第40代 内閣総理大臣に就任する予定の陸軍少将に憑依した俺は安穏な余生を送るために合衆国との戦争回避に奔走することになった 作:フォークロア
凄く執筆の励みとなりましたので、今後ともよろしくお願いします。
林銑十郎との会談を終えた頃には、既に夕暮れが近づいていた。
冬の日は短い。
市ヶ谷を出た東条は、永田鉄山と並んで陸軍省の廊下を歩いていた。
しばらく沈黙が続いた後、永田が不意に口を開く。
「東条」
「はい」
「お前、本当にやるつもりなのだな」
何を、と聞く必要は無かった。
国家改革のことだ。
東条は静かに頷く。
「やらなければなりません」
「日本を変えるか」
「未来を変えます」
永田は苦笑した。
「相変わらず大きく出る男だ」
そう言ったものの、その目にはどこか期待も滲んでいる。
そして不意に話題を変えた。
「ところで、東北で保護したという女性と子供たちはどうする」
東条は一瞬だけ足を止めた。
永理たちのことである。
「東京で暮らせるよう手配します」
「お前が面倒を見るのか」
「そのつもりです」
永田は腕を組んだ。
そして数秒考えてから言った。
「東条」
「はい」
「お前は独身だぞ」
東条は苦笑した。
やはりそこを突っ込まれたかと思った。
「分かっています」
「ならば分かるだろう」
永田は少し真面目な顔になる。
「独身の少将が若い未婚女性と暮らしているなどという話になれば、憲兵も騒ぐし、軍内の連中も余計な勘繰りを始める」
「……でしょうね」
「お前はこれから中央へ戻る可能性が高い」
永田は続けた。
「くだらん醜聞で潰される訳にはいかん」
その翌日――
東条は東京郊外に一軒の借家を借りた。
軍人の住居としても見劣りしない、格式ある平屋だった。
決して豪壮な邸宅ではない。
だが永理と子供たちが安心して暮らすには十分だった。
手入れの行き届いた庭。
広い居間。
子供が二人暮らしても窮屈ではない部屋数。
東条の階級と俸給を考えれば十分に立派な一軒家だった。
永理は玄関に立ったまま、しばらく家の中を見回していた。
「本当に……ここに住んでいいのですか」
「もちろんです」
東条は小さく笑った。
「そのために借りた家です」
「広い……」
「お風呂ある……!」
輝椰と紅は既に家の中を探検している。
東北で見た怯えた様子が嘘のようだった。
居間からは早速、
「お部屋がいっぱい!」
「お布団だ!」
と賑やかな声が聞こえてくる。
その声を聞くと、東条まで少し安心する。
少なくとも、この家には飢えも、人買いもいない。
居間へ案内すると、東条は改めて永理へ説明した。
「先に伝えた通りです」
「はい」
「表向き、あなたには私の家の家政婦になってもらいます」
永理は頷いた。
既に事情は聞いている。
軍という組織。
将官という立場。
世間体。
そして憲兵隊の目。
すべてを考えれば必要な処置だった。
「永田さんにも話は通しています」
東条は続けた。
「給与支払い名簿にも記載しますので」
「正式な雇用という形ですね」
「そうです」
「なら問題ありません」
永理は素直に頷いた。
彼女自身も社会人だった。
こうした形式の重要性は理解している。
夕食は質素だった。
だが東北での暮らしを思えば十分すぎるほど豪華だった。
味噌汁。
焼き魚。
白米。
漬物。
それだけで輝椰と紅は目を輝かせていた。
「本当に食べていいの?」
紅が聞く。
東条は苦笑した。
「もちろんだ」
「残しても怒られない?」
今度は輝椰だった。
その言葉に東条は少し胸が痛んだ。
これまでどういう生活を送ってきたのか。
想像するとやるせなくなる。
「怒らんよ」
優しく答えると、二人は安心したように箸を動かした。
食後――
輝椰と紅が眠った頃。
東条は居間の机へ向かうと、そこに置かれたノートパソコンを慣れた手つきで開く。
