いた。
「ほれ、今のお前はこんなもんじゃ。そこから、もっとぐっとやるんじゃよ」
「だから、その『ぐっ』を教えてくれって!」
「馬鹿もん! 自分で感じ取らんか!」
ガープは笑いながら、おれの拳をもう一度叩いた。
今度は少し強かった。まとわせた武装色ごと押し込まれるような感覚があり、思わず腕を引く。
「おっ、今の……」
「どうじゃ?」
「もう一回!」
ガープが拳を軽く打ち合わせる。
おれは武装色をまとわせ直し、今度は押し負けないよう意識した。
拳を覆っている力を、もっと強く、もっと厚くする。
そう考えてみたものの、普段から使っている武装色の感覚は変わらなかった。
いや、違うな。
厚くするというより、同じ場所に集めて固めるのか?
原作で見た硬化の場面を思い出しながら、拳へ意識を集中させる。武装色をただまとわせるだけでなく、拳の表面へ押し固めるようにしてみた。
「おっ!」
何かが変わった気がした。
ガープがにやりと笑う。
「ほう。ちっとは分かったか?」
「たぶん! もう一回やってみる!」
今度は、さっきよりもはっきりした感覚があった。
ただ、拳の色は変わらない。力を集めようとすればするほど、余計なところまで力んでしまい、途中でまとっていた武装色が乱れてしまう。
「くそっ! 惜しい気がするんだけどな!」
「ぶわっはっは! そう簡単にはできんわい!」
ガープは楽しそうに笑った。
その横で、サボが不満そうな顔をしている。
「なあ、じいさん。おれには何が起きてるのか、さっぱり分かんねェんだけど」
「お前はまず武装色を感じ取るところからじゃな!」
「それは分かってるけどよ! 説明が雑すぎねぇか!?」
「エースは分かっとるぞ!」
「こいつが分かるのがおかしいんだよ!」
「おい、何だよそれ!」
おれが抗議すると、サボは肩をすくめた。
「だってそうだろ。ぐっとやって、ぎゅうっと固めろって言われて分かるか?」
「……まあ、普通は分かんねェな」
「お前は普通じゃねェってか!」
「いや、おれは何となく分かるんだよ!」
ガープが大声で笑った。
「ぶわっはっは! よし、次じゃ!」
◆
「次は見聞色じゃ。エース、お前はわしの攻撃を避けてみい」
そう言われて、嫌な予感がした。
「……じいちゃん、どれくらいの速さで殴るつもりだ?」
「安心せい。ちゃんと避けられるようにしてやるわい!」
「絶対信用できねェ!」
ガープは聞いていなかった。
おれたちは少し開けた場所へ移動し、向かい合って立った。サボは少し離れたところで見学している。
「まずは普通に見聞色を使ってみい」
「おう!」
意識を周囲へ広げる。
目の前にいるガープの気配が、いつもよりはっきり感じられた。
この一年、見聞色も欠かさず鍛えてきた。森の中で獲物を探す時にも使っていたし、サボとの組手では相手の動きを感じ取る練習もしている。
ただ、相手の気配が分かったところで、必ず攻撃を避けられるわけじゃない。サボの攻撃ならともかく、ガープが相手では、感じ取った時にはもう殴られている可能性がある。
「準備はよいか?」
「いつでも来い!」
「よし!」
ガープの右拳が動いた。
見聞色で攻撃を察知し、顔を横へ動かす。
ところが、避けた先にガープの拳があった。
「いでっ!」
額を小突かれ、思わず後ずさる。
「何でそっちにあんだよ!」
「ぶわっはっは! お前がそっちへ避けるからじゃ!」
「後出しじゃねェか!」
「敵が避ける方向へ攻撃するのは当たり前じゃろうが!」
確かにそうだが、納得できるかどうかは別だ。
「もう一回!」
「よし、行くぞ!」
今度は、ガープが動く瞬間に集中した。
拳が出る。
右へ避けようとして、さっきのことを思い出した。ならば左だ。
そう判断した瞬間、左の頬を小突かれた。
「いでっ!」
「ぶわっはっは! 今度は左か!」
「じいちゃん!絶対わざとやってんだろ!」
「当たり前じゃ! 避けられると分かっとるところへ殴ってどうする!」
サボが腹を抱えて笑っていた。
「エース! お前、じいさんの拳に吸い寄せられてんじゃねェか!」
「うるせェ! お前もやってみろよ!」
「おれはまだ見聞色が使えねェからな!」
「便利な言い訳だな!」
ガープが手を叩いた。
「ほれ、遊んどらんで続きじゃ!」
「ああもうやってやるよ!」
そう言いながらも、もう一度構える。
今度は、ガープの拳だけを見ないようにした。
見聞色で相手の気配を捉えるだけでなく、どこへ攻撃しようとしているのか、その意思を感じ取る。
そうすれば、拳が動く前に攻撃を察知できるはずだ。
「ほれ!」
ガープが拳を握った。
右から来る。
そう感じた瞬間、身体を動かした。
だが、ガープの拳は途中で向きを変え、またしてもおれの額を小突いた。
「いでっ! 今度は右だっただろ!」
「うむ。最初はのう!」
「途中で変えたのかよ!」
