第40代 内閣総理大臣に就任する予定の陸軍少将に憑依した俺は安穏な余生を送るために合衆国との戦争回避に奔走することになった 作:フォークロア
「………………」
帰りの列車。東条は腕を組んで難しい表情を浮かべる。
向かいの席では、永理が本を読み聞かせながら輝椰と紅が隣で眠っていた。
ふと彼女は二人が眠りについたのを確認すると顔を上げ、東条を見る。
「どうかしましたか?」
東条は小さく笑った。
「いや。少し考え事をしててね」
東条は視線を窓の外へと向ける。
雪に閉ざされた東北の山々が窓の外を流れていた。
脳裏に思い浮かぶのは――
衰えた農村。
疲弊した国家。
暴走していく軍部等々
この国には問題が山積している。
(だが――やるしかない)
東条は静かに決意した。
東北で見た光景を、二度と繰り返させないために。
軍人が国民を守るとは何か。
未来で得た答えを示すために。
列車は雪を掻き分けながら、ゆっくりと東京へ向かっていた。
「久しぶりだな、東条」
「お久しぶりです、先輩」
かつてドイツのバーデン=バーデンで、軍の革新を誓い合った仲の男と再会した東条は敬礼を返す。中身が代っていたとしても東条英機にとって一番頼りとなり“改革に協力”してくれる相手となれば、彼しか適任者は思い浮かばなかった。
東北からの帰途についていた東条は、福岡へ帰る前に東京で途中下車していた。
向かった先は陸軍省軍務局長室。出逢った相手は現在軍務局長を勤めていた永田鉄山少将であった。
永田は久しぶりに顔を見た東条に対し笑った。
陸軍学校に於いて永田は東条の1期上であり、厳格な階級社会の陸軍では永田が呼び捨てであったのに対し、東条は公の場では基本敬称呼びであった。
しかし、この場では二人きりの“私的な場”であったので、親しみを込めて先輩・さん付けで呼んでいたのである。
「それにしても驚いたぞ。久留米から突然電報を寄越したと思ったら『至急会いたい』だ」
永田は椅子を勧める。
「何かあったのか」
東条は数秒沈黙した。
そして言う。
「永田さん。日本はこのままでは滅びます」
永田の表情が止まった。
普通の将校なら、 永田は一笑に付しただろう。
だが目の前の男は東条英機だった。
軽々しく物を言う男ではない。
それだけ彼は東条の人となりを信用していた。
だから永田も、
「訳を聞かせてくれ」
とだけ答えた。
東条は話し始めた。
東北で見た現実。
飢餓。
身売り。
疲弊する農村。
そして国家の構造的問題。
「陸軍は軍備を増強しています」
「当然だ」
「私もそれは必要だと思います」
永田が少し驚く。
満州事変以降、国家予算が軍事費に優先して割り振られているのは永田もよく認識していた。
――だから、軍備を縮小し予算を農村救済へ回すべき。
そう東条は言いたいのだろうと当たりをつけたのである。
しかし、東条は軍備縮小論者ではなかった。
だからこそ永田も続きを聞く。
「しかし今の日本は“予算の使い方が”間違っています」
東条は続ける。
「軍事費に限って言えば、兵器の数へ投入しすぎています」
「どういう意味だ。大量生産をしないと前線を支えられないだろう」
訝しむ永田へ東条は答えた。
「必要なのは量ではなく科学技術だということです」
「技術力……確かに我が軍は技術力が足りない部分を精神論でカバーしようとする体質だな」
「はい。工作機械、電探、通信、兵站、医学、工業力、道路整備等々前線を支えるのはそういった地味な基礎部門です。予算の大部分を前線の兵力拡大ではなく、最先端の工作機械の国産化や、通信・エレクトロニクス、暗号、基礎科学研究の底上げ等に投資しなければ10年後、日本は列強に勝てません」
永田は東条を見つめる。
それは自分自身が考えていた『国家総力戦体制』の思想に近かった。
「東条」
「はい」
「お前、何を見た?」
「未来です」
「……石原の思想を真に受けたのか」
永田は苦笑した。
冗談だと思った。
だが東条の目は本気だった。
東条は持参した資料を机に並べる。
「これは……」
「10年後に米ソ独が持つ新型兵器の設計図です」
永田は一枚一枚を食い入るように見つめた。
そこに記載されていたのは、M3中戦車、M4シャーマン、T-34、KV-1、IS-2、パンター、ティーガー、アイオワ級戦艦やエセックス級空母、B29等々の資料だった。
永田の表情が変わる。
驚愕、警戒、そして焦燥が入り混じった複雑な色を含んでいた。
