七歳になった。
三歳の頃から始めた鍛錬も、気づけば四年目に入っている。最初は腕立て伏せを百回できるようになっただけで大喜びしていたものだが、今ではそれなりの大きさの岩を抱えて山道を走ることもできるようになった。
見聞色は、集中すれば周囲にいる生き物の気配を感じ取れる。武装色も、以前よりずっと自然に身体へ巡らせられるようになり、使っている時とそうでない時の力の違いがはっきり分かるようになっていた。
ただ、どちらも自在に扱えるとは言い難い。
見聞色で相手の攻撃を読むには精度が足りないし、武装色は意識していないとすぐに弱まってしまう。硬化に至っては、未だに成功する気配すらなかった。
そこで、おれは以前から考えていたことを実行することにした。
「じいちゃん、次はいつ来るんだ?」
夕飯の席で尋ねると、ダダンは肉を噛みながら、露骨に嫌そうな顔をした。
「知らねェよ。あのクソジジイの予定なんざ、いちいち聞いてられるか」
「この前、そろそろ来るって言ってなかったか?」
「言ったかもしれねェが、あいつのそろそろなんざ当てになるかよ。来ねェ時は何か月も来ねェくせに、来る時は前触れもなく押しかけてきやがる」
「それもそうだな」
おれは納得して、皿に残っていた肉を口へ放り込んだ。
海軍中将ともなれば、仕事が忙しいのは当然だろう。もっとも、ガープの場合、仕事がなくても勝手に海を渡ってきそうな気はする。
「何だよ。あいつに用でもあんのか?」
「おう。修行をつけてもらおうと思ってな」
ダダンが肉を喉に詰まらせた。
「げほっ、げほっ……てめェ、正気か!?」
「何でだよ。じいちゃん、強ェだろ」
「強ェから言ってんだよ! 今まで何度あいつにひでェ目に遭わされたと思ってやがる!」
「おれがやられた回数の方が多い気がするけどな」
「だったら分かるだろうが!」
ダダンは机を叩いたが、おれはもう次の肉に手を伸ばしていた。
ガープが無茶苦茶なのは、今さら説明されるまでもない。ただ、あのじいちゃんが世界でも指折りの実力者なのは間違いないし、せっかく身近にいるのだから、教えてもらわない手はないだろう。
それに、独学でできることにも限界を感じ始めていた。
覇気を使う感覚は分かるようになったが、自分のやり方が正しいのかどうか、確かめる相手がいない。サボと打ち合うのは楽しいものの、あいつはまだ覇気を使えないし、おれ自身、うまく教えられるほど理解しているわけでもなかった。
どうせ教わるなら、とびきり強い奴がいい。
「まあ、じいちゃんが来たら分かるだろ。それより肉、もうねぇのか?」
「てめェは少し遠慮して食いやがれ!」
*
それからわずか五日後、ガープは唐突にやってきた。
おれがサボと山から戻ってくると、家の中から聞き慣れた笑い声が響いていたので、すぐに分かった。
「ぶわっはっはっは! そうかそうか、あいつも七歳になったか!」
「笑い事じゃねェよ、ガープさん! 年々食う量が増えてんだぞ、あのガキ!」
「よく食うのは元気な証拠じゃ!」
「だったら食費くらい置いていってもいいじゃないですか!」
相変わらずだな。
おれはサボと顔を見合わせ、家の中へ入った。
「じいちゃん、帰ってきたのか」
「おお、エース! 元気にしとったか!」
ガープは振り返るなり、おれの頭を鷲掴みにした。
「痛ェって。挨拶するなら普通にしろよ」
「何じゃ、随分生意気になったのう」
「前から変わってねぇよ」
「ぶわっはっは! 違いない!」
ガープはひとしきり笑うと、おれの隣にいるサボへ目を向けた。
「ん? そっちの小僧は誰じゃ?」
「サボだ。おれの友達」
「サボか。エースが世話になっとるようじゃのう」
「いや、どっちかっていうと、おれがエースに振り回されてるんだけどな」
「おい、サボ。お前だって毎日勝負しようって言ってくるだろ」
「お前がいちいち勝ち誇るからだろ」
ガープはおれたちの顔を交互に見て、また笑い始めた。
「元気な小僧じゃ。よし、二人まとめて海兵にしてやろう!」
「ならねェよ」
「おれも別に海兵になりてぇわけじゃねェぞ」
「何じゃと!? せっかく海軍の英雄が直々に誘っとるというのに!」
ガープは大げさに肩を落としたが、次の瞬間にはダダンの前にあった菓子をつまんでいた。
「ガープさん!それはあたしの菓子だってのに!」
「細かいことを気にするでない!」
ダダンが怒鳴る横で、おれはガープの袖を引いた。
