見聞色の感覚をつかんでから、森を走るのがますます楽しくなった。
以前は足元ばかり気にしていた山道も、今では少し先まで目を向けられる。走り慣れた道なら、どこに木の根があって、どの岩が滑りやすいのかも覚えているので、かなりの速度を出せるようになっていた。
そこへ見聞色が加わったのだから、試してみたくなるのも当然だろう。
もっとも、目を閉じて走るのは早々に諦めた。
一度試したところ、目の前にある木に気づかず、思い切り額をぶつけたからだ。
「いってェ……!」
しばらくその場にしゃがみ込み、涙目になりながら額を押さえていた。
見聞色で周囲の気配を感じ取れるようになったとはいえ、木や岩まで何でも分かるわけじゃないらしい。そもそも、今のおれが感じ取れるのは、近くにいる生き物の存在くらいだ。それだって集中していなければ見逃すことがある。
目を閉じて走るには、まだ早かった。
それでも、見聞色を自覚できたことは大きい。
これまでは、本当に自分の中に覇気があるのか、何を感じ取ればいいのかも分からないまま練習していた。それが今では、意識を向ければ時々ながら気配を感じ取れるようになっている。
できることが増えれば、当然、次も試したくなる。
武装色だ。
おれは家の裏に置いてある岩へ向かい、その前に腰を下ろした。
この岩は、少し前に森から運んできたものだ。最初は両手で抱えて持ち上げるだけでも苦労したが、今では何度も頭の上まで持ち上げられるようになっている。
今日はこいつを使って、武装色を試してみようと思っていた。
もっとも、岩を殴るつもりはない。
以前、それをやって散々痛い目を見た。拳を壊してまで同じ失敗を繰り返すほど、おれも馬鹿じゃない。
まずは、武装色という力そのものを感じ取る必要がある。
見聞色の時は、周囲にいる生き物へ意識を向けることで、少しずつ感覚をつかめるようになった。ならば武装色も、身体の中にある力へ意識を向ければ、何か分かるんじゃないだろうか。
おれは目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。
武装色は、自分の身体を覆う鎧のような力だ。
レイリーがルフィに説明していた内容を思い出す。武装色を使えば攻撃力や防御力が上がり、自然系の能力者にも攻撃が通るようになる。
そして、原作には武装色をまとった拳や腕が黒くなる描写もあった。
ただ、最初からあれを目指す必要はないだろう。
見聞色だって、初めて気配を感じ取った時には、相手がどこにいるのかさえ曖昧だった。武装色も同じように、まずは存在を感じ取るところから始めればいい。
そう考えながら、身体の内側へ意識を向けた。
しばらくすると、腹が鳴った。
「……腹減ったな」
朝飯は食ったばかりなんだが。
おれは一度目を開け、家の方を振り返った。今戻れば何か食わせてもらえるかもしれないが、ダダンに見つかったら、また薪割りでも手伝わされるだろう。
もう少し練習してからにするか。
そう決めて、再び目を閉じた。
*
最初の数日は、以前と大して変わらなかった。
身体の内側へ意識を向けても、分かるのは呼吸や心臓の動き、筋肉に力を込めた時の感覚くらいだ。見聞色を使ってみても、自分自身の中にある武装色を探ることには、どうにも役立ちそうになかった。
ただ、一つだけ、以前とは違うことがあった。
見聞色を自覚してから、何も感じ取れないことに対して、あまり苛立たなくなったのだ。
自分の中に覇気があることは、もう疑っていない。
そもそも、おれはロジャーの息子であり、原作でも覇王色を使っていたエースだ。覇気の才能があることなど、今さら確かめるまでもない。
ならば、武装色を感じ取れないのは、単にやり方が分かっていないだけだろう。
そう考えると、色々な方法を試すのも苦にならなかった。
腕に力を込めてみたり、全身の力を抜いてみたり、走った直後の身体と、昼寝から起きたばかりの身体を比べてみたりもした。
もっとも、成果は芳しくない。
ある日など、両腕に力を込めながら長々と目を閉じていたら、通りかかった山賊に便秘なのかと聞かれた。
「違ェよ! 鍛錬してんだ!」