「敵が攻撃を変えたら、お前も避け方を変えりゃいいじゃろうが!」
「無茶言うな!」
「ぶわっはっは! その無茶ができるようになるための鍛錬じゃ!」
ガープは笑いながら、今度は自分の目を指さした。
「お前はまだ、相手が動いてから追いかけとる。もっと先を感じ取らんか!」
「先?」
「そうじゃ。相手が殴ろうとする、その前じゃよ。こう、相手の気配がぐっと動いて、攻撃が来るところをぱっと感じるんじゃ!」
「……またそれかよ!」
「何じゃ! 今のは分かりやすかったじゃろうが!」
サボが呆れた顔で首を振った。
「じいさん、説明する気あるのか?」
「あるわい!」
「だったら、もうちょっと普通の言葉で頼むよ!」
ガープは不思議そうに首をかしげた。
「普通の言葉じゃろうが」
おれは思わず笑ってしまった。
確かに説明はひどい。だが、言いたいことは何となく分かる。
見聞色で相手の存在を感じ取ることと、相手の攻撃を先読みすることは、似ているようで違う。
今までのおれは、相手の動きや攻撃の気配を感じ取ってから身体を動かしていた。ガープが言っているのは、その手前にある、攻撃しようとする意思を感じ取れということだろう。
原作でレイリーがルフィに教えていた内容とも重なる。
相手が何をしようとしているのかを感じ取る。
それができれば、実際に拳が動く前に、攻撃の方向を察知できるはずだ。
「……じいちゃん、もう一回やってくれ!」
「おう! 今度は分かったか?」
「たぶん! 拳じゃなくて、殴ろうとしてる気配を感じるんだろ?」
「そうじゃ! それをぐっと感じて、ぱっと避けるんじゃ!」
「最後のはいらねェよ!」
ガープが笑いながら拳を構える。
おれは目の前の拳ではなく、その奥にあるガープの気配へ意識を向けた。
次の瞬間、右から攻撃が来る気配を感じた。
身体を動かす。
ところが、ガープの拳は途中で軌道を変え、おれの頭を軽く叩いた。
「いでっ!」
「ぶわっはっは! まだまだじゃのう!」
「くそっ! 今度こそ避けてやる!」
もう一度構え直す。
今の攻撃では、確かに拳が動く前に右から来ると感じられた。問題は、その後でガープが攻撃を変えたことだ。
つまり、最初の先読みだけで満足せず、相手の意思が変われば、それも感じ取らなきゃならない。
ガープが言っていたのは、そういうことなのかもしれない。
「じいちゃん、今度はもうちょっとゆっくりやってくれよ」
「何じゃ、弱音か?」
「違う! 感じ取れるようになるまで、速さを落としてくれって言ってんだよ!」
「ほう?」
ガープは一瞬だけ目を細め、それから大きく笑った。
「ぶわっはっは! よし、いいじゃろう!」
今度の拳は、さっきよりもゆっくり動いた。
おれはガープの気配へ意識を集中させる。
右から来る。
そう感じた直後、攻撃の方向が変わる気配があった。
左へ避けかけていた身体を止め、今度は後ろへ跳ぶ。
ガープの拳が鼻先を通り過ぎた。
「おおっ!」
サボが声を上げる。
「避けたじゃねェか!」
「よっしゃ!」
思わず拳を握った。
ガープは満足そうに笑っている。
「うむ! 今のはよかったぞ!」
「だろ! 今の、ちゃんと分かった!」
「じゃが、まだわしがゆっくり殴ってやったから避けられただけじゃ。実戦じゃ、相手は待ってくれんぞ!」
「分かってるよ!」
それでも、今の一回は大きかった。
ただ攻撃の気配を感じるだけではなく、その先にある相手の意思を捉える。ようやく、その感覚を少しだけつかめた気がする。
「なあ、エース」
サボが近づいてきた。
「お前、さっきの説明で本当に分かったのか?」
「おう。何となくだけどな」
「何となくって……じいさんの説明、ぐっとやってぱっと避けろ、だぞ?」
「だから、相手が攻撃する前の気配を感じ取るんだよ」
「それができねェから聞いてんだろ!」
「おれだって、まだ一回しかできてねェよ!」
サボは頭をかきながら、ガープを見た。
「じいさん。おれにも、もうちょっと分かりやすく教えてくれよ」
「よし! まずは目を閉じて、周りの気配をぐっと感じるんじゃ!」
「……エース」
「何だよ」
「おれ、この人の説明を理解できるようになるところから始めた方がいい気がしてきた」
「ぶわっはっは! 何を言っとる! 身体で覚えりゃいいんじゃ!」
ガープはそう言って、サボの背中を思い切り叩いた。
「いってェ! 今のは何だよ!」
「気合いじゃ!」
「絶対違うだろ!」
おれは笑いながら、もう一度拳を構えた。
武装色の硬化も、見聞色の先読みも、今日教わったばかりだ。どちらもすぐに使いこなせるとは思わないが、少なくとも何を目指せばいいのかは分かった。
それなら、あとは鍛えるだけだ。
「じいちゃん! 次はもっと速くしてくれ!」
「おう! 今度は遠慮せんぞ!」
「いや、少しは遠慮しろよ!」
ガープの拳が飛んでくる。
おれは笑いながら、その気配へ意識を集中させた。