「じいちゃん、ちょっと頼みがあるんだ」
「何じゃ? 海兵になる気になったか?」
「違ェよ。おれに修行をつけてくれ」
ガープの手が止まった。
「ほう?」
「今までずっと一人で鍛えてたんだけどよ。そろそろ、ちゃんと教えてもらいたくなったんだ」
ガープはおれを見下ろし、にやりと笑った。
「面白い。どれだけ強くなったか、見せてもらおうかのう」
*
翌朝、おれたちは山の中にいた。
サボも一緒だ。ガープに修行をつけてもらうと話したところ、当然のようについてきた。
ガープは少し開けた場所まで歩くと、こちらへ振り返った。
「まずは、今のお前さんらの力を見せてみい」
「何すりゃいいんだ?」
「そうじゃのう。二人まとめて、わしにかかってこい」
サボがおれを見た。
「……お前のじいちゃん、本気で言ってんのか?」
「本気だと思うぞ」
「おれたち、二人がかりでいいんだな?」
「好きにせい。武器を使っても構わんぞ」
ガープはそう言って、近くの岩へ腰を下ろした。
完全になめられている。
まあ、当然か。
それでも、何もしないで終わるつもりはなかった。
「サボ、左右から行くぞ」
「分かった。お前、先に仕掛けろよ」
「おう」
おれはガープへ向かって駆け出した。
正面から踏み込むと見せかけて、途中で右へ回り込む。ガープは相変わらず岩に腰掛けたままだったが、おれが拳を突き出した瞬間、片手で軽く受け止めてきた。
その隙にサボが反対側から鉄パイプを振り下ろす。
だが、ガープはおれの拳をつかんだまま身体を傾け、サボの攻撃を避けた。
「ほれ、どうした。それで終わりか?」
「まだだ!」
おれはつかまれた腕を引こうとしたが、びくともしない。
仕方なく足を踏み込んで身体をひねり、反対の拳を繰り出した。ガープはその拳まで受け止めると、おれをひょいと持ち上げた。
「おわっ」
そのままサボの方へ放り投げられる。
「うおっ、こっちに投げんな!」
サボは慌てて飛び退き、おれは地面を転がった。
受け身を取って立ち上がると、ガープはまだ岩に座っていた。
「ぶわっはっは! まだまだじゃのう!」
「くそっ。今度はおれが先に行くぞ、エース」
「待てよ。もうちょっと考えようぜ」
それから何度か攻め方を変えてみたものの、結果は似たようなものだった。
サボが正面から攻め、おれが背後を取ろうとしても、ガープは振り返りもせずに避けてしまう。そこで、おれは武装色を右腕へ巡らせ、サボの攻撃に合わせて拳を打ち込んだ。
その拳を受け止めたガープの顔から、笑みが消えた。
「……ん?」
おれの拳を握ったまま、ガープが手元を見下ろしている。
「おい、エース。もう一度やってみい」
「何だよ。まだやれるぞ」
「ええから、さっきのをもう一度じゃ」
おれはつかまれた拳を引き抜き、改めて武装色を右腕へ巡らせた。ガープの前に立ち、今度は正面から打ち込む。
またしても拳は受け止められたが、ガープはおれの腕を放さなかった。
「お前……覇気を使っとるのか?」
「おう。まだうまく使いこなせねェけどな」
「何じゃと!?」
いきなり大声を出され、おれは思わず顔をしかめた。
「何だよ。そんなに驚くことか?」
「驚くに決まっとるじゃろうが! お前、まだ七つじゃぞ!」
ガープはおれの腕を持ち上げ、ひっくり返して眺めた。そんなことをされても、腕に何か書いてあるわけではない。
「いつからじゃ?」
「四歳の頃から練習してた。ちゃんと使えるようになったのは、もっと後だけどな」
「四歳……?」
ガープは口を開けたまま、しばらくおれを見ていた。
その顔がだんだん笑みに変わり、次の瞬間には、おれの背中を思い切り叩いてきた。
「ぶわっはっはっは! そうかそうか! こりゃあ、とんでもない小僧に育っとるわい!」
「いってェ! 叩くなって!」
「見聞色はどうじゃ? そっちはまだじゃろうな?」
「近くにいる奴の気配なら分かるぞ。でも、じいちゃんの攻撃は全然読めなかった」
ガープの手が再び止まった。
「……見聞色もか?」
「おう」
「ぶわっはっはっは! こりゃあ傑作じゃわい! 七つで両方使いよるとは!」
今度はおれの頭をわしわしと撫で始めた。本人は随分嬉しそうだが、こっちは首が痛くなりそうだった。
「じいちゃん!そろそろ放せよ!」
「よし、エース! お前は絶対に立派な海兵にしてやるぞ!」
「だから、ならねェって言ってんだろ!」
「何を言っとる! これだけの才能を海軍で使わんでどうする!」
