転生したらエースだった件   作:バカきゅー

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第二話 鍛錬

 自分がポートガス・D・エースだと分かってから、三日が経った。

 

 最初の一日は、思い出した漫画の内容を確かめるだけで終わってしまった。どの島で何が起きて、誰がどんな能力を持っていたのか。覚えていることを片っ端から思い出してみると、意外なほど細かい場面まで記憶に残っていた。

 

 もっとも、肝心なところで曖昧なものも多い。

 

 例えば、覇気だ。

 

 武装色、見聞色、覇王色という三種類があることは知っている。武装色は身体や武器を強化し、見聞色は相手の気配や感情、動きを察知する。覇王色については、生まれ持った資質がなければ使えないという話だった。

 

 そして、おれにはその資質がある。

 

 海賊王ロジャーの息子というだけでも期待できるが、原作のエースは実際に覇王色を使っている。今のおれにも同じ才能があると考えていいだろう。

 

 問題は、才能があることと、それを使えることがまるで別だという点だった。

 

「……どうやんだ、これ」

 

 おれは両手を見下ろした。

 

 朝飯を食い終えた後、ダダンの家から少し離れた場所まで来ていた。雨上がりの森はまだ地面が湿っていて、草むらに入ると膝の辺りまで濡れてしまう。おかげで、家を出る時には何ともなかったズボンが、すっかり泥だらけになっていた。

 

 ダダンに見つかったら怒鳴られるだろうが、それは帰ってから考えればいい。

 

 とりあえず、覇気だ。

 

 漫画では、レイリーがルフィに覇気を教える場面があった。身体の中にある力を感じ取り、それを操る。そんな説明だったと思う。

 

 実際には、もう少し詳しく説明していたかもしれない。だが、今のおれが覚えているのはその程度だった。

 

 目を閉じて、身体の内側へ意識を向けてみる。

 

 心臓が動いている。腹は朝飯を食ったばかりなので苦しくないし、足の裏には湿った土の感触があった。しばらくそのままでいると、頬に虫が止まったので追い払った。

 

 もう一度、目を閉じる。

 

 今度は両手に力を込めてみた。

 

 拳を握り締め、腕に力を入れ、腹にも力を入れる。何となく強くなったような気はするが、試しに近くの木を殴ってみたら普通に痛かった。

 

「いってェ!」

 

 思わず拳を押さえた。

 

 当たり前だ。いくらロジャーの息子でも、三歳児の拳がいきなり鉄みたいに硬くなるわけがない。

 

 いや、武装色を使えれば硬くなるはずなんだが。

 

 もう一度やってみようかと木を見上げ、やめておいた。さっき殴ったところがまだ痛むし、何より拳を壊したら修行どころじゃなくなる。

 

 おれは近くに落ちていた枝を拾い、適当な草を叩きながら考えた。

 

 覇気を覚えるには、どうしたらいいんだろう。

 

 原作では、ルフィはレイリーに二年間教わっていた。ゾロはミホーク、サンジはイワンコフのところで修行している。誰かに教わるのが一番早いのは間違いない。

 

 おれの場合、教えてくれそうな人間にも心当たりがある。

 

 ガープだ。

 

 海軍の英雄で、ロジャーと何度も殺し合った男。あの爺さんなら覇気の扱いなんて朝飯前だろう。

 

 ただ、問題が一つあった。

 

 今すぐガープに教えてくれと頼んだところで、まともに相手をしてもらえるか分からない。あの爺さんなら、強くなりたいと言った途端、崖から突き落とすくらいはやりかねなかった。

 

 実際、原作ではそんなことをしていた気がする。

 

「……もうちょっと大きくなってからにするか」

 

 それまで何もしないというのも、もったいない。

 

 せっかく三歳から修行を始められるのだから、今できることをやっておきたかった。

 

 まずは身体を鍛えることにしよう。

 

     *

 

 最初に始めたのは、走ることだった。

 