暗かった画面に光が灯ると、カタカタとキーを叩く不思議な音が昭和9年の静かな夜に響く。
「まだ起きていたのですか」
東条が振り返ると、永理が湯飲みを持ってきてくれた。
「少しな」
東条は苦笑した。
「大仕事がある」
永理から湯飲みを受け取った東条は一服取る。
「……それは」
「ん?」
永理はふと机の上に置かれたPCを見る。
「タイプライター……ですか?」
彼女には理解が及ばない。
それは昭和9年の日本どころか、今の世界には存在しない代物だったからだ。
東条は思わず吹き出した。
「まあ、そんなようなものです」
「そんなようなもの?」
永理が近付いてくる。
興味津々といった様子だった。
医師らしく、未知の機械への好奇心が強いらしい。
東条は少しだけ考えた。
当然ながら正直に説明することは出来ない。
未来から持ってきた携帯型電算機です、などと言っても信じてもらえるはずがない。
いや。もしかすると永理なら信じるかもしれない。
だが信じられたら信じられたで困る。
結局、東条は苦笑しながら言った。
「日本の最新式電算機と印刷機だと思ってください」
「電算機?」
「はい」
「そんなものがあるのですか?」
「あります」
東条は人差し指を立てた。
「ただし、これは軍の重要機密です」
永理は首を傾げた。
「機密?」
「はい。ですので、このことは墓まで持っていってください」
一瞬の沈黙。
そして永理が吹き出した。
「ふふっ」
「笑い事ではありません」
「だって、その言い方では余計怪しいじゃありませんか」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
二人は顔を見合わせた。
東北で初めて会った頃には想像も出来なかった柔らかな空気が流れる。
永理が引き上げた後、東条は再び画面へ向き直り、カタカタとキーを叩く。
農村救済計画。
産業推進計画。
道路網整備構想。
通信網拡張計画。
工業化構想。
満州油田国家調査計画。
等々――
東条の指先から次々と文字が生み出されていった。
やがて隣に置かれた印刷機が唸り始め、紙が吐き出される。
永理から見れば魔法に等しい光景だっただろう。
だが東条は慣れた手つきで資料を纏めていく。
東北で見た光景が脳裏をよぎる。
飢えた農民。
藁を食べる老人と親子。
身売りされる少女たち。
疲弊した地方。
そして国家そのものの歪み。
(この国を救うためにも……)
手が止まる。
ふと、隣の部屋へ視線を向けた。
永理。
輝椰。
紅。
ようやく暖かい布団で眠れている三人。
(彼女たちを守るためにも……)
東条は再びキーボードを叩き始めた。
カタカタという音だけが響く。
・米価の政府買い上げ制度
・救農土木事業の復活
・小作制度の改善
・農村への緊急支援
・工業力強化
・工作機械産業育成
・満州油田国家調査計画
どれも簡単には通らない。
反対もされる。
笑われるかもしれない。
軍人が出過ぎだと言われるかもしれない。
だが、やらなければならない。
(これは……戦争より難しい戦いだな)
東条は思わず苦笑した。
しかし不思議と迷いは無かった。
なぜなら今は、守るべきものが目の前にあるからだ。
翌々日――
永田鉄山から電話が入った。
「東条」
「はい」
「準備が整った」
東条は静かに立ち上がる。
日本の進路を決める会談が始まろうとしていた。
「分かりました」
電話を切る。
玄関では永理が待っていた。
「行ってらっしゃい」
東条は書類の入った鞄を携える。
「ええ」
そして静かに笑った。
「日本の未来を少し変えてきます」
そう言って東条英機は首相官邸へ向かった。
数時間後――
そこで開かれるのが、後に日本の進路を大きく変えることになる『岡田内閣首脳会議』だったのである。
次回『岡田内閣首脳会議』