第40代 内閣総理大臣に就任する予定の陸軍少将に憑依した俺は安穏な余生を送るために合衆国との戦争回避に奔走することになった 作:フォークロア
昭和9年11月。
陸軍省の窓から見える東京の空は曇っていた。
その日、東条英機は軍務局長室の隣にある応接室で待たされていた。
隣には永田鉄山。
そして数分後、この国の陸軍を預かる男がやって来る。
「待たせたな」
林銑十郎陸軍大臣が入室する。
後に首相にまで上り詰める人物だが、この時点では依然として陸軍内部の派閥抗争に頭を悩ませる一軍人でもあった。
東条は立ち上がり敬礼する。
「歩兵第二十四旅団長の東条英機です」
「うむ、知っておるよ」
林は穏やかに笑った。
「永田が珍しく『ぜひ会って欲しい人物がいる』と言うのでな」
そう言って永田を見る。
永田は苦笑した。
「閣下。東条の話は一度聞く価値があります」
「ほう」
林は席につく。
東条へ視線を向けた。
「では聞こうか」
東条は持参した資料を机に置いた。
分厚い紙束――そこに書かれていたのは“永田に見せたのと同じ未来の兵器達”であった。
林は思わず眉をひそめた。
「これは何だね?」
「将来、欧米諸国が開発する兵器です。情報の精度は100%保証致します」
東条は静かに答えた。
資料を手に取った林の表情が変わる。
そこにあったのは、M4シャーマン、T-34、パンター、ティーガー、そして戦艦や航空機群の諸元データであった。
驚愕、警戒、そして焦燥が入り混じった複雑な表情を林は浮かべる。
それは永田と同様な反応だった。
「ムムム……これが本当だとすれば由々しき事態だ。しかし東条君、君はいったいどこでこのような情報を手に入れたのだね?」
東条は一瞬だけ迷ったが、すぐに腹を決めた。
「……閣下。信じ難い話かもしれませんが、私は“これから起こる未来”を知る立場にあります」
林の眉がぴくりと動く。
「未来、だと?」
「はい。10年後、我が国は米英と戦い、敗北します。陸海軍は壊滅し、国土は焦土となり、私は……戦争を始めた責任者として絞首刑になります」
林と永田が息を呑んだ。
東条は淡々と続ける。
「しかし、未来は変えられます。閣下、我が国が敗れる最大の理由は“工業力の不足”と“石油の欠乏”です。これを克服しなければ、どれほど勇敢な兵士がいても勝てません」
林は腕を組み、東条を見つめた。
「だからこそ、閣下。今すぐ、陸軍の近代化を始めなければなりません。近代化の為に必要なのは国内の開発です」
「つまり――国力を底上げすることが結果として軍事力の強化に繋がるという訳か?」
「そうです。工作機械、発電所、港湾、道路、通信、科学研究、医学、兵站等――それらを支えるのが民間産業なのです。しかし、我が国は今のままでは民間産業の向上は見込めません」
「軍事費が多すぎると言うのか?」
林が尋ねる。
東条は首を横に振った。
「違います。軍事費そのものは必要です」
「では何が問題なのだ」
「予算の使い方です」
東条は即答した。
「陸相。私は先日東北を見て参りました」
「うむ」
「飢えていました」
東条の声は低かった。
東北で見た少女たちの姿が脳裏を過る。
輝椰、紅、そして永理。
「農民は藁を食べていました」
林の顔が険しくなる。
「娘を売らなければ家族が生きられない家庭もありました」
永田も目を伏せる。
「陸相」
東条は続ける。
「今の日本は間違っています」
林が小さく目を細めた。
「我々は強い軍隊を作ろうとしています」
「当然だ」
「しかし国家全体は強くなっていません」
東条は言った。
「国家が貧しいまま、軍だけ強くなっても意味がありません。東北がその証拠です。国民が飢え、農村が崩壊し、研究者や技術者が育たなくなれば、10年後――たとえ軍が巨大になっても欧米との戦争には負けます」
応接室が静まり返る。
東条は真っ直ぐ林と永田の二人を見る。
「だからこそ、日本は軍事大国ではなく――」
東条は身を乗り出す。
「経済大国になるべきなのです」
林は驚いたように眉を上げた。
「経済大国……」
「はい」
東条は続ける。
「経済が強くなれば国民が豊かになります。産業が育ちます。税収が増えます。軍も強くなります。そして何より交易相手が増える。日本と深く結びついた国は、日本との戦争を損だと考えるようになります」
林は黙って聞いていた。
応接室の空気が変わり始める。
「つまり――」
東条は静かに言った。