 山の中なら、走る場所には困らない。家の周りにも木々の間を抜ける道があるし、少し歩けば開けた場所も見つかる。

 

 もっとも、実際に走ってみると、思っていたよりずっと大変だった。

 

「はっ……はあっ……!」

 

 家から見える大きな木まで走ったところで、足が止まった。

 

 まだ大して走っていない。

 

 前世の記憶では、この程度の距離なら息を切らすこともなかったはずだ。だが、今の身体は足が短い上に、一歩一歩が小さい。ちょっとした木の根を越えるのにも大きく足を上げなければならず、何度か転びそうになった。

 

 おまけに、森の地面は平らじゃない。

 

 途中で靴が泥にはまり、無理やり引き抜こうとして尻餅をついた。

 

「くそっ!」

 

 泥のついた手を草で拭い、立ち上がる。

 

 もう少し先まで行きたかったが、膝が笑っていた。仕方なく近くの木に寄りかかり、息が落ち着くのを待つ。

 

 しかし、三歳の身体というのは不便なものだ。

 

 頭の中ではもっと速く走れるつもりでいるのに、実際の身体がまるでついてこない。走る時の姿勢を意識してみても、すぐに足がもつれるし、呼吸の仕方を工夫する以前に、全力で走ったらあっという間に疲れてしまう。

 

 その代わり、少し休むとまた走りたくなった。

 

 木の幹に手をつきながら息を整え、今度はさっきよりゆっくり走ってみる。

 

 これなら多少は続けられそうだった。

 

 家に戻る頃には、ズボンだけでなく服まで泥だらけになっていた。

 

「エース! てめェ、どこで転がってきやがった!」

 

 案の定、ダダンに見つかった。

 

「走ってきたんだ!」

 

「見りゃ分かるわ! なんでそんな泥だらけなんだよ!」

 

「転んだ!」

 

「転んでんじゃねェ!」

 

 無茶を言う。

 

 文句を言い返そうとしたところで、ダダンに襟首をつかまれた。

 

「まず洗ってこい! そのまま家に入るんじゃねェ!」

 

「腹減ったぞ!」

 

「さっき食ったばっかだろうが!」

 

「走ったから減ったんだよ!」

 

「知るか!」

 

 ダダンはおれを家の外へ放り出し、山賊の一人に水を持ってこさせた。

 

「お頭、こいつ、また何かやらかしたんですかい?」

 

「見りゃ分かるだろ! 泥まみれで帰ってきやがった!」

 

「元気でいいじゃねェですか。どうせ洗えば落ちるんですし」

 

「だったらてめェが洗え!」

 

「へいへい、分かりやしたよ」

 

 男は面倒くさそうに桶を置くと、おれの頭から水をかけようとした。

 

「待て! 自分でやる!」

 

「おう、そうかい。じゃあ、さっさとやんな」

 

 桶を奪い取り、手足についた泥を洗い落とす。

 

 水は思ったより冷たく、思わず肩をすくめた。こんなところで風邪でも引いたら、ダダンに何を言われるか分かったものじゃない。

 

 もっとも、家の中からはもう別の怒鳴り声が聞こえていた。

 

「誰だ! あたしの酒飲みやがったのは!」

 

「お頭、さっき自分で飲んでたじゃねェですか!」

 

「うるせェ!」

 

 どうやら、おれのことは忘れたらしい。

 

 好都合だった。

 

     *

 

 それから、おれは毎日少しずつ走るようになった。

 

 初めのうちは家の周りだけだったが、慣れてくると、もう少し遠くまで足を延ばすようになった。もちろん、森の奥まで入るつもりはない。山には猛獣がいるし、三歳のおれが出くわしたら、いくら才能があろうと食われて終わりだ。

 

 だから、まずは家から見える範囲で道を覚えた。

 

 走りやすい場所もあれば、木の根が張り出していて危ない場所もある。雨の翌日には泥が深くなる道があり、日当たりのいい場所なら比較的早く乾く。

 