「そんな顔して鍛錬してたんですかい? てっきり腹でも壊したのかと思いやしたぜ」
「何だ急に丁寧な話し方して気味悪ぃ」
「おっと、こいつは失礼。お頭と話してたもんで、つい癖が出ちまいやした」
男はそう言って笑い、おれの隣へ腰を下ろした。
「で、今度は何の鍛錬なんだ?」
「武装色!」
「ぶそうしょく?」
「覇気だよ、覇気!」
男は首を傾げた。
「覇気って、あの海兵の爺さんが使ってるやつか?」
「知ってんのか!?」
「いや、詳しくは知らねェけどよ。お頭が前に、あの爺さんは覇気がどうとか言ってた気がするぜ」
おれは思わず身を乗り出した。
「なあ、ダダンは覇気を使えるのか?」
「さあな。おれは聞いたことねェけど、お頭なら知ってんじゃねェか?」
男はそう答えると、立ち上がって家へ戻っていった。
おれはしばらく考えた末、ダダンに聞いてみることにした。
*
「覇気ィ?」
ダダンは怪訝そうな顔でおれを見た。
「なんだ、てめェ。急にそんなもん聞いてきやがって」
「使えるのか?」
「使えねェな」
「じゃあ、知ってるんだな!」
「まあ、名前くらいはな」
ダダンは酒瓶を持ち上げ、一口飲んだ。
「ガープの野郎が使ってるって話は聞いたことがあるが、あたしらみてェな山賊には関係ねェ力だよ」
「どうやったら使えるようになるんだ?」
「知るか! 本人に聞け!」
やっぱりそうなるか。
まあ、期待していなかったわけじゃないが、ダダンに覇気の使い方を教えてもらえるとは思っていなかった。
「じゃあ、今度じいちゃんが来たら聞くことにするか」
「おう、そうしろ! ついでに海兵になるって言ってやれ!」
「それは嫌だ!」
「何でだよ! あいつがどれだけ喜ぶと思ってんだ!」
「おれが嫌なんだよ!」
ダダンは面倒くさそうに舌打ちした。
「ったく、どいつもこいつも……」
何やらぶつぶつ言っていたが、おれはもう聞いていなかった。
ガープが覇気を使えることは知っていたし、いずれ教わるつもりでもいた。ただ、今はまだ自分で試してみたい。
せっかく三歳から鍛錬を始めたんだ。四歳のうちに武装色の感覚までつかめれば、相当なものだろう。
そう考えながら家を出ようとしたところで、ダダンに呼び止められた。
「おい、エース!」
「なんだよ!」
「昼飯までには戻ってこいよ! 最近、毎回遅れやがって!」
「分かった!」
「本当だろうな!」
「今日は遅れねェって!」
そう答えて走り出した。
もっとも、鍛錬に夢中になれば、昼飯の時間なんてすぐに忘れてしまうんだが。
*
武装色の感覚をつかむきっかけになったのは、意外にも岩を持ち上げている時だった。
その日、おれはいつもの岩よりも一回り大きな岩に挑戦していた。
以前から何度も持ち上げようとしていたが、どうしても途中で力が尽きてしまう。両腕で抱えて胸の高さまで持ち上げることはできても、そこから先が難しかった。
だが、最近は身体がまた強くなってきた。
そろそろ持ち上げられるんじゃないかと思い、改めて挑戦することにしたのだ。
「……よし!」
岩の前に立ち、両足を開く。
膝を曲げて腰を落とし、岩の下へ両手を差し込む。指を引っかける場所を確かめてから、ゆっくりと力を込めた。
岩が地面から浮き上がる。
ここまでは、以前からできていた。
問題は、この先だ。
おれは足で地面を踏み締め、腹に力を込めた。腕だけで持ち上げようとすれば、すぐに力が尽きる。だから、身体全体を使って持ち上げる必要があった。
「ぐっ……!」
岩が少しずつ持ち上がっていく。
胸の高さまで来たところで、腕が震え始めた。
まだいける。
おれは歯を食いしばり、さらに力を込めた。
その時だった。
身体の奥から、何かが湧き上がってくるような感覚があった。
筋肉に力を込めた時の感覚とは、少し違う。
身体の内側に、何か別の力がある。
そう感じた途端、岩を支えていた両腕に、妙な感覚が走った。
「……おっ?」
思わず声が出た。
だが、次の瞬間には、腕から力が抜けていた。
「うおっ!?」
慌てて岩を前へ押し出す。
岩は地面に落ち、鈍い音を立てて転がった。
おれはその場に尻餅をつき、しばらく両腕を見つめていた。
今のは、何だったんだ?