ガープが勝手に盛り上がっている横で、サボが呆れたように笑っていた。
「お前のじいちゃん、なんであんなに機嫌がよくなったんだ?」
「おれが聞きてェよ」
ガープはまだ何か言いたそうだったが、やがておれを放し、サボへ向き直った。
「お前さんはどうじゃ? 覇気は使えるのか?」
「いや。エースに教えてもらって試したことはあるけど、全然分かんねェんだ」
「そうか。まあ、普通はそんなもんじゃ。エースがおかしいんじゃよ」
「おい!何でおれがおかしいんだよ!」
「ぶわっはっは! 褒めとるんじゃ!」
サボはおれを横目で見て、少し悔しそうに口を曲げた。
「……まあ、エースが強ェのは前から知ってるけどな」
「何じゃ、負けっぱなしなのか?」
「今はな。そのうち追い抜いてやるつもりだ」
「いい心がけじゃ! よし、お前さんも一緒に鍛えてやろう!」
サボは嬉しそうに笑ったが、おれは少しだけ嫌な予感がしていた。
ガープがあれだけ喜んだ後だ。普通の修行で済むとは思えない。
*
「それで、最初は何を教えてくれるんだ? 武装色か? それとも見聞色で攻撃を読む練習か?」
「そうじゃのう。まずは……」
ガープは辺りを見回し、少し離れた場所にある大きな岩を指さした。
「あれを殴れ」
「……は?」
「聞こえんかったか? あの岩を殴るんじゃ」
おれは岩を見た。
高さはおれの胸くらいだろうか。表面はごつごつしていて、見るからに硬そうだった。
何の変哲もない、ただの岩だ。
「武装色を使ってか?」
「いや、覇気は使うな。素手で殴れ」
おれは思わずガープを見上げた。
「いやいや、拳が壊れるだろ!」
「ぶわっはっは! そう簡単には壊れんわい!」
「いや、壊れるって!」
「うるさいのう。ほれ、見とれ!」
ガープはおれたちを押しのけ、岩の前に立った。
拳を握り、何の構えも取らずに振り抜く。
轟音とともに岩が粉々に砕け散り、飛び散った破片が周囲の木々を叩いた。
おれとサボは思わず目を見開いた。
先ほどまで目の前にあった岩は、跡形もなくなっている。
ガープは拳を振りながら、こちらへ振り返った。
「ほれ。こうじゃ」
「……いや、こうじゃって」
おれは砕け散った岩の残骸を見つめた。
今の一撃には、覇気を使った気配がなかった。
ただの拳で、岩を粉砕したのだ。
前世で読んだ原作にも、ガープが軍艦を殴って拳を鍛えていたという話があった。あの拳の強さが、こうした鍛錬の積み重ねで作られたものだとしたら、おれもやってみたい。
ただ、今のおれが同じことをすれば、間違いなく拳の方が先に壊れるだろう。
「……なるほどな」
おれは拳を握り、近くにある別の岩の前に立った。
今まで、拳を痛めるだけの鍛錬は馬鹿らしいと思って避けてきた。だが、ガープが目の前で見せた一撃は、そんな考えを簡単に吹き飛ばすだけの説得力があった。
覇気を使えば、今のおれでも以前より強い力を出せる。だが、覇気を使わずにこれだけの威力を出せるようになれば、その上に覇気を重ねた時、どれほど強くなれるだろう。
おれは拳を握り直し、岩へ向かって軽く打ち込んだ。
ごつっ、と鈍い音がした。
「いってェ!」
思わず拳を振った。
当然だが、岩はびくともしていない。
ガープが腹を抱えて笑い始めた。
「ぶわっはっは! まだまだじゃのう!」
「分かってるよ。今のは試しただけだ」
おれは拳を開閉し、痛みを確かめた。
全力で殴るのは論外だが、力を抑えて打ち込む程度なら、繰り返せそうだった。拳の当て方や手首の角度を変えながら、少しずつ力を強めていけばいい。
そう考えていると、隣からサボが声をかけてきた。
「おい、エース。お前、本当にやるつもりか?」
「当たり前だろ。お前もやるんだぞ」
「……ったく、しょうがねェな」
サボはそう言って、おれの隣に立った。
おれがもう一度岩を殴ると、サボも同じように拳を握り、打ち込んでみる。
「いってェ! 何だこれ!」
「ははっ。だから痛ェって言っただろ」
「お前、こんなの毎日やるつもりかよ」
「やるぞ。じいちゃんができるんだから、おれにもできるだろ」
「……お前、たまに無茶苦茶なこと言うよな」
サボは呆れた顔をしたが、もう一度拳を握り直した。
ガープはそんなおれたちを眺め、満足そうに笑っていた。
*
それから三日間、ガープはおれたちの修行に付き合った。