 何日か走っているうちに、そうした違いが自然と分かるようになった。

 

 最初は息が切れていた距離も、少しずつ楽になってきた。とはいえ、走りすぎると翌日は足が痛くなるので、毎日全力で走るのはやめた。

 

 代わりに、疲れている日は歩くことにした。

 

 腕立て伏せも試してみたが、これはひどかった。

 

 両手を地面につき、身体を真っ直ぐにして下ろそうとした途端、腹から地面に落ちた。

 

 もう一度やってみても同じだった。

 

「……一回くらいできると思ったんだけどな」

 

 悔しいので、今度は膝をついてやってみた。

 

 それでも何回か繰り返すと腕が震え始め、最後には顔から地面に突っ込んだ。

 

 翌朝、腕が痛くて飯の皿を持つのに苦労したのは、さすがに失敗だったと思う。

 

 腹筋も似たようなものだった。

 

 おれが床に寝転がって身体を起こそうとしていると、近くを通りかかったダダンが足を止めた。

 

「お前、何やってんだ?」

 

「鍛えてんだ」

 

「はあ?」

 

「腹の筋肉!」

 

 ダダンはしばらくおれを眺めていたが、やがて腹を抱えて笑い始めた。

 

「ぎゃははは! 何だそりゃ! そんなことして強くなれんのかよ!」

 

「なるに決まってんだろ!」

 

「だったら山でも走ってこい!」

 

「もう走ってるよ!」

 

「じゃあ飯でも食って寝てろ! ガキが妙なことしてんじゃねェ!」

 

 言いたい放題だった。

 

 だが、最後の言葉には少し考えさせられた。

 

 確かに、今のおれは三歳だ。

 

 身体を鍛えれば強くなるのは間違いないが、無理をして怪我でもしたら意味がない。前世の知識でも、成長期の身体には十分な栄養と睡眠が必要だったはずだ。

 

 それに、今のおれは大人と違って、身体そのものがこれから大きくなる。

 

 ならば、毎日限界まで追い込むより、無理なく続けられることを増やしていった方がいいだろう。

 

「……よし、飯食うか!」

 

「おう、そうしな!」

 

 ダダンは満足そうに頷いた。

 

 もっとも、おれが鍛錬をやめるつもりなど、まったくないことには気づいていないようだった。

 

     *

 

 身体の鍛錬と並行して、覇気の練習も続けていた。

 

 ただ、こちらは走るのと違って、成果がまるで分からない。

 

 毎日目を閉じて身体の内側へ意識を向けているものの、何か特別な力を感じられるようになったわけではなかった。

 

 試しに見聞色から覚えようと、目を閉じて周囲の気配を探ってみたこともある。

 

 鳥の鳴き声や風で揺れる葉の音なら分かる。近くに人間がいれば足音も聞こえるし、誰かが近づいてきた時に地面の振動を感じることもあった。

 

 だが、それは単に耳が聞こえているだけじゃないのか。

 

 実際、耳を塞いでみると、途端に何も分からなくなった。

 

 武装色の方も似たようなものだった。

 

 腕に力を込め、身体の中にあるはずの覇気を集めようとする。拳を握り、何となく力が集まった気になったところで木を叩いてみたが、やはり普通に痛かった。

 

 何度か試した末、木を殴るのはやめた。

 

 さすがに、毎回拳を痛めていては馬鹿らしい。

 

 それからは、寝る前に自分の身体へ意識を向けるようになった。

 

 横になって目を閉じ、呼吸を整える。

 

 昼間に走ったせいで足が疲れている日もあれば、腕立て伏せを頑張りすぎて肩が痛い日もある。そうした身体の感覚を確かめながら、覇気らしいものがないか探っていく。

 

 初めは退屈だった。

 

 何も起きないし、しばらくすると眠くなる。実際、何度もそのまま寝てしまった。

 

 だが、何日か続けているうちに、少しだけ気づいたことがあった。

 

 普段は自分の身体のことなど、ほとんど意識していない。

 