岩を持ち上げようとした時、確かに何かを感じた。
筋肉の力とは違う、身体の奥から湧き上がってくるような感覚。
それが両腕へ集まったように感じた途端、岩を支える力が少しだけ増した気がした。
もっとも、すぐに力が抜けてしまったので、本当に強くなったのかは分からない。
だが、あの感覚には覚えがあった。
見聞色を初めて自覚した時も、似たようなことがあったのだ。
最初は何となく気配を感じるだけだったが、何度も試しているうちに、少しずつその感覚をつかめるようになった。
ならば、今のも同じじゃないだろうか。
「……もう一回だ!」
おれは立ち上がり、再び岩の前に立った。
*
それから、何度も同じことを繰り返した。
岩を持ち上げ、力を込める。
身体の奥にある何かへ意識を向けながら、両腕へ力を集めようとする。
だが、最初に感じたような感覚は、なかなか戻ってこなかった。
途中で腕が疲れてしまい、何度か休憩も挟んだ。
それでも、諦めるつもりはなかった。
あの感覚は、確かにあった。
自分の身体の中に、筋肉とは別の力がある。
そう確信できただけでも、今までとは大違いだった。
夕方になる頃には、腕がすっかり疲れてしまったので、岩を持ち上げるのはやめた。
代わりに、地面に腰を下ろして目を閉じる。
呼吸を整え、身体の内側へ意識を向けた。
今度は、岩を持ち上げようとはしない。
ただ、さっき感じた力を、もう一度確かめようとした。
しばらくすると、身体の奥に、ほんのわずかな違和感が生まれた。
おれはその感覚を逃さないように、ゆっくりと意識を向けた。
すると、何となく、身体の内側にある力が動いたような気がした。
右腕へ。
そう考えると、ほんの少しだけ、右腕の内側に何かが集まるような感覚があった。
おれは目を開け、右手を見下ろした。
見た目には、何も変わっていない。
拳を握ってみても、特別硬くなったようには感じなかった。
だが、確かに何かが違う。
おれはもう一度、目を閉じた。
今度は、左腕へ意識を向けてみる。
すると、先ほど右腕に感じたものが、ほんのわずかに動いたような気がした。
「……ははっ!」
思わず笑ってしまった。
これだ。
間違いない。
おれは今、自分の中にある武装色の覇気を感じ取っている。
まだ、まともに扱えるわけじゃない。腕へ集めようとしても、思った通りに動くとは限らないし、少しでも気を抜けば、すぐに感覚が消えてしまう。
それでも、確かに存在している。
おれは立ち上がり、右拳を握った。
試しに近くの木へ拳を軽く押し当ててみる。
硬くなった様子はない。
少し力を込めても、木の表面が手に食い込むだけだった。
「……まだ無理か」
まあ、当然だろう。
見聞色だって、初めて自覚した時は、近くにいる生き物の存在を何となく感じ取れる程度だった。
武装色も、ここから鍛えていけばいい。
おれは拳を開き、もう一度握り直した。
身体の内側にある力へ意識を向ける。
すると、ほんのわずかだが、先ほどと同じ感覚が戻ってきた。
「よっしゃあ!」
思わず拳を突き上げた。
これで、見聞色と武装色の両方を自覚できた。
四歳にしては、なかなか順調なんじゃないだろうか。
いや、ロジャーの息子なんだから、これくらいできて当然かもしれない。
そう考えると、ますます楽しくなってきた。
おれはもう一度、身体の内側へ意識を向けた。
今度は、両腕ではなく、身体全体へ力を巡らせることを考えてみる。
だが、これはさっぱり分からなかった。
右腕へ集めようとするだけでも難しいのに、全身へ巡らせるなんて、今のおれには無理らしい。
それでも、いずれはできるようになるはずだ。
おれはそう信じて疑わなかった。
*
家へ戻ると、ダダンが腕を組んで待っていた。
「エース! てめェ、昼飯までに戻るって言っただろうが!」
「……あっ」
すっかり忘れていた。
ダダンは額に青筋を浮かべ、おれを睨みつけた。
「何が『あっ』だ! 今何時だと思ってんだ!」
「悪かったって!」
「毎回毎回、同じこと言いやがって!」
そのまま首根っこをつかまれ、家の中へ引きずり込まれた。
だが、今のおれは機嫌がよかった。
何しろ、武装色の感覚をつかめたのだ。
多少怒鳴られたところで、どうということはない。
「なあ、ダダン!」
「ああ!? 今度はなんだ!」
「今日は肉、多めにしてくれ!」
「なんでだよ!」
「いいことがあったんだ!」
「知るか! まずは薪割り手伝え!」
結局、夕飯まで薪割りを手伝わされることになった。
もっとも、今日はそれほど苦にならなかった。
薪を運びながらも、時々、身体の内側へ意識を向けてみる。
すると、ほんのわずかだが、あの力を感じ取れることがあった。
まだ、何かを強化できるほどの力ではない。
だが、確かに自分の中にある。
おれは薪を抱え直し、思わず笑った。
明日からは、もっと色々なことを試してみよう。
武装色を自由に扱えるようになれば、今よりずっと強くなれるはずだ。
そして、いずれは、あのガープの拳にも負けないくらいの力を手に入れてやる。
そんなことを考えながら薪を運んでいると、家の中からダダンの怒鳴り声が飛んできた。
「エース! 何ちんたらやってんだ! さっさと運べ!」
「分かってるよ!」
おれは笑いながら返事をし、残っていた薪をまとめて抱え上げた。