「強い経済こそ最大の国家の安全保障になるのです。日本が目指すべきは他国と戦争をする必要のない国になることなのです」
永田が思わず笑った。
「はは……なるほどな。だからお前は東北へ行ったのか」
「はい。国民を豊かにしなければ国は守れません」
東条はうなずいた。
「ムゥッ…………言わんとすることは分かった。確かに国家全体が豊かにならねば軍の近代化も見込めんだろう。しかし、日本は貧乏な国だ。満洲事変以降、軍需のインフレによって景気が回復してきた一方“限られた予算”を農村救済へ当てるのが難しくなったと高橋大臣は言っとる。じゃから、陸軍としてやれることは“軍事費を減らして”その予算の一部を農村インフラの整備に回すしか方法はない。しかし、それをやると軍内の反発がな……」
(陸相もそのあたり考えていたのだな……)
東条は林に対して評価を改めた。
林陸相は本質として“軍政家”であり内政は不得手であった。
そんな彼も彼なりに“陸軍としてどう農村救済に挑めるか?”を考えていたらしい。
「承知しております。しかし、閣下。改革をしなければ、我が国は将来滅びます」
東条は林の目をまっすぐ見た。
「我が国は経済構造として『他国から原材料を購入し、加工したものを他国へ売却することで利益を生み出す』システムです。私はその経済構造そのものを“変革”し、国家の経済成長を成し遂げたいと考えております。その答えが――ここにあります」
東条は一枚の地図を取り出した。
「うん?……満州」
東条が指さしたのは満州であった。
「閣下。満州には“巨大な油田”が眠っています」
「なに! 満州に大油田だと」
林陸相は急に目を輝かせ、身を乗りだした。
「はい。黒竜江省、ハルピンの北西約150キロ。チチハルの南東120キロ。陸成層の地下二千程に数億トンの石油が秘められています。これを発掘できれば、我が国は石油の自給が可能となり、対米依存を減らせます」
林陸相は唾を飲む。
そもそも日本は“資源が無い国”である。
資源が無い国は、海外から買った原材料に『人間の高い技術力』と『労働』を掛け合わせて、付加価値の高い製品を作り出して売ることでしか外貨を稼げない。
その為、経済の基盤が『教育』と『人材』なのである。
政府自体、自ら稼ぐ手段がなく、国民や企業が必死に働いて創出した利益から『税金』としてお金を集め、それを国家予算に回すというのがおおよその経済サイクルなのである。※
東条は、その日本の経済システム自体を根底から変えようと言ったのである。
「もし石油を自給できるなら、我々は資源確保のために戦争をする必要がなくなる」
「そして、その分の予算を産業、研究、教育、農村に回すことで日本を経済成長させていくことができます。陸相――是非、陸軍だけでなく、海軍と政府を巻き込んだ国家プロジェクトとして満州の資源開発を進めて下さい。将来的に石油が発掘できるなら、今は軍事費を多少は減らし内政に予算を優先投資しても良いではありませんか。飢えた国民を見捨てて、何が国防か。軍とは国民を守るのが責務なのです」
静寂――
しばらく沈黙していた林銑十郎は椅子に深く座り直した。
「東条」
「はい」
「私は正直驚いている」
林は苦笑する。
「まさか陸軍の旅団長から農村救済と経済政策を聞かされるとは思わなかった」
東条は少し笑った。
「一軍人が口を出すことではないかもしれませんが」
「いや」
林は首を振った。
「今の陸軍には、お前のような人間が必要かもしれん。お前の話は、私の胸を打つ」
その言葉に永田も頷く。
「東条」
「はい」
「お前の提言を岡田内閣へ働きかけよう。この話は軍の話だけでは終わらん。国家の将来を左右する話だ。岡田内閣の主要閣僚を召集し、話し合う必要がある」
「ありがとうございます」
「しかし、そこでお前も同席しろ」
「私が政府を説得するのですか?」
「そうだ。異例のことだが、発案者であるお前が直接説明する方が一番効果的だろう。君が中心となって案をまとめてくれ。熱く強く訴えかけ、全員の理解と同意を得てみるのだ」
東条は静かに立ち上がると、深く礼をした。
「お力添えいただき感謝致します。林閣下」
林銑十郎はそんな東条を見ながら思う。
(東条英機か……軍人でありながら国家全体を見ている。こういう男が将来の陸軍を背負うのかもしれんな)
こうして――
東条英機の改革は一旅団長の理想論から国家中枢を動かす計画へと変わり始めたのであった。
次回『岡田内閣首脳会議』