 腕を動かそうと思えば腕が動くし、足を動かそうと思えば足が動く。腹が減れば飯を食うし、眠くなれば寝る。それだけのことだ。

 

 ところが、こうして目を閉じていると、呼吸の仕方一つで身体の感覚が変わることが分かってきた。

 

 深く息を吸えば胸が膨らみ、ゆっくり吐けば腹の力が抜ける。腕に力を込める時も、肩まで固めてしまうより、余計な力を抜いた方が動かしやすい。

 

 もちろん、これが覇気なのかと聞かれれば、違うと思う。

 

 だが、自分の身体を思い通りに動かすことさえ、まだ満足にできていないのだ。そんな状態で、目に見えない力だけをいきなり扱えるとは思えなかった。

 

 ならば、まずは今の身体でできることを増やそう。

 

 覇気の練習は、そのついでに続ければいい。

 

 どうせ、すぐに使えるようになるとは思っていない。

 

     *

 

 そんな生活を始めてから、どれくらい経っただろう。

 

 ある日の夕方、おれはいつもの道を走って家に戻った。

 

 今日は途中で転ばなかったし、前より少し速く走れた気がする。何より、帰ってきてもまだ余裕があった。

 

 気分がよかったので、そのまま家の裏へ回り、腕立て伏せを始めた。

 

「いーち、にーい、さーん……」

 

 五回目で腕が震え始めた。

 

 それでも、前は一回もまともにできなかったことを思えば、大した進歩だ。

 

「ろーく……!」

 

 どうにか身体を持ち上げたところで、目の前に誰かの足が現れた。

 

「おい、エース。何やってんだ?」

 

 顔を上げると、山賊の一人が立っていた。

 

「見りゃ分かるだろ。鍛えてんだよ」

 

「へえ。お前、最近ずっと走り回ってるらしいじゃねェか」

 

「ああ」

 

「何だ、海兵にでもなるつもりか?」

 

「海軍にゃならねェ!」

 

 即答すると、男は笑った。

 

「じゃあ、何のために鍛えてんだ?」

 

 おれは腕立て伏せをやめ、地面に座り込んだ。

 

 何のためか。

 

 もちろん、強くなるためだ。

 

 だが、改めて聞かれると、それだけでは少し足りない気がした。

 

 この世界には、海を割るような怪物がいる。

 

 島を支配する海賊もいれば、世界中を相手に戦争を仕掛けるような連中もいる。そんな世界で、自分の人生を他人に決められるのは御免だった。

 

 それに、せっかくロジャーの息子に生まれたんだ。

 

 どこまで強くなれるのか、試してみたいじゃないか。

 

「強くなりてェから!」

 

 そう答えると、男は一瞬きょとんとして、それから笑った。

 

「ははっ! そりゃそうか!」

 

「何だよ!」

 

「いや、悪ィ悪ィ。お前らしいと思ってよ」

 

 男はおれの頭を乱暴に撫でると、家の方へ歩いていった。

 

「お頭! エースの野郎、また妙な鍛錬してやがりますぜ!」

 

「ほっとけ! どうせ腹減ったら戻ってくんだろ!」

 

「もう戻ってるぜ!」

 

「だったら飯の支度手伝わせろ!」

 

 おれは慌てて立ち上がった。

 

「おい! 余計なこと言うなよ!」

 

 家の中から笑い声が聞こえてくる。

 

 どうやら、今日もただで飯を食わせてはもらえないらしい。

 

 まあ、いいか。

 

 鍛錬を始めてから、以前より腹が減るようになった。飯の支度を手伝えば、少しくらい多めにもらえるかもしれない。

 

 そう考えたおれは、さっさと家へ戻ることにした。

 

 覇気はまだ使えないし、身体だって大して強くなっていない。

 

 それでも、昨日より少しだけ遠くまで走れるようになったし、腕立て伏せも一回多くできるようになった。

 

 今は、それで十分だ。

 

 明日はもう少し走ってみよう。

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