この時代の日本人では想像もつかない、巨大な鋼鉄の怪物戦車たち。
百機以上の搭載能力を持つ大型空母に、四十センチ砲を三基搭載する戦艦、高度12000を飛行する爆撃機等、畑違いの永田であってもそれが如何に脅威的なものであるかは理解できた。
永田は紙をめくる手を止めた。
「七五ミリ以上の砲を搭載した中戦車に……四十トン級の重戦車…………こんな化け物じみた戦車を、欧米諸国は本当に作るというのか」
「はい。ドイツとソ連は、すでに40トン級戦車の開発に着手しております。アメリカも同様です。我が国が開発しようとしている九七式中戦車では、到底太刀打ちできません」
永田は煙草へ火を付けると、一息吐く。
「つまり貴様はこう言いたいのか? 対抗できる軍備を整えるためにも国家の基盤足る民間産業の底上げによって欧米との技術格差を縮めろ。強兵の為に富国を成せと」
「加えて言うなら、国内の農村救済にも予算を充てるべきです」
「なるほど。私もそれについては考えていた。確かに軍が巨大になっても国家が貧しいままでは、10年後の戦争には勝てんだろう。これからの時代は“国家総力戦”だからな」
永田は自身が唱えた『国家総力戦体制』の思想にも当て嵌まったため、東条の国家全体を強くしなければならないという言い分に納得した。
「精神論だけで戦争に勝てる時代ではない。だから予算を民間投資へ優先する。考え自体は分かるが……それをやると軍内の反発も大きいぞ。満州事変を皮切りに更に中国奥地を支配すれば資源が手に入り経済が自立できると主張する声も高まっている」
「それを抑え“方向性を修正する”のが閣下と私が今後取り組むべき課題です。そうしなければ10年後に日本は米英からの経済封鎖により自滅します」
「フム……東条。お前は、陸軍の未来を変えようとしているのだな」
「いいえ。もっと大きく。この国を、破局の未来から救うために」
東条は続けた。
「永田さん、満州には巨大油田があります」
永田が顔を上げる。
「なんだと?」
「石油さえ確保できれば、日本はこれ以上の領土拡大をする必要はありません。石油の自給体制が確立できれば米国との戦争そのものを避けられます」
永田は目を細める。
「東条――お前は、石原の唱える“世界最終戦争”と同じ考えなのか?」
世界最終戦争。
それは石原莞爾が唱えた歴史が進むと勢力をつけた日米が最後に人類の覇権をかけて争う大戦争が勃発するという思想である。
だからこそ、石原は『満州を確保したら、一度戦争はストップして、何十年もかけて国力をじっくり蓄える。その間、中国やソ連とは絶対に戦争を起こしてはならない』と主張した。
最終戦争の為に一旦は戦争を回避する――“根が軍人”である東条はそう考えたのだろうと永田は考えた。
しかし、東条ははっきりと否定する。
「日本は“軍事大国”になってはなりません」
軍務局長室が静まり返った。
「日本は“経済大国”を目指すべきなのです」
「っ――」
永田は東条の顔を見る。その目は本気だった。
冗談でも理想論でもない。本心からそう言っている。
「軍事力だけでない。経済による国家の安全保障。採掘埋蔵量10億トンをはるかに超える油田に多くの資本は興味を持つ。アメリカ、英国、そしてドイツーー国家だけでは無い。民間を含めた利益と一国の安全が同調すれば、その利がその国の盾となる。交易相手が日本と戦うことを損だと考えるようになれば、これこそが日本の“安全保障”に繋がるのではないでしょうか」
東条の言い分を永田は黙ったまま聞いていた。
――強い経済こそ最大の国防だと。
永田鉄山は長い沈黙の後、 静かに椅子へ背を預けた。
「……なるほど」
そして笑う。
「ククク……戦争をする必要がない国を目指すか。面白い」
東条は少し驚いた。
「東条」
永田は言った。
「お前の話を聞きそうな人間がいる」
「誰です?」
「高橋是清だ」
東条は僅かに目を見開く。
高橋是清。
今の日本で最も優秀な経済人。
もし彼が味方になれば――日本を変えられる。
「それに大角海相もな。陸海の反目を退け、共同戦線の確立ができれば……」
「昭和の薩長同盟が成り得ますね」
東条が続けて言ったことに永田は頷く。
永田は立ち上り、そして笑う。
「面白くなりそうじゃないか、東条」
この瞬間。
東条英機の改革は、陸軍内部の一旅団長の夢ではなく、国家中枢へ届く話になり始めたのである。
次回『首脳陣との会談』