第40代 内閣総理大臣に就任する予定の陸軍少将に憑依した俺は安穏な余生を送るために合衆国との戦争回避に奔走することになった 作:フォークロア
補足:この世界の東条英機氏は独身です。(※ここ重要)
(……これほどとは)
東北の農村を歩いていた東条は言葉を失っていた。
東条英機に憑依してから、彼は先ず東北へ向かっていた。
今の東条の立場は歩兵第24旅団長――たかが一旅団長が現地へ行ったからといって何ができる?そう客観的には見えるだろう。実際、数週間ほど久留米を離れる為、副官へ部隊の指揮を託し、自らは東北地方へ視察に行くことを申し出た際、「旅団長が行く必要はない」と言われたが、東条は譲らなかった。
新聞が連日のように「東北の惨状」を報じ、ラジオは沈痛な声で農村の悲劇を読み上げていたことで“首脳陣を説得させる為の交渉材料”として確認するため、直接その目で現地視察に赴いていたのである。
そんな東条が軍服の襟を立て、雪の積もる農村へ足を踏み入れた瞬間――胸が締め付けられた。
家々は枯れ、畑は黒く凍りつき、人々は痩せ細り、目だけが異様に大きく見えた。
老人が藁を噛み、母親が木の皮を煮て子に食べさせている。
雪の中、痩せ細った子供が倒れていた。
母親は泣く力すらなく、ただ抱きしめて震えている。
そして、村の片隅には――「娘の身売り相談所」と書かれた粗末な小屋。
東条は眉をひそめた。
中に入ると、薄暗い部屋に男たちが座り、少女たちを値踏みするように見ていた。
「十五歳、働きますよ。前借金は……」
「十四歳、丈夫です。親御さんも承諾済みで」
東条の胸に、怒りが込み上げた。
(……これが、帝国の現実か)
軍の予算が膨れ上がり、農村救済が後回しにされた結果がこれだ。
国家の歪みが、少女たちの身体に押し付けられていた。
東条は拳を握りしめた。
「……これは、国家の失策だ」
胸が痛んだ。
東条は、軍人として数多の戦場を見てきた。
しかし――これは戦場より酷かった。
(軍人として、これは見過ごせない。軍人は国民の生命を守る義務があるのだ!)
その時だった。
「走って! こっちへ!」
白衣の女性が、二人の少女を抱えるようにして駆けてきた。
後ろから、粗野な男たち――人買いの周旋業者が追いかけていた。
「おい! そいつらは商品だ! 返せ!」
男の一人が白衣の女性を取り押さえる。
「やめて! この子たちは連れて行かせない!」
東条は迷わず前に出ると、男の手を取り抑える。
「その子たちを離せ!」
「痛っ――なんだテメェ!!」
「やめたまえ。帝国軍人の前で人買いなど許さん」
男は東条の姿を確認すると鼻で笑い飛ばす。
「はっ――軍人様か? 関係ねぇよ。親が売ったんだ。娘を売れねぇなら、親から金を巻き上げるまでだ!」
東条は懐から財布を取り出し、札束を男に投げた。
「これで手を引け。今すぐだ」
男たちは目を丸くし、札束を拾い集めて逃げていった。
白衣の女性は息を切らしながら深く頭を下げた。
「助けていただき……ありがとうございます」
彼女は日本語が少しぎこちなかった。
肌の色、髪の色――よく見るとどこか日本人と少し違った容姿をしていた。
(……日系か?)
東条は英語で話しかけた。
「Are you alright?」
彼女は驚き、目を丸くした。
「英語……話せるんですか?」
「日常会話程度には」
驚く彼女に東条は微笑む。
「私は東条英機。見ての通り軍人です。あなたは? こんな場所で人買いから子どもを庇っていたところを見ると、訳ありのようですが」
「私はエイリー・ノグチ……医者をやっています」
「野口……永理……医者で野口性とは、かの野口英世博士を彷彿とさせるね」
「はい。野口英世は私の父です」
「っ!?」
東条は息を呑んだ。
(野口英世の娘……!?)
――野口英世。
言わずと知れた世界的に名前を知られた日本人細菌学者。
黄熱病研究のためアフリカへ渡り、そこで病に倒れた男。
未来の記憶では、彼に“娘はいなかった”はずだ。
少なくとも、自分が知る歴史には存在しない。
(……違う)
東条はその瞬間悟る。
(ここは俺が知っている史実の過去じゃない)
似ている。
だが同じではない。
世界そのものが、僅かに違っている。
そして今目の前に、その証拠が立っていた。
「私、父の背中を追って医者になったんです」
永理は語る。
生まれ故郷のアメリカで医者になったこと。しかし、アメリカでは日系人への差別が酷く、日本が満州へと侵攻したのを皮切りに排日感情が“今までよりも悪化した”ことで医師として働いていくのが難しくなり、父の生まれ故郷たる日本でなら、誰かの役に立てると思って来日したこと。そんな折りに東北の惨状を見て、医療支援に来ていたこと。そして、飢える少女たちを見捨てられなかったこと等経緯を語った。
東条は胸が締め付けられた。
「……すまない。軍人である私たちが中国の大地で暴れたばかりに、関係の無い君にまで迷惑をかけてしまった」
東条は深く頭を下げた。彼女のような“稀少な人材”の働き口を間接的に奪ってしまったのは、世界にとって大きな喪失であると感じたのである。
「あなたのせいではありません。むしろ助けていただいたことを感謝しています」
永理の背後から、二人の少女が顔を出した。
少女たちは永理のスカートを掴み、震えていた。
「家に帰りたいかい?」
東条が優しく声をかけると、二人は首を振った。
目を丸くする東条へ永理が小さく言った。
「この子たち、親から暴力を受けていたようで……身売りに出すことを、喜んでいたようです」
東条は拳を握った。
(この国は……どこで間違えた……ッ!!)
東条は目を閉じる。
(……これは、軍人の仕事ではない。しかし、見過ごせるものではない)
東条は決断した。
「ならば、私が引き取ろう」
「えっ……よろしいのですか?」
「構わん。偽善だろうと、弱い者を守るのが帝国軍人の務めだ」
永理は目を潤ませた。
「……あなたは、優しい方ですね」
東条は照れくさそうに笑うと、二人の少女へと視線の高さをあわせるようにかがんで、話しかける。
「二人とも。よかったらおじちゃんに名前を教えてくれないかな」
「私…輝椰」
「…紅」
輝椰と紅の二人は永理の手を握りしめる。
永理は困ったように微笑んだ。
どうやら二人は永理と離れたくないようであった。
東条は苦笑した。
自分は軍隊なら率いた経験がある。
だが子供の扱いとなると門外漢だった。
「永理さん。よければ、あなたも一緒に来てくれませんか」
永理は少し驚き、輝椰と紅の顔を一瞥してから微笑んだ。
「……仕方ないわね。この子たちが安心できるなら」
こうして東条は三人を連れて帰ることになった。
永理との出会いは、東条の人生を大きく揺り動かす“最初の奇跡”だった。
そして――歴史は静かに動き始めていくのである。
次回『陸軍省軍務局長との再会』