朝は岩への打ち込みから始まり、昼からは山中を走り回る。ガープはおれたちが走り慣れている道などお構いなしに、急な斜面や足場の悪い場所ばかりを選んで進んでいった。
途中で倒木を持ち上げさせられたり、崖を登らされたりすることもあった。
おれたちが息を切らしている横で、本人は涼しい顔をしている。
「ぶわっはっは! まだまだ鍛えがいがあるのう!」
「……じいちゃん、ちょっとは休ませろよ」
「何じゃ、もう音を上げたのか?」
「誰が上げたって言ったよ。ちょっと水飲ませろって言ってんだ」
「なら、あそこの川まで競争じゃ!」
「人の話聞けよ!」
ガープは笑いながら駆け出した。
サボはおれの隣で、呆れたように首を振った。
「……お前のじいちゃん、ずっとこんな感じなのか?」
「昔からな」
「よく今まで生きてたな、お前」
「おれもたまにそう思うぜ」
そんなことを言い合いながらも、結局、おれたちはガープの後を追いかけた。
岩への打ち込みも、最初のうちは拳が痛くなるばかりだったが、少しずつ要領が分かってきた。
ガープは細かな説明などほとんどしない。おれたちの打ち方を見て、気に入らなければ自分で手本を見せるだけだ。
だが、その動きは何度見ても参考になった。
拳だけで殴っているように見えて、実際には足元から腰、肩へと力がつながっている。無駄な力みがなく、拳が岩へ当たる瞬間に、身体全体の力が集まっていた。
おれはそれを真似しながら、自分の打ち方を少しずつ変えていった。
すると、同じ力で殴っているはずなのに、拳へ返ってくる衝撃が以前よりも小さくなった。
「おっ、今のは結構よかったな」
おれが呟くと、隣で打ち込んでいたサボが手を止めた。
「何がだ?」
「力の入れ方だよ。拳だけじゃなくて、身体ごと打ち込む感じだ」
おれはもう一度、岩へ拳を打ち込んでみせた。
サボはしばらくおれの動きを見ていたが、やがて自分も同じように構え直した。
「……こうか?」
サボの拳が岩へ当たり、鈍い音が響く。
「おっ、さっきよりいいんじゃねェか?」
「へへっ。ちょっと分かってきたかもしれねェ」
ガープはそんなおれたちを見て、満足そうに頷いていた。
*
四日目の朝、ガープは海軍本部へ戻ると言い出した。
「何だ、もう帰るのかよ」
「わしにも仕事があるんじゃ。いつまでもここで遊んどるわけにはいかん」
「昨日まで散々遊んでたじゃねェか」
「ぶわっはっは! 修行じゃ、修行!」
おれは呆れながらも、少し残念に思っていた。
たった三日間だったが、ガープに教わったことは多い。特に、岩への打ち込みは、今までの鍛錬では意識していなかった身体の使い方を考えるきっかけになった。
まだまだ教えてもらいたいことは山ほどある。
「なあ、じいちゃん。次はいつ来るんだ?」
「さあのう。仕事次第じゃ」
「またそれかよ」
「まあ、次に来るまでの宿題くらいは出してやろう」
ガープはそう言うと、おれたちが三日間打ち込みを続けていた岩の前へ歩いていった。
「エース、サボ。次にわしが来るまでに、こいつを砕いてみせい」
おれたちは顔を見合わせた。
「……覇気は?」
「使うな。拳だけじゃ」
「だよな」
おれは岩を見上げた。
今のおれたちでは、全力で殴っても表面を少し欠けさせるのが精一杯だろう。それでも、ガープが次に来るまでには、まだ時間がある。
「いいぜ。次に来た時には、砕けた岩を見せてやるよ」
「おれもやるぞ。エースだけに先を越されてたまるか」
「ぶわっはっは! いい返事じゃ!」
ガープはおれたちの頭を乱暴に撫でると、豪快に笑いながら山を下りていった。
その背中が見えなくなってから、サボが岩を見上げた。
「……なあ、エース。本当にこれ、砕けるようになると思うか?」
「なるだろ。じいちゃんができるんだからな」
「お前、あの爺さんと自分を同じに考えてねェか?」
「今は無理でも、いつかはできるさ」
おれはそう言って、拳を握った。
ガープの拳が岩を砕いた時の光景は、今でもはっきり覚えている。
覇気を使わず、ただの拳で岩を砕く。
それができるようになれば、今のおれよりもずっと強くなれるはずだ。
「よし、サボ。今日もやるぞ」
「分かってるよ。今度こそ、お前より先に砕いてやるからな」
「へへっ。言ったな」
おれたちは並んで岩の前に立ち、拳を握った。
次にガープが来るまで、どれくらい時間があるのかは分からない。
だが、その時までに、この岩を砕いてみせる。
そう決めて、おれはもう一度、岩へ拳を打ち